学位論文要旨



No 119632
著者(漢字) 佐藤,文郎
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,フミロウ
標題(和) 鏡と異端 : アポリネール表象理論の探求
標題(洋)
報告番号 119632
報告番号 甲19632
学位授与日 2004.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第457号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,毅
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 中地,義和
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 白百合女子大学 教授 星埜,守之
内容要旨 要旨を表示する

 本論の目的は、アポリネールの表象理論の探究にある。これは、我々は同時代の前衛美術との関係に問題を局在化せず、古典古代以来の文芸、芸術が表象術として理解されてきたという認識に立って、アポリネールの芸術観を思想史的な観点に立って見直そうとする我々の基本的態度を示している。

 本論の題目として示した「鏡」及び「異端」は、その目的に達するために本論で採用する二つの視点を表している。両テーマがともに、アポリネールの作品に頻繁に現れ、そこである一定の位置を占めていることは、彼の作品全体を概観すれば明らかであろう。一見恣意的に選ばれたかのように見えるこれらのテーマは、実のところ、アポリネールの表象理論の探求という目的により、必然的に要請された視点である。

 言語と視覚の交錯地点である「鏡」のテーマは、アポリネールの表象(representation)に対する考え方を如実に映し出す存在である。つまり、アポリネール作品の「鏡」というテーマは、単なる詩的モチーフである以上に、彼の創作活動を理論的に支える大きな柱の一つであると我々は考える。他方、「異端」というテーマは、一見「表象」とは無関係のように思われるかもしれない。しかし、短編集『異端教祖株式会社』のタイトルに顕在化しているだけではなく、アポリネール作品中で「神の似姿」、「類似性」、「詩的創造」といった概念と密接に結びつくテーマとして特権的な位置を与えられており、宗教的観点と同時に、表象という観点から読み直されるべきであると考えられる。

 アポリネールはしばしば、自分の理想とする詩的精神について「新しい」という形容詞を用いた。それでは、旧来の文芸・芸術理論を乗り越えて彼が構築しようとした世界とはいかなるものであったのか。我々はこうした立場から、実地に作品に触れつつ、宗教的視点をも含めたより大きな視野で、アポリネールの「新しい」表象理論を捉え直すことを目指したのである。

 では順を追って我々の議論をまとめておこう。

 我々は、第I・II章を通して、アポリネール作品の中で表象される鏡の解析を行った。この考察を通じて確認し得る最も重要な事柄とは、彼の作品が、詩人(あるいは主要な登場人物)と鏡との対面関係を基本軸にして構成される傾向にあることである。作品の中に見出される鏡には、一定のレパートリーが認められる。また同様に、鏡の属性や様態、機能にも一定のパターンが存在する。それらの鏡の表象は、互いに類縁性により連関し合いつつ、時に、他の鏡の表象へと互いに置換されることにより、場面状況(空間設定、時間設定、話者を含めた登場人物の同一性、言説行為と言説内容の関係)が不安定になり、作品世界の整合的表象空間が崩壊する事態を招いているが、鏡に対する対面という基本的状況に変化は生じない。我々が第II章までに行うのは、鏡の表象をめぐる様々な混乱、状況設定の壊乱にも関わらず、詩句を全くの混沌から救う恒常的要素の洗い出し作業である。

 鏡を巡る混乱の大本の原因は、鏡と人物を巡る位置構図の曖昧さにある。つまり、見る者、見られる者、鏡の三者が三角関係をなすのか、対面関係を成すのか、それとも自己投射をなすのかという状況が曖昧にされることにより、作品世界の状況設定にもたらされる混乱である。この混乱は、派生的に第二、第三の混乱をもたらす。まずは、愛情や崇拝などの感情である。特に愛情は、状況に応じて他者愛、近親相姦、自己愛と変わり得るものであった。次に、性の問題である。異性愛、同性愛といった性愛のあり方が曖昧になる上、性転換、両性具有といった性別上の混乱が引き起こされる。さらに、登場人物の同一性喪失である。登場人物自体が、時に個人としての同一性を失って、提喩的に鏡として機能していること、比喩表現が次々に連鎖することによって、人物の同一性や地理的場面設定を含め、時間的、空間的表象が廃棄される。

