学位論文要旨



No 119611
著者(漢字) 岡安,智生
著者(英字)
著者(カナ) オカヤス,トモオ
標題(和) モデルを用いた北東アジアにおける黄砂の発生と対策についての研究
標題(洋) Model study on Asian dust occurrence and countermeasures in North-East Asia
報告番号 119611
報告番号 甲19611
学位授与日 2004.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2803号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨 要旨を表示する

 北東アジアの乾燥・半乾燥地域は、北アメリカ、中央アフリカ、オーストラリアと並び主要なダスト給源のひとつである。風成ダストは太陽放射の反射・吸収を通し地球の気候変動の影響を与えるほか、ミネラル給源として海洋生態系にも影響を与える。また人間社会にも様々な影響がある。砂塵嵐により社会経済的に大きな被害を受ける他、養分に富む地表の微細粒子を持ち去り地力低下の原因になる。またダストは人間の呼吸器系に被害を与えることが知られている。

 黄砂に対しては、既に日本と韓国で早期警戒体制が作られており、黄砂発生後すみやかに予報が行われる体制ができている。本研究は、このような短期的災害予測と対照的に、黄砂の長期的災害対策の確立を目指すものである。長期的災害対策は、現象の駆動力を把握し、その駆動力を適切に操作することにより、長期的視点においてその災害の発生を最小限にするというアプローチである。黄砂現象においては、ダスト発生を左右する駆動力は風力および地表面の状態(植生、土壌水分など)であり、黄砂発生を最小限化する適切な土地利用コントロールを提案することが長期的災害対策に繋がる。

以上の課題に対して、(1)詳細な土地情報を取り込んだ、正確なダスト発生パターンを把握できるモデルを構築し、黄砂現象の長期トレンド及び土地利用コントロールによるダスト発生量への影響を把握できること、(2)放牧コントロールや緑化といった、ダスト発生対策の費用対効果を算出すること、を軸に研究を行った。

1. 風食モデルとパラメタリゼーション

 長期的災害対策のために必要なモデルへの要件は以下の3つに集約される。(1)粒径区分ごとのダスト発生量の推定ができる、(2)土地システムを区分できるほど空間解像度が高い、(3)砂塵嵐と時間スケールが合致する。本研究ではWEAM (Wind Erosion Assessment Model) を利用することとした。モデルが要求する主要なパラメータには土壌粒子の粒径分布、土壌水分、表面粗度(植被)、そして風速がある。

 WEAMが求める粒径分布は団粒の粒径分布である。現在、粒径分布の空間的変動についての研究はほとんど無いため、以下のように調査した。まず中国内蒙古自治区およびモンゴル国において土壌サンプリングを行い、乾式篩を用いて8つの粒径区分に分け、クラスター分析を行った。結果、土壌と地質との相関が強いことが判明した。以上の解析結果を用い、各種主題図を援用して粒径分布をマッピングした。

 次に、土壌水分をNOAH陸面モデルにより推定した。シミュレーション結果をRUTGERS大学の提供する土壌水分データバンクのデータと比較したところ、土壌水分が少なく土性の粗い地域において過大評価が見られた。NOAH陸面モデルの用いる透水係数が簡便なものだったため、PTF (Pedotransfer functions) によるより正確な透水係数推定式を組み込み、シミュレーションを行ったところ、偏向は除去された。

 風速はECMWF (European Centre for Medium-Range Weather Forecasts.)の再解析データを用い、表面粗度はPAL (Pathfinder Advanced Very High Resolution Radiometer Land) データから推定し、風食モデルで風食量およびダスト発生量を計算した。既存の風食モデルによる研究と同期間におけるダスト量を比較し、概ね一致した。また空間分布について、気象データによるダスト観測日数の分布と比較し、ダスト発生の核になる地域が一致した。また18年間の時系列を3つの町の気象データを用い比較し、観測データと概ね一致した。

