学位論文要旨



No 119643
著者(漢字) 織田,賢二
著者(英字)
著者(カナ) オダ,ケンジ
標題(和) 共鳴ラマン分光法による Mixed-Valence 型チトクロム c 酸化酵素の反応追跡
標題(洋) Resonance Raman Characterization of Mixed-Valence Cytochrome c Oxidase in the Reaction with Dioxygen
報告番号 119643
報告番号 甲19643
学位授与日 2004.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第522号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 助教授 安田,賢二
 兵庫県立大学 教授 小倉,尚志
内容要旨 要旨を表示する

 チトクロムc酸化酵素(CcO)は、ミトコンドリア電子伝達系にある膜タンパク質で、酸素分子を活性化して水にまで還元する。この電子伝達反応に共役してプロトンが膜の内から外へとポンプされる。ポンプしたプロトンの濃度勾配を利用してATPが合成される。

 CcOには、CuA、ヘムa、ヘムa3、CuBの4つの酸化還元部位があり、ヘムa3-CuBの二核部位で酸素分子の還元反応が起きる。CcOは、酸素分子が4電子還元されて2分子の水になる反応を触媒する。その反応機構に関して主に2つの問題点があった。1つ目は酸素還元機構、2つ目はプロトン輸送と電子伝達との共役機構である。

 CcOの反応メカニズムを明らかにするには、構造を明らかにすることは極めて重要である。X線結晶構造解析などにより原子レベルの立体構造が明らかになっている。この立体構造の情報が反応機構の解明に役立っている。X線結晶構造解析などの静的な立体構造と機能発現の間をつなげているのは、動的構造変化である。完全還元型酵素+O2の反応は、時間分解共鳴ラマン分光法により以下のように進行することが明らかとなっている。Fe2++O2→Fe3+-O2-(1電子還元型"oxy中間体")→Fe5+=OまたはFe4+=O+ラジカル(2電子還元型"P中間体")→Fe4+=O(3電子還元型"F中間体")→Fe3+-OH-(4電子還元型の"H中間体")である。

 酸化型CcOにCOを加えるとMixed-Valence型(MVCcO)ができる。これは酸化型に比べ2電子余分に持つと考えられている。このものにO2を加えると607nmの吸収帯を持つP中間体ができ、それは時間と共に減少するが、減少が止まった8時間後にもP中間体が残っている。測定のしやすさからこれまで8時間後のP中間体が調べられてきたが、はっきりとした構造はわかってない。

 本研究では、このP中間体の構造を明らかにし、どのような過程で反応が進むのかをはっきりさせるためMVCcOとO2の反応開始100μs〜2ms、1分後、8時間後の時間分解共鳴ラマンスペクトルを測定した。

 共鳴ラマン分光法は、CcOのP中間体におけるヘムa3の構造を明らかにする手法として有力である。共鳴ラマン分光法を用いると、ある特定の振動モードのみが観測される。励起レーザーを420nmのヘムのSoret帯にあわせることによってヘムおよびその近傍の振動スペクトルのみを選択的に観測できる。また、時間分解能が高いという利点もある。これらの利点は、共鳴ラマン分光法の特長である。

・ Mixed-Valence型CcOと酸素との反応開始8時間後

 MVCcOに酸素を加えると607nm付近に吸収帯を与える複合体ができ、次にpH6.0、8.0ともに吸収が減少した。吸収の減少速度はpHによって違い、半減期はpH8.0ではt1/2=70min、pH6.0のではt1/2=8minであった。

 MVCcOと酸素との反応において、pHの違いによって吸収スペクトルのふるまいが異なることがわかった。次に安定に存在する反応開始8時間後の構造を明らかにするために共鳴ラマンスペクトルを測定した。

 完全酸化型との差吸収スペクトルは、pH8.0では607nmに吸収ピークがあり、pH7.4、6.0へとpHを下げると607nmの吸収が小さくなり、pH6.0では観測されなかった。反応開始8時間後、pH8.0の423.0nm励起の共鳴ラマンスペクトルには、804cm-1と356cm-1にラマンバンドが現れ、18O2を用いるとこれらはそれぞれ768cm-1と342cm-1に低波数シフトした。16O18Oを用いたときの結果を含めて解析し、P中間体はFe=O型であると帰属した。一方、pH6.0では607nmの吸収帯と同様に804,356cm-1のラマンバンドも観測されなかったので酸性条件ではFe=O型は存在しないことが明らかとなった。

