学位論文要旨



No 119631
著者(漢字) 高橋,晃一
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,コウイチ
標題(和) 『菩薩地』「真実義品」から「摂決択分中菩薩地」への思想展開 : vastuに関する学説を中心として
標題(洋)
報告番号 119631
報告番号 甲19631
学位授与日 2004.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第456号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,明
 東京大学 教授 丸井,浩
 東京大学 助教授 下田,正弘
 東洋文化研究所 教授 永ノ尾,信悟
 筑波大学 教授 佐久間,秀範
内容要旨 要旨を表示する

1.目的

 本論文で取り上げる『菩薩地』および「摂決択分中菩薩地」は,瑜伽行派の基本典籍『瑜伽師地論』の一部を構成する文献である.『瑜伽師地論』の著者問題,成立過程の問題は複雑で,未だに解決されていない点も多いが,思想的発展段階の異なるいくつかの部分から構成されているとする点では現代の研究者の見解はほぼ一致している.そして,その中でも特に古い思想を伝えている部分の一つが『菩薩地』であり,その『菩薩地』の思想を継承・発展させたものが「摂決択分中菩薩地」と考えられている.

 さて,瑜伽行派の思想は一般に唯識思想と称され,外界の対象の存在を認めない点に特徴がある.それに対して『菩薩地』では勝義的実在としてのvastuを中心に学説が構成されており,そのため,一見すると唯識思想とは相容れない印象を与えている.従来の研究では,このような『菩薩地』の思想に関して唯識思想以前の学説とするだけで,その後の思想との関係については十分に考察されてこなかった.しかし,『菩薩地』のvastuに関する学説は「摂決択分中菩薩地」で五事説・三性説によって分析されており,そこには思想史的な発展の足跡を見出すことができる.こうした状況を踏まえて,本論文では『菩薩地』「真実義品」から「摂決択分中菩薩地」への思想展開について,vastuに関する学説を中心に考察することを目的としている.

2.テキスト

 本論文で取り上げる『菩薩地』のテキストとしては,Cambridge写本と京大写本に基づく荻原雲来校訂本,およびR.SAGkRtyAyana写本に基づくNalinaksha Dutt校訂本があり,特に荻原本は多くの研究で底本とされているが,今回の研究では,先行研究で使用された三写本の他,これまで利用されていないNepal National Archives所蔵の写本を加えた四種の写本により,『菩薩地』「真実義品」に関して,荻原本改訂版の作成を試みた.また,「摂決択分中菩薩地」に関しては,今回の研究と直接関係する箇所を抜粋し,北京版,デルゲ版,ナルタン版,チョーネ版を用いて校訂テキスト作成した.本論文では該当箇所についてはこられの校訂テキストを使用している.なおこれらはシノプシスおよび和訳とともに本論の後に掲載してある.

3.本論の構成

 本論文では『菩薩地』と「摂決択分中菩薩地」の関係について,具体的に次の三点に焦点をあてて,考察している.

 (1)『菩薩地』「真実義品」のvastuに関する学説と五事説・三性説の思想史的関係

 (2)vastuが言語表現し得ないことに関する三つの論証に見られる『菩薩地』から「摂決択分」への思想的展開

 (3)分別からvastuが生じるという学説に見られる『菩薩地』から「摂決択分」への思想的展開

(1)では『菩薩地』のvastuに関する学説を整理し,それが「摂決択分」の五事説でどのように継承され,解釈されていくのか,という点について考察する.また,「摂決択分」の三性説の定義に関しては,その学説の起源とされている『解深密経』との関係を中心に考察し,五事説が『解深密経』の三性説の前提となっている点を指摘する.(2)(3)は『菩薩地』「真実義品」で説かれ,また「摂決択分」の五事説および三性説に関する論述の中でも繰り返し取り上げられ,再解釈されている話題であり,いずれも実在であるvastuに関わる話題なので,『菩薩地』「真実義品」から「摂決択分」へのvastuに関する思想の展開を探るための手掛かりになると考えられる.

 なお,(1)から(3)の論点は各文献の記述の中で複雑に関係しあっている場合があり,個々の論題ごとに論じていくと,返って各学説ごとの特徴が捉え難くなる.したがって,実際の論述は,本論を以下の三つに大きく分けて進めている.

