学位論文要旨



No 119680
著者(漢字) 岩田,善裕
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ヨシヒロ
標題(和) 鋼構造剛接骨組の修復性能設計法に関する研究
標題(洋)
報告番号 119680
報告番号 甲19680
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5885号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑村,仁
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 久保,哲夫
 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 講師 伊山,潤
内容要旨 要旨を表示する

 1995年に起きた兵庫県南部地震はわが国の鋼構造建築物にこれまでにない多くの被害をもたらしたが、新耐震設計以降に設計された建物で倒壊に至った件数は少なく、現行耐震規定はその主眼である人命保護の役割を概ね果たしたと言える。しかし、建物は倒壊を免れ人命は確保されたものの、その物的被害は10兆円に上るとも言われ、建物主が予期せぬかたちで多額の経済的損失を被った例が数多く見られた。これは、従来の設計法が仕様書に従うことで建物の使用性と安全性を受動的に確保するものであり、被災後の建物の修復性や復旧コストを考慮するものでなかったため、この点に関する設計者から建物主への説明が欠如していたことに起因すると考えられる。従って今後この問題を解決するためには、設計者が建物主との協議で目標とする建物の修復性を復旧コストとの関係も含めて決定し、設計計算で建物がその修復性を満足することを確認し、建物主に最終的な建物の修復性を説明する、という新たな設計プロセスが必要となる。

 建物の修復性は、小規模から大規模な修復で復旧可能なもの、修復が不可能で解体を余儀なくされるものなど様々で、その復旧コストは建物の修復性が低いほど増大する。なかでも、建物を修復して復旧できるか否かの境界、すなわち建物の修復限界は、建物主にとって最大の関心事の一つである。なぜなら、もし建物が修復不可能で解体を余儀なくされる場合、建物主は建物の建て替えに必要な多額の直接的なコストを要するだけでなく、建物を建て替える長期の工事期間中、建物を全く使用できないことで波及的に失われるビジネス上の利益などの間接的なコストの被害も受けることになるからである。従って、設計者が建物主と建物の修復性を協議するにあたっては、まず解体という最悪の事態を回避するために、建物の修復限界を明確にすることが先決課題になると考えられる。

 建物の修復限界は、技術的な観点に加え、経済的な観点とも密接な関係があるため、その設定には、修復限界で許容される残留変形や復旧コストの検討が不可欠となる。しかしこれまでの研究で、建物の修復性に関連するこれらの工学量に言及した例は少なく、延いては、建物の修復限界を実績データに基づいて技術面と経済面の両面から系統的に分析した例は存在しないのが実状である。また、設計計算においてこれらの工学量を定量的に評価する手法も確立されておらず、建物の修復性を修復限界に基づいて確認する方法も未だ提案されていない。本論文では、兵庫県南部地震で被災して修復あるいは解体された鋼構造剛接骨組12件の実態調査を基に、技術面および経済面から鋼構造剛接骨組の修復限界に関する分析を行い、建物の修復性に関連する残留変形や復旧コストを、地震動のスペクトル特性も考慮に入れて簡便に評価する手法を考案し、最終的に、修復限界に基づく新たな設計プロセスとして、設計計算で建物の修復性を信頼性解析に基づいて工学的に評価する方法、即ち、修復性能設計法の提案を行った。

 本論文は、5つの章と付録1〜3より構成される。その内容は以下のとおりである。

第1章「序論」では、本論文の目的と関連する既往の研究について述べた。ここでは、修復性を考慮した設計法は、現状ではほぼ白紙状態であることを踏まえ、性能設計実現のために新たな修復性能設計法の確立が必要とされることを述べた。

第2章「鋼構造剛接骨組の修復限界」では、まず修復性能設計法に関する研究の1stステップとして、兵庫県南部地震で被災して修復あるいは解体された鋼構造剛接骨組12件の実態調査を行い、建物別に建物概要・被害概要・修復概要を整理した。次に、実態調査で得られた建物の残留変形および復旧コストのデータを基に、技術面と経済面の両面から、鋼構造剛接骨組の修復限界の分析を行った。技術的な修復限界については、修復工事のし易さの観点から、全体残留変形角と最大残留層間変形角の2つの指標を分析した。経済的な修復限界については、考慮すべき復旧コストの種類を、復旧工事の際に直接的に生じる直接復旧コストと復旧工事に伴って間接的に失われる間接復旧コストとに大別し、両コストの修復の場合と建て替えの場合の比として、直接復旧コスト比と間接復旧コスト比の2つの指標を分析した。その結果、建物の技術面における修復限界値は、全体残留変形角:1/110、最大残留層間変形角:1/71、建物の経済面における修復限界値は、直接復旧コスト比:0.86、間接復旧コスト比:0.41、となることが明らかとなった。

