学位論文要旨



No 119640
著者(漢字) 塩出,浩之
著者(英字)
著者(カナ) シオデ,ヒロユキ
標題(和) 近代日本の移植民と政治的統合
標題(洋)
報告番号 119640
報告番号 甲19640
学位授与日 2004.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第519号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 村田,雄二郎
 東京大学 助教授 鈴木,淳
 東京大学 助教授 矢口,祐人
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、一九世紀末〜二〇世紀前半に日本(本国)から政治的境界を越えて移住した日本人の政治的統合について検討したものである。

 日本の近代史を国民国家形成の過程として捉える視角は、しばしば"均質な日本"という前提を所与としており、その枠組に回収されない部分を看過するという問題点があった。これに対する有力な批判としては、従属地域やエスニック・マイノリティへの抑圧を指摘する「植民地研究」や「帝国研究」が存在する。ただし、以上は主権国家の支配領域(政治的境界)の側からそこに居住する人間集団を把握していることでは共通している。これに対して本研究では、人間集団、とりわけ政治的境界を越えて移動した人々の側からその境界がどう意味付けられたかを問うのである。本研究で「移植民」という概念を用いるのには、近代世界における政治的境界を越えた移住活動を、政治的支配・従属としばしば密接ではあれ、あくまで別個に扱うという意図がある。またこのような観点から、この研究では政治的従属地域(本国編入以前の北海道や沖縄県も含む)を「植民地」と呼ばず、一九世紀には一般的な呼称だった「属領」を採用して移植民と区別している。

 第一章では、一八八〇年代後半〜一八九〇年代前半における内地雑居論争(条約改正後に外国人が日本国内に来住することの是非についての議論)を、移植民論との関連で検討した。この論争での重要な論点の一つは、外国人が移植民活動を行うかどうかという予測上の対立だった。雑居賛成論者の田口卯吉は居留地の政治的危険を重視する一方、欧米人の来住そのものは人口稠密な日本では危険はなく経済発展をもたらすとして肯定したが、雑居尚早論者は欧米人により「国土」の発展が「国民」の手から奪われる可能性を恐れたのである。

 「国民」とは一八九〇年前後に帝国憲法発布と共に広まった言葉であり、日本の住民自らが政治主体であるという自負が込められていたが、多くの場合、「国民」は文化的・歴史的に一体性があるはずで、かつその一体性は保たれねばならないとの観念を伴っていた。

 欧米人による移植民の可能性をめぐる予測の違いは、日本を移植民の主体と見るかどうかと連動していた。雑居賛成論者は日本からの国外移住の気運を論拠とし、雑居尚早論者は日本の領土に人口移植の不充分な地域があることに言及したのである。その具体的な対象は、国外では主にハワイであり、国内では属領・北海道だった。

 第二章では、本国編入(二〇世紀初頭)以前、特に一八九〇年代の北海道における政治運動を対象として、そこに見られる論理を検討した。まず前提として、一八七〇年代の北海道開拓使で外国人入植を推進するという政策論が存在したことを示した。これは北海道が移植民の対象地であると同時に、日本本国(「内地」)とは異なる政治的領域をなしていたことを意味している。

 次に一八九〇年代には、本国における立憲制・議会政治の形成は、そこから排除された北海道の従属性を住民に強く認識させ、政治意識の活性化をもたらした。だが第一に、大隈条約改正案をめぐる政治運動で彼らは「国民」としての運動を試みたが、その過程で彼らは却って北海道の政治的地位、利害関係が本国「地方」と異なることを発見することとなった。そして第二に、議会開設以後彼らは参政権を求めて請願運動を行ったが、一方で開発行政に依存するグループは時として開発保護の維持・強化をこれより優先し、他方でこれに不満を持つグループは本国地方議会以上の権限を持つ「殖民議会」を構想した。本国の政治社会の論理を共有しながらも、彼らは直接的な本国への統合を目指さなかったのである。またそこには、"自らは沖縄県住民やアイヌとは異なるし、アイヌへの参政権付与は時期尚早である"といった「植民」者としての自己認識も密接に関わっていた。