 2.1 『菩薩地』「真実義品」のvastuに関する学説について

 2.2 「摂決択分中菩薩地」の五事説について

 2.3 「摂決択分中菩薩地」の三性説について

これら各節の中で,先にあげた(1)から(3)の各論題について論じ,そのうえで最終的な結論をまとめている.

4.結論

 上記の手順による考察の結果,本論文では以下の結論を導いている.

 『菩薩地』「真実義品」では,vastuは言語表現の基体でありながら,勝義として言語表現し得ないものとされているが,「摂決択分」の五事説ではvastuの言語表現の基体としての側面を相(*nimitta),言語表現の基体とならない側面を真如(*tathatA)と分析し,これらを名・分別・正智という概念と関連させて説明している.「摂決択分」の五事説はその術語の用法が『菩薩地』「真実義品」と共通していることや,『菩薩地』「真実義品」への言及が見られることから,その学説を継承発展させたものと考えられる.

 一方,「摂決択分」で説かれる三性説はその内容から『解深密経』の三相説を継承したものであることは間違いない.しかし,『解深密経』では三相説の定義やその特徴を説明する際に五事説を構成する要素である相・名・分別・真如という術語を用いることがしばしば見られる.こうしたことから,『解深密経』の三相説は三相の概念だけで完結した学説ではなく,相・名・分別・真如という概念を前提に構成されていることが分かる.

 したがって,一方で,『菩薩地』のvastuに関する学説から「摂決択分」の五事説への発展を想定することができ,また他方で,五事を構成する概念が三性説成立以前にすでに術語として用いられていたと考えられることから,少なくとも『菩薩地』のvastuに関する学説から『解深密経』での三相説成立に至るまでの間に五事説の形成過程があったと考えられる.

 こうした全体的な思想展開の中で,本論では「言語表現し得ない本質を持っていることに関する三論証」と「分別から生じるvastu」という二つの話題に着目し,vastuに関する学説の変化を考察している.

 まず,三論証については『菩薩地』で説かれていた三つの論証は「摂決択分」の五事説にそのまま継承されている.ただし,五事説の場合は議論の中心は言語表現の基体としての*vastuに相当する相(*nimitta)であり,勝義的実在としての真如ではない.一方,「摂決択分」の三性説では三論証に簡単に言及するだけで具体的な記述はないが,『顕揚論』は「摂決択分」のこの部分に基づいて三論証に訂正を加えている.

 また,『菩薩地』「真実義品」で説かれていた「分別から生じるvastu」に関しては,「摂決択分」の五事説は分別から生じる相(*nimitta)としてこの学説を継承している.一方,これと類似した学説として,「摂決択分」の三性説では「言語表現から生じる*vastu」に言及しているが,その際の*vastuは影像として説明されており,これは五事説で分別から生じる相を影像と明確に区別していることからすると,基本的な点に違いが見られる.

 vastuに関連する二つの論題を『菩薩地』から「摂決択分」の五事説・三性説の記述の中で辿っていくと,『菩薩地』「真実義品」と「摂決択分」の五事説で説かれる内容は基本的に一致しているのに対して,「摂決択分」の三性説に関する記述では,思想的に新たな展開の素地を提供したり,あるいは基本的な点でそれ以前の学説と異なっているという傾向が見られる.このことから『菩薩地』以来のvastuに関する学説に変化が生じる過渡期の思想が,「摂決択分」の三性説に関する記述の中に現れていると考えられる.しかし,この傾向が唯識思想とどのように関連しているのかという点については,本論文で扱った資料では十分に論じきれないので,今後の課題としたい.