 次に804/768cm-1と356/342cm-1のラマンバンドの励起波長依存性を調べるためMVCcOと酸素との反応における423.0〜441.6nm励起の共鳴ラマンスペクトルを測定した。441.6nm励起では、356cm-1のラマンバンドが観測されなかったが、420〜430nmの範囲の励起波長では356cm-1のラマンバンドが観測された。したがって356cm-1のラマンバンドは804cm-1のものに比べて幅の狭い励起波長依存性を示すことがわかった。

 MVCcOと酸素との反応で生じるP中間体はFe=O型になることがわかった。次にヘムに結合している酸素原子が水素結合しているかどうかを調べた。水素結合しているかどうかは、酵素反応機構を明らかにする上で重要であり、水素結合の有無の重要性は、西洋ワサビペルオキシダーゼの例でよく知られており、D2O中で測定したときFe=O伸縮振動が高波数シフトすることからわかる。そこでD2O中のラマンスペクトルを測定した。結果はD2O中で測定するとFe=O伸縮振動が2cm-1高波数シフトした。このことからヘムに結合した酸素原子は水素結合していることが明らかとなった。水素結合の相手はCuB-OHであると考えられる。

 MVCcOと酸素との反応において反応開始8時間後のヘムの幾何学的な構造が明らかとなった。しかし、P中間体はFe=O型かつ2電子還元状態であるので、FeV=O、FeIV=O+ポルフィリンπカチオンラジカル、FeIV=O+アミノ酸ラジカル、FeIV=O+CuB3+の4つの可能性が考えられ、はっきりとしてない。そこでヘムの構造を敏感に反映する高波数のラマンスペクトルを測定した。酸化型では酸化還元マーカーバンドと呼ばれるν4が1371cm-1に観測され、P中間体と完全酸化型との差スペクトルを計算したところ1377cm-1にν4の強度変化が観測された。P中間体のみの高波数のラマンスペクトルは、いままでにないデータである。今後モデル化合物のラマンスペクトルが測定されることにより、P中間体における酸化当量の局在位置が明らかになることが期待される。

・Mixed-Valence型CcOと酸素との反応開始1分後のラマンスペクトル

 反応開始8時間後の安定な中間体の構造は明らかになったが、607nmの吸収が減少する前の構造はわかっていない。そこで、反応開始1分後の吸収、ラマンスペクトルを測定した。

 反応開始1分後の吸収およびラマンスペクトルは、pH8.0,6.0ともに607nmに吸収ピークを示し、804と356cm-1にラマンバンドを示し、酸性条件下でもP中間体が存在することが明らかとなった。反応開始8時間後の結果とあわせて考慮すると、酸性条件下ではP中間体ができた後に消失していくことを示している。

・ Mixed-Valence型CcOと酸素との反応開始100μs〜2ms後のラマンスペクトル

 pHに関係なく、反応1分後にP中間体ができることが明らかとなった。次にどのような中間体を経てP中間体ができるかをはっきりさせるため、pH6.8,8.0の条件下での反応開始100μs〜2ms後の共鳴ラマンスペクトルを測定した。

 反応開始100μs〜1msの共鳴ラマンスペクトル(pH6.8)には、まずoxy中間体に由来する571cm-1のラマン線が現れ、その減衰に同期してP中間体由来の804および356cm-1のラマン線が現れた。一方、pH8.0ではoxy中間体が減衰しP中間体が生成する速度がおよそ半分に低下した。すなわち、oxy中間体の減衰とそれに同期したP中間体の生成がpH依存性を示すことが明らかとなった。以前の時間分解吸収分光法による報告ではpH6〜9で上述の速度は変化しないとされていた。共鳴ラマン分光法により、この過程がpH依存性を示すことがはっきりとした。

 X線結晶構造解析によりヘムから5Åの位置にY244が存在することがわかっているが、pH8.0ではそれが脱プロトン化している可能性が高い。pH8.0ではY244は脱プロトン化している状態でありH2Oが生成するときのH+を供給することができなく、反応が遅くなったと考えられる。

 本研究より、MVCcOと酸素との反応で生じるP中間体ののヘムa3の構造、P中間体までの酸素還元反応は明らかとなった。今後はタンパク部分の構造変化に目を転じる必要がある。酸素還元の各過程ごとにタンパク部分がどのような構造変化を起こすのかを、紫外共鳴ラマン分光法、赤外分光法などの手法により突き止めることが次の課題である。そのとき、本研究で明らかになった安定なP中間体の調製法が役立つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は、ウシ心筋チトクロムc酸化酵素による酸素還元反応におけるP反応中間体の安定性および活性部位の配位構造について詳しく調べた結果をまとめたものである。

