学位論文要旨



No 119624
著者(漢字) 大場(西村),美穂子
著者(英字)
著者(カナ) オオバ(ニシムラ),ミホコ
標題(和) 日本語のアスペクトと関わる補助動詞についての研究
標題(洋)
報告番号 119624
報告番号 甲19624
学位授与日 2004.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第449号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 助教授 尾上,圭介
 東京大学 助教授 西村,義樹
 留学生センター 教授 菊地,康人
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、テ形接続の補助動詞の中の、アスペクトと関わる「いる」「ある」「おく」「しまう」「いく」「くる」の6つについての記述的研究である。

 第1部では、補助動詞「いる」の用法および研究史を述べている。

 第1章では、「いる」の用法を検討した。「いる」の用法は、以下の3つである。

 1.前接動詞の表す動きの過程と参照時が、同時的であることを表す

 2.前接動詞の表す動きの完了後の状態が、参照時と同時的であることを表す

 3.前接動詞の表す動きが、参照時には完了していることを表す(前接動詞の表す動きが参照時と継起的関係にあることを表す)

これら3つの用法は、先行研究において、1と2の関係が深いと言われることが多かったが、本動詞「いる」との関係で見た場合、1と2よりも、2と3の方が関係が深いということを述べた。

 第2章では、補助動詞「いる」の研究とアスペクト論との関係について述べた。「いる」の研究は、日本語のアスペクトをどのように規定するかという問題と関係がある。アスペクトを意味的なカテゴリーではなく、動詞形態論的なカテゴリーと考える研究を特に検討し、日本語の中で動詞の形態論的カテゴリーを立てることには問題があり、結局、日本語においては、アスペクトは意味的にしか規定できないということを述べた。

 第3章では、上の1章2章の検討を踏まえ、アスペクト的意味と関わる補助動詞の意味記述の際に留意すべきことをまとめた。

 次に、第2部では、その他の補助動詞「ある」「おく」「しまう」「いく」「くる」の5つを記述している。

 第4章では、「ある」を検討した。「ある」の用法は以下の2つである。

用法1:行為が行われた結果として存在する状態を述べる。用法1が表す「行為が行われた結果」には次の2種がある。

 結果1=行為対象が、行為の結果的状態を保って存在すること

 結果2=何らかの効果・効力が、行為の結果として存在すること

*ただし、用法1は「意志的行為」の場合にのみ用いられる。また、「忘れる」を含む前接動詞の場合は、「意志的行為」とは言えないが、用法1の意味で用いられる。

用法2:行為そのものが維持されていることを述べる

*ただし、用法2は「他人の意志に任せる、現状をそのまま維持する」という意味を持つ行為の場合にのみ用いられる。

 第5章では、1章と4章の検討をもとに、「いる」と「ある」を比較した。その結果、「いる」と「ある」には、次のような違いがあるということが分かった。「いる」によって述べられているのは、前接動詞で表された動きと参照時との純粋な時間的関係である。一方、「ある」によって述べられているのは、前接動詞で表された行為によって生じる直接の結果や、効果・効力など、具体的な事象である。

 第6章では、「おく」を検討した。「おく」の用法として、以下ように、基本的な用法2つと例外的用法1つを認めておきたい。

用法1:行為の完了に伴う事態を考慮した上で、行為の完了についての責任が行為者にあるということを表す。

 〈後の事態1〉:当該の動作の完了に伴って生じる直接の結果

 〈後の事態2〉:当該の動作の完了に伴って生じる間接的な効果・効力

*用法1は、意志的行為を表す場合に限られる。

用法2:行為の継続に伴う事態を考慮した上で、当該の行為を継続させることの責任が行為者にあるということを表す。

*用法2は、他人の意志に任せる、現状をそのまま維持するという意味を表す場合に限られる。

例外的用法(従属節内でのみ現れる用法):行為の完了に伴う事態を考慮した上で、行為の完了についての責任が行為者にあることを表す。ただし、この場合、意志的行為でなくてもかまわない。

以上より、「おく」は、「行為によって生じる事態を考慮した上で、その行為の責任が行為者にあることを表す」と言うことができる。

 第7章では、「ある」「おく」を比較した。その結果、「ある」と「おく」には、それぞれの例外的な用法を除けば、並行的な関係が認められることが分かった。

 第8章では、「しまう」を検討した。「しまう」は、先行研究ではアスペクトと、話し手の感情の両方に関わる補助動詞であると言われて来たが、積極的にアスペクトを表すとは認められず、また「しまう」に伴う話し手の感情は、「それまでに存在する「山場」が終結する」という「しまう」の意味から生じるものであるということを述べた。

 第9章では、「おく」と「しまう」を比較した。この2つは、完了というアスペクト的意味と関わると言われてきたが、「おく」と「しまう」とが完了を表すようになるしくみはそれぞれに異なっており、両者を積極的に対立させて述べる必要はない。