2. ダスト現象の時空間的特徴

 ダスト発生量を規定する要素を議論するため、まず地表面の潜在的な風食・ダスト発生量を解析した。そのために、空間全体に一様な風速を仮定し、その風食・ダスト発生量を潜在量とした。その結果、潜在量は乾燥度に従い増減するが、一方で局所的な土壌の違いによる風食量の増減が見られた。増加している地域は風砂土の地域と一致した。また土壌水分の空間分布が風砂土の地域と一致していた。すなわち、風砂土の高い透水係数が常に地表を乾燥状態にするため局所的に風食量が高いことが示唆された。ダスト発生量については、風砂土地域の重要性は減少し、ゴビ砂漠・ゴビステップ地域の発生が強く推定された。すなわち、風砂土は風食量は多いが、粘土含有量が少なく、ダスト発生効率が低い。一方でゴビ砂漠・ゴビステップ地域では、風食量は風砂土より少ないが、粘土含量が多く、ダスト発生効率が多いため、以上のような逆転が起こることがわかった。成帯性土壌は分布範囲も広く、ダスト発生において最も重要な地域であることが示された。

 以上を踏まえ、時間軸も含めた解析を行った。空間・時間変動の両方を解析するために主成因分析を用いた。まず18年間のシミュレーション結果を主成因分析したところ、7つの成分で80%の重要度を満たした。最初の2つの成分は20年間の緩やかな変動を示し、残りの成分は突発的なダスト現象を表す成分であった。最初の成分は恒常的なダスト発生を表し、2つ目は、長期的な増加減少傾向の広域的な地域的差異を示すものと解釈された。短期的変動を詳しく見るため、前半9年と後半9年に分け、別々に再び主成因分析を行った。両年代共に恒常的ダスト発生に対応する成分、5年程度の変動に対応する成分、および突発的なダスト発生に対応する成分が2つの、合計4つの成分で80%の重要度を満たした。両年代を比較すると、90年代は恒常的ダスト発生の地域が減少し、またモンゴル高原東端にピークを示した。スコア及び固有ベクトルのヒストグラムを取ると、両方共に尖度が増しており、ダスト現象が90年代は局所的・突発的傾向にあることが示された。ダスト発生を規定する要因についても同様に主成因分析を行った。その結果、主にモンゴル高原中央部のダスト現象の急速な収束化は、風速の減少、土壌水分の上昇、積雪量の増加が協調して発生したためであることがわかった。更にクラスター分析を行い、突発的なダスト発生年とその要素を比較した結果、1%発生確率のダスト突発は、土壌水分および植被率が共に低かった年で見られることが判った。ダスト発生は局所性・突発性を強め、東部草原地帯に移動してきており、適切な土地利用コントロールによってリスクを軽減できることが示唆された。

3. 黄砂対策の費用対効果の解析

 中国内蒙古自治区を例として、中国の伝統的風食防止手法のモデル化と線形計画法による最適化を援用し、黄砂対策の費用対効果を解析した。風食防止手法は、禁牧、草方格、及び植栽を採り上げた。禁牧の効果は、既存の放牧圧と植被率・群落高の調査事例を用いた。現在の放牧圧は統計資料から推定した。放牧圧と植物の関係については2箇所の事例しか見出せなかったため、他地域への適用には各環境の牧養力で補正した。放牧管理のコストについては、放牧頭数減少による地域住民の収入の減少を見積もった。草方格については砂地のみで適用が可能と仮定し、表面粗度を4年間に渡り上昇させる効果を見積もった。また土壌固定効果があるため、植物の移入を促進する効果も含めた。草方格を適用した地域は禁牧することを仮定した。費用についてはムウス砂地での施工例を用い、また禁牧による収入減も含めた。植栽については、草原土壌以外で適用可能とし、ムウス砂地のArtemisia ordosicaの生長データを用いてモデル化した。これも同様に禁牧を仮定した。費用についてはムウス砂地の施工例を用い、また禁牧による収入減を含めた。

 以上の効果をWEAMを用いて計算し、その結果を単体表に組み込み最適化計算を行った。その際、費用の上限を様々に変化させた。費用制限がない場合、土地利用コントロールにより内蒙古自治区のおよそ10%前後、また2000年にダストが突発した地域に限っては30%前後の減少が推定された。また、利用可能な費用が上昇すると共に、ゴビステップの禁牧、山岳土壌及び沖積土壌における植栽、砂砂漠の草方格、砂地の禁牧、砂地の植栽、砂地の草方格、という順に選択された。

