学位論文要旨



No 119649
著者(漢字) 木口,雅司
著者(英字)
著者(カナ) キグチ,マサシ
標題(和) インドシナ半島における乾季から雨季への季節進行
標題(洋) Seasonal march from the dry season to rainy season over the Indochina Peninsula.
報告番号 119649
報告番号 甲19649
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4584号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 茅根,創
 総合地球環境学研究所 助教授 鼎,信次郎
 東京大学 助教授 高薮,縁
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 春山,成子
内容要旨 要旨を表示する

 夏季アジアモンスーン(ASM)は,対流圏下層・上層でそれぞれ西風・東風が卓越する強い鉛直シアをもつ風系と,年降水量の大半をもたらす降水現象によって特徴付けられる.ASMは東〜南アジアという広い範囲に大きく影響し,特にASMに特徴的な劇的な雨季の開始(オンセット)を伴う乾季から雨季への移行は,田植えの時期などといった人々の営みにも強く結びついて大きな関心を払われてきたばかりでなく,それに伴う大量の潜熱解放は気象学的にも重要な現象のひとつである.

 アジア大陸でASMがもっとも早く始まることを示すインドシナ半島における強い対流の存在は,いくつかの先行研究で示されている(e.g., Webster et al., 1998).Wang and LinHo(2002)は,CMAPのデータからインドシナ半島のモンスーンオンセットはベンガル湾南部から北上することを明らかにした.しかし彼らは指摘しなかったが,インドシナ半島の内陸部でさらに早く始まっていることが示されている.夏の雨季のオンセットを求めたMatsumoto(1997)でもタイの内陸部から雨季が始まり,このような早い雨季のオンセットが中緯度風系の下で迎えることが指摘されている.しかし,この現象を年々で調べてみると,雨季のオンセットが毎年内陸から始まるわけではない(Kiguchi and Matsumoto, 2001).モンスーン循環が確立する前(プレモンスーン期)にこのような深い対流が発生することは,赤道越え西風がインドシナ半島に達するための場の形成に何らかの影響を与えていることが考えられる.だが,これまでプレモンスーン期の降水を研究した事例は少なく,プレモンスーン期の降水現象がどのようなものか,明らかにされていない.

 本研究では,GAME-IOPの行われた1998年を中心に,インドシナ半島における乾季から雨季への移行期(プレモンスーン期)の降水現象,つまり中緯度風系下で起こる降水現象について,客観再解析データと降水量観測データを用いて,その現象の特性と原因を詳細に明らかにし,最終的にインドシナ半島における乾季から雨季への季節進行を明らかにすることを目的とする.

 本研究では,GAME-Tによって得られた,タイ・ラオス・カンボジア各国の日降水量データとGPSデータを用いた.さらに,総観場を調べるために,NCEP/NCAR客観再解析データとNOAAOLRデータを用いた.解析期間は,1979-2002年である.

 OLRの解析から,間欠的な降水現象が4月初め,中旬,5月初めに中緯度から南下していることが示され,降水分布から局地的な降水でないことが分かった.1979-2002年についても,OLRの解析からほぼ毎年プレモンスーン期に間欠的な降水が見られた.日降水量データからも間欠的な降水特性を持つ降水現象がプレモンスーン期に示された.タイにおけるプレモンスーン期の降水現象は,気候学的に主に雷雲による局地的な現象として記述されていた(Nieuwolt, 1981).しかし,日降水量の分布を見ると,このプレモンスーン期の降水現象は広範囲に広がっており,総観規模の現象であることが示された.

 プレモンスーン期の降水現象がどのような場でもたらされているかを,NCEP/NCAR客観再解析データを用いて1998年を中心に総観スケールから記述した.さらに,1979-2002年の24年間における長期間の解析から,乾季から雨季への季節推移を考察した.

 下層大気の加熱,上層大気の冷却,下層大気の湿潤化は,大気を不安定化させるため,降水現象の要因として考えられる.対流圏上層へ寒気の流入が3月上旬と下旬に見られ,対流活動と一致していた.しかし,4月以降の降水イベントの際には,寒気の流入はなかった.モンスーンオンセット以降は,対流圏上層で潜熱解放によると考えられる昇温が顕著である.対流活動をもたらす他の要因として,上層のトラフの通過による上昇流が考えられる.プレモンスーンの降水イベント時,300hPa面でトラフの出現が示され,降雨イベント時にはそのトラフがインドシナ半島のやや西側にあることが明らかになった.対照的に,無降水日にはインドシナ半島の北に強い西風ジェットが存在する.このトラフはチベット高原の南縁を東進し,インドシナ半島を通過する際には大気中層における上昇流が顕著に見られる.対照的にモンスーンオンセット以降には,ジオポテンシャル高度偏差と上昇流との関係はなく,プレモンスーン期のトラフの通過はタイ中央部の鉛直循環を強化していることが示された.