 第三章では、同じく一八九〇年代にハワイで起こった、在留日本人の参政権獲得問題(ハワイでの)について扱った。この問題は、ハワイ王国憲法の改正により在留欧米人が帰化なくして参政権を得たことに対して、日本からの特権均霑要求として外交上の争点と化した。当時ハワイでは、三年間の契約労働を中心に日本人の在留者が増加しつつあったのである。在留日本人は、このハワイでの参政権の獲得を「日本国民」「帝国臣民」として日本政府に求めた。ハワイでの参政権獲得要求であるにも関わらず、彼らは「国家的観念」、「愛国心」、「官民一致」といった本国の政治社会の論理でこの運動を説明していたのである。帰化しないまま参政権を得る可能性があるという特殊な条件のためもあって、彼らは意識としては日本の政治社会の延長上にあったのだと考えられる。

 次いで第四章では、一九〇〇年代に米領ハワイで結成された団体「中央日本人会」について扱った。日本人人口の著しい増加と長期在留志向の増大の中、ハワイ現地社会での安定的発展・定着を企図して結成されたこの中央日本人会は、二世の「米国市民」化、「国家的観念」「愛国心」の相対化という課題を掲げて発足した。しかし同時に「日本人」としてのナショナルな団結であるというディレンマを抱えたこの団体は、問題解決機能を失って僅か数年で解体をやむなくされた。全日本人を結集しての「自治」は現地での移住民の個々の利害を調整するには不要あるいは悪影響だったし、またホノルル総領事を会長とするなど日本政府との結びつきを強く持ったことも、耕地労働者のストライキが「帝国臣民」の権利保護の名の下で行われるなど現地社会への適応を妨げる効果を持ったのである。

 第五章では、一九二〇〜三〇年代を中心に、樺太移住民の政治的動向、特に本国編入問題への対応について扱った。樺太は一九〇五年に獲得された領土であり、住民の殆どは日本本国からの移住民で本国法も準行されていたが、統治領域上は多数の現地民を有する台湾・朝鮮と同列の属領であった。だが、住民の多くは樺太庁の開発行政(総合行政・特別会計)に依存していたため、本国への編入は自明の価値とはならず、むしろ反対運動の対象となった。本国での男子普通選挙実施前後から彼らは参政権獲得運動を起こしたものの、台湾・朝鮮との兼ね合いで政府が樺太の本国行政への編入を参政権付与の前提とするという姿勢を示すと、運動は分裂・途絶した。樺太の本国編入が日米開戦以後と著しく遅滞したのには、住民自身の志向によるところも大きかったのである。

 最後に結論では、以上に扱った移住民の政治的アイデンティティのあり方について、<定住>と<シティズンシップ>という二つの軸の交錯という観点からの説明と比較分析を試み、併せて戦前期における在日朝鮮人の政治参加についてもこの枠組から考察した。

審査要旨 要旨を表示する

 博士学位請求論文『近代日本の移植民と政治的統合』は、帝国期日本における日本人移民の政治的アイデンティティについて、初めて体系的で綿密な検討を加えた論文である。近代は大規模な移民の時代であったが、その中で日本を出発地とする移民の比重は大きなものではなかった。しかし、この少数派の歴史、彼らが自らの社会的地位を諸国家の中でいかに定位したかという問題は、それが国民国家や帝国の形成さなかの出来事であったがゆえに、近代の初期に「国家」や「国民」がいかに形成されたかを知るに恰好の手だても与える。本論文は、このような問題関心に立って、1880年代から1930年代にかけて、内地から北海道・ハワイ・樺太に渡った移民につき、彼らが現地秩序と日本国家についていかなる言説を展開し、自らのアイデンティティを再編していったかを体系的に分析したものである。

 本論文は序論と5章からなる本論、そして結論から構成されている。序論では、まず移民の政治的帰属の問題を整理するため、移住地である植民地と政治支配の及ぶ外地である属領とを概念的に区別した上、それを用いて、帝国日本の属領となった北海道・沖縄・小笠原、および帝国憲法の施行後に属領化された台湾・樺太・朝鮮を通観し、植民地としての性格が最も濃厚なのが北海道と樺太であり、沖縄がその対極に位置することを明かにする。ついで、日本内地からの移住民について統計的観察を行い、北海道移民の人口が一貫して格段に大きな比重を占め、国外ではハワイ・北米・満洲・中南米が主たる移住先だったことを示す。国外植民地のうち本研究が取り上げるのはハワイであるが、ここでは日本人移民がエスニック・マジョリティとなる一方で、現地政府が欧米系移民に簒奪された後、アメリカ合衆国に併合されたため、移民の政治的アイデンティティの変化を観察するに好適の対象である。