4. 総合考察

 本研究は、長期的災害防止対策の手法を黄砂現象に適用するために、詳細な土地情報を考慮したダスト発生量推定、および費用対効果を考慮した土地利用コントロールによる黄砂発生量の軽減について、主にモデルを利用し議論した。ランドスケープ、特に成帯性・非成帯性土壌の区別により、風食およびダスト発生の傾向が大きく異なることが判った。風食現象にとって最も重要とされる風砂土は、ダストの給源という点では最重要でなく、より粘土含量の高く広大な面積をもつ草原土壌が最大のダスト給源であると推定された。また、90年代は気候変動によりモンゴル東端の草原付近がダスト発生の一つの重要な核となっており、草原からのダスト発生量の重要性が増したと考えられる。また、モンゴル高原東端は比較的湿潤な地域であり、人為撹乱が植生に与える影響が顕著な地域である。90年代型のダスト発生はより人為撹乱の影響を強く受けるようになったと言う事ができる。

 いくつかの中国の伝統的な風食防止対策を想定した、ダスト発生量コントロールの費用対効果でも、ホンシャンダク砂地付近の放牧コントロールが最も費用対効果の高い手法であることが示唆された。但し今回のシミュレーションでは、住民生活の維持という観点から風食防止対策の現実性が疑問であり、住民生活の保障と黄砂対策を両立させるアセスメントが今後必要となると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 北東アジアの乾燥・半乾燥地域は主要なダスト給源の一つである。風成ダストは気候変動などに影響を与えるほか、人間社会にも様々な影響をもたらす。ダスト発生源においては、砂塵嵐による被害や微細粒子の持ち去りによる地力低下が起きる。またダストによる健康被害が遠隔地でも深刻化している。健康被害が深刻な韓国では、被害を軽減すべく黄砂の早期警戒体制を運用し、黄砂警報を発している。

 しかし、国連国際防災戦略が勧告しているように、根本的な対策を講じるためには、短期的な予報や事後処理的な対策のみならず、現象発生の原因にまで遡り災害リスクを軽減できるような、長期的視野に立った災害対策の提示が必要である。本研究の目的は、そのような問題意識に基づき、黄砂現象のモデル化を通じて、長期的災害対策を提示しようとするものである。具体的には、駆動力である風力および地表面の状態(植生、土壌水分など)のモデル化を通じて、適切な土地利用管理方策によりコントロールし、黄砂被害リスクを軽減する手法を提示しようとしたものである。

 本研究では、以上の研究目的を達成するために、まず(1)詳細な土地情報を用いた、正確なダスト発生パターンを推定できるモデルを構築し、黄砂現象の長期トレンド及び土地利用コントロールによるダスト発生量への影響を把握した。つぎに(2)風食防止対策の費用対効果を算出した。さらに(3)両手法を統合し、黄砂発生防止対策を最適空間配置及び費用対効果との関連のもとに提示した。

 既往研究のレビューから、これまでの黄砂の広域モデル研究では、長期的な災害リスクの軽減という視点は見られず、そのためシミュレーション期間が短期間で、時間・空間解像度が低すぎるといった問題があることがわかった。ただし、適切なパラメタライズとシミュレーション条件の設定により、WEAM(Wind Erosion Assessment Model)の枠組みが長期的災害対策のために利用可能であることがわかった。WEAMが要求する変数には土壌粒子の粒径分布、土壌水分、表面粗度(植被)、および風速がある。土壌水分、植被の広域推定などはすでに手法が確立しているが、粒径分布については研究事例がほとんど存在しなかったので、本研究ではまず推定手法について検討した。