 水蒸気の収束は,降水をもたらす対流活動にとって,欠くことのできないものである.可降水量は降雨イベントの前に増加し,インドシナ半島上の水蒸気量が活発な対流が起こる前に増加していることが分かった.さらに,インドシナ半島へ流入する水蒸気フラックスの解析を行った.925hPa面で多く水蒸気が流入していることが分かった.また,東西風と水蒸気収束の関係から,東風つまり南シナ海からの風が強まるとき,インドシナ半島上の水蒸気量が増加し,逆に西風つまりベンガル湾からの風が卓越するとき,減少することが分かった.より明瞭に示すため,コンポジット解析をした結果,無降水日の特性はモンスーン時と同じであるが,深い対流イベントの時では,東西方向の収束が起きおり,間欠的な降水は,上層のトラフの通過による上昇流の強化によって東からの水蒸気の流入が強化され,それによってもたらされる収束によって起きていることが示された.乾季から雨季への季節進行は,季節進行に伴う太陽高度の上昇や,中緯度偏西風の影響による上層のトラフが蛇行に伴って頻繁に到来する環境であること,そして水蒸気の流入によって特徴づけられる.4月にはすでに海洋大陸並みの大量の水蒸気がインドシナ半島に存在していることが気候値から示された.平均場で見ると,インドシナ半島では,乾季から雨季の移行期にかけて下層の収束域がインドシナ半島の北部から南下することが指摘されている(Matsumoto,1992).しかしインドシナ半島における大量の水蒸気は,間欠的な降水現象がインドシナ半島上で起こることによってもたらされることが示唆された.

 プレモンスーン期の降水現象に伴う潜熱解放は,モンスーン循環の要因とされる海陸間の熱コントラストを強めることが考えられる.そこで,モンスーンオンセットとプレモンスーン期の降水量の相関関係を調べたところ,0.63の正相関であることが示された.このことは,プレモンスーン期の降水量が多いときモンスーンのオンセットが遅いことになり,むしろこの降水現象によってモンスーンオンセットが遅れていることが示された.しかし,この解析では,熱収支解析を行っていないため,さらなる解析が必要と考えられる.近年,インドシナ半島における大気陸面相互作用が注目されている.タイ中央部での森林面積の減少が9月の降水量の現象に影響していることが示されている(Kanae et al., 2001).プレモンスーン期の降水現象が陸面に与える作用を1998年について考察したところ,間欠的な降水現象が潜熱フラックスの増加と顕熱フラックスの減少をもたらしていた.しかし,3月下旬の降水現象以降は,潜熱フラックスが雨季のレベルで一定となる.つまり,陸面は3月下旬以降常に湿っている状態であり,このことがインドシナ半島上の可降水量の上昇に影響を与えていることが示唆された.Tian and Yasunari(1998)は,インドシナ半島における陸面加熱が南風の流入を誘引すると指摘しているが,乾季に顕在する逆転層(Liu,1990)によって対流圏全体の加熱は妨げられていると考えられる.プレモンスーン期の強い対流活動が逆転層を解消し,対流圏全体の加熱をもたらすと考えられるが,さらに解析が必要であろう.

 内陸で早く降りだしている雨はモンスーン性降雨とは異なる特性を持つことが分かった.この雨は連続的ではなく間欠的な降水特性を持つ.平均場によって指摘されていた内陸での早いオンセットは,間欠的な降水現象が平均されることで顕在化したものと考えられる.また,モンスーン性降雨のようにベンガル湾からの下層の南西風によってもたらされるのではなく,チベット高原の南東縁を東進する上層のトラフの通過とそれによって強化される南シナ海からの下層の南または東からの水蒸気流入とによってもたらされることが示され,中緯度風系下でもたらされることが明らかになった.上層のトラフは,中緯度偏西風帯の蛇行に伴ってインドシナ半島へ南下することが分かり,プレモンスーン期のインドシナ半島は,中緯度の影響を強く受けていることが明らかになり,その結果として,水蒸気が大量に存在するようになることが分かった.