 さて、本論の第1章は、日本人移民の検討に先立って、外国人の日本国内への移住に関わる日本人の議論、内地雑居論争を取り扱う。帝国憲法の施行前後に起きたこの論争は、日本のメディアや議会に対し政治秩序をめぐる語彙と枠組を提供した。雑居賛成論者は経済発展のため欧米資本の導入を狙ったが、欧米人による国家簒奪の可能性に無関心だったわけではない。その危険は経済利害の共有と帰化・同化により回避できるだろうし、実際には来住者は稀少に留まるであろう、雑居はむしろ日本人の国外移民を奨励し、勢力拡張を図るはずみとなるだろうと主張している。これに対し、雑居尚早論者は「国民」と「国土」の区別を立て、「国土」が発展しても「固有の民」である「国民」が従属的地位に陥るのは防がねばならぬ、「国土」は「国民」の専有物とすべしと主張し、このような観点から、日本の領土拡張が自明でなかった日清戦争以前には、国外よりも国内の北海道への移民を強調した。本章は、移民における政治参加と国家帰属の意識を分析する諸章の前提をなすものであるが、立憲政治の導入時に政治主体としての「国民」観念が成立し、政論の核に愛国心と政治参加の結合体が定着した様子を分析した論考として、独立の価値も持つと言えよう。

 第2章以下は、日本人移民の現地および日本国家との関係づけの分析である。第2章では、内地編入以前の北海道移民の言説、主に1890年代における本国政府と現地の関係づけに関する彼らの論議を扱い、第3章ではハワイ移民のハワイ参政権問題を1887年の欧米人クーデタと1893年のハワイ革命後について取り上げ、第4章では、アメリカ合衆国による1898年のハワイ併合後、ハワイ在住者が組織した中央日本人会の結成と解体を叙述し、日本国家への帰属を当然視した日本人移民が、ハワイ王国とアメリカから市民権を否定されながら、定着志向を強めていった様子を明らかにし、第5章では、1910年代から40年代の樺太移住民について、本国政府への依存が強かったため、かえって内地化に消極的だった態度を分析している。問題の生じた時間順に各章が配列されているが、以下では、結論の構成に従い、国外植民地としてのハワイと国内植民地としての北海道・樺太に二分して、内容を紹介する。

 ハワイ移住民は当初は出稼ぎ者であった。日本の国籍離脱は想定の中になく、財産を積んで帰国するのが夢であった。ところが、欧米系移民がクーデタによって本国籍を保持したままハワイへの参政権を獲得したとき、日本人移民の一部は、日本への愛国心に駆動され、日本での民権運動を延長する発想で、現地政府への参政権を要求したのである。彼らは欧米系移民と同様、国籍取得ぬきの参政権獲得を当然視し、本国政府の代表に頼って条約上の均霑を要求した。しかし、欧米系移民への均霑は認められず、ハワイがアメリカに併合された後には、参政権はアメリカ市民権の保持者以外には認められなくなったため、彼らの政治的排除は確定した。在留日本人は当時、民間移民を通じてエスニック・マジョリティになりつつあったが、本国で立憲政を手に入れながら、ハワイでは政治的無権利のままとなったことを遺憾とし、1903年、本国の自由党につながる知識人を中心に中央日本人会なる自治組織を設立した。しかし、この組織は、定住志向を強めながら、依然として日本の勢力扶植を目的に掲げる矛盾を蔵し、しかも移民業者・地域・階級それぞれの対立を抱えていたため、短期間で解体した。以後、日本人移民は、永住すなわち日本からの離脱を前提に、アメリカ国籍の取得資格を持つ2世に期待を移し、アメリカへの「愛国心」涵養とその中での日系移民の権利擁護に心を傾けることとなる。著者は、このような日本人ハワイ移民の政治的アイデンティティ変化を、20世紀東南アジア、とくにマレー半島における華人のそれと近いものと考えている。

