学位論文要旨



No 119599
著者(漢字) 三角,育生
著者(英字)
著者(カナ) ミスミ,イクオ
標題(和) 環境関連分野におけるウェアラブル情報システムの開発・展開戦略に関する研究
標題(洋)
報告番号 119599
報告番号 甲19599
学位授与日 2004.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5853号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 板生,清
 東京大学 教授 小林,郁太郎
 東京大学 教授 淺間,一
 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 助教授 安藤,英幸
内容要旨 要旨を表示する

 戦後、我が国は、物質的な豊かさを追求してきた。21世紀には「自立した個を基盤とした経済社会」において「個々人が夢に挑戦できる多様性と独創性が発揮される社会」がそのあるべき姿であると示されている(平成11年7月閣議決定)。この様な社会を目指し、これまで技術開発政策に関する研究・提言では、よりきめ細やかな個人のニーズへの対応に重心を移すこと,国民生活ニーズに対応する技術は容易に実現できそうで難しい場合が多いこと、個人のニーズ側から情報技術を統合再編して新たな産業を創出するための技術ロードマップ等の指摘がなされてきた.しかしながら、個人の多様なニーズに対し、上述の課題に関する具体的な議論が不十分であったと考えられる.

 「どの様な技術について」という課題に関しては,骨伝音性難聴者のための補聴器技術が新たに携帯電話に組み込まれた事例等を踏まえると,市民のニッチ(当初事業性が見込み難い小さな市場規模)なニーズを受けた技術であって,より広い用途に発展する可能性があるような技術(「市民技術」と呼ぶ.)が新たな技術開発政策の対象領域と成り得るのではないか考えられる.本論文では,(1)当該領域の開発プロセスにおける一つの開発過程モデル及びそれを踏まえた問題に関する仮説を提案し,具体的な開発示試作事例を分析することにより,問題の解決のための政策的支援の必要性を示すとともに,(2)開発振興政策を立案するための一つの政策モデルを導入し,同じく事例を分析し,その結果を踏まえた政策提言を行うこととした.

 第二章では、「市民技術」の我が国の技術開発政策における位置づけを検討した.戦後,まず,規格大量生産品を中心とした技術開発政策が推進された.中小企業は下請けという位置づけであった.75年に頃から,研究開発型の中小企業育成政策も開始され,80年頃には情報技術の進展により多品種少量生産の自動化の重要性が示されるなど,技術政策として、より少量な市場規模のものも対象となった.国民のニーズも,物的豊かさから,質的豊かさに多様化してきた.近年では、ニッチな市場に対するベンチャー支援,大学発ベンチャー支援等,シーズに始まるベンチャー支援事業に重点が置かれてきた.この様に産業技術の分野では対策が講じられてきた.しかし,現在のところ「個人のニッチなニーズ」への対応に関する政策は十分でない状況にある.今後,個人に多様な選択肢を提供する観点から,この様な分野は重要と考えられ,「市民技術」は一つの新たな政策領域に位置づけられることを明らかにした。

 第三章では,「市民技術」開発・展開過程における課題を明らかにするためのひとつの仮説モデルとして「市民技術」開発・発展モデルを提案し,それを踏まえた開発段階の問題点についての仮説を示した.「市民技術」の成功事例を取り上げケーススタディした,それを踏まえ,「市民技術」の場合に,より広い用途に向けた新たな事業として展開(この段階には、ベンチャー等における「死の谷」があるといわれる.)される前に,別の障壁である「知識量の死の谷」が存在するという仮説をたてた.「知識量の死の谷」は、市民のニッチなニーズを受けて,研究開発者が具体的な仕様に「翻訳」し,その結果,多様な技術課題が発生し,その課題を解決するために必要な技術の創出・獲得のための作業が,単純な既存の知識の獲得のみならず,予備実験等により新たな知識獲得の作業と相当の作業時間が発生するというものである.

