学位論文要旨



No 119604
著者(漢字) 中柴,春乃
著者(英字)
著者(カナ) ナカシバ,ハルノ
標題(和) 教育開発援助とグラスルーツNGO : グローバルドナー、ローカルコミューニティとのネゴシエーション (インド ウッタル・プラデッシュ州の事例から)
標題(洋) Negotiation, Interpretation, and Emerging Voices : the Grassroots NGO in the Local-Global Interface (Uttar Pradesh, India)
報告番号 119604
報告番号 甲19604
学位授与日 2004.07.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第102号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 矢野,眞和
 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 教授 衞藤,隆
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、教育開発援助プログラムの中でグローバルなドナーエージェンシーとローカルコミュニティの双方と関わる位置づけにあるグラスルーツのNGOの活動と役割を通して、グローバルとローカルのインターフェースで生じるダイナミクスを明らかにすることを目的としている。その際に本研究では、開発プログラムを、対象となる人々の生活をある一定のグローバルスタンダードに統一化しようとする「グローバルフォーマット」のひとつの形態であるととらえ、それによって「ローカルコンテンツ」、つまりローカルからの様々なレスポンス(受け入れ、抵抗、読み替え、再構築)の独自性がより際立たせられるという枠組みによっている。

 これまでの社会開発の分野で活動するNGOについての研究では、NGOと国際的な機関やグローバルな場での政策決定におけるNGOの役割に注目した研究、NGOと政府の関係(協調と競合の緊張関係)、またはローカルコミュニティでのプログラムの実践、というように、NGOとローカル、ナショナル、またはグローバルのいずれかのレベルでのNGOに焦点を当てたものが多い。そうした研究から見えてくるNGOは主に2つの姿で描かれる。ひとつは、ドナーの意向や政策による影響を被りやすい立場にいるNGO、もうひとつは、ローカルなコミュニティに変化をもたらす能動的なNGOである。本研究では、この2つの異なる顔を持つNGOを、どちらか一方とではなく、ローカルとグローバル両方との関係を明らかにすることによって、NGOの新たな側面を提示することができた。

 近年の開発の担い手のなかでNGOへの期待と、実際に基礎教育の拡大の中で子どもや家族に近い場所で活動することによる効果に注目し、本研究では、インド、ウッタル・プラデシュ州の農村地帯で児童労働の撲滅と子どもたちへの基礎教育活動を行っているクレダ(CREDA:Center for Rural Education and Development Action)研究の対象とした。クレダは草の根で活動する一方、国際機関と共同のプロジェクトに多く携わってきたため、本研究に適した対象となった。プロジェクトに関わる各機関の志向、意図、意味づけ、力関係を明らかにするために、エスノグラフィの手法を採用した。調査は、2001年11月から2002年3月まで行われ、参与観察、インタビュー、グループディスカッション、質問紙調査の方法が用いられた。調査は、NGOの活動する地元だけではなく、ドナーらのいる首都デリーでも行われ、また、NGOの現在だけではなく、入手可能な過去のドキュメントを用いて時間空間横断的な研究となった。

 調査から得られた知見は六つの章にまとめられた。上記で簡単に説明した問題関心と、先行研究、方法論、クレダの活動の背景であるインドの児童労働、活動地域を社会的指標と生活の様子について第一章、第二章で論じた。第三章では、グラスルーツのNGOにかかわるグローバルなフォーマットの内容とメカニズムについて、時にはNGOを強制するという形で、どのようにまたなぜ行われているのかを明らかにした。グローバルなドナー・ファンディングエージェンシーは、パートナーであるNGOとの連携が速やかにかつプロジェクトが自らの計画に沿って効果的に行われるよう、NGOの人材の拡充やストラテジー、概念の統合を目指すことが明らかにされた。また、クレダのネットワーキングやドキュメンテーションもこうした機関とのかかわりの中で発達してきた。この章では、グローバルな機関が、自らの定めたイシュー(issue)にもとづいて動いている論理が明らかにされた。

 第四章では、NGOの介入に対するローカルのレスポンスについて、プログラムが意図していた成果とともに意図の外で生じたコミュニティの変化、ローカルの文脈で教育の意味がどう構築され理解されていったのかについて明らかにした。児童労働の撲滅という、この地域で長年に渡り続いてきた実践に異議を唱えたことで、初期のクレダは主に子どもの雇い主たちからの抵抗にあう。村のコミュニティは初めNGOの活動について懐疑的もしくは無関心であったが、その成果が明らかになるにつれ、理解を示し協力するようになっていった。またNGOの活動の影響は子どもが学校へ行くというプログラムの目的には留まらず、ほとんどが非識字者である親世代とは異なる子どもたちのローカルの文脈での可能性、労働から開放され学校へいくという特権的子ども時代への気づき、また、共通の目的のために共同作業を行うようになったことにより、伝統的なカーストのヒエラルキーの無効化の片鱗も見られた。さらに、クレダの活動はローカルなコミュニティに新たに「教育」というニーズ(needs)を作り出していた。そしてNGOはコミュニティから立ち上がってくる、または自らが作りだしたニーズに応えていく形で発展してきた。

 以上の第三章、第四章は、グローバルとローカル両方のエージェントとの相互作用によってNGOが発達してきたこと、またそれぞれの問題の志向性に違いのあることも明らかになった。グローバルなエージェンシーは普遍的なイシューに、グラスルーツNGOはローカルのニーズにそのオリエンテーションがあり、2者のコラボレーションはその違いを埋めながら行われていく過程であるといえる。