 これに対し、北海道や樺太への日本人移住者は、領土内での移動であったから、国籍の揺らぎは経験しなかった。しかし、彼らは属領の住民ゆえに現地・中央双方での参政権を持たず、これが文明的な立憲政治下の「国民」という自負と齟齬を来した。台湾・朝鮮と違い、先住民の比重が極めて小さく、人口のほとんどが移住者であったから、彼らの帝国議会への代表選出や自治議会設立の要求、また内地への編入要求は強い正統性を持った。しかし、他方、これらの地域は、属領であるがゆえに、本国政府から手厚い開発保護を受け、自治制を施き、本国の一地方となった場合には望めぬほどの資金を獲得していた。このため、本国直轄の属領統治の継続を参政権や内地編入より重視する勢力も少なくなく、それが政治面の要求を抑制した。この対立はしばしば、属領保護に依存する現地首府と自治や本国編入に期待する地方都市の地域間対立として顕在化している。帝国議会開会直後の箱館に北海道から分離して内地に編入されようという主張が登場したこと、また樺太の内地編入が1943年、さらに衆議院議員選挙法の施行が台湾・朝鮮と同じ1945年まで遅延した背後には、このような事情があった。著者は、同じ移住民が多数派をなした属領であっても、カナダなどのイギリス領ほど自治志向が強くなかったと指摘すると同時に、北海道や樺太が必ずしも国家と国民の一致を求めたわけではなかったと指摘した。

 さて、本論文の価値はどこにあるのだろうか。それは何よりも、今まで近代日本の研究で軽視されてきた日本人移民の政治的アイデンティティについて、初めて体系的な検討を加えた点にある。従来の移民史は、主に移住の動き自体と移民の移住先社会への適応と葛藤の面に重点が置かれ、出発地である日本社会、とくに政治体制との関係は視野の外に置かれてきた。移民という現象はいずれの土地でも出稼ぎとして発生し、当事者にとっては国境をまたぐか否かはさほど意味を持たず、本国への関心も重要でない。しかし、19世紀後半は地球中が国境によって仕切られていった時代でもあって、移民の政治的帰属、現地秩序や本国との関係は、結果から見ると無視できない意味があった。本研究は、日本からの初期の移民が、経済的動機に駆動されつつも、同時期に本国で導入された立憲政にも影響されて、日本への帰属意識を強く植え付けられたこと、それがハワイの場合には国籍を保持したまま参政権を要求する運動を生んだこと、アメリカの併合によってその道が閉ざされとき、やがて日本国家からの離脱の道を選択してゆくことを示した。移民という経済現象と主権国家・国民国家の形成という政治現象を同時に観察することによって、移民のアイデンティティが分節・変化してゆく様子を綿密にトレースする方向を見出したと言えよう。

 第二に、本研究は、帝国形成期の日本国家と日本人が関係した移民・植民現象のうち、ハワイと北海道・樺太に関して、一次史料に基づく徹底的な分析を行った。とくに、樺太の章は政治史としてはこれが最初の本格的研究である。台湾・朝鮮など他地域との比較のために大いに役立つであろう。史料としては主に新聞を用いるが、ハワイで発行された蒟蒻版の手書き新聞をはじめ、史料の探索と解読には並々ならぬ労力を注いでいる。先行研究の参照も怠りなく、史料批判や叙述も慎重に行われているため、今後の移民・国家変動研究にとって、豊かで信頼に値する出発点を与えていると評しうるであろう。

 無論、欠陥がないわけではない。対象地域と論点が多岐に渉るため、論旨の把握が容易でなく、とくにハワイと北海道・樺太とがなぜ対比されているのかが分かりにくい。また、日本からの移民を研究する場合、その本国への帰属意識のみならず、現地民や他地域からの移民との関係も重要なはずであるが、これが捨象されている。日本人移民の多数派が赴いた台湾・朝鮮・満洲が除外されているのもこれに関係するのであろう。該地域に豊富な先行研究と膨大な一次史料があるためとはいえ、物足りない感がするのは否めない。しかし、それは余りにも過大な期待と言うべきである。本研究がとった一次史料からの立論という方法を採る限り、このようなプログラムの完遂にはほとんど一生以上の時間を必要とする。著者が設定したテーマと方法の範囲では、本論文は斬新かつ包括的、しかも極めて緻密で信頼に値する労作と評することができよう。近代の日本と世界に関する研究の中で、近来の力作の一つであることは疑えない。

 本審査委員会は、このように判断し、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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