学位論文要旨



No 119650
著者(漢字) 纐纈,慎也
著者(英字)
著者(カナ) コウケツ,シンヤ
標題(和) 黒潮続流における前線波動と塩分極小形成
標題(洋) Frontal waves and salinity minimum formation along the Kuroshio Extension
報告番号 119650
報告番号 甲19650
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4585号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,昌宏
 東京大学 教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 本研究の対象海域である日本東方沖は、親潮によってもたらされるオホーツク海起源の低塩・低温・低渦位の水塊と黒潮に輸送される亜熱帯の高温・高塩な水塊が合流・混合することにより、北太平洋中層水が形成される海域として知られている. 北太平洋中層水は、密度26.6-26.9δθ、深度200-800mに存在する鉛直的な塩分極小で特徴付けられ、北太平洋亜熱帯域の中層に広く分布する水塊である.この北太平洋中層水は、千島列島付近の強い鉛直混合及びオホーツク海北西部での海氷形成に伴う高密度水から形成される低渦位の性質を持つ水塊を起源水としており、渦位の輸送を通じて北太平洋の成層構造・循環に影響を与えていると考えられている.また、亜寒帯の豊富な栄養塩を北太平洋亜熱帯の亜表層に供給し、鉛直的な拡散を通じて北太平洋亜熱帯における生物生産に関わる水塊としても注目されている.さらに、北太平洋中層水の循環に伴い亜寒帯表層で大気と接触した水塊が、海洋中層に輸送され、人為起源炭素の隔離に関わる水塊であると考えられている.

 このような北太平洋中層水の形成過程については、その主な形成域は日本東方沖の黒潮続流域であり、黒潮続流域における等密度面混合が重要であること(Yasuda et al. 1996)が指摘されているものの、その具体的な形成プロセスについては明らかではなかった.

 本研究は、黒潮続流における北太平洋中層水の形成過程に関わる具体的な現象として、続流流軸付近において顕著な鉛直的塩分極小構造がしばしば観測されるという事実(図1)に注目する.黒潮続流流軸付近の顕著な塩分極小構造は、過去の研究においてもその存在が指摘されている(例Maximenko et al. 1997; Okuda et al. 2001)が、その詳細な構造は明らかではなかった.本研究では、2001年・2002年の2回にわたり続流流軸付近の詳細な観測を行い、そのデータを解析することで続流における顕著な塩分極小構造の形成過程について明らかにすること、及び、その結果を理論的に解釈することを目的とした.

2 観測資料

 本研究で用いた観測データは、2001年5月〜6月(調査船:高風丸・蒼鷹丸・北光丸・凌風丸)と2002年8月28日〜9月8日(調査船:蒼鷹丸)の2期のものである.2001年の航海においては、CTD・ADCP・LADCPによる観測、2002年の航海においては、CTD・LADCPによる観測を行った.それぞれの観測において水温・塩分・圧力・流速のデータを取得した.

 各々の観測において水平的な構造を調べるために最適内挿法(Le Traon 1990)を用いて水平的に内挿し3次元的な温度・塩分・流速の分布を求め解析を行った.

3 結果

 2001年の観測結果として、黒潮続流中層塩分前線において波長約100kmの波動状構造が存在することが明らかとなった(図2).この波動に伴ない波動の谷では、図1に示したような続流北側の低塩な水塊が続流流軸を横切り貫入し、顕著な塩分極小となっていた.この中層前線波動の谷での貫入は、過去に観測された顕著な塩分極小と対応していると考えられる.また、この中層前線波動は、下流ほどその振幅が大きくなっており、145°E以東では、切離し孤立渦になっている様子が捉えられた.これは、黒潮続流中層における前線波動が渦の切離などの過程を経て、続流流軸付近での混合や流軸を横切る輸送に寄与する可能性を示唆するものである.

 この観測では、続流流軸に沿う方向の観測間隔が前線波動の波長100kmに比べて長かった.より詳細な構造を調べるため、2002年の観測においては、観測領域を限定し5日間という短期間で観測を行った.その結果、観測領域中央に顕著な中層塩分極小を捉え(図3右)、さらに上層においても同程度の波長を持つ波動を捉えることが出来た(図3左).このデータを元に前線波動の構造の詳細を調べると共に、衛星画像からの海面水温データと比較することで波動の伝搬について明らかにした.

