学位論文要旨



No 119687
著者(漢字) 秦,辰也
著者(英字)
著者(カナ) ハタ,タツヤ
標題(和) タイの都市スラムにおける住民参加とこども参加による持続可能なまちづくりに関する研究 : 青少年と大人の参加による居住環境改善活動への取り組みを中心に
標題(洋)
報告番号 119687
報告番号 甲19687
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5892号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

 人口増加がとりわけ激しい開発途上国の都市の巨大化は、緊急を要する今日的課題である。中でも、都市スラムの居住環境の悪化は深刻さを極めており、守られるべきこどもたちが苦境に追い込まれ、犯罪に巻き込まれたり、居場所を失ったりするケースが後をたたない。その原因は、特に近代化論に象徴される経済を偏重する開発政策が先進諸国によって開発途上国に持ち込まれ、更なる南北の貧困格差を生み出してきたものと考えられる。こうした問題意識を背景に、本研究では都市スラムの生成と改善の歴史、現状と課題を整理し、「住民参加」によるスラムの居住環境改善という全体の中で「こども」を捉え、「こども参加」を位置づけている。そして、タイの都市スラムの居住環境改善に着目し、コミュニティ内の諸活動にこどもと大人が参加し、双方の関係性によって一歩ずつ確かな住まいと暮らしが確保され、健全で豊かなコミュニティを構築できる状況を整えられないのか、その可能性を理論的かつ実践的に探っている。本論の研究目的は、下記の4点である。

(1)タイの社会・文化的背景における住民参加の理念、意義、目的、方法論の形成過程と、権利としてのこどもの参加に関する理論考察

(2)タイの都市スラムにおける居住環境改善政策の変遷と住民参加、及び住民組織(CBO)のネットワーク形成の調査

(3)タイの都市スラムにおける居住環境改善活動への青少年と大人の参加の現状分析

(4)タイの都市スラムにおけるこどもの参加と居住環境改善活動の実践的考察

第1部 都市スラムにおける住民参加とこどもの参加に関する理論考察

 第1部(第1〜3章)は、都市スラムにおける住民参加とこどもの参加に関する理論考察として、過去の歴史を遡ってこれまで議論されてきた都市スラムの生成や、「市民」として人権の立場から議論されてきた「住民参加」について整理し、タイの社会・文化的な背景に基づく都市スラム問題と、内発的発展論に基づく社会開発への流れ、そして住民参加とこどもの参加について言及した。第1章においては、古代から中世、近代に至るこれまでのイギリスなどの西欧社会と日本、そしてタイにおける貧困問題の歴史や都市スラムの生成に関する経緯、貧困対策の変遷などを振り返り、タイの社会・文化的背景に基づいて構築されてきた住民参加の理念形成の過程を中心に整理した。第2章では、近代化論的な開発戦略による貧困問題削減の方向がうまく見出せないことから、1970年〜90年代にかけて議論が活発化してきた脱近代化論としての内発的発展論と、経済成長から人間を中心とする社会開発へ転換する開発論の視点から、住民参加の必然性について論証した。また、1970年代のBasic Human Needs (BHN)戦略から、1980年代には住民参加型開発による下からの自律的・自発的開発が注目され、オルタナティブ(もう一つ)の開発への理解が深まり、さらには1987年の「持続可能な発展」論、そして1990年代の人間開発論の伏線上ある開発論を社会開発論として位置づけた。そして、社会開発論を、地域住民がそれぞれの伝統的文化に立脚し、住民自身がイニシアチブをもってそこに存在する資源を基盤に客体ではない「住民主体」の「開発」を起すという内発的発展の考え方を踏まえたものとして論じた。さらに、第3章では、西欧社会、日本、そしてタイにおいてこどもの権利が固有のものとして確立されるに至った経緯、こどもの定義の違い、権利としてのこどもの参加の裏づけなどについて精査した。こどものエンパワーメントは親や保護者の庇護下のみによって行なわれるべきではなく、社会的な関わりの中でこどもたちが主体的に参画・行動し、育まれていく必要があり、特に社会的に不利な状況下にある都市スラムのこどもたちの参加が重要である点について検討した。