 鏡の表象は、様々な比喩表現によって肉付けされるべき、詩句の骨格を成しており、鏡を中心として、その周りに直喩や隠喩を始めとする諸イメージが形成されている。そこには、(換喩的)類縁関係と類似関係という言葉で我々が考察した、作品全体を鏡としてとらえるアポリネールの詩法上の戦略が読み取れる。特に、類縁関係は地理的、時間的なあらゆる他の同一性が破壊された後もなお、詩句中における鏡の表象を機能させ、最終的に作品全体を鏡の表象とする、アポリネールの詩的手法の中核を担う技法である。

 第III・IV章で展開する議論は第一に、第II章までの考察を、神話、宗教の側面から裏付ける作業である。すなわち、アポリネール作品の鏡の表象には、自己投射と恋愛的対面の区別がつかない混在状況がしばしば見られるが、こうした恋愛詩的特徴が、鏡の神話や宗教的側面に関しても変わらずに認められることを示すのが、我々の議論の第一の目的であったと言える。例えば、ナルシスは鏡面に自分の姿を映し出すが、その自己の反映の中に、愛する自分の妹の姿を認めてしまう。アポリネールは、これら神話的、宗教的人物に、典型的詩人像を重ね合わせ、神話的、宗教的な次元において詩人の愛の寓話を作り上げていく。かくして、ナルシス神話等に象徴される、鏡像を決して捕まえることができない把握不可能性が、アポリネールの恋愛詩で詩人が鏡の恋人を相手にして陥る愛の不幸を象徴していることが確認される。

 他方、神話、宗教に伴う供儀的要素もアポリネール作品において重要な役割を担っている。神話的人物や異端教祖たちは、死(溺死)という通過儀礼を経ることにより、不幸を克服して最終的に鏡像との合一を果たし、偽の神、偽救世主として顕現を果たしている。アポリネール作品にあって、鏡面での溺死、八つ裂き、鏡の奥への冥府降りは、それぞれ、死と再生の通過儀礼をも象徴している。また、冥府降りをキリスト教的に解釈するならば洗礼のテーマが関係することになるだろう。

 ただし、こうした宗教的儀礼も裏を返せば、鏡面に対する対面と自己投射の構図に帰着するのである。なぜなら、死という通過儀礼は、結局、鏡面への自己投影を象徴していると考えられ、また、偽の神、偽救世主として顕現を果たすのは、詩人の虚像であると分かるからである。特に、「異端」のテーマにおいて、このことは注意が必要である。なぜなら、この実体のない詩人の虚像に救世主イエス・キリストが重ねあわされる事態が発生するからである。これはイエスに全き神性と人性を見るカトリックの立場と相容れないことは明らかである。つまり、我々は第III章と第IV章を通じて、神話や宗教が、詩人による詩的創造の寓話でもあることを論証することになる。

 我々はこのように、「鏡」および「異端」という視点に沿ってアポリネール作品の表象問題を追った。それらを総合する視点を獲得するために、我々は第V章、第VI章で、アポリネール表象理論の全体像を、「類似性」および「実在」という表象理論の根本に位置する問題を通して明らかにする。

 類似性、レアリテの分析を通して明らかになるアポリネールの基本的な態度は、まず第一に、実在するものに依拠する表象理論全般に対する批判的態度であり、それを反実在論と呼ぶことができる。第一に、実在性を目指すか、それとも、実在性を欠いた虚像、仮象を目指すかの選択の末に、仮象側を評価したアポリネールの姿勢に、古典的表象理論に対する異議申し立てを見ることが議論の最初の焦点となるだろう。オリジナルよりもコピーを賞揚することは、オリジナルが実在する根拠そのものを奪ってしまい、現象だけを重視するという傾向につながりかねない。そうなると、極端な場合、もはや従来の意味での表象の問題ではなくなってしまう。