 第五章では、それまでの議論をふまえ、NGOのネゴシエーション、解釈、ヴォイスを伝える機能について明らかにした。グラスルーツで働くNGOは、その基盤がローカルとグローバルの両方にある。そのクリティカルな役割として、グローバルな機関とのネゴシエーションでは、ローカルを代表する立場をとりながらも、ドナーらのイシューに合わせて効果的にプログラムのフィールドを提示したり、開発プログラムは自らのアイディアと先導で行っているという意味の収奪(appropriation)を行っていた。ローカルに対するときには、閉鎖的な村社会に効果的なローカルな基盤(スタッフは地元から出ている)を強調するとともに、グローバルエージェンシーとの関係があるという反対のグローバルな顔もまたNGOがローカルで信頼を得ていく要因となった。つまりNGOは、グローバル・ローカルとの関わりにおいて、グローバルな概念(教育、ジェンダー等)をローカルに文脈化し、ローカルの声を代弁するとともにグローバルに届けるという仲介的な役割だけではなく、自ら戦略的にネゴシエーションを行いその活動を支えてきたことが明らかにされた。

 NGOの機能の中で特に重要なのが「解釈」の役割である。NGOはその活動の中で、2つの異なりうる志向、グローバルなイシュー(issue) とローカルなニーズ(needs)を解釈し、それぞれグローバルとローカルのコンテクストにあうよう言い換えて伝えているということが明らかになった。それは両方に基盤を置くグラスルーツのNGOの重要な機能であり、開発のプログラムが円滑に進む鍵となっている。この解釈の機能は、NGOの中の明確な役割分担(フィールドに根ざしたスタッフとドナー・ファンディングエージェンシーと対応するスタッフ)によって支えられており、NGOの内部で伝えられる意味の組み替えが、例えばローカルの生の声がそのままではドナーに伝わらないという点等において、一方では意味の希薄化を招くものでもあると言え、この戦略的解釈の限界となっている。

 終章の第六章では、グローバルとローカルのインターフェースに位置しているNGOがそのどちらでもない新たな意味・声を持ちうる可能性について指摘した。例えば、クレダのフィールドスタッフが付与する「社会的正義・集団の福祉を可能にする教育」という意味は、実はドナーやローカルコミュニティが意識している「個人の成長と権利」とは異なる新たな意味の現れであった。つまり、グローバルな収束やローカルの独自性に焦点を当ててきた従来の研究視点に加えて、本研究は、グローバル、ローカルの対話の場において別の意味が生まれる可能性のあることを指摘し、新たな研究領域の可能性を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、教育開発援助において、グラスルーツのNGOの役割を、国際的な援助機関と受け入れ側の地域社会との間を媒介するインターフェースとして位置付け、その活動の内在的なダイナミズムを明らかにしたものである。

 本論文は全部で6章からなっており、1〜2章では、方法論が提示され、インド全体の教育の状況の概説に加えて、調査地であるミザプール地区の教育・児童労働の状況、調査対象NGOであるCREDAの概観が述べられている。3章ではCREDAのグローバル社会との接点に着目し、インドにおける地域社会の発展という理念から出発したCREDAが国際援助機関と接触し、援助を得て教育開発プログラムを実施する過程で、国際機関が要求する文書作成の基準や業務上の期限遵守の原則,組織運営上の透明性、また人権等の概念や活動を設定する基盤となるイシューの設定、等々の点で国際援助の論理と実施のスタイル(「グローバル・フォーマット」)を組織として学習し、身に付けていった過程が明らかにされた。4章ではCREDAのローカルな活動に目をむけ、ミザプール地区での活動についての詳細な分析から、広範に見られたカーペット産業での児童労働の実態に対して、その撲滅、教育機会の拡大に向けての実践活動が、やがて地域社会の中で教育に与えられる意味の構築とニードの形成(「ローカル・コンテント」)につながっていった経緯が跡付けられている。5章ではさらにこうしたグローバル・フォーマットとローカル・コンテントの間の媒介としてのCREDAの機能を支える論理的・組織的ダイナミクスを、一方でグローバルな国際機関との「ネゴシエーション」、他方で地域社会のニードについてのローカルな文脈での「解釈」、さらにその両者を可能とする組織的柔軟性、といった視点から整理・分析している。最終章では、全体のまとめとともに、NGOがグローバルとローカルの媒介であることによって、そのいずれとも質的に異なる、発展や教育についての独自の論理を構築する可能性が示唆されている。

 本論文は、グローバルとローカルとの媒介としてのNGOが地域社会の教育発展にもたすダイナミズムを、参与観察に基づくエスノグラフィーによって初めて明らかにしたものであり、その独創的な視点および叙述は高く辞価される。また綿密な歴史的資料の読み込みによって、グラスルーツNGOの、仲介者としての戦略的位置づけが段階的に展開していく過程を解明したことで、今後の教育開発研究へも幾多の示唆を与えるものである。未だグローバルとローカルの中間に位置するナショナルな諸機関との関連に関しては課題を残すものであるが、それは本研究の意義をそこなうものではない。以上の点から本論文は博士(教育学)の学位を授与するにふさわしいものと判断された。

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