学位論文要旨



No 119662
著者(漢字) 高橋,俊守
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,トシモリ
標題(和) ハイパースペクトルリモートセンシングを用いた河川生態系の計測と評価に関する研究
標題(洋) A Study on Measurement and Evaluation of River Ecosystem using Hyperspectral Remote Sensing
報告番号 119662
報告番号 甲19662
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5867号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 六川,修一
 東京大学 助教授 沖,大幹
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要旨

 河川法の改正や自然再生法の施行に見られるように,近年我が国においては,河川を含む流域圏の生態系を保全し,再生する必要性が求められている.流域圏の基軸を担う河川においては,生態系への関心が特に高まりつつある.このため,国土交通省や自治体によって,河川環境の基礎情報の収集を目的とした「河川水辺の国勢調査」が実施されるなど,河川生態系を対象としたモニタリングも開始されている.

 しかしながら,河川生態系は非常に複雑な構造を示し,さらに洪水等によって変動し易い動的な生態系であるため,生態系のモニタリングを,地上観測によってのみ達成することは極めて困難である.さらに,従来のモニタリングは,生態系における生物種あるいは生物種群が観測の主要な対象とされ,生態系の物質循環を解明するために必要不可欠なバイオマスや生化学量については,面的な観測が困難であることもあり,ほとんど計測の対象とされてこなかった.

 広域を反復して観測できるリモートセンシングは,生態系の動態を効率的にモニタリングする手法となることが期待されてきた.かつては,空間分解能や波長分解能に制約があり,河川生態系において十分な成果を挙げることが困難であったが,近年の科学技術の進歩によって,高い空間分解能や波長分解能で対象物を観測可能なセンサが実用されるようになり,その応用可能性が高まった.特に,高い波長分解能で観測可能なハイパースペクトルリモートセンシングは,分類精度の向上,分類クラスの増加,バイオマスの推定精度の向上,植物体内の生化学量の計測等を可能とする計測技術として,河川生態系のモニタリングにとって必要不可欠である.

 本研究は,ハイパースペクトルリモートセンシングの手法を用いて,実験室,地上及び空中から多段階観測を行うことによって,河川生態系における植生の分類,葉面積指数(LAI)及びリグニン量を計測する手法を開発することを目的とする.このために,河川生態系における河道内植生を観測対象として,実験室,地上,空中からのハイパースペクトル観測を多段階に実施し,それぞれの目的を達成するための最適な手法を研究開発する.

 本研究における植生の分類では,航空機ハイパースペクトルデータによって取得されたイメージを用いて,画像解析によって河道内植生の樹林と草地,さらには特定の植物群落の分布域を識別する.このため,複数の方法を適用して解析を行い,最も高い精度で分類を達成可能な分類手法を同定する.さらに,航空機ハイパースペクトルデータに植生GISデータをオーバーレイし,特定の植物群落のスペクトルを求めることで,得られたスペクトル情報を用いて,河川管理上の課題となっている侵略的外来種等の特定の植物群落の分布域を効率的に識別し,分布域を推定することが可能となる.

 本研究におけるLAIの推定は,河道内植生におけるLAIに対するスペクトルの感度特性の分析と,LAI推定モデルの同定によって実現する.まず,地上観測によって,河道内植生のスペクトルと,スペクトルに影響を与える可能性のある,植物の種組成,植被率,植生高,表層土壌水分等の環境要因の観測を同時に行う.取得したデータセットを用いて,LAIや環境要因に対するスペクトルの感度特性を分析し,LAIに対する感度が高く,無関係の環境要因の影響を受けにくい波長帯域を特定する.本研究では,隣接する2波長を組み合わせて算出した植生指数(VI)が,LAIと比較的線形な関係を示すこと,LAIに対するスペクトルの感度特性は,草地と樹林で異なることに注目した.植生の分類によって得られた樹林と草地の推定分布域と,最適なVIを用いたLAI推定モデルを組み合わせ,航空機ハイパースペクトルデータに適用することで得られる,LAIの空間分布図を提示する.

