学位論文要旨



No 119658
著者(漢字) 日比野,拓
著者(英字)
著者(カナ) ヒビノ,タク
標題(和) 棘皮動物の体軸関連遺伝子に関する研究
標題(洋) Studies on the genes related to the echinoderm body axes
報告番号 119658
報告番号 甲19658
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4593号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 名誉教授 雨宮,昭南
内容要旨 要旨を表示する

序論

 左右相称動物は方向性のある三つの体軸を持っている。このうち前後軸はHox クラスター遺伝子のcolinearity より定義づけられ、広く左右相称動物に保存されている。一方、背腹軸の対応関係は、昆虫と脊椎動物との器官の配置から軸の逆転が生じていることが提唱され、論議の的となってきた。近年の分子生物学的研究は背腹軸のパターン形成のシグナル分子メカニズムが昆虫と脊椎動物で逆転していることを示し、背腹軸の逆転を支持した。一方、この背腹軸の逆転が左右相称動物の系統のどの段階で生じているのか、背腹軸の逆転によって左右軸はどのように変化しているのか、という疑問に関する知見はほとんど得られていなかった。

 前後軸と背腹軸が定義づけられると左右軸は自動的に決まるが、左右非対称な器官の形成は発生のより後期に始まる。脊索動物ではこの非対称な器官配置を一つの分子pathway が発生制御していることが明らかになってきた。本研究で私は脊索動物門で保存されている左右非対称性確立分子pathway が脊索動物門と近縁関係にある棘皮動物にも保存されているのかを明らかにすることを試みた。さらに、本研究で明らかになった棘皮動物と脊索動物との間に生じている左右軸の逆転を元に、左右相称動物の体軸の対応関係に対して、議論を加えた。

PART 1: 棘皮動物幼生の右側での転写因子Pitx の発現

 脊索動物の左右非対称性確立分子pathway の中で、現在調べられているもっとも下流で働く遺伝子が転写因子Pitx2である。脊椎動物のPitx2 だけでなく、ホヤ・ナメクジウオのPitx も体の左側で発現することが知られている。棘皮動物でもこのPitx の非対称な発現パターンが保存されているのかどうかを明らかにするため、この遺伝子をウニとヒトデからそれぞれ単離し、in situ hybridization により発現パターンを調べた。

結果)ウニのプリズム幼生では左右相称にPMC クラスターが形成されるが、Pitx の発現は最初この左右両PMC クラスター各々の一つの細胞で観察された(Fig.1A)。この発現はすぐに消失し、その後初期二腕プルテウス幼生の右側体腔嚢と右側外胚葉(右腕の先端で強いシグナル)に、つまり左右非対称な発現を示した(Fig.1B,C)。ヒトデのビピンナリア幼生でもPitx は右側体腔嚢、右側外胚葉(繊毛帯に強いシグナル)と口の右側というウニと同様に非対称な発現が見られた(Fig.1D)。

考察)棘皮動物のPitx も脊索動物同様に左右非対称に発現したことから、Pitx が後口動物全体に渡って左右非対称確立の中枢的な役割を果たしていると考えられる。一方、脊索動物の左側で発現するPitx が棘皮動物では右側で非対称に発現していることにより、二つの動物門で左右軸が逆転していることが示唆される。

PART 2: イオン流動と左右非対称性への関与

 棘皮動物と脊索動物との間に共通の左右非対称性分子pathway が働いていることをより確かなものとするために、脊索動物で分子pathway の上流で働くメカニズムがウニにおいて保存されているかどうかを調べた。脊椎動物の初期胚において、H+,K+,Ca2+イオンの非対称な局在が下流の遺伝子の非対称な発現をコントロールしていることが知られている。ウニの初期胚においてもこのメカニズムが機能していることを明らかにするために、H+,K+イオン輸送装置HK-ATPase を阻害するomeprazole,SCH28080,lansoprazole 、またCa2+ のイオン濃度を上昇させるcalcium ionophore A23187 を、時間を区切って処理し、非対称発現をする分子マーカーHpNot,HpFoxFQ-like で効果を調べた。

結果)上記三種類のHK-ATPase 阻害剤を原腸胚期から2 腕プルテウス期(24-42h)まで処理した場合、HpNot は正常胚と同じ局在パターンを示した(Fig.2B-C)。一方、omeprazole を受精卵から孵化胞胚期(0-12h)、孵化胞胚期から原腸胚期(12-24h)まで処理をすると、HpNot,HpFoxFQ-like の非対称な発現パターンが左右相称へとかく乱される例が40%以上見られた(Fig.2A,E-H)。次にA23187 処理を行ったところ、0-12h 処理の場合ではHpNot は正常胚と同じパターンを(Fig.2J)、12-24h 処理をするとomeprazole 処理での効果と類似した左右相称なかく乱パターンを示した(Fig.2K)。24-42h 処理した場合は0-42h 処理と同様に非対称な発現パターンの左右の逆転が観察された(Fig.2D,I,L)。