 船舶観測期間中の海面水温の前線に見られる擾乱は、約200km波長をもっており、下流方向に約0.2m/sで伝搬していた.一方、船舶による観測で得られた擾乱のスケールは2001年の観測で捉えられた波長と同様約100kmであった.船舶による観測は、5日間かけて下流から上流に向けて行ったため、上流から伝搬してくる波動を観測した場合、波は折畳まれて観測され実際の波長より短く観測される.このことを考慮に入れ、海面水温前線における擾乱の位相速度0.2m/sで船舶によって捉えられた擾乱も移動していたと考えれば、実際の擾乱の波長は、約200kmと推定され海面水温前線における擾乱のスケールと一致する.この事実は、海面水温衛星画像の解析から、過去の研究で報告されていた表層前線波動に対応する波動が中層にも存在し、中層ではその振幅が大きく鉛直的な塩分極小構造を伴うことを示唆している.

 また、本観測で捉えられた黒潮続流における前線波動は渦位の分布にも表われていた(図3).渦位場で擾乱を上・中層で比較すると上層に対し中層の低渦位領域が下流に約1/4波長程度ずれていた.上層における低渦位の水塊は亜熱帯起源の高塩水であり、中層における低渦位水は、親潮によって運ばれてきた低塩な水塊であるため、表・中層で波動の位相がずれて重なった部分では鉛直的に顕著な塩分極小となる.

 黒潮続流は、表層では南が低渦位(層厚が厚い)で北が高渦位(層厚が薄い)であるのに対し、中層では北が低渦位で南が高渦位である.また、鉛直的な流速の変化が大きいため、黒潮続流の流速・成層構造は不安定波動を形成する可能性がある.

観測された波動状構造の成因の物理的解釈を行うため、黒潮続流での観測結果を模した平均場(図4左)のもとで線型不安定解析を行った.その結果、最大成長率を与える不安定波動は、その構造・波長・位相速度が観測と概ね一致していた(図4右).このことから、観測で捉えられた前線波動は表・中層の渦位勾配に起因する不安定波動であると推測された.波動が発達することで、最終的に砕波が起きれば続流によって隔てられている親潮水・黒潮水の混合を促進し、北太平洋中層水の形成に寄与するものと推測される.また、中層の南北渦位傾度を変えた実験を行い、続流中層北側に低渦位の水塊が存在していることが、この不安定波動に必要な条件であることが確認された.このことは、オホーツク海起源の低渦位の水塊が親潮によって続流中層北側に輸送されて来るという黒潮続流特有の成層構造により、大きな水平混合を生み、流軸を横切る輸送を促進する可能性を示唆するものである.

 また、本研究で対象とした黒潮続流における前線波動に伴う流速構造は、メキシコ湾流域における等密度面フロートの挙動と良い一致を示しており、本研究の結果は、続流のみならず、湾流における流軸を横切る水塊交換についても同様のメカニズムが働いている可能性を示唆している.

4 まとめ

 黒潮続流流軸付近について詳細な観測を行い、波長約200kmの波動状構造が中層に存在することを初めて指摘した.この波動状構造は、上層にも存在するが、上層塩分前線の波動の谷に対し中層塩分前線の波動の谷は上流にずれて存在しており、さらに中層の波動の振幅が大きいため、上層前線波動の峰から谷に移行する領域で中層では低塩水が貫入して、過去の研究でも報告されている顕著な塩分極小を形成することが明らかとなった.

 この顕著な塩分極小を伴なう前線波動は、線型不安定解析から、上・中層で南北渦位傾度が逆転しているという黒潮続流の成層構造に起因する不安定波動である可能性が示唆された.前線が不安定に発達することで砕波・渦の切離などの過程を経て続流における等密度面混合・続流を横切る輸送に寄与すると考えられる.

図1 黒潮続流を横切る断面の観測塩分断面分布(本研究の観測より):流軸(▼)中層に33.6psuを下回るような低塩な水塊が北(図右)から貫入している様子がわかる.

図2 中層26.7δθ等密度面上の塩分水平分布:太い破線(黒潮続流表層流軸)に沿って塩分の等値線が南北に込み入った前線に細かいスケール(約100km)の前線波動の存在が確認できる.

図3 25.5δθ(左)と26.8δθ(右)面における渦位前線波動:上層(25.5δθ)の低渦位領域が144°E以西にあるのに対し中層(26.8δθ)の低渦位領域は下流にずれて144°Eを中心として分布している様子が捉えられている.中層低渦位領域は、低塩分親潮水の性質を持つ.

