学位論文要旨



No 119629
著者(漢字) 坂元,昌樹
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,マサキ
標題(和) 保田與重郎研究 : 日本浪曼派の思想と方法
標題(洋)
報告番号 119629
報告番号 甲19629
学位授与日 2004.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第454号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 安藤,宏
 東京大学 助教授 井島,正博
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、近代日本の一時期を画した文芸批評家であり思想家である保田與重郎(一九一〇―一九八一)に関して、特に一九三〇年代から四〇年代にかけて保田が唱導した日本浪曼派の文学運動をめぐる思想と方法を主な対象に考察を行ったものである。一九三〇年代以後の日本浪曼派の運動に関しては、近代日本のロマン主義思想の動向を象徴するものとして、従来から多様な視点から検討が行われてきた。本論文は、この運動の展開における中心的人物である保田與重郎の古典文学論を軸とした批評活動を分析の対象に据えて、その背景に存在する同時代の言説動向を踏まえながら、保田の思想と方法の重層的な評価を目指したものである。

 本論は第一部「保田與重郎の思想的背景」、第二部「保田與重郎の論理と方法」、第三部「日本浪曼派とその周辺」の全三部全九章から構成されている。最初の第一部「保田與重郎の思想的背景」においては、保田の思想と方法が生成された同時代状況ならびに近代日本における歴史的背景の検討を意図している。

 まず、冒頭の第一章「イントロダクション――保田與重郎の問題機制」においては、保田與重郎の批評活動における問題規制に関して、一連の概観と整理を行い、以下の個別の章に向けての導入を目指した。その中で特に、保田による日本浪曼派の文学運動の提唱の背景にある時代の動向として、一九三五年前後の日本の言説空間における共産主義運動の崩壊が生み出した、「代行」の意識をめぐる「危機」の問題を指摘した。そして、一九三〇年代後半の保田の展開した一連の日本文学史論の論理が、そのような「危機」意識に対抗する形式で提出された側面を持つことを指摘し、保田による「文学史」論を通じての「日本」の「血統」という理念の創出のあり方に関して、批判的に考察を行った。

 次の第二章「日本浪曼派批判の再構成――〈民衆〉という虚構」においては、保田の一九三〇年代後半の言説を中心に分析を行い、日本浪曼派の文学運動の主張の一側面に関して、「民衆」概念の「民族」概念への分岐という観点から考察を行った。保田の批評テキストにおいては、「民族」や「国民」といった概念が、同時代の世界の言説秩序に対する一種の「変革」の概念として再構成されながら提出されている。保田の言説の持つこの特徴に関して、保田がそれらの諸概念をいかに方法的に操作していたかについて分析を行い、そのような論理の構成を可能とする保田の思想の持つ構造に関して検討した。

 さらに第三章「保田與重郎と〈民芸〉運動――〈沖縄〉というトポス」では、保田における柳宗悦の「民芸」思想をめぐる批評に関して、両者の具体的な交流に関して検証した上で、特に沖縄に関連した言説の持つ問題を検討した。保田にとって柳の「民芸」思想は、民族としての「日本」人の「自覚」の契機となる「精神美学」をめぐる論理を提供した点で重要性を持っている。しかし同時に、この両者の民芸をめぐる思考には早くから根本的な差異が存在していたことを、一九三〇年代の沖縄とその方言論争を含む文化問題に関する両者の言説の志向の相違から考察した。

 そして第四章「保田與重郎と〈差異〉――幻想としての〈郷土〉」においては、保田における「家郷」や「郷土」をめぐる思考の基本的構造を検討し、保田による自己の出生地である「大和」地方に対する賛美の言説の背後に隠されていたと思われる一九三〇年代の日本における「差別」をめぐる問題系を考察した。まず、保田の「郷土」をめぐる論理が、一九二〇年代における「大和」地方の被差別部落と在日朝鮮人部落をめぐるその個人的な経験と微妙に交錯している可能性があることを指摘した。そして、それらの事件に象徴される近代日本における「差別」の問題を保田が早くから意識しており、それらを理念的に解消するための方法として、神話的空間としての「大和」地方を創出した可能性を指示した。現実の「差別」を理念的に回収するという保田の方法が、後の「文学史」論とも関連することを指摘し、その「郷土」をめぐる思考と日本浪曼派の文学運動との関係性に関して検討した。

 次の第二部「保田與重郎の論理と方法」においては、保田の思想における論理と方法に関して、特に日本の古典文学に関する評論を取り上げながら、総合的に考察した。

 最初に、第五章「保田與重郎の言説戦略――方法としての〈文学史〉」において、保田による日本浪曼派の運動の言説戦略の内実に関して、保田の「歴史」と「文学史」に関する認識を一つの軸として分析を行った。一九三〇年代から一九四〇年代にかけての保田は、「日本」の「血統」という新たな「文学史」の構築を通じて、表象としての「日本」の同一性の構成を目指し、その「文学史」の水準を媒介として「歴史」批判と世界秩序の解体を企図していたと考えられる。そのような保田の展開した言説戦略の内包していた可能性と限界に関して検討した。また、同時代の「近代の超克」をめぐる会議における京都学派や『文学界』の批評家の言説との対比を通して、新たな「日本浪曼派批判」に向けての論理の再構成を目指した。