考察)omeprazole の効果は受精卵から原腸胚期まで、とくに受精卵から孵化胞胚期までの処理で十分に非対称発現の分子マーカーを左右相称なパターンへとかく乱できることが明らかになった。カエルではomeprazole などのHK-ATPase 阻害剤を初期卵割期から胞胚期に処理したときに、ニワトリではヘンゼン結節出現の前までに処理したときに、分子マーカーを左右相称パターンへとかく乱する効果が知られている。ゆえにウニと脊椎動物でHK-ATPase を用いたイオン流動による共通の非対称性メカニズムが機能していることが示唆される。石井らの抗体染色実験によりHK-ATPase-like なタンパクがウニの32 細胞期の一つの細胞に局在し、卵割期まで見られていることは、今回のomeprazole によるかく乱効果のタイミングと一致する。一方、ウニ胚をA23187 処理したときでは、omeprazole よりも後の時期に効果があることが明らかになった。カエルでは神経胚期にA23187 で処理したときに器官の左右性が逆転していることが知られている。ウニと脊椎動物で共通のCa2+の濃度勾配による非対称性メカニズムが存在することが示唆される。

PART 3: ウニ系統内でのBrachyury の発現パターンの保存性と異所性

 背腹軸の逆転は口が背腹の反対の位置に置き換わることで起こったという仮説がある。PART1 より、棘皮動物Pitx は口陥での発現は見られなかった(Fig.3A)。一方脊椎動物Pitx1,2 は口陥で発現する。PART2 よりウニのNot は口陥で発現していた(Fig.3B)。反対に脊椎動物Not の口陥での発現は見られない。このような2 つの動物門間での口陥での発現パターンの相違は上記の仮説を支持する。両方の動物門でNot と類似した発現パターンを示す遺伝子にBra がある。4 種の近縁なウニでBra の発現パターンが報告されているものの、口陥での発現の保存性は曖昧であった。ゆえに、バフンウニで再度Bra をクローニングし、その発現パターンを調べた。

結果)バフンウニから再度クローニングしたBra cDNA の配列や発現パターンは他の近縁なウニでの報告と酷似しており(Fig.3C)、以前報告されたバフンウニBra の発現パターンはクローニングの際に人工的に結合した無関係な遺伝子に起因するということが明らかになった。また4 種のカシパンでBra の発現パターンを調べたところ、発現パターンの変化はあるものの(Fig.3D)、原口と口陥での発現はすべてのウニで保存されていることが明らかになった。

考察)Bra もNot と同様、ウニの口陥で発現している。一方、脊椎動物では口陥で発現が見られず、Spemann organizer 領域に発現が見られる。また脊索動物のorganizer で機能する遺伝子がウニの口陥で発現している例が他にもいくつか見つかっている。ゆえに、脊索動物の系統でBra,Not などを用いて形成される口を失い、Pitx を用いて形成される口を新たに獲得したと考えられる。

結論

 PART1,2 の結果を統合すると、棘皮動物と脊索動物との間で共通の左右非対称性分子pathway が働いていることが示唆される。その一方で、Pitx の発現パターンの比較から、2 つの動物門の間で左右軸が逆転していることが考えられる。ウニを含めすべての左右相称動物で前後軸は保存されている。背腹軸のパターニングに関わるBMP4 (dpp)遺伝子活性は昆虫とウニでは背側化、一方脊索動物では腹側化を示す。これらの結果から脊索動物の系統で背腹軸と左右軸の両軸の対応関係が逆転していることが示唆される。PART3 により口陥での発現する遺伝子が棘皮動物と脊索動物で相違していることから脊索動物で新たな口が開いたことが考えられる。新たな口が背腹軸に沿って反対側に出現すれば、内在的な軸形成メカニズムを何も変える事なしに、背腹軸と左右軸は逆転する。個々の動物に対する背腹の伝統的な命名と、軸形成メカニズムによって形成される内在的な軸の方向性とは必ずしも対応していないことが、今回の研究結果から実証を挙げて示すことができた。

Fig.1.棘皮動物Pitxの発現パターン。(A)バフンウニプリズム幼生。(B,C)2腕プルテウス幼生。(D)イトマキヒトデロ形成期。(arrow)PMCでの発現。(arrowhead)右体腔嚢での発現。(double arrowhead)右外胚葉での発現。(1c)左体腔嚢,(rc)右体腔嚢,(mo)口,(st)胃。

Fig.2イオン流動阻害によるHpNotの発現パターンのかく乱。(A)かく乱パターンの7つの分類。(B)HpNot正常パターン。(C,D)24-42h処理の発現パターンの分布。(E,F)omeprazoleの処理の代表的なHpNotのかく乱パターン。(H,I)omeprazole処理のHpNotかく乱分布。(J)A23187処理の代表的なHpNotのかく乱パターン。(K-M)A23187処理のHpNotのかく乱分布。