 本研究におけるリグニンの推定は,河道内植生に対する適切なリグニン定量分析法の選択と,リグニン量推定モデルの同定によって実現する.まず,研究対象域において主要な植物種のリターや生葉を採取し,酸性デタージェント法と改良アセチルブロマイド法の複数の手法を適用してリグニンの定量分析を行い,分析結果やそれぞれの手法の特徴を比較した上で,河道内植生に適用可能なリグニンの定量分析法を特定する.本研究では,草本植物におけるリグニン量を定量可能な,改良アセチルブロマイド法に着目した.次に,実験室においてハイパースペクトル観測を実施し,スペクトルを用いてリグニン量を推定する手法を開発する.なお,リグニンは,3つの化学構造単位に分けられ,その存在比率は植物の分類学的区分によって異なることが知られていることから,リグニン量を安定して推定可能なデータ区分について提案する.

 本論文の構成は,河道内植生の概要,河道内植生の分類と識別,LAIに対するスペクトル感度特性の解析,河道内植生におけるLAIの空間分布推定,近赤外スペクトルによるリグニン量の推定,河道内植生におけるリグニン量の空間分布推定から成り立っている.本論文の個々の章において記述された要素は,次の通りである.

 第1章では,本研究における社会的背景と河川生態系の観測と評価の現状について総論を述べ,ハイパースペクトルリモートセンシングによる観測の合理性,必要性を提示する.次に,本研究の概念を述べ,ハイパースペクトルリモートセンシングを用いた先行した研究について,バイオマス及び生化学量推定の観点から要約する.

 第2章では,研究対象域とした河川生態系の特性について,流域環境,人為的なインパクト,河道内植生の観点から概要を述べ,リモートセンシングによる観測を適用する根拠と合理性を示す.特に,観測の対象とする河道内植生について,植物群落の構成と変遷を多時期の現存植生図を用いて整理し,河道内植生の変動や,河道内樹林化,侵略的外来種ハリエンジュの繁茂等の特徴的な現象を記載する.

 第3章では,航空機ハイパースペクトル観測によって河道内植生を分類・識別する手法を提示する.ハイパースペクトルイメージを複数の解析手法によって処理し,結果を現存植生図及び現地踏査と比較して,河道内樹林の分布域を推定する最適な手法を提案する.この結果,河道内樹林の分布域を約90%の精度で推定可能であることが示された.さらに,ハイパースペクトルデータと植生図GISデータを併用して特定の植物群落の分布域を推定する効率的な手法を提案する.

 第4章では,河道内植生に適用可能なLAI推定モデルを提示する.多様な種組成によって構成される草本群落のLAIに対するスペクトルの応答特性を解析し,感度特性の高い波長帯域を示す.次に,ハイパースペクトルデータを用いてすべてのバンドを組み合わせて植生指数(VI)を算出し,LAIとの相関が最も高いバンドの組み合わせを検索したところ,隣接する2波長を用いた場合に感度が高いVIが得られる傾向があり,さらに最適なVIとLAIには比較的線形な関係があることが示された.最適なVIは従来の可視近赤外の離散バンドを用いたVIによる手法と比較して,植物種組成,表層水分量,植生高,植被率に対して比較的堅牢で,河道内植生におけるLAI推定モデルとして採用可能であることを示す.

 第5章では,河道内植生におけるLAIの空間分布を提示する.現地観測の結果,樹林と草地ではLAIの実測値に有意差が認められ,さらにLAIに対するスペクトルの応答特性が異なることが明らかになった.このため,第3章において高い精度で判別された樹林と草地の各エリアを対象として,それぞれ最適なVIを検索し,LAI推定モデルを適用することで,河道植生におけるLAIの安定的な観測が可能となる.同定したLAI推定モデルをハイパースペクトルイメージに適用し,河道内植生におけるLAIの空間分布を示す.

