学位論文要旨



No 119607
著者(漢字) 大栗,真宗
著者(英字)
著者(カナ) オオグリ,マサムネ
標題(和) 冷たい暗黒物質宇宙における強い重力レンズ現象
標題(洋) Strong Gravitational Lenses in a Cold Dark Matter Universe
報告番号 119607
報告番号 甲19607
学位授与日 2004.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4579号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 安田,直樹
 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 坪野,公夫
 東京大学 助教授 柴田,大
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 東京大学 教授 満田,和久
内容要旨 要旨を表示する

 重力レンズ効果がどのように起こるかは重力レンズ天体の質量分布のみで決まるため、宇宙の質量分布、特に通常の電磁波を用いた方法では観測できない暗黒物質の分布を調べる有力な方法となる。そこで、暗黒物質模型の強非線形領域における検証の観点から、強い重力レンズ効果の理論的及び観測的研究を行った。まず、標準的な冷たい暗黒物質(Cold Dark Matter;CDM)模型を仮定し、強い重力レンズ現象がどの程度観測されるかを計算する解析的モデルを構築し理論予言を行った。また、Sloan Digital Sky Survey(SDSS)で得られたクエーサーサンプル及びその周りの撮像データを用いて、重力レンズクエーサーの探索を実際に行い、CDM模型から理論的に予言されていた大分離角重力レンズクエーサーを初めて発見した。

 本研究で仮定したCDM模型は宇宙の大規模構造を極めて良く説明することができる模型であるが、強非線型領域では様々な問題(質量密度の中心集中問題、サブストラクチャ問題)が従来から指摘されており、これらを解決する実にさまざまな暗黒物質の模型が提案されてきた。強い重力レンズを起こすような強非線形領域の暗黒物質の質量分布は仮定する暗黒物質の性質に極めて敏感なため、強い重力レンズ現象はCDM模型が正しいか否かを検証するうえでの有用な道具となり得るであろうことが期待される。

 まず、銀河団スケールにおける強い重力レンズの頻度を、レンズ天体の非球対称を取り入れた三軸不等楕円体模型を使って半解析的に計算した。解析的計算の利点としては、レンズ天体の多様性や観測の選択効果を比較的容易に取り入れることができる点、そして重力レンズ確率の質量分布や宇宙論パラメータなどの依存性を理解できる点にある。しかし非球対称を十分に考慮した解析的計算はその困難さのためこれまで例が無かった。そこでray-tracing simulationと解析的手法を組み合わせることで、初めて非球対称性を考慮した解析的計算を成功させた。

 上記の方法を用いて、まず重力レンズアークの数の理論的予言を行った。重力レンズアークとは、銀河団の背後にある遠方の銀河が銀河団の強い重力場によって著しく歪められる現象である。まず、三軸不等楕円体模型を使った場合、単純な球対称模型と比較して3倍から1桁多くの重力レンズアーク数を予言することを指摘した。これは即ち、非球対称性がアーク統計において本質的な役割を果たしていることを示している。また、現存する観測との詳細な比較の結果、CDM模型が予言するアーク数が従来言われていたように少なすぎるということは無く、むしろ理論予言と観測がよく一致していることを示した。観測を再現するにはCDM模型の予言する中心集中した密度分布と大きな非球対称性の両方が必要であり、従ってCDM模型を強く支持すると解釈できる。

 さらに、上記の方法を用いてクエーサーの大分離角重力レンズの理論予言も行った。銀河団などによって引き起こされる大分離角重力レンズクエーサーはCDM模型においてその存在が予言されているにもかかわらず未だに発見されていなかった現象である。三軸不等楕円体模型を使って重力レンズ確率及び複数像の個数・配置を調べたところ、以下の結論を得た。(1)非球対称性を入れることで重力レンズ確率は数倍ないしそれ以上増える、(2)従来ほとんど発見例のないnaked cuspによって引き起こされるケースが大分離角重力レンズでは無視できない程度ある。これは、同じ程度の明るさの三つの像かレンズ天体に対して同じ側にあることから観測的に判別可能である。(3)像が二重像か四重像かあるいはnaked cuspによって引き起こされる三重像かは銀河団の非球対称性のみならず質量密度にも大きく依存し、従って重力レンズ複数像の個数はCDM模型をテストする新たな統計となることを指摘した。

 また、大規模サーベイSDSSを用いて、これまで見つかっていなかった大分離角重力レンズクエーサーの探索も行った。SDSSで見つかった約3万個のクエーサーの領域の撮像データを用いることで、初の大分離角重力レンズクエーサーSDSS J1004+4112を発見することに成功した。分離角は約15秒であり、これまで見つかってた重力レンズクエーサーの分離角の2倍以上である。ケック望遠鏡による四つの像の分光観測から四つとも同じ赤方偏移をもつことがわかり、またすばる望遠鏡の撮像、分光観測およびケック望遠鏡の分光観測からz=0.68の銀河団を検出し、重力レンズ天体であることを確定させた。この観測された重力レンズ確率および複数像の個数をCDM模型に基づく理論予言と比較したところ、両者がよく一致することがわかった。