 まず、中国内蒙古自治区およびモンゴル国の様々な環境区において土壌サンプリングを行い、乾式篩を用いて8つの粒径区分に分け、クラスター分析を行った。その結果、土壌タイプによって、気候の影響を強く受けた成帯性土壌と、母材の影響を強く受けた土壌である風砂土がほぼ排他的に区別できた。また成帯性土壌内の粒径分布の差異も、母材に起因することがわかった。土壌と地質は一般に主題図が入手可能であるため、上記の結果を用いて、粒径分布を広域にマッピングすることが可能になった。一方、その他の変数を各種データセットおよびモデルから推定し、wEAMに入力し風食量を1982年から2000年について計算した。計算結果を、既存の風食モデルによる研究、気象データによるダスト観測日数の空間分布、3都市の気象データの時間変動、と比較しシミュレーション結果の妥当性を検証した。

 ダスト発生量を規定する要素を議論するため、地表面の潜在的な風食量を解析した。その結果、潜在量は広域的には乾燥度に従うが、一方で局所的な土壌の違いによる差異が見られた。激しい砂の移動の発生する地域は風砂土の分布域と一致した。考察の結果、風砂土は特有の粗な粒径分布を持つため透水性が非常に高く、地表の水分はすぐに下層へと移動してしまうので、地表が常に乾燥状態に保たれるのが理由であることがわかった。一方ダスト発生量については、風砂土の地域の重要性が減少し、成帯性土壌の地域の発生が相対的に重要になった。それは、ダストの給源である粘土の含量が、風砂土に比べて成帯性土壌においてはるかに多いことに起因していると考えられた。

 また、ダスト発生の時空間変動を理解するために、シミュレーション結果に対して主成因分析を行った。まず、対象地域中央部においてダスト現象が急速に沈静化していることがわかった。また90年代は80年代と比較して相対的に恒常的ダスト発生の地域が減少し、モンゴル高原東端に発生源の核の一つが移動していた。またダスト発生がより局所的・突発的傾向を見せた。ダスト発生を規定する要因について解析した結果、モンゴル高原中央部のダスト現象の急速な沈静化は、風速の減少と土壌水分の上昇の複合影響によることがわかった。また突発的なダスト発生年とその要素を比較した結果、ダスト突発は土壌水分および植被率が、ともに極端に低かった年で見られることがわかった。近年のダスト発生が人為撹乱の影響の強い東部地域に移動し、かつ地表面状態に強く影響することが示され、適切な土地利用管理によるリスク軽減の可能性が示唆された。

 つぎに、90年代にダスト発生が頻発した中国内蒙古自治区を例として、風食防止対策の利用による長期的黄砂対策の費用対効果を解析した。地表を面的に被覆する効果のある代表的な風食防止手法として、「禁牧」、枯草の茎を砂に埋め込み飛砂を防ぐ「草方格」、および潅木の「植栽」を採り上げた。それぞれの手法の効果および費用を既存の文献から収集した。効果をWEAMにより計算し、その結果および費用を単体表に組み込み、線形計画法による最適化計算を行った。費用制限がない場合、土地利用コントロールにより内蒙古自治区全体ではおよそ10%、また2000年にダストが突発した地域では30%のダスト発生量の減少が推定された。最も費用対効果の高い手法はゴビステップでの「禁牧」、つぎに山岳土壌および沖積土壌における「植栽」、そして砂砂漠での「草方格」という順であった。費用対効果は5,000万元以上の支出ではほとんど0に近く、それ以上の支出は無意味であることが示唆された。

 このように、本研究では、風食モデルによる黄砂発生の推定、風食対策手法の定量化、および経済モデルの組み合わせにより、長期的黄砂軽減対策を具体的に提示することができた。また黄砂の時空間変動の背景となる気候変動、および中国ですでに行われてきた様々な砂漠化防止・緑化政策と、黄砂軽減対策を目的とした土地利用コントロールは、相互に密接な関連をもつことも明らかにされた。

 以上要するに、本研究は、北東アジアにおける黄砂発生について、立地条件の違いによる発生ポテンシャルと黄砂発生の時間変動をその要因と関連付けて精査し、また、実際の政策決定に反映し得る、土地利用コントロールによる黄砂発生抑制の費用対効果を具体的に提示したものであり、学術的な価値のみならず応用的側面でも有用な知見を得ている。よって審査委員一同は、一博士(農学)の学位を与えるに十分値する論文であると判断した。

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