 第6章では,河道内植生のリターを対象として,適切なリグニンの定量分析法の選定とハイパースペクトル計測によるリグニン量推定モデルを提示する.リモートセンシングを含む様々な分野において,これまで最も使用例が多い酸性デタージェント法を用いた場合,特に被子植物単子葉類,すなわち河道内植生の多くを占める草本植物のリグニンを最大で2倍以上過小評価する恐れが高いことが明らかになった.草本から木本まで多様な植物種によって構成される河川生態系では,リグニンの定量分析法として改良アセチルブロマイド法が有効であることを確認した.さらにこの分析法によって定量されたリグニン量が,ハイパースペクトル計測によって推定可能であることを,初めて明らかにした.なお,リグニンは3つの化学構造単位に分けられ,その存在比率は植物の分類学的区分によって異なることが知られているため,リグニン量を安定的に定量するためのデータ分割についても提案する.

 第7章では,河道内植生の生葉を対象として,改良アセチルブロマイド法によるリグニンの定量分析を行うとともに,非破壊で生葉を計測したスペクトルを用いたリグニン量推定の可能性を示す.リターを用いた場合より推定精度は低下したものの,ハイパースペクトル計測とステップワイズ回帰モデルによって,河道内植生における生葉のリグニン量を推定可能であることが明らかになった.さらに,葉面積と葉乾重量の計測によって葉乾重量を推定する回帰式を作成した上で,これを第5章で得たLAIの空間分布に適用し,河川生態系に現存する河道内植生のバイオマス及びリグニン量を推定する.

 第8章では,本研究を要約し,将来の研究への展望を示す.

審査要旨 要旨を表示する

 河川法の改正や自然再生法の施行に見られるように,近年我が国においては,河川を含む流域圏の生態系を保全し,再生する必要性が求められている.このため,国土交通省や自治体によって,河川生態系を対象としたモニタリングも開始された.しかしながら,河川生態系は非常に複雑な空間分布構造を示し,さらに洪水等によって短期間に変動する動的な生態系であるため,生態系のモニタリングを,従来からの地上観測による離散的な観測によってのみ達成することは容易ではない.さらに,従来のモニタリングは,生態系における生物種あるいは生物種群が観測の主要な対象とされ,生態系の物質循環を解明するために必要不可欠なバイオマスや生化学量については,面的な観測が困難であることもあり,ほとんど計測の対象とされてこなかった.

 広域を反復して観測できるリモートセンシングは,生態系の動態を効率的にモニタリングする手法として利用されるようになりつつある.かつては,空間分解能や波長分解能に制約があり,河川生態系において十分な成果を挙げることが困難であったが,近年の科学技術の進歩によって,高い空間分解能や波長分解能で対象物を観測可能なセンサが実用されるようになり,その応用可能性が高まった.

 そこで本研究は,ハイパースペクトル(高スペクトル分解能)リモートセンシングの手法を用いて,河川生態系の主要な構成要素である河道内植生の分類と,河川生態系における物質循環に関連する主要なパラメータとして,葉面積指数(LAI)及びリグニン量に着目し,これらを計測する手法を開発することを目的とした.このため,河道内植生を観測対象として,実験室,地上及び航空機から多段階でハイパースペクトル観測を行い,スペクトル特性と上記の植物パラメータの関係を解析、航空機データからその分布図を作成した.本研究の特色は,これまで観測することが困難であった河道内植生の分布や生産量,生化学量の分布をリモートセンシングにより観測する手法を開発したところにある.

 本論文の構成は,河道内植生の概要,河道内植生の分類と識別,LAIに対するスペクトル感度特性の解析,河道内植生におけるLAIの空間分布推定,近赤外スペクトルによるリグニン量の推定,河道内植生におけるリグニン量の空間分布推定から成り立っている.本論文の個々の章において記述された内容は,次の通りである.