(終)

審査要旨 要旨を表示する

 インド大乗仏教の思想史は、義浄(635-713)も『南海寄歸内法傳』巻一に伝えるように、中観と瑜伽(ゆが)の両学派がその主流を形成した。その中の瑜伽行派は、『般若経』を中心とする初期の大乗経典にもとづきながら、一方でまた、当時の伝統部派として中心的な存在であった説一切有部の教理を批判的に摂取した。これにより同派は、五事(名称・特徴(相)・分別・正智・真如)、三性(しょう)(分別された性質、他に依存する性質、完成された性質)、およびアーラヤ識(潜在意識)説等の独自の教理的な枠組みを提示しながら、完成された性質としての真如の獲得に向けた実践理論を構築する。この瑜伽行派の最初期の学説を集大成した論書が、紀元後4世紀には成立したと目される『瑜伽師地(ゆがしじ)論』Yogacarabhumiである。同論は、瑜伽行者が涅槃にいたるまでに歩む十七の段階(地)を詳説する「本地(ほんじ)分」が前半を構成し、その後に、それぞれの段階で学ぶべき主要な教理を段階別に論じる「摂決択(しょうけっちゃく)分」が続く。同論の編纂事情は複雑であるが、一定の時間的な経過をへて、現在、サンスクリット本、チベット語訳、および漢訳に伝承されるような形(五分・百巻[漢訳])に整理されたと考えられている。

 「摂決択分」の中の「菩薩地(ぼさつじ)」は、五事と三性という、瑜伽行派における核心的な教理を正面から論じる。これに対して、『瑜伽師地論』の最古の層に位置する「本地分」中の第十五地「菩薩地」には、本来、内容的に「摂決択分」中の「菩薩地」と密接に対応することが期待されるにも関わらず、「五事」や「三性」の総称も解説も見られない。この点は、これまでの研究においてもある種の謎として残されてきたものであった。

 本論文は、この問題に着目し、従来の研究では未解明であった、「本地分」中の「菩薩地」から「摂決択分」中の「菩薩地」への思想展開を、とくに五事と三性の両説を直接のテーマとする「真実義章」を中心に、「五事」(panca vastuni)の概念を構成するvastu(「事(こと)」「実在」「基体」等の意)に焦点をあて、その用例と意味内容の精査を通して解明することを目的としている。

 序論において著者は、関連文献のテキストの概況、先行研究の問題点および論文の意図と構成を述べたのちに、本論では、「菩薩地」(真実義品)のvastuに関する学説、「摂決択分」中「菩薩地」の五事説について、「菩薩地」(真実義品)の三性説について、と題する三つの章を立てる。「菩薩地」(真実義品)におけるvastuは、「色かたち」や「音声」等の言語表現の基体でありながら、厳密な意味(勝義)では言語表現し得ないものとして意味づけられる点に特色をもつ。これに対して、「摂決択分」中の「菩薩地」では、この説を踏まえた上で、vastuの言語表現の基体としての側面を特徴(nimitta「相」)、言語表現され得ない実在としての側面を真如(tathata)として類別した点を明らかにする。その上で、「特徴」と相互因果の関係にある「名称」と「分別」とのいずれもがvastuと呼ばれ、さらにまた、真如を対象とする無分別の「正智」がそこに加えられたときに、「五事」の体系が完成したことを詳論する。「本地分」中の「菩薩地」には、「五事」という総称は見られないものの、これら五つの術語は、いずれもその中で―ときにvastuの呼称をもって―論及されていることからも、「本地分」中の「菩薩地」が五事説の原型を提示する論書であることは間違いないと結論する。

 このように本論文は、「摂決択分」中の「菩薩地」に初めて登場する「五事」説について、概念史的な観点から、その直接のルーツが「本地分」中の「菩薩地」にあることを明快に論じたもので、きわめて説得力がある。また、関連する「菩薩地」(真実義章)のテキストについても、入手可能なすべてのサンスクリット写本(四本)に基づいて自ら再校訂し、従来の荻原校訂本の読みを少なからず訂正したことに加えて、写本間の系統関係をも明らかにしている。ただし、「摂決択分」中の「菩薩地」における三性説に関しては、『解深密経』との関連についての論及に一定の成果は見られるものの、五事説に比して、「本地分」中の「菩薩地」との関連が明らかになったとはいえず、この点はむしろ今後の研究展望を拓く一つの端緒をもたらすものと評すべきであろう。

 以上のように、本論文は、初期瑜伽行派の思想形成の一端を明らかにしたという意味での貢献度は高いと判断され、今後の瑜伽行・唯識思想研究に新たな視点と方法を提供する研究成果として十分に評価に値する。一部の解釈やテキスト校訂に再考の余地があるとはいえ、本論文がもたらした成果は大きく、博士(文学)の学位を授与するに相応しいと判定する。

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