第3章「鋼構造剛接骨組の修復性に関わる変形とコストの評価」では、鋼構造剛接骨組の修復性に関わる残留変形と復旧コストを定量的に評価するための手法を提示した。

 残留変形の評価では、残留変形が偶然性に支配されるばらつきの大きい工学量であることを踏まえ、残留変形を確率統計的なアプローチで評価することを試みた。評価にあたっては、建物応答が地震動の周期特性のみならず位相特性にも大きく影響されることを念頭に入れ、代表的な記録地震動10波のスペクトル特性に基づいて作成した、直下型から海洋型の5種類の耐震性能評価用模擬地震動50波を採用した。残留変形を確率的に評価するにあたり、まず、残留変形を上界残留変形(最大変形から弾性変形を差し引いた値)で除した残留変形率を導入した上で、残留変形率に及ぼす各種要因の影響を、塑性化の度合い、固有周期、地震動の位相特性、2次剛性比の観点から統計的に分析した。その結果、残留変形率は建物各層の2次剛性比に最も大きく支配され、そのばらつきを表す標準偏差は、2次剛性比が増加するほど単調減少することがわかった。また、残留変形率を確率変数とする確率分布は、2次剛性比ごとの正規分布で概ね近似されることが明らかとなり、ここではその確率分布の定式化も行った。一方、上界残留変形については、応答スペクトルと既往の多層骨組の縮約展開法であるNSP(Nonlinear Static Procedure)の組み合わせによる中低層建物の上界残留変形の予測法を提示した。ここでは、地震動の位相特性が応答スペクトルの値に大きな影響を及ぼすという本論での分析結果を踏まえ、応答スペクトルに地震動の位相特性を考慮した絶対加速度・最大塑性率応答スペクトルを採用し、従来の応答スペクトルに比べより精度の高い予測を実現している。また、上界残留変形の応答解析による精算値を予測値で除した値を上界残留変形率の予測精度率と定義し、予測精度率を確率変数とする確率分布を調査したところ、その分布は概ね対数正規分布で近似されることを明らかとなり、ここではその確率分布の定式化も行った。

 復旧コストの評価では、まず修復コストの内訳を第2章の実績データに基づいて分析し、そのコストの大半が非構造部材と建築設備の修復で占められることを明らかにした。非構造部分の修復コストを積算的に評価することは、現状のデータベースでは極めて困難であると考えられたため、本論文では、修復コストが構造躯体の損傷度に連動するとの推測の基、本論の実績データにおける残留変形と復旧コスト比の関係から直接復旧コスト比と間接復旧コスト比の両者を類推する手法を示した。また、上界残留変形の評価と同様、その予測精度率の確率分布が対数正規分布で近似されるものと仮定し、その定式化を行った。

第4章「鋼構造剛接骨組の修復性能設計法の提案」では、まず修復性能設計法の基本概念として、I.目標性能の設定、II.性能検証、III.性能表示の3段階の大きな流れを示し、次にその中核となる性能検証の方法論を、STEP1:工学的指標の設定、STEP2:限界値の推定、STEP3:応答値の評価、STEP4:限界値と応答値の比較評価の4プロセスに分割し、第2章と第3章の研究成果を基に、建物の修復性を技術面と経済面の両面から信頼性解析に基づいて確率的に評価する方法を示した。具体的には、工学的指標として第2章で掲げる技術面と経済面に関する4つの工学的指標を採用し、第2章で設定される限界値と第3章で評価される応答値を用いて、限界値と応答値の比較評価を行った。なお、両者の比較評価では、限界値から応答値を差し引いて導かれる性能関数の超過確率をFOSM法あるいは1次ガウス近似法によって算定し、建物の修復性を技術面および経済面の両面から確率的に評価する手法を示した。最後に、本研究で提案した修復性能設計法のプロセスを、兵庫県南部地震で被災した鋼構造剛接骨組2件(修復建物1件と解体建物1件)に実際に適用し、その適用性を確認した。また、ここで算定される超過確率を参考として、修復性判定で用いる目標確率の推奨値を提示した。

第5章「結論」では、各章で得られた研究成果を要約し、今後の研究課題について述べた。

付録1「兵庫県南部地震で被災して修復・解体された鋼構造剛接骨組の実態調査」では、兵庫県南部地震で被災して修復・解体された鋼構造剛接骨組12件について、企業の協力で得られた資料や写真等を基に、建物内容、被害実態、修復実態を調査した。

付録2「地震動の位相特性を考慮した応答スペクトル」では、耐震性能評価用模擬地震動50波を用いて作成した、絶対加速度応答スペクトル・最大塑性率応答スペクトルを、直下型から海洋型の5種類の地震動の位相特性に分類して掲載した。

付録3「修復性能設計法における性能検証のプロセス」では、本論で提案する修復性能設計法の性能検証プロセスの全体像をフロー形式で掲載した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、鋼構造建築物の性能設計を実用化する上で知見が不足している修復性能について考究したものである。鋼構造建築物のなかでもっとも代表的な剛接骨組形式の建物の修復限界を兵庫県南部地震で被災した建物の修復・解体実績データの分析を通して明らかにしたこと、および修復性能を定量的に評価するための残留応答変形を設計段階で予測する技術を考案したことの2点が本論文の特筆すべき成果である。