 以上から、相補的な二種類の重力レンズ統計(アークの数および大分離角重力レンズクエーサー)のいずれもCDM模型を支持するという結論を得た。

審査要旨 要旨を表示する

 強い重力レンズ現象とは、銀河団などの天体の重力場により背景にある銀河が非常に歪んだアーク状に観測されたり、背景のもともと1つのクエーサーが複数像として観測される現象のことである。この現象は一般相対性理論から予想される現象であり、宇宙の質量密度分布を直接測定できるため、宇宙論の研究に幅広く応用されている。特に通常の電磁波を用いた観測で直接観測できない宇宙の暗黒物質の研究に有力な手法とされている。

 論文は八章から構成されている。研究の背景を簡単に説明する序章にはじまり、第二章と第三章において現在の構造形成の標準理論である冷たい暗黒物質モデル(CDMモデル)の成功点と問題点の詳細なレビューがなされている。第四章では、本論文で使われる重力レンズモデルについて述べられている。重力レンズの確率の計算において、従来はレンズ天体は球対称であるとして計算されていたが、本論文では非球対称性を取り込んだ三軸不等楕円体モデルの重力レンズ効果を新たに考えている。具体的には、Jing & Suto(2002)において提唱された三軸不等楕円体モデルを使い、楕円体を任意の方向に投影し、重力レンズ断面積をモンテカルロ法を用いて計算する方法を新たに開発した。これにより、CDMモデルが予想する非球対称性とその分布を取り込むことになり、また視線方向の歪みも同時に考慮した計算が可能となっている。

 主要な成果は第五章から第七章に記述されている。第五章において、第4章で構築した非球対称重力レンズモデルを用いた重力レンズアークの統計が行なわれている。非球対称モデルと球対称モデルのそれぞれにおいて銀河団中のアークの数を計算し、非球対称モデルの場合予想されるアーク数が三倍から一桁増えることを示し、アーク統計の理論予言において非球対称性を考慮することが必要不可欠であることを指摘した。さらに、銀河団中のアークの観測数と今回の理論予言を比較し、CDMモデルを仮定した非球対称モデルによって観測を説明できることを示している。本論文では、銀河団の選択効果や背景銀河の数密度の不定性などについても慎重に議論がなされており、信頼性の高い結果であると言える。

 第六章では、同じモデルを用いてクエーサーの大分離角重力レンズ確率を計算している。この章では、全重力レンズ確率の計算だけでなく重力レンズの複数像の個数の統計も新たに考えている。主な結論は、非球対称性が全重力レンズ確率を数倍増やすこと、および発見例の極めて少ない三個の複数像を持つ大分離角重力レンズが無視できない割合で観測されるであろうという二点である。特に、像の個数の統計は従来の球対称モデルでは予言することのできなかった新しい統計であり、本論文においてそれがCDMモデルを検証する極めて強力な統計となることが示されている。第七章では、SDSSのデータを使った初の大分離角クエーサー重力レンズSDSS J1004+4112の発見とその理論的示唆が述べられている。まずSDSSのデータを用いた探索方法と候補天体の発見、他の大型望遠鏡を用いた追観測の解析結果が詳細に述べられ、この天体が重力レンズ天体に間違いないであろうことが議論されている。次に、第六章で計算された理論予言と今回の発見を比較し、SDSS J1004+4112が四重像であること、および約三万個のSDSSクエーサーの探索から発見されたことのいずれもCDMモデルの予言と良く一致していることが示されている。

 第八章では以上の結果をまとめて、重力レンズアークの統計とクエーサーの大分離角重力レンズ統計のいずれもCDMモデルに基づく理論予言と観測が良く一致しており、従ってCDMモデルは強非線形領域においても観測を良く説明するモデルであると結論づけられている。

 以上述べたように、本論文は重力レンズ統計において非対称性を考慮することの重要性を指摘し、観測データを説明する上でも本質的であることを示した。また、これまで観測例のなかった大分離角クエーサー重力レンズを初めて発見し、暗黒物質研究の新たな道を切り開いた。さらに、重力レンズ像の個数の統計というこれまでにはなかった新たな統計手法の提案も行っている。いずれの研究も、いまだに謎の多い暗黒物質の性質に迫る上で重要な知見となるものであり、その宇宙物理学に対する貢献は大きい。本論文の主要部分の内容は、Jounghun Lee、須藤靖、Charles R. Keeton、SDSS研究グループとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって定式化、解析および考察を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 また、本論文の内容は理論計算、観測データの解析、大型望遠鏡による実際の観測と宇宙物理学の研究において必要となる幅広い手法を駆使しており、関連分野の研究者との共同研究も積極的に行い、主導的役割を果たしている。よって、本論文提出者は修業年限特例にふさわしい卓越した研究遂行能力を備えているものと認められる。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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