 第四章では、「市民技術」開発・発展モデルの有効性を検証した.市民生活上の重要な関心事項とされる健康、環境及び交通安全問題において,市民のニッチなニーズが動機となり開発した技術の開発・展開事例を分析した.具体的には、(1)都会の市民生活者にとって問題となっているカラスの生態調査というニッチなニーズ,(2)研究者の日常生活における脳と咀嚼との関係等の現象把握というニッチなニーズ,(3)日中突然と覚醒度が低下し居眠りをしてしまう特異な病気の市民の生活上不可欠な自動車運転における覚醒度評価というニーズ,(4)視覚障害者の生活時に必要な色識別に関するニーズを受けた,市民生活情報技術の開発事例を用いた.

 これらの技術の開発・展開プロセスは,

(1)プロトタイプ企画:市民のニッチなニーズに対し,研究開発者が,具体的・技術的な仕様に置き換え,その結果多様な技術に関する知識の獲得が必要となり,既存の技術情報調査では得られない知識について,予備実験等を行い新たな知識を創出する作業が増大し,これらをとりまとめてプロトタイプの仕様を決定するフェーズ

(2)プロトタイプ試作・実証実験:プロトタイプの試作をし、実証実験結果・評価等を行うフェーズ

(3)特定用途のシステムの実用化:プロトタイプ評価を踏まえた改良等のフェーズ

(4)より広い用途への実用化:事業者と出会い、改良・システム化、マーケティング等のフェーズであった.(1)の過程において,各事例分析のケースで,多様な課題が発生し,予備実験等の作業が増大するという,市民たる研究開発者に大きな負担が発生すること(「知識量の死の谷」)を確認し,これに対する政策的支援の必要性を示した.

 第五章では,政策的支援の効率的な内容を検討するための「市民技術」開発振興政策モデルを提案した.従来型の方法と考えられるニーズの発生の場に着目した場合に導かれる政策措置は,市民の負担を軽減する補助金等となる.一方,シーズを発見できる場に着目すると,個人,企業等,社会システムの要素のレベル毎に分解できる.一般に,機動的な政策的対策措置のひとつの形態として,社会システムの要素のレベル毎に対し,異なる政策的措置(専門家派遣,ガイドライン・先行事例集の提示等)を講ずるものがある.このことから,「市民技術」開発振興政策モデルとして,社会システムの要素のレベルに対応した各種政策的措置を講ずるものを提案した.

 第六章では、「市民技術」開発振興政策モデルを事例分析のケースに適用し,その効果を仮想的に試算した.「市民技術」の特徴としては、単なる研究開発活動に加え,特定用途実用化までの段階は市場規模が小さく将来の発展可能性が不安定なため,研究開発コストのリスクを極力低減する必要性から、企業内にある既存の技術の獲得努力・既存技術の応用をしつつ行うなどの努力及び困難さが見られた.ニーズの発生する者に対する補助金等を講ずる場合,「市民技術」開発振興政策モデルから導かれる各種政策措置を講ずる場合の効果を,第四章の事例分析のケースに試算として適用し,両者の効果を比較することによった.

 第七章では、人の発見について検討した.ニーズを有する市民は,具体的な仕様への展開を自ら行うことは困難なため,研究開発者等を発見する必要がある.また,より広い用途への発展には,事業化をする者の発見も必要である.このためのマッチング機能の必要性を検討した.第四章の事例等をみて,仲介機能を担う場が存在することを確認し,「市民技術」においても,ニーズを有する市民,シーズを有する市民,事業化をする者を仲介するマッチングの場が必要であることを示した.それを運営する者として,従来の公的な担い手等に加えて新たにNPO法人が期待されることを示した。

 第八章では,以上を受け,次の政策提言を行った.

(1)今後の我が国のあるべき姿を見据え,市民の多様なニーズに対応していくものとして,「市民技術」を技術開発振興政策の一つのテーマとして位置づけること.

(2)「市民発技術ベンチャー支援モデル事業」の実施:「知識量の死の谷」を乗り越えるときの研究開発者等の負担軽減のため,研究開発者等への補助金等を措置するもの.ニッチな市場に関連する既存の補助金等制度と比較して,制度上・運用上見直すべき点を明らかにし、それを受けた「モデル事業」を提案した.また,専門家派遣や先行事例集の作成等を提案した.