第2部 タイの都市スラムにおける居住環境改善活動の変遷と住民組織(CBO)のネットワーク形成、及び青少年と大人の参加の現状

 第2部は、第4章のタイの都市スラムにおける居住環境改善政策の変遷と住民参加の促進に伴う住民組織(CBO)のネットワーク形成に関する考察と、第5章のバンコクと地方都市のスラムにおける居住環境改善への青少年と大人の参加状況比較、第6章の青少年向け参加型ワークショップによるコミュニティ査定について述べた。第4章では、タイの都市スラムでの1940年代以降の主な居住環境改善政策の変遷と、その中の特徴的な施策、住民参加の促進に伴うCBOのネットワーク形成に関して振り返った。また、1970年代後半以降の民主化で、NGOを中心に行なわれてきた居住環境改善がCBOの手へと移り始め、近年CBOのネットワーク化が活発化し、活動内容も住宅などのハード面から、総合的な社会開発へとソフトを重視したより高次の段階に移行している点も指摘した。第5章では、今日タイの都市スラムで生活する青少年の居住空間を検証して青少年が望む居住環境と大人が望む青少年のための居住環境との関係を明らかにした上で、青少年と大人の居住環境改善活動への参加度とコミュニティへの帰属意識との関係を比較し、さらに都市スラムを改善する上で今後どのような住民参加の状態が望ましいのかを精査した。対象地域は、バンコク4ヶ所、チェンマイ5ヶ所、ソンクラー4ヶ所の計13ヶ所(青少年903人、大人929人)のスラム地区で、NGO、CBO、住民ネットワーク組織や地方政府関係者へのヒアリングと質問票による調査を実施し、SPSSによる統計分析などに基づき、青少年の居住空間、青少年が望む居住環境境の関係、青少年と大人の居住環境改善と大人が望む青少年のための居住環参加とコミュニティへの帰属意識、コミュニティ形成への今後の課題と展望について解析した。また、第6章では、ウボンラーチャタニー県のラップレー地区において、CBOやNGOが協力する形で居住環境改善活動を実践している青年グループメンバーを対象に、PRA/PLA(主体的参加型農村調査手法/主体的参加による学習と行動)手法による参加型ワークショップによるコミュニティ査定を実施し、第5章の統計結果をさらに青少年たちの生の声で検証する形で現状を考究した。

第3部 こどもと大人の参画による持続可能なまちづくりをめざして

 第3部では、第7章でタイの都市スラムでの政府の取り組みと、NGOとCBOによるこどもの参加と居住環境改善の実践的考察を試み、ヒアリングと観察をもとにバンコク、パトゥムタニー、コンケーンのスラム4ヶ所においてミクロ的なソーシャル・キャピタルの状況についてSCAT(Social Capital Assessment Tool)の部分的手法を用いて事例分析した。この分析結果をもとに、こどもの参加によるエンパワーメントや、困難な状況にあるこどもたちに対する政府の社会政策とNGOの取り組み、実践事例の検証によるソーシャル・キャピタルの蓄積の可能性、スラムのこどもたちのエンパワーメントと今後の持続可能な居住環境改善の可能性について総合的に考察し、こどもを主体とする活動は初動期にあり、今後はコミュニティ全体の中で大切なものであると位置づけて促進させる必要性を示した。最後に、第8章として全体の内容をまとめ、「こども」という未来への普遍的な共通課題が、今後の私たちの持続可能なまちづくりには必要不可欠な視点であるとの見解に立ち、タイの都市スラムを事例にどのような居住環境改善への取り組みが図られるべきなのかについて6項目の提言を試みた。

 本研究のまとめとしては、タイの住民参加の理念には、歴史的社会メカニズムの「サクディ・ナー」制度と、バラモン教、アニミズム、仏教思想という伝統的な社会・文化的背景があるが、近年、民主化への政治的転換と産業化政策の中で人権思想としての「市民」意識の向上へと変化した中で住民参加の意義が拡大したこと、住民参加がめざすのはコミュニティ形成のためのソーシャル・キャピタルの蓄積で、その有効性が発揮されれば居住環境が改善されると推察されること、また、その方法は、より多元的で重層的な住民参加の可能性を確保し、住民たちが主体的かつ自立的に居住環境改善を推進していく必要があり、「外部者」との関係性も大きなポイントである点、さらに住民のエンパワーメントでは特に「こどもの参加」が権利として重要な位置を占め、開発途上国の厳しい環境下においてその有効性が実証されるべきである点を指摘した。