審査要旨 要旨を表示する

 夏季の東南アジアモンスーンは,対流圏下層・上層でそれぞれ西風・東風が卓越する強い鉛直シアをもつ風系と,年降水量の大半をもたらす多量の降水によって特徴づけられる.従来,インドをはじめとする南アジアの夏季モンスーンは,「モンスーンの爆発」とも呼ばれるように突然に雨季が始まるとされてきた.一方,インドシナ半島を中心とする東南アジアでは,従来の平均値の解析による研究によって,熱帯のモンスーン循環の開始に先立って,中緯度偏西風の風系下でタイの内陸部から雨季が始まっていることが指摘されていた.しかし,このモンスーン開始前のプレモンスーン期の降水現象については,これまで詳しい研究がなされておらず,その実態は不明であった.

 本研究は,これまで詳細な研究がなされておらずその位置づけが不明だった,インドシナ半島における3月から5月中旬の乾季から雨季への移行期(プレモンスーン期)の降水現象の特性と原因を,客観再解析データや気象衛星観測データ,降水量観測データなどを用いて詳細に明らかにして,本地域のプレモンスーン期の降水の気候学的位置づけについて新しい視点を構築したものである。問題設定は従来の研究の空隙をついており,きわめて独創的な研究と評価できる.

 問題へのアプローチについて,本研究は,対象地域においてもっともデータがそろっている,アジアモンスーンエネルギー水循環研究観測計画(GAME)の集中観測(IOP)が実施された1998年の詳細な解析を先ず行い,さらに1979年から2002年までの24年間の風の客観再解析データや降水量データを用いて,その一般化をはかっており,説得力のある結果を得ることができた.

 結果について,本研究第3,4章では,プレモンスーン期の降水が中緯度からの雲帯の南下に伴って間欠的に起こっていること,これがチベット高原の南縁を東進する上層300hPa面のトラフがインドシナ半島を通過する際に上昇流が発生し,擾乱が発生することを示した.さらにインドシナ半島に流入する水蒸気フラックスの解明によって,南シナ海からの東風によって供給されていることを明らかにして,ベンガル湾からの西風が主要な水蒸気供給源になっているモンスーン期とは,水蒸気の流入過程が全く異なることを示した.大気下層の降水現象を上層の擾乱,水蒸気の供給と結びつけて解析して,プレモンスーン期の降水が,モンスーン期の降水とは異なるメカニズムによって起こることを示したものである.従来の研究は主に降水現象だけの解析によっていたのに対して,総合的な解析によってプレモンスーン期の降水の特徴を明らかにしたことは,本研究の重要な新知見である.

 さらに第5章では,長期的解析によって1998年について明らかになった成果の一般性を検証し,第6章ではプレモンスーン期の降水現象とモンスーンとの関係について解析・考察している.とくに後者において,プレモンスーン期の降水が潜熱フラックスの増加と顕熱フラックスの減少を通じて可降水量を規定している可能性が示唆された.今後,水収支解析に加えて熱収支解析を行うことによって,プレモンスーン期の降水がモンスーンに与える影響をより定量的に明らかにすることが期待される.

 このように本研究は,これまで総合的な解析がほとんど行われていなかったインドシナ半島における夏のモンスーン開始期以前の降水現象を総合的に解析して,その特徴と降水のメカニズムを解明した.その結果,この時期の降水が中緯度風系下で起こる現象であることを示し,これまでモンスーンの一部あるいは移行期と位置づけられていたプレモンスーン期の降水について新しい気候学的位置づけを与えることに成功した.さらに,インドをはじめとする典型的な夏季モンスーンへの移行とは,インドシナ半島が異なっていることをそのメカニズムとともに示した.季節進行におけるプレモンスーン期の位置づけという時間的特徴と,東南アジアとインドなど南アジアとの地域的差異という空間的特徴を初めて示した本研究の意義は,アジアモンスーンの気候研究においてきわめて大きく,また独創的である.今後,本研究ではじめて明らかにされたプレモンスーン期の降水現象を様々な角度から解析することによって,モンスーンや様々な気候現象との関係について,より深い理解への展開に結びつくことが期待される重要な成果といえる.

 なお,本論文第3,4,5,6章の一部は,松本淳との共同研究で共著論文として投稿される予定であるが,論文提出者が主体になって研究を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると認められる。

 上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学,とくに気候学の新しい発展に寄与するものとして高く評価される.以上から,本論文は博士(理学)の学位授与に値すると判断される.

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