 第10章では、「いく」「くる」を検討した。先行研究では、空間的用法と時間的用法の2つに分けるのが普通だが、本論文では、この2用法の他に心理的な接近を表す用法が「くる」に認められることを述べた。また、「いく」「くる」は「基準点を置く」という側面を中心に議論されてきているが、時間的用法には、「基準点を置く」という側面の他に、漸次性という特徴が重要であることを述べた。

 第11章では、10章までの検討から、先行研究でアスペクト的意味とされてきたものは、おおよそ3つに分類可能であることを述べた。

 1つは、「いる」に見られたような、「参照時と前接動詞が表す動きとの時間的関係」を表し分けるものである。これは、最も純粋に、時間展開の表し分けと関わる。このことは、先行研究で、「いる」が、アスペクト的意味を表す形式の中でもっとも基本的だと言われて来たことと関わる。ただし、「いる」が、文法形式として、他の形式より優位にあるという主張には、根拠がなかった。

 もう1つは、「ある」「おく」「しまう」の3つに見られるような、前接動詞の表す動きとその他の何らかの事象との関係を述べるものである。「ある」は、前接動詞の表す動きによって生じる結果を、前接動詞が表す動きとの関係で述べるものである。「おく」は、前接動詞が表す動きそのものを、その動きの結果生じる事象との関係で述べるものである。また、「しまう」は、前接動詞が表す動きをそれ以前の状況と結びつけて述べるものである。ただし、「ある」「おく」「しまう」の3者は、「時間的」関係を述べることが重要なのではない。

 そして、最後の1つは、「いく」「くる」に見られた、前接動詞が表す動きが時間的にゆっくり進み、しかも、その動きをある一定の方向から認識するということを表すものである。上の2つのタイプのアスペクト的意味が、当該の事態と何かの関係を捉えるものであったのに対して、「いく」「くる」の表す漸次性という特徴は、当該の事態1つについて述べているという大きな違いがある。

審査要旨 要旨を表示する

 日本語にはテ形接続の補助動詞(書いテイルなど)が多くあるが,本論文は,そのうち,これまでアスペクトに関わるとされてきた「いる」「ある」「おく」「しまう」「いく」「くる」の6つを取り上げて,その意味・用法を詳述したものである。論文は2部構成で,アスペクト的意味の再検討が論文全体を貫くテーマとなっている。

 第1部では,「〜ている」の用法分類について先行研究を丹念に検討し,結論として3つの用法に整理する:(1)前接動詞の表す動きの過程が参照時と同時的であることを表す。(2)前接動詞の表す動きの完了後の状態が参照時と同時的であることを表す。(3)前接動詞の表す動きが参照時と継起的関係にあることを表す。また,従来の動詞分類も批判し,具体的用例に先立って一律にあるカテゴリーに分類されるものではないとする。

 続いて,「スル/シテイル」の形態論的カテゴリーの対立こそがアスペクトであるとする論に対して根本的な批判を展開する。これまで日本のアスペクト研究をリードしてきたこの考えは,スルを積極的にアスペクト形式と見るその前提に問題があり,その結果,煩雑な分類に至っているとする。そして,アスペクトはそのような形態論的なカテゴリーではなく,意味的にしか規定できないと主張する。

 第2部では,まず「〜てある」を扱い,2つの用法にまとめる。用法1:行為が行われた結果として存在する状態を述べる。用法2:行為そのものが維持されていることを述べる。後者は「そのままにしてある」などの例で,本論文で新しく主張された。次に「〜ておく」は,これまでアスペクト的意味と「もくろみ」的意味を表すとされてきたが,「行為によって生じた事態を考慮した上で,その行為に責任をもつ」という意味であるとして2つの用法を提示している。続く「〜てしまう」は,アスペクトと話し手の感情の両方に関わるとされてきたが,アスペクトを否定した上で代案を述べている。最後は「〜ていく/〜てくる」をまとめて扱い,「漸次性」という特徴をもつことを新たに指摘する。これらの他にも,「〜ている」と「〜てある」,「〜てある」と「〜ておく」などの比較を各章の間に入れて,相互の異同を一層浮かび上がらせている。

 本論文の特徴は,先行研究を漏れなく綿密に検討をし,その批判の上に自らの論を展開している点にある。適切な用例に基づいたその批判は,大部分が納得できるものである。ただ,自説の展開になると,問題になる部分も出てくる。上記の「〜ている」で言えば,論の中で「同時的/継起的」の意味にずれが生じていたり,「参照時」の定義が曖昧であったりする。用法間の関連をどう捉えるかも今後の課題として残る。しかしながら,6つの補助動詞のどの分析も先行研究の水準を上回っていることは疑いがない。とりわけ,従来無批判に受け継がれてきたアスペクトの規定に対して鋭い批判を投げかけたことのもつ意味は大きい。本審査委員会は本論文を博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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