図4 線型不安定解析に用いた平均場(左)と成長率(実線)・位相速度(破線)(右図):成長率最大となる波動の波長は約220km、位相速度下流に0.25m/s、その時の成長率は約5日でe倍になる程度

審査要旨 要旨を表示する

 日本東方の黒潮続流域では、高温・高塩の黒潮水と低温・低塩の親潮水が合流・混合し、北太平洋亜熱帯循環域中層に広く分布する北太平洋中層水が形成されることが知られている。黒潮続流付近では、低塩の親潮水が黒潮続流流軸の中層に貫入することにより形成される顕著な塩分極小がしばしば観測されること、黒潮水と親潮水の混合が急速に進み新しい北太平洋中層水が形成されることが報告されている。しかし、親潮系低塩水の貫入過程の実態とその成因、黒潮水と親潮水の具体的な混合過程については、これまで明らかではなかった。

 論文は5章から成っている。第1章では、導入部として北太平洋中層水の重要性及び過去の研究において示された中層水形成過程と本研究の目的が述べられている。第2章で詳細な海洋観測により黒潮続流中層に本研究で初めて発見された前線波動について、第3章では、さらに詳細な観測による前線波動の3次元的な流速構造・物質分布、波動伝搬特性が述べられる。第4章では、黒潮続流の流速成層構造に対する流体力学的線形安定性が調べられ、観測と理論が良く整合すること、流入する中層低渦位の親潮水の役割について述べられる。第5章で全体のまとめと結論、今後の課題が述べられている。

 本研究では、従来と比較して高解像度の水温塩分流速観測資料を用いて詳細な解析が行なわれた。これら詳細観測の結果、黒潮続流の塩分前線に沿って、位相速度約0.2m/sで下流方向へ伝搬する波長約200kmの前線波動が表層だけでなく、中層にも存在することが初めて明らかになった。この前線波動は、表層と比較して中層の振幅が大きく、また、表層と中層で約1/4波長分位相がずれるために、中層前線波動の谷において低塩親潮水が黒潮系表層高塩分水の下に貫入することによって、顕著な塩分極小構造が形成される。下流に行くにつれ前線波動の振幅は増大し、渦の切離も観測された。これらより、中層前線波動の生成は、親潮水と黒潮水の混合、すなわち北太平洋中層水の形成を促進する過程であることを示唆している。また、直接測定された水平流速場及び診断方程式を用いて推定された鉛直流の解析から、表層前線波動の谷(峰)から峰(谷)での領域で水平流速場が鉛直下向きに反時計周り(時計回り)回転するとともに湧昇(下降)流が存在することが明らかにされた。これらの流速場は、中層前線波動の谷で観測された親潮水の貫入と良く整合していた。

 表層亜熱帯モード水・中層親潮水の存在のために表層で渦位の南北傾度が正・中層で負となる黒潮続流の渦位構造を基本場に反映させ、線型不安定解析を行った。その結果、下流方向へ位相速度約0.25m/sで伝搬する波長約220kmの不安定波動が、成長率最大を示すことが明らかとなった。この波動の波長・伝搬速度・表中層の位相関係などは、観測された前線波動と良く符合しており、表層と中層の擾乱が結合して発達する傾圧不安定波の構造を示していた。また、中層での層厚を変化させ渦位傾度を変えた場合、中層の渦位傾度が大きいほど、観測と同程度の波長を持つ波がより発達するという結果が得られた。これは、黒潮続流にオホーツク海起源の低塩分低渦位の特徴をもつ親潮水が合流することにより、中層低塩水の貫入を伴なう不安定波動を発生させ、黒潮水との混合、すなわち北太平洋中層水の形成を促進する過程が存在することを示唆している.

 一方、本研究で観測・理論両面から得られた前線不安定波動に伴う流動場は、北大西洋湾流域で中層フロートによって観測されているメキシコ湾流の蛇行に伴う流動場とも、鉛直流を含めて整合的であり、広く西岸境界流の前線波動流動場・西岸境界流を横切る物質輸送の説明にも寄与するものと考えられる。

 黒潮続流中層における波長約200kmの前線波動の特定及びその理論付けは、本研究で初めてなされたものであり、独創的であり、優れた研究と評価できる。今後、観測を積み重ね、有限振幅の不安定論を構築することによって、前線を横切る物質輸送、不安定波動による混合の定量化、生物生産への応用など発展が期待できる。また、黒潮続流付近でしばしば観測される顕著な塩分極小構造が不安定前線波動状構造に伴なうものであることを明らかにし、黒潮続流域における黒潮水・親潮水の混合に関わる具体的な現象となり得ることも観測・理論の両面から指摘できている。これらの成果は、中層水塊形成過程の理解に大きく寄与するものであり、学位論文として十分な成果であると判断できる。

 なお、本論文における成果は、安田一郎氏・廣江豊氏との共著論文として近々投稿予定であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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