学位論文要旨



No 119654
著者(漢字) 伊藤,康子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヤスコ
標題(和) 木部分化に関与する細胞外分子の研究
標題(洋) Studies on extracellular molecules involved in xylem development
報告番号 119654
報告番号 甲19654
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4589号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 中野,明彦
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 助教授 西田,生郎
内容要旨 要旨を表示する

 高等植物で発達した維管束は、水や栄養素の通路になる組織である。維管束組織は多種類の細胞からなる組織であるが、個々の細胞が分化運命を獲得する機構については不明な点が多い。植物の細胞分化は基本的には位置依存的で、維管束の細胞分化過程においても細胞の間で情報因子のやりとりが行われていることが予想される。

 ヒャクニチソウ木部細胞分化系では、単離した葉肉細胞をオーキシンとサイトカイニンの存在下で培養することによって、管状要素(TE)分化が同調的に起こる。維管束分化に関する遺伝子の発現解析から、ヒャクニチソウ木部細胞分化系ではTEだけではなく他の木部細胞も分化することが示されている。分化は単細胞で起こることから、分化情報のやり取りは、細胞外、すなわち培地を通じて行われると考えられた。そのため、培養液を用いて様々な細胞の間で起こるアポプラスティックな情報伝達や物質供給の現象を解析することが可能である。

 私は、木部分化に関与する細胞外因子を明らかにするために、ヒャクニチソウ分化系の培養液中に含まれる分子について解析することにした。そして、解析の結果、1.培地中に蓄積するTEのリグニン化に必要なリグニン前駆体、2.オーキシンのみで培養したコンディション培地に存在するTE分化の抑制因子TDIF(TE differentiation inhibitory factor)、のTE分化への関与について明らかにすることができた。

結果と考察

1.木部分化に伴う細胞外へのリグニン前駆体の分泌

 木部分化誘導培地(D培地)でヒャクニチソウ葉肉細胞を培養すると約40%の細胞が同調的にTEへと分化する。また、残りの細胞の一部は木部柔細胞に分化していることが他の研究者らによって報告されている。私はD培地で木部が分化するのに伴い培地中で増減する物質を探すために、まず培地の紫外線吸収スペクトルを測定したところ、TE分化が始まる48時間目から280nmと340nmの吸収ピークが増加した。一方で、TE分化がほとんど起こらないCp培地では、培地の紫外線吸収度は顕著に増加しなかった。そのため、培地中に紫外線吸収物質が蓄積する現象は木部分化特異的なものであることがわかった(図1)。

 培地中のタンパク質とフェノール化合物を定量したところ、紫外線吸収の増加はフェノール化合物の増加によるものと予想されたので、紫外線吸収物質の構成を調べるために逆相薄層クロマトグラフィーで解析した。その結果、コニフェリルアルコールに類似した物質を含むD培地特異的なa〜nのバンドが検出された(図2)。培養84時間目にphenylalanine ammonia-lyase(PAL)の阻害剤L-α-aminooxy-β-phenylpropionic acid(AOPP)を与えるとl以外の物質は培地中に蓄積されなくなったため、これらはフェニルプロパノイドと考えられた。さらに、培養液にAOPPを与えるとTEのリグニン化が阻害されるが、60%メタノール抽出液をAOPPと共に培養細胞に供給するとリグニン化が回復した。このことはフェニルプロパノイドの一部はリグニン前駆体であると考えられる。

 培地中への紫外線吸収物質の蓄積はほとんどのTEが細胞質を失った84時間目以降も増加し続けたため、これらの物質はTE以外の細胞に由来することが考えられた。84時間目に小胞分泌の阻害剤であるbrefeldin A(BFA)を添加すると、l以外の紫外線吸収物質の培地中への蓄積が阻害されたため、TE以外の生細胞が小胞輸送機構を使って積極的に細胞外に分泌していることが示唆された。

 ウニコナゾールでブラシノステロイド合成を阻害するとTE分化が抑制されるが、さらにブラシノライドを添加すると回復する。この時の紫外線吸収物質の培地への蓄積パターンを調べた結果、ウニコナゾールを与えてTE分化が抑制されても、紫外線吸収物質は増加し続けた。この結果は、リグニン前駆体を含めた紫外線吸収物質の分泌はブラシノステロイドにより影響されないことを示している。

2.TE分化抑制因子(TDIF)