 次の第六章「表象としての〈女性〉――保田與重郎の言説とジェンダー」においては、保田の言説における「女性」の表象と「日本」の「民族」の表象の関係性という問題に関して、保田の同時代女性論と古典文学論における「女性」像の構築のあり方をめぐって検討した。保田は、近代の「合理」的世界観への反措定を象徴する表象として、一連の「女性」の表象を選択的に動員し、「日本」の「民族」文化の「血統」を強化しようと試みている。「女性」の表象を導入することで「日本」の「文化」的同一性の強化を目指すという保田の戦略の内実に関して、批判的に検討した。

 さらに、第七章「〈文学史〉の哲学――保田與重郎と〈古典〉論の展開」においては、保田の『万葉集の精神』(一九四三)に代表される一連の古典評論において看取される思考と論理の構造を踏まえながら、保田の構想した日本浪曼派の言説戦略に関して展望を提示した。『万葉集の精神』に象徴される保田の「文学史」をめぐる構想は、「歴史」の内部において相対的に「抑圧」された者の立場を代行することを企図する側面を持つものであることを示し、そのような保田の方法の持つ問題点を考察した。

 第三部「日本浪曼派とその周辺」は、保田の「戦後」における動向と、その「文学史」的な周辺の問題に関して考察した部分である。

 第八章「保田與重郎の〈戦後〉――「絶対平和論」の再検討」においては、戦後のテキスト「絶対平和論」(一九五〇)における言説に関して、保田の一九四〇年代から一九五〇年代にかけての近代批判の問題を一つの論点としながら考察を行い、保田における「戦後」の位相を検証した。保田の「絶対平和論」が、その戦中期の論理の延長線上に立脚しており、そのまま「絶対戦争論」へと転化する危険性を秘めていたという問題を指摘した。

 第九章「保田與重郎とその文学史的圏域――芥川龍之介と太宰治」では、保田と「文学史」的な圏域において近接する要素を持つと思われる、芥川龍之介と太宰治という二人の文学者を取り上げ、保田とその周辺をめぐるロマン主義的な志向の潮流を検討した。最初の第一節「芥川龍之介の〈影〉――「歯車」の遺したもの」においては、芥川龍之介の小説「歯車」(一九二七)が内包する一側面を、近代的な合理主義の総体に対する批判の水準において捉え直し、そこから保田へと連続していくロマン主義的な志向の系譜の様態を検討した。また第二節「太宰治と保田與重郎――「虎徹宵話」と「やぽん・まるち」」では、太宰治の初期習作「虎徹宵話」(一九二九)と保田の初期小説「やぽん・まるち」(一九三二)を取り上げて、後に雑誌『日本浪曼派』において合流するこの両者が、一九三〇年前後の同時代言説の内部において、早くからロマン主義的な志向を共有していた可能性があることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は保田與重郎の1930年代から40年代にかけての古典文学論を軸に、そこに内包されていた可能性と限界を、同時代の思潮との関係を中心に考察したものである。

 第一部ではまず、保田独自の〈日本の血統〉の観念が生成されていく様態が分析されている。ウォーラーステインの「反システム運動」の概念を援用しつつ、保田にあってマルクス主義と民族主義とが、共に被抑圧者の解放という観点から連続的に捉えられていった経緯が明らかにされている。また保田が、沖縄の現状を直視できなかった当時の民芸学の限界を見据えながら自らの〈民族〉概念を生成していった経緯、また彼の〈郷土〉概念が水平社の運動を視野に入れた、異種混交的な性格を持っていた事実などが明らかにされている。

 第二部では、保田の方法意識が具体的な古典文学論を通して解明されている。すなわち、後鳥羽院、西行、芭蕉に至る〈隠遁詩人〉の系譜が、当時の進歩史観や科学主義へのアンチテーゼとして編み出されていった過程、和泉式部が、近代的理知を否定する手だてとして再評価されていく道筋、折口信夫の影響のもとに、被抑圧者の「声なき声」の主観的代行として万葉の精神が捉え直されていく経緯などが明らかにされている。特に近代国家の成立に伴って形成された「国民」像が1930年代、40年代に変質し、それまでの〈民族〉概念では掬い切れない多様な側面に立ち会う中で、彼独自の〈民族〉概念があらたに創出されていったという指摘は、保田與重郎の再評価につながるものとして傾聴に値しよう。

 第三部では、戦後の保田の「絶対平和論」に、当時、情勢論に流されがちであった論壇への批評が内包されていた事実が明らかにされ、さらに、文学的自己形成期に芥川龍之介から受けた影響、太宰治の初期作品との共通点などが指摘されている。

 保田の古典作品に関する具体的な理解に関しては、今後、さらにより詳細な分析調査が望まれるが、最終的にはさまざまな概念が暴力的に〈日本の血統〉に回収されていく陥穽を冷静に見極めつつ、なおかつ当初その〈民族〉観に内在していた可能性を丹念に掘り起こしていく分析の手続きは高い評価に価する。

 以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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