(3)マッチング・センター事業の実施:ニーズを有する者,研究開発者(協力者を含む),事業化を行う者との間のマッチング機能を提供する場を構築し,NPO法人などによる運営に向けて支援が必要であること.

結論として、

(1)今後の我が国のあるべき姿の実現に向け,「市民技術」の開発振興が新たな技術開発政策領域に位置づけられることを示した.

(2)「市民技術」の開発・発展プロセスにおいて,市民のニーズを受けて,研究開発者等が具体的・技術的な仕様に展開していくと多様な技術課題が発生し,それに対する知識の獲得が単なる既存技術の調査のみならず,新たに予備実験等によって知識を創出する必要性が生じる「知識量の死の谷」があることを、事例分析を通じて検証し,政策的支援が必要であることを提言した.

(3)政策的支援の内容を効率的に検討するため,社会システムの要素のレベルに対応した各種政策的措置を講ずる「市民技術」開発振興政策モデルを提案し,事例分析により,従来のニーズを発生する者に対して措置を講ずる方法に比し,提案したシーズ発見の場に着目する「市民技術」開発振興政策モデルに基づき政策的措置を講ずる方が,改善が見られるとの試算結果を得た.

(4)「市民技術」開発においては人の発見も重要であり,ニーズを有する者,シーズを有する者(研究開発者等),事業化をする者の仲介を促進するため,マッチング機能を提供する場の必要性を示すとともに,NPO法人の役割が期待されることを示した.

(5)以上を踏まえて,「市民技術」開発振興を推進する具体的施策として,「市民技術ベンチャー支援モデル事業」の実施,「市民技術」のマッチング・センター事業等を提案した.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ウェアラブル情報機器など市民生活情報技術開発プロセスにおける問題を発見するための一つの開発プロセスモデルを提案し、具体的な開発試作事例を分析することにより、その有効性を検証し、問題の解決のための政策的支援の必要性を示すとともに、その結果を踏まえた政策提言を行っている。

 従来、多様な国民ニーズに対応するため技術開発振興政策においては、個人のニーズ側から情報技術を統合再編して新たな産業を創出するための技術ロードマップ等の指摘・提言がなされてきた。しかしながら、個人の多様なニーズに対し、どの様な技術について、開発の際にどの様な問題が生じ、どの様にそれを克服して進めるかという具体的な議論が不十分であった。また現在の技術開発政策は、基本的に、シーズ先行の政策となっており、市民の多様なニーズに対応した技術開発を振興する観点からは不十分な状態にあった。

 上述の課題に対して「市民技術」がひとつの新たな技術政策領域に位置づけられることを明らかにした。すなわち個人ニーズの技術開発・展開過程における課題を明らかにするための一つの仮説モデルとして「市民技術」開発・発展モデルを提案している。このモデルは、市民のニッチなニーズを受けて、研究開発者が具体的な仕様に「翻訳」する必要性が生じ、その結果、多様な技術課題が発生し、その課題を解決するために必要な技術の創出・獲得のための作業が、単純な既存の知識の獲得のみならず、予備実験等により新たな知識獲得の作業と相当の作業時間が発生するという結論に導いている。

 さらに「市民技術」開発・発展モデルの有効性を検証するため、市民生活上の重要な関心事項とされる健康,環境及び交通安全問題において、市民のニッチなニーズが動機となり開発した技術の開発・展開事例を用いて分析している。これにより、市民のニーズを受けて、開発を進めると多様な技術課題が発生し、予備実験等の作業が増大し、市民たる研究開発者に大きな負担が発生すること(「知識量の死の谷」)を確認し、これに対する政策的支援の必要性を議論している。そのうえで、政策的支援の効率的な内容を検討するための「市民技術」開発振興政策モデルを一つの仮説として提案している。

 また、従来型のニーズ発生に着目する方法から導き出される政策的措置(補助金等)を講ずる場合の効果、「市民技術」開発振興政策モデルから導かれる各種政策措置を講ずる場合の効果を、事例分析のケースに適用し、両者の効果を比較し、「市民技術」開発振興政策モデルの有効性を確認している。

 最後に、ウェアラブル情報機器での事例に基づく検証・考察のもと、「市民技術」開発振興のための仕組みを明らかにしている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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