 ヒャクニチソウTE分化系では、約40%の葉肉細胞がTEに分化すると、それ以上の細胞はTEに分化しなくなる。また、植物ホルモンのサイトカイニン濃度が0または0.001mg/Lと減少した培地において、維管束分化のマーカー遺伝子はある程度発現するものの、その発現量はほとんど増加しないか減少する。これらの結果は、ある種の分化抑制因子が木部細胞分化に関与している可能性を示唆している。そこで私はTE分化の抑制因子を探索することにした。

 まず、様々な画分をバイオアッセイしたところ、20%メタノール抽出画分に阻害活性が見つかった。次に異なる植物ホルモン組成の培地で細胞を72時間培養し、その培地(コンディション培地)の20%メタノール画分の阻害活性を調べた(図3)。D培地のコンディション培地はTE分化を抑制する効果は無いか、あるいは低かった。一方でヒャクニチソウの培養系で用いられている4種類のコントロール培地で培養した時のコンディション培地に含まれるTE分化抑制活性を調べると、オーキシンのみで培養するCN条件で強いTE分化抑制活性が見られた。また、ホルモンフリー、サイトカイニンのみで培養したコンディション培地中のTE分化抑制活性は低かった。

 D培地とCN培地で抑制活性の経時的変化を比較すると、CN培地では36時間目から活性が見られて、培養時間が長くなるほど蓄積した。D培地では60時間目から活性が見られたが、CN培地と比較して弱かった。そこで、このCN培地に含まれるTE分化抑制因子をTDIF(TE differentiation inhibitory factor)と呼ぶことにした。D培地で72時間培養したコンディション培地の高分子画分にはTDIFを打ち消してTE分化を回復させる活性があった。そのため、D培地ではTDIFと回復因子とのバランスでTE分化が起こることが予想された。

 TDIFをD培地に0時間目に与えると、TE分化は抑制されるが、細胞分裂はむしろ促進された(図4)。したがって、このTDIFは細胞活性の低下因子ではなく、TE分化に関連する抑制因子であると考えられた。そこで、TDIFによる管状要素分化の阻害様式を調べた。TDIFは培養36時間目までに与えるとTE分化の阻害効果が見られ、また、TDIFによってTEの分化が抑制されるとき、WGA-FITCで染色されるような二次壁肥厚の開始が抑制された。次に、TE分化各ステージのマーカー遺伝子の発現をRNAゲルブロット解析で調べた。TED3,TED4,CAD1のような未成熟な木部で発現する遺伝子はTDIF存在下でも、ほぼコントロールと同様に発現した。TE分化特異的な遺伝子ZCP4はコントロールと比較して発現が抑制されていた。これらのことから、TDIFは未成熟な木部からTEへ分化する過程を阻害すると考えられた。

 次にTDIFの性質を解析した。pronase Eで処理すると抑制活性が失われ、ゲルろ過クロマトグラフィーにより分子量は1000から3000Daと見積もられたことから、TDIFはペプチドであると予想された。HPLCにより最終的に2つの抑制活性画分が得られた。

まとめと展望

本研究では、木部分化に関わる細胞外分子を解析した結果、

 1)ヒャクニチソウTE分化系にはTEの他にリグニン前駆体を分泌する細胞が存在し、その細胞は小胞輸送を使って細胞外にリグニン前駆体を分泌している。

 2)ブラシノステロイドはTE分化には必須であるが、リグニン前駆体の分泌には必要ではない。

 3)オーキシンのみで培養したコンディション培地にはTE分化を抑制するペプチド因子(TDIF)が存在する。

 4)TDIFは未成熟な木部からTEへ分化する過程を阻害するが、細胞分裂は阻害しない。

 5)TE分化誘導をしたコンディション培地にはTDIFの効果を打ち消す活性がある。

ことを明らかにした。

 培地を介したリグニン前駆体の供給については以下のように考えられた。リグニン前駆体は二次壁肥厚に先立って、未成熟な木部細胞から分泌される。一部の細胞が管状要素に分化して二次壁肥厚が始まると、細胞外に蓄積した前駆体は二次壁上にあるペルオキシダーゼやラッカーゼによって重合され、二次壁のリグニン沈着が始まる。管状要素が自己分解により細胞質を失った後は、管状要素に分化しなかった細胞が前駆体を分泌し続けて培地を介して管状要素の二次壁に供給されるため、二次壁のリグニン化がさらに進む。

 TDIFはオーキシン存在下で発現誘導され、培地中に分泌される。これにより管状要素分化が抑制される。一方で、オーキシン、サイトカイニンの両方の作用で葉肉細胞が管状要素分化に向かう時には、TDIFが培地中に蓄積するだけではなく、その効果を打ち消すような因子も同時に細胞外に蓄積するため、管状要素分化が促進される。