 本論文は、本文5章と付録から構成されている。

 第1章では、本論文の目的と関連する既往の研究について述べている。建築の構造設計が仕様規定型から性能規定型に移行しつつある状況で、財産保全に関わる修復性能を考慮した性能設計の技術が現時点でほとんど未開拓の状況であることを概観している。

 第2章では、兵庫県南部地震で被災して修復あるいは解体された鋼構造剛接骨組12件の実態調査を行い、建物別に建物概要・被害概要・修復概要を整理した。ここで得られた建物の残留変形および復旧コストのデータを基に、技術面と経済面の両面から修復限界の分析を行った。技術的な修復限界については、全体残留変形角と最大残留層間変形角の2つの工学量を用いて分析し、その結果、それぞれ1/110、1/71が限界値であることを明らかにした。経済的な修復限界については、直接復旧コストと間接復旧コストを分析し、建て替えの場合のコストに対する比を調べた結果、直接復旧コスト比と間接復旧コスト比の限界値はそれぞれ0.86、0.41となることを明らかにした。

 第3章では、鋼構造剛接骨組の修復性に関わる残留変形を定量的に評価する手法を提示した。残留変形が比較的ばらつきの大きい工学量であることを踏まえ、残留変形を確率統計的に評価することを試みた。評価にあたっては、建物応答が地震動の周期特性のみならず位相特性にも影響されることを念頭に入れ、代表的な記録地震動10波のスペクトル特性に基づいて作成した直下型から海洋型の5タイプ合計50波の模擬地震動を採用した。まず、残留変形を上界残留変形(最大応答変形から弾性変形を差し引いた値)で除した残留変形率を導入し、残留変形率に及ぼす各種要因の影響を、塑性化の度合い、固有周期、地震動の位相特性、2次剛性比の観点から統計的に分析した。その結果、残留変形率は2次剛性比に最も大きく支配され、そのばらつきを表す標準偏差は、2次剛性比に対して単調減少することがわかった。また、残留変形率の確率分布は、2次剛性比ごとの正規分布で近似されることが明らかとなり、その確率分布を定式化した。一方、上界残留変形については、応答スペクトルと既往の縮約展開法NSP (Nonlinear Static Procedure) の組み合わせによる予測法を提示した。ここでは、地震動の位相特性が応答スペクトルの値に大きな影響を及ぼすという分析結果を踏まえ、応答スペクトルに地震動の位相特性を考慮した絶対加速度・最大塑性率応答スペクトルを採用し、従来の応答スペクトルに比べより精度の高い予測を実現した。また、上界残留変形の応答解析による精算値を本提案法の予測値で除した値を予測精度率と定義し、予測精度率の確率分布を調査したところ、その分布は対数正規分布で近似されることが明らかとなり、その確率分布を定式化した。

 第4章では、修復性能設計法の基本概念として、I.目標性能の設定、II.性能検証、III.性能表示の3段階の大きな流れを示し、次にその中核となる性能検証の方法を、工学量の設定、限界値の推定、応答値の評価、限界値と応答値の比較評価の4ステップに分割し、第2章と第3章の研究成果を基に、建物の修復性を技術面と経済面の両面から信頼性解析に基づいて確率的に評価する方法を示した。すなわち、第2章で導入した技術面と経済面に関する4つの工学量を採用し、第2章で明らかにされたその限界値と第3章の評価法で得られる応答値を用いて、両者の比較評価を行う方法である。ただし、両者の比較評価では、限界値から応答値を差し引いて導かれる性能関数の超過確率をFOSM法あるいは1次ガウス近似法によって算定し、建物の修復性を技術面および経済面の両面から確率的に評価する手法を示した。最後に、この手法を、兵庫県南部地震で被災した建物2件(修復建物1件と解体建物1件)に適用し、その適用性を確認するとともに、そこで算定された超過確率を参考として、修復性判定で用いる目標確率の推奨値を提示した。

 第5章では、各章で得られた研究成果を要約し、今後の研究課題について述べた。

 本論に添付された3つの付録のうち、付録1では本文第2章の検討のベースとなる兵庫県南部地震で被災して修復・解体された鋼構造剛接骨組12件について、建物内容、被害実態、修復実態などのデータを整理し掲載した。付録2では、本文第3章で用いた模擬地震動のスペクトル特性などの地震入力特性を整理し掲載した。付録3では、本文第4章で展開した修復性能設計法の性能検証プロセスの全体像をフロー形式で掲載した。

 以上のように、本論文は修復性能設計の方法論を示すとともに、残留変形という工学量によって修復限界の判定が可能であることを示した画期的な成果が導かれており、地震に強い建築構造物を構築する耐震設計技術に重要な知見をもたらすものである。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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