Fig.3.原腸胚期の予定口陥領域での発現パターンの比較。(A)HpPitxは予定口陥領域での発現はない。(B)HpNot。(C)バフンウニHpBra。(D)ハスノハカシパンSmiBra。(arrowhead)原腸の口側での発現。(arrow)予定口陥領域での発現。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章より構成されている。第1章では脊索動物の左右非対称性確立分子経路の中で、もっとも下流で働くことが知られている遺伝子Pitx2のオルソロガス遺伝子をウニとヒトデからそれぞれ単離し、発現パターンを調べた。ウニ、ヒトデともにPitxは幼生の右側体腔嚢と右側外胚葉に発現し、著しい左右非対称な発現を示した。この発現パターンから、Pitxが後口動物全体に渡って左右非対称性確立に関与していることが示唆された。一方、脊索動物の左側で発現するPitxが棘皮動物では右側で発現していることにより、二つの動物門で左右軸が逆転していることが考えられた。

 これまで棘皮動物と脊索動物は近縁な動物門であると考えられてはいるものの、両者間の形態差があまりに大きいことにより、比較生物学的知見は乏しかった。この第1章の研究成果は、棘皮動物と脊索動物が著しい形態差を示すにも関わらず、形態形成に関わる分子メカニズムの少なくとも一部を共有することを示したことは重要である。また分子メカニズムの相同性に基づき、体軸の逆転という進化の重要な問題に取り組む手がかりを与えたことは高く評価される。

 第2章では、脊索動物で知られているH+, K+, Ca2+イオンの非対称局在による下流遺伝子の非対称発現のコントロールが、棘皮動物ウニの初期胚においても働いているかを調べた。H+, K+イオン輸送装置HK-ATPaseの阻害剤とCa2+イオン濃度上昇剤を、時間を区切って投与し、非対称発現をするHpNot, HpFoxFQ-likeの発現に対するかく乱効果を調べた。この結果から、ウニと脊椎動物でHK-ATPaseを用いたイオン流動、またCa2+の濃度勾配による共通の非対称性確立メカニズムが機能していることが示唆された。

 この第2章ではウニの左右非対称性形成に関わると思われる遺伝子の非対称な発現を支配する上流の分子機構を解析し、脊索動物同様イオンの非対称な局在が重要な役割を果たしていることを示す結果を得、脊索動物、棘皮動物の左右非対称性確立機構の共通性を更に明らかにした点が評価される。HK-ATPaseが実際ウニのゲノム中に存在し、初期胚において非対称な局在をしているのかどうかについては今後の課題になると思うが、今回の結果は棘皮動物の非対称な形態形成にどのようなメカニズムが働いているのかという壮大な問題に関する最初のステップとして意義深い研究であり、またこの研究を通して棘皮動物の非対称性の研究が今後発展していくことが期待できる。

 第3章では脊索動物の共通祖先において、口が背腹の反対の位置に置き換わることによって背腹軸の逆転が起こったという仮説を分子生物学的手法を用いて検証した。棘皮動物と脊索動物との間で Pitx, Not, Braの口陥での発現の保存性を調べた。これらの結果から脊索動物の共通祖先でBra, Notなどを用いて形成される口が失なわれ、Pitxを用いて形成される口が新たに獲得されたことが示唆された。

 200年以上も前から節足動物と脊椎動物の間で背腹軸が逆転しているのではないかという議論が続いている。第3章の結果は分子生物学的な解析によりこの仮説をサポートする知見を与えた点で高く評価できる。また第1章で見出した脊索動物と棘皮動物の間の左右軸の逆転も、実は背腹軸の逆転によることを明らかにした点は、後口動物の基本的な体制の進化の理解に極めて大きな貢献をしている。

 日比野拓君は当初、現存の棘皮動物の中でもっとも原始的なウミユリを用いて研究を行ってきた。ウミユリの発生を世界で初めて観察し、ウミユリの幼生形態は繊毛帯をもつオーリクラリア型であることを明らかにし、この結果はNature誌に発表された。棘皮動物の中で原始的なウミユリもまた左側体腔嚢から成体を形成するという左右非対称性を示すことから、棘皮動物の左右非対称性のメカニズムに関しての研究へと移行し、またこの結果から左右相称動物の体軸の関連性についての議論を本論文で発表した。このようにひとつの動物や動物門にとどまらず、動物門を超えた大きな進化のメカニズムに関して研究を進めていったチャレンジ精神は評価に値するものである。伝統的な比較生物学は類似した形態を比較することにより、進化の道筋を研究するものであった。一方、本研究では大きく多様化した形態であっても、その形態の根本をつかさどる分子メカニズムには共通性が存在することを示している点はたいへん優れた成果である。この研究をもとに、棘皮動物の中に潜む脊索動物と共通のメカニズムが今後も発見され、われわれヒトを含む脊索動物の形態形成がどのような進化の道筋をたどってきたのかが明らかになることが期待できる。

 なお、本論文の第3章は原田淑人、美濃川拓哉、野中勝、雨宮昭南との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上から論文提出者は専攻分野について独創的な研究活動を行い、またはその他の高度に専門的な業務に従事するのに必要な研究能力を有すると認められ、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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