 第1章では,本研究における社会的背景と河川生態系の観測と評価の現状について総論を述べ,ハイパースペクトルリモートセンシングによる観測の合理性,必要性を提示した.

 第2章では,研究対象域とした河川生態系の特性について,流域環境,人為的なインパクト,河道内植生の観点から概要を述べ,リモートセンシングによる観測を適用する根拠と合理性を示した.特に,観測の対象とする河道内植生について,植物群落の構成と変遷を多時期の現存植生図を用いて整理し,河道内植生の変動や,河道内樹林化,侵略的外来種ハリエンジュの繁茂等の特徴的な現象を記載した.

 第3章では,航空機ハイパースペクトル観測によって河道内植生を分類・識別する手法を提示した.ハイパースペクトルイメージを複数の解析手法によって処理し,結果を現存植生図及び現地踏査と比較して,河道内樹林の分布域を推定する最適な手法を提案した.さらに,ハイパースペクトルデータと植生図GISデータを併用して特定の植物群落の分布域を推定する効率的な手法を提案した.

 第4章では,河道内植生に適用可能なLAI推定モデルを提示した.多様な種組成によって構成される草本群落のLAIに対するスペクトルの応答特性を解析し,感度特性の高い波長帯域を特定した.次に,ハイパースペクトルデータを用いてすべてのバンドを組み合わせて植生指数(VI)を算出し,LAIとの相関が最も高いバンドの組み合わせを検索したところ,隣接する2波長を用いた場合に感度が高いVIが得られる傾向があり,さらに最適なVIとLAIには比較的線形な関係があることが示された.最適なVIは従来の可視近赤外の離散バンドを用いたVIによる手法と比較して,植物種組成,表層水分量,植生高,植被率に対して比較的堅牢で,河道内植生におけるLAI推定モデルとして採用可能であることを示した.

 第5章では,河道内植生におけるLAIの空間分布を提示した.現地観測の結果,樹林と草地ではLAIの実測値に有意差が認められ,さらにLAIに対するスペクトルの応答特性が異なることが明らかになった.このため,樹林と草地の各エリアを対象として,それぞれ最適なVIを検索し,LAI推定モデルを適用することで,河道内植生におけるLAIの空間分布を推定して示した.

 第6章では,河道内植生のリターを対象として,適切なリグニンの定量分析法の選定とハイパースペクトル計測によるリグニン量推定モデルを提示した.草本から木本まで多様な植物種によって構成される河川生態系では,リグニンの定量分析法として改良アセチルブロマイド法が有効であることを示した.さらに,この分析法によって定量されたリグニン量が,ハイパースペクトル計測によって推定可能であることを初めて明らかにした.また,リグニン量を安定的に定量するためのリグニンと植物分類学的な知見によるデータ分割についても提案した.

 第7章では,非破壊で河道内植生の生葉を計測したスペクトルを用いたリグニン量推定の可能性を示した.さらに,葉面積と葉乾重量の計測によって葉乾重量を推定する回帰式を作成した上で,これを第5章で得たLAIの空間分布に適用し,河川生態系に現存する河道内植生のバイオマス及びリグニン量を推定した.

 第8章では,本研究を要約し,将来の研究への展望を示した.

 本論文は、身近にありながらこれまで情報が少なかった河川流域の生態系を対象として、河道内植生の精度の高い分布図、またそのバイオマス量(LAI)や生化学量(リグニン)の分布図を作成したことに独創性を有する。また、わが国では、河川流域圏の環境保全は重要な行政課題ともなっており、得られた分布図は有用性に富むものと評価できる。さらに、本研究で開発されたLAIやリグニンのリモートセンシングによる計測手法は、河川流域植生のみならず、様々な生態系の植生への適用が可能であり、今後、生態学研究の発展に貢献するものと期待される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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