 今後はTDIFの単離とその遺伝子の同定が第一に必要になる。これにより、TDIFのin situでの機能を明らかにできると考えている。

図1

図2

図3

図4

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、第1章では、Prefaceとして、この研究の背景と研究を始めるにあたっての動機について述べられている。第2章では本研究で使われた材料と方法について詳述されている。第3章、4章は研究の結果とその考察であり、第3章では、異なる木部細胞間でのアポプラストを介したフェノール性物質のやりとりについて、第4章では木部細胞分化を阻害する新規の細胞間シグナル分子について述べられている。第5章では得られた結果を受けて、総合的に木部分化過程で働く細胞間相互作用について考察している。

 高等植物で発達した維管束は、水や栄養素を個体の隅々まで運搬する通路として、また、機械的に個体を支持する骨格として生命の根幹に関わる組織である。維管束組織は多種類の細胞によって複雑に構築された組織である。維管束組織では、個々の細胞が自身の分化運命を獲得するためにも、また細胞機能を発揮するためにも細胞間の相互作用が働いていると予測されているが、その分子機構についてはほとんど明らかになっていない。論文提出者は、この維管束組織内で働く細胞間相互作用を解くために、ヒャクニチソウ木部分化細胞培養系を用いた。この分化系では、単離した葉肉細胞をオーキシンとサイトカイニンの存在下で培養することによって、管状要素と木部柔細胞が同調的に分化する。そのとき、分化情報のやり取りは、細胞外、すなわち培地を通じて行われると考えられた。そのため、培養液を用いて、アポプラスティックな情報伝達や物質供給を解析することが可能であると考えたためである。そして、ヒャクニチソウ実験系を用いて、木部細胞間に存在する相互作用を物質レベルで証明することに成功した。

 論文提出者は2つの細胞間相互作用因子に注目した。1つは、木部柔細胞と管状要素間の相互作用因子、他の1つは、管状要素の分化決定阻害に係わる細胞外因子である。

 前者に関する最初の発見は培地の紫外線吸収スペクトルの測定から得られた。論文提出者は、木部分化特異的な280nmと340nmの吸収ピークを発見したのである。詳細な解析の結果、紫外線吸収の増加はコニフェリルアルコールに類似した物質を含む複数のフェニルプロパノイド由来の物質であることが明らかとなった。興味深いことに、これらの紫外線吸収物質は、管状要素からだけでなくそれ以外の木部柔細胞と予想される生細胞から小胞輸送系を介して分泌され、すでに死んでいる管状要素の細胞壁上でリグニンとして重合されることが明らかとなった。この事実は、木部柔細胞が管状要素に対して、細胞壁物質をアポプラストを介して供給し続けることを物語っている。また、ブラシノステロイド合成阻害剤を用いた実験から、ブラシノステロイドによる木部柔細胞と管状要素分化誘導の違いが初めて示され、植物体における2つの細胞タイプの分化調節に関する重要な知見となった。

 次に、論文提出者は、「ある種の分化抑制因子が木部細胞分化に関与している」という可能性を検討するために、管状要素分化の抑制因子を探索した。そして、培地の20%メタノール抽出画分に阻害活性を発見した。この阻害活性のもととなる因子をTDIF(TE differentiation inhibitory factor;管状要素分化抑制因子)と名付け、さらに研究を進めた。そして、TDIFはオーキシンで誘導されること、細胞分裂には影響せず、管状要素分化のみを抑制することが明らかとなった。次に、TDIFによる管状要素分化の阻害様式を遺伝子マーカー、細胞マーカーなどを用いて詳細に調べた。その結果、この因子は分化の最終ステージへの移行を阻害する因子であることが明らかとなった。そこで、TDIFの性質を解析した。pronase Eで処理すると抑制活性が失われ、ゲルろ過クロマトグラフィーにより分子量は1000から3000Daと見積もられたことから、TDIFはペプチドであると予想された。これらの基本的な性質をもとに、HPLCを用いた陽イオン交換クロマトグラフィー、ゲルろ過クロマトグラフィー、逆相クロマトグラフィーを行い、最終的にTDIFの部分精製に成功した。この因子はこれまで全く報告のないもので、新シグナル因子の発見となった。

 なお、本論文第3章の一部は徳永順士、佐藤康、福田裕穂氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 ここに得られた結果の多くは新知見であり、いずれもこの分野の研究の進展に重要な示唆を与えるものであり、かつ本人が自立して研究活動を行うのに十分な高度の研究能力と学識を有することを示すものである。よって、伊藤康子提出の論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める。

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