 ここで我々は、アポリネールの作品全体に遍在する対面、そして、自己投射の図式に改めて着目し、ここに解決の糸口を探ることになる。さらには、この図式と関連して、「神の似姿」と「神人同形論」という神の表象に関する二つの考え方、そして、創造神による被造物の創造という図式を手掛りに議論を進める。

 その結果を略述すれば、以下のようになるだろう。すなわち、詩人は作品と対面している。作品は創造神である詩人の被造物であるはずである。従って、被造物が父なる神に似ているように、作品は詩人に似ている(詩人の自己像である)はずである。これが神人間に当てはめられた「神の似姿」の図式である。こうした図式に対して、「神人同形論」を適用するならば、創造行為と被造物の関係、原因と結果の因果関係が逆転されることになる。その結果、神と詩人の立場が入れ替わり、被造物であった作品は、創造神であった詩人に代わって神の座につくことになる。元々神の虚像に過ぎなかった作品=偽キリストは、因果の逆転により、真の神として顕現を果たすことになる。

 アポリネールにとって、創造神である詩人は、作品の上に自己像を映し出す存在であるが、同時に、神無き世界において、創造神に代わり、作品上で虚像、偽の神として映し出される存在でもある。すなわち、創造と生成を巡るアポリネールの思索は、"神を対象とした表象"と"神による表象"という先史古代以来の二つの神的表象のあり方を同時に引き受け、表象問題の根本に横たわる互いの矛盾、撞着を突き合わせた上で、それらを解消する「新しい」第三の表象理論、表象すると同時に表象される鏡の表象理論を志向したと評価することができるのである。

審査要旨 要旨を表示する

 20世紀初頭フランスのフォービスムやキュビスムなど、前衛芸術運動に指導的役割を果たし、第一次世界大戦後のシュルレアリスム運動に深い影響をあたえたギヨーム・アポリネール(1880-1918)は、文学史的には最後の恋愛抒情詩人とも、あるいは句読点の排除やカリグラムなどの新たな詩的冒険によって現代詩の祖とも呼ばれ、いわば両世紀間にまたがる新旧文芸橋渡しの役割を担わされてきた。従来の研究は、ともすれば恋人探し的な伝記的側面に偏し、あるいは新奇を好む文芸批評家の役割が強調され、詩人固有の文芸思想面の研究が、十分になされてきたとは言い難い。

 「アポリネール表象理論の探求」と題された本論文は、「鏡」と「異端」というテーマを鍵にして、詩作品を中心とする丹念なテクスト読解から、詩人本来の文芸創作理論を抽出し、実在に対する仮象(写像)の優位、創造主に対する被造物の卓越という、芸術創造行為における因果関係の逆転と、価値転倒による新たなレアリスムを提起せんする新鮮な詩人像を示す。論考は六章に分かれ、最初の二章ではアポリネールにおける鏡面の設定と自己投影の様態を示す。続く二章では自己投影の神話的・宗教的側面を分析し、一方にナルシス神話、他方に創造主(神)を被造物(人間)の似姿としてみる神人同形論の異端思想を、詩人の表象理論の特質として提起する。最後の二章では「類似性」および「レアリテ」という表象論の根本命題を通して、アポリネール表象理論の全体像を総合し、実物(オリジナル)よりは写像(コピー)を称揚し、詩人の作中における自己投影像こそが創造主の位置を占めるとする、価値転倒の表象理論を導き出す。

 極めて野心的な本論文は、広汎かつ丹念なテクスト読解に立脚するとはいえ、芸術批評関連テクストとの照合や、概念及び仮説の検証が未だ十分ではなく、アポリネールの画期的な表象理論が同時代の芸術家たちにどのように受容され、いかに新芸術運動を導くにいたったかの考察も、今後の課題として残されている。とはいえ、本論文はアポリネールの本格的な文芸思想研究の新機軸を示すものであり、今後の20世紀文芸思潮研究に大いに寄与するものと確信する。以上から、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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