 ミトコンドリア内膜の呼吸鎖電子伝達系の末端にあるチトクロムc酸化酵素(以下、CcOと略す)は、機能単位当り分子量210kDで、ウシ心筋由来のものでは13本の異なるサブユニットからなる。X線結晶構造解析により、原子レベルの立体構造が報告されている。酸化還元部位として2つの銅部位(CuAとCuB)および2つのヘム(ヘムaとヘムa3)を持つ。これら4つの金属部位がすべて還元された完全還元型CcOは4個の電子を持つが、これは酸素分子を還元して2分子の水を生成するのに必要な個数である。CuAは、チトクロムcから電子を受け取り、これをヘムaに渡す。ヘムaは2つのヒスチジン残基に配位された6配位のヘムであり、受け取った電子をヘムa3とCuBからなる酸素還元部位に渡す。ヘムa3は1つのヒスチジンに配位された5配位のヘムであり、第6配位座に分子状酸素が結合し水にまで還元される。CuBはヘムa3の働きを助けると考えられる。なお、ヘムaとa3はタンパクから取り出すと同じヘムAであり、2位にヒドロキシファルネシルエチル基、8位にフォルミル基を持つ点がヘムB(プロトヘム)と異なる。フォルミル基の存在によりヘムAは緑色を呈する特徴がある。ヘムaとヘムa3は、配位環境が異なるため別の機能を果たす。本研究はヘムa3に注目した。CcOは、前述のように分子状酸素を水にまで還元する反応(O2+4H++4e-→2H2O)を触媒するのと同時に水素イオンをマトリクスから膜間空間へ能動輸送するプロトンポンプとして働く。これまでに、4個の電子を持った完全還元型酵素とO2との反応が共鳴ラマン分光法によって詳しく調べられ、571、804、356、785、450cm-1に酸素同位体敏感ラマン線が検出されている。このうち571cm-1は酸素化型反応中間体(Oxy)のFe-O2伸縮振動、785cm-1はフェリル型反応中間体(F)のFe=O伸縮振動、450cm-1は水酸化型反応中間体(H)のFe-OH伸縮振動に帰属されていたが、804cm-1と356cm-1の帰属に関して国際的論争があり、これを解決することが、CcOによる酸素還元の反応機構を明らかにするために重要であった。この論文の主題であるP反応中間体は、最初のOxy中間体とF中間体の間に位置するとされる高酸化状態である。なお、FはFe=Oヘムを持つことが知られており、以下に述べるようにPもFe=Oヘムを持つことが明らかになったが、Pの方が一当量だけ高酸化状態にある。その酸化当量の所在はなお不明であるが、PがFに還元される過程がプロトン移動と連動することが知られている。本研究は、P反応中間体の安定性と配位構造について詳しく調べ、以下に記す新しい知見を得た。

1) 2電子分だけ還元されたMixed-Valence型CcOをO2と反応させてできるP中間体が、22℃でpH8.0において、440分後にも安定であることを示した。このことから、CcOがO2と反応してできる高酸化状態であるP反応中間体は電子の漏れに対して厳重に遮蔽されており、それはプロトンポンプのためのエネルギーを散逸させないために重要であることを指摘した。

2) この安定なP中間体の配位構造を共鳴ラマン分光法で詳しく調べた。P中間体由来の804cm-1のラマン線をFe=O伸縮振動に、356cm-1のラマン線をHis-Fe=O変角振動に帰属した。それをもとにP中間体の配位構造が、His-Fe=O・・・HO-CuBであることを示した。これにより、これまで吸収スペクトルの特徴から"607nm型"とも呼ばれていたP中間体の実体がはっきりした。次にCcOとO2との反応開始後100μs〜2msにおける共鳴ラマンスペクトルを測定し、804cm-1と356cm-1のラマン線強度が同じ時間依存性を示し、これがOxy中間体の減衰に同期して成長することを見出した。すなわち、反応がOxy(571cm-1)→P(804,356cm-1)と進むことを実証した。さらに、この過程がpH8.0ではpH6.8に比べ約1/5に遅くなることを見い出し、その理由はこの過程がH+を必要とするO-O結合切断過程であるためと指摘した。なお、これまで時間分解吸収スペクトルではこのpH依存性は見出されておらず、それはOxyとPの吸収帯が重なっているためと考えられるが、共鳴ラマン法では別々のラマン線を追跡したため観測されたと考えられ、この分光法の有用性を指摘した。

3) 1)、2)の結果と完全還元型CcO+O2の反応のこれまでの結果から、生理的条件でCcOとO2との反応は、

Oxy(Fe-O2,571cm-1)→P(Fe=O,804,356cm-1)→F(Fe=O,785cm-1)→H(Fe-OH,450cm-1)

のように進行することがはっきりした。

 以上にように本論文は生体エネルギー変換の分子機構の理解を一歩前進させるものである。したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク