学位論文要旨



No 119612
著者(漢字) 若松,猪策無
著者(英字)
著者(カナ) ワカマツ,イサム
標題(和) 細胞運動にかかわるタンパク質SWAP-70のホスファチジルイノシトール三リン酸による調節機構の研究
標題(洋)
報告番号 119612
報告番号 甲19612
学位授与日 2004.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2804号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 八村,敏志
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

 生体内で細胞は刻一刻と変化する環境に適応するため、外界からの刺激に対して適切な応答を示す。増殖因子、成長因子、化学物質や他の細胞との接触を介してやり取りされた情報は細胞のもつ受容体で感知され、そのシグナルは複雑な経路を伝わり厳密な制御のもと分化や増殖、細胞運動など種々の応答を引き起こす。phosphatidylinositol-3-kinase(PI3K)は重要な2次メッセンジャーの担い手の一つで、数多くの増殖因子、成長因子の刺激により活性化されるリン脂質キナーゼである。細胞内において膜上に存在するphosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PI(4,5)P2)を基質とし、そのD-3位をリン酸化することによりphosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate(PIP3)を産生する。PIP3 は通常の細胞内ではほとんど存在しないが、刺激後一時的に約40倍量にもなり、これが膜結合型セカンドメッセンジャーとして機能することが知られている。

 SWAP-70はPIP3アナログビーズを用いた精製によりPIP3結合タンパク質として同定された。SWAP-70のN末端にはEF hand、中央にPIP3結合ドメインとしてのpleckstrin homology (PH) domainがあり、C末端側の部分はcoiled-coil(CC)domainとなっている。また、in vitroでN末端が活性化型Racと、C末端付近がアクチンと結合することが知られている。増殖因子などの刺激に応じたラッフリング膜の形成時にSWAP-70がラッフリング膜に移行し、アクチンと共局在すること、そのときラッフリング膜の形成を増強すること、SWAP-70欠損マウスより培養された細胞ではラッフリング膜形成が抑制され、またSWAP-70のある種の変異体ではラッフリング膜形成を阻害すること、等からラッフリング膜形成のシグナリングにSWAP-70が不可欠なタンパク質であると考えられる。

 本研究では細胞刺激時にどのようなメカニズムでSWAP-70が活性化されるのか、その機構を解明することを目的とした。

1. SWAP-70 PH domainのPIP3結合機構

 SWAP-70はPH domainを介してPIP3と結合することがその作用に不可欠であり、何らかの機構でPIP3はSWAP-70を活性化することが予想された。まずSWAP-70のPH domainのGST fusion protein (GST-PH) を作成し、これがPIP3ビーズと結合することを確認した。続いて立体構造が既知のPH domainとの比較からSWAP-70のPH domainの構造を予測した。一般的にPH domainには1つのαヘリックスと7つのβシートからなることが知られているが、それらに相当するSWAP-70でのアミノ酸配列を確認した。コア部分から突き出ているループ部分はほかのタンパク質と相互作用をする可能性が強いので、そこに存在する荷電をもったアミノ酸をアラニンに置換する変異を複数導入した。その結果、最もアミノ末端寄りの第一ループに変異を導入した変異株群ではPIP3結合活性が失われることがわかった。この部位は構造既知の他の蛋白質のPH domainにおいてPIP3と結合するのに必要と考えられている部位と一致した。

 また、SWAP-70全長のGFP融合蛋白質に同様の変異を導入したものの細胞内での局在は野生株のそれと変わらなかった。しかし刺激時にはラッフリング膜への移行は見られず局在に変化は見られなかった。このことから、SWAP-70の膜移行にはPH domainと膜に局在するPIP3との相互作用が必要不可欠であると考えられる。

2. PH domainとCC domainの相互作用

 自己制御ドメインとは分子内相互作用により分子内の機能をもつドメインの活性を抑制するはたらきをもつ領域のことである。近年構造解析の結果などからその詳細な機構が明らかになってきている。SNARE、ERM、WASP、SREBP、Sos等多くの蛋白質において見出されており、シグナル伝達での重要な制御機構の一つとして注目されている。

 そのような機構にPH domainが関与している報告があることからSWAP-70も同様なメカニズムを持つのではないかと考えPH domainとCC domainとの結合を調べることとした。GST-PHとpMAL-CC domainを作成し結合実験を行ったところ、これらのドメインは互いに結合することが示された。また、yeast two hybrid法を用いて酵母内でのPH domainとCC domainの結合を確かめることが出来た。

 続いて上記のGST-PHの変異株を利用し、PH domainのどの部分がCC domainとの結合に関与しているのかを明らかにした。その結果、第一ループ変異株の一部がCC domainとの結合にも関与していることが分かった。このことは、通常PH domainが第一ループでCC domainに結合することによりC末端付近のアクチン結合部位を構造的にマスクし、刺激時に産生されたPIP3がPH domainの第一ループに割り込み結合することにより、PH domainとCC domainとの結合が外れ活性型となることが予想された。

 そこで実際にPIP3がPH domain-CC domain相互作用に対する影響を及ぼすか調べた。前述のPH domain-CC domain 結合実験においてPIP3を添加すると、この相互作用が阻害されることが明らかとなった。PIP3と結合しない変異株ではこのような効果は見られなかった。すなわち、SWAP-70においてはPIP3によりPH domain-CC domainの相互作用が失われ、コンフォーメーション変化を起こし活性化されることが示唆された。

 次にCC domainのPH domainとの結合に必要な部分を検討した。CC domainの荷電を持つアミノ酸をアラニンに変化させる変異を多数作製し、PH domainとの結合が損なわれているものを検索した。その結果2種類の変異株m374、m502を得た。これらの変異株を細胞中に発現させたところ、PIP3非依存的に細胞膜に移行し、アクチンと共局在することがわかった。SWAP-70はEGF刺激時におけるラッフリング形成においてアクチンと共局在する。in vitroでSWAP-70のC末端部分がアクチンと結合することからSWAP-70は活性化されるとアクチンと結合できるようになることが予想される。これらのことから通常CC domainとPH domainの結合によりC末端付近のアクチン結合部位を構造的にマスクされており、この結合が外れるとSWAP-70がオープンな活性化型となりアクチンとの共局在が見られるようになると予想された。

 一方、伊原らはSWAP-70はラッフリング制御G蛋白質Racのeffectorであることを示唆している。これはSWAP-70がPIP3とRacの両者によって調節されていることを意味している。そこでdominant negative型RacによりRacのシグナルをとめた状態で細胞をEGFで刺激し、SWAP-70の挙動を調べた。この時SWAP-70は細胞膜に移行しアクチンと共局在したがラッフリングは起こらなかった。この表現型はm374やm502を単独で発現させた時の表現型と酷似していた。これはこれらの変異株においてはPI3Kによるシグナルに対してはPIP3とCC domainの相互作用がなくなるために活性型となっているがRacに対しては活性型になっていないことを意味している。以上のことからPH domainとCC domainの相互作用はPI3KのシグナルによるSWAP-70の活性調節を担っていることが判った。しかしながらCC domainと結合しないPH domainをもつ変異体が活性型にならないなどこの仮説には必ずしも説明できない実験結果もあり、今後の課題として残った。

まとめ

 本研究ではSWAP-70のPIP3との結合部位がPH domainの第一ループ中にあること、CC domainとの結合部位がこれと重複していることが示され、PIP3によりCC domainとの結合が阻害されることが示唆された。これよりSWAP-70はPIP3と結合することにより活性化型となることが予想された。さらにin vivoでのラッフリングの表現型はこの仮説を支持した。このコンフォーメーション変化が生理学的にどのような活性の変化を導くのかについてはいくつかの不明な点があるが、このようなPIP3によるタンパク質の構造変化が示された例は少なく、本研究に基づき分子内相互作用による蛋白質活性制御機構の一端が明確に解明されると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 生体内で細胞は刻一刻と変化する環境に適応するため、外界からの刺激に対して適切な応答を示す。増殖因子等の刺激は受容体で感知され、そのシグナルは複雑な経路を伝わり分化や増殖、細胞運動など種々の応答を引き起こす。phosphatidylinositol-3-kinase(PI3K)は重要な2次メッセンジャーの担い手の一つで、数多くの増殖因子、成長因子の刺激により活性化され、phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PI(4,5)P2)を基質とし、そのD-3位をリン酸化することによりphosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate(PIP3)を産生する。PIP3は刺激後一時的に増加し、これが膜結合型セカンドメッセンジャーとして機能することが知られている。また、Rho familyはGEFにより不活性型であるGDP結合型からGTP結合型である活性型となりeffector proteinにシグナルを伝達し、細胞骨格制御等様々な細胞応答に対する重要な役割を果たしていることが知られている。PIP3結合タンパク質として同定されたSWAP-70はPH domain、Coiled-coil(CC)domainを持ち、活性化型Racのeffector domainと結合すること、C末端付近でF-actinと結合すること、また増殖因子などの刺激に応じラッフリング膜でアクチンと共局在し。ラッフリング膜の形成を増強すること、ある種の変異体ではラッフリング膜形成を阻害することが知られている。

 本論文はこのような背景のもとSWAP-70について、まずその構造から予測された活性部位に対して様々な変異を導入し、それぞれの性質を生化学的、分子生物学的手法を用いて解析することにより、SWAP-70の分子内制御機構とその活性化のメカニズムを解明することを本研究の目的とした。

 第一章では背景について述べている。

 第二章ではSWAP-70のPH domainの構造と活性について検討している。PH domainのループ部分を中心に変異を複数導入しPIP3との結合を観察し、第一ループに変異を導入した変異株群ではその結合活性が失われることを明らかにした。PH domainとCC domainとの結合をpull down assayにより確認した後、上記のGST-PHの変異株を利用しCC domainとの結合を解析した。その結果、第一ループ変異株がCC domainとの結合にも関与しており、PIP3との結合部位と重なることが明らかとなった。

 第三章ではまずPH domainとCC domainとの結合がPIP3により阻害されることを明らかにした。この結果は通常PH domainが第一ループでCC domainに結合することによりC末端付近のアクチン結合部位をマスクし、刺激時に産生されたPIP3がPH domainの第一ループに割り込み結合することにより、PH domainとCC domainとの結合が外れ活性型となることを示唆している。続いてCC domainの変異を検索し、PH domainと結合しない変異株m374、m502を得た。

 第四章ではまず野生株のSWAP-70がCOS-7細胞において通常細胞質に存在し、増殖因子の刺激によりラフリング膜へと移行しアクチンと共局在することを確かめた。続いてPH domainの変異株のうちPIP3と結合しないものは刺激時に膜移行、アクチンとの共局在が見られないことを観察した。このことから、SWAP-70の膜移行にはPH domainとPIP3との相互作用が必要であると考えられた。また変異株m374、m502を細胞中に発現させたところ、PIP3非依存的に細胞膜に移行し、アクチンと共局在することがわかった。SWAP-70は刺激時にアクチンと共局在し、in vitroでSWAP-70のC末端部分がアクチンと結合することからSWAP-70は活性化されるとアクチンと結合できるようになることが予想された。dominant negative型RacによりRacのシグナルをとめた状態で細胞を刺激したところm374やm502を単独で発現させた時の表現型と酷似していた。これはこれらの変異株がPI3Kによるシグナルに対しては活性型となり、Racに対しては活性型になっていないことを意味した。

 第五章では本論の総括をしている。

 以上本論文はPI3KのシグナルによるSWAP-70の活性調節をPH domainとCC domainによる分子内相互作用が担っていることを解明し、またそのアクチンと結合するという活性化のモデルを提唱したものであって学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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