 また、住民参加の意義は、1970年代以降の民主化や、NGOなどによる住民の組織化が進み、居住環境改善政策に対する参加の機会が拡大・確保されてきた点に見出せ、特に1990年代以降のCBOのネットワーク形成と、CBOの活動内容が従来の住宅環境に関するハード面での改善から、こどもや高齢者などを含むよりソフトな社会開発面での活動へと進み、高次なものへと変化している点を強調した。

 そして、バンコク、チャンマイ、ソンクラーでの居住環境改善活動への青少年と大人の参加状況に関する統計分析では、双方の居住環境に対する精神的な価値観と、フィジカルな価値観とがほぼ共通であり、またそれぞれの課題について、青少年と大人が互に違った立場から活動に参加していること、双方の参加度とコミュニティへの帰属意識の向上には相関関係もみられ、年齢層を超えて住民全体が参加し合うことで相乗効果を高め、コミュニティへの帰属意識を向上させながら確固たるコミュニティの形成を図っていく必要があることを明らかにした。加えて、ウボンラーチャタニーの参加型ワークショップでは、青少年のソーシャル・キャピタルに関する認識が鋭く、CBOを中心とした住民のより密な人間関係によるコミュニティづくりの大切さが明確化された。実践事例の考察から導かれた結論においても、こどもたちの居住環境改善への参画が、現在の居住地区において安心して暮らせる持続可能な居住環境を確保していく上で重要な要因であることが窺え、今後のこどもたちの参画をどのように維持・発展させるかが成功の鍵となると小括した。

 最後に、4つの実践事例の調査で浮かび上がった課題として、第一に、それぞれのケースに見合ったこどもや青年グループの活動を支援し、奨励していく住民リーダーの不足と、第二に、限定された協力しか得られないこどもや青少年の活動は、組織的にも脆弱であり、運営面での問題や活動範囲も限定されたものになりがちだという点を挙げ、こどもたちの活動と外部関係者との「つなぎ」を行なう存在が不可欠であるとした。

 以上を受けて、(1)都市スラムをコミュニティとして再認識し、個々のケースに対してコミュニティベースでアプローチし、現存するソーシャル・キャピタルとしての社会的資源を有効活用していけるよう包括的に解決策を練る必要があること、(2)既存の活動への住民参加をさらに高め、住民間の信頼関係や社会規範に基づく相互扶助意識の向上、ネットワーク化を図り、結束あるコミュニティを形成し、青年グループ活動には、住民リーダーによる助言や支援をすること、(3)従来から指摘されているジェンダー、民族、宗教を超えた多元的な住民参加に加え、特にこどもと大人の関係性を大切にし、世代間を超えたより重層的な住民参加が可能な社会環境の確保を試みること、(4)特に地方都市では、コミュニティとしての都市スラムと「外部者」との関係の再構築を図ること、(5)「市民社会」における住民参加の促進のための住民ネットワーク組織とNGOの強化、そしてタイ国内の組織基盤のみならず、アジアの周辺諸国や国際社会におけるネットワークを確立すること、(6)近年、タイの都市スラムの改善目標がより高次になり、単に理念的権利ではなく、実践面でもCBOの住民リーダーやNGOなどがこどもたちの参加を促していることから、こどもたちに未来の持続可能なまちづくりへの希望を託すことであり、こどもたちの社会的な参画が関係者間で保障されれば、住民自身の手によってスラムは着実に改善されていくことを提言した。

審査要旨 要旨を表示する

 人口増加がとりわけ激しい開発途上国の都市の巨大化は、緊急を要する今日的課題である。中でも、都市スラムの居住環境の悪化は深刻さを極めており、守られるべきこどもたちが苦境に追い込まれ、犯罪に巻き込まれたり、居場所を失ったりするケースが後をたたない。その原因は、特に近代化論に象徴される経済を偏重する開発政策が先進諸国によって開発途上国に持ち込まれ、更なる南北の貧困格差を生み出してきたものと考えられる。こうした問題意識を背景に、本研究では都市スラムの生成と改善の歴史、現状と課題を整理し、「住民参加」によるスラムの居住環境改善という全体の中で「こども」を捉え、「こども参加」を位置づけている。そして、タイの都市スラムの居住環境改善に着目し、コミュニティ内の諸活動にこどもと大人が参加し、双方の関係性によって一歩ずつ確かな住まいと暮らしが確保され、健全で豊かなコミュニティを構築できる状況を整えられないのか、その可能性を理論的かつ実践的に探っている。

 研究の成果として、タイの住民参加の理念には、歴史的社会メカニズムの「サクディ・ナー」制度と、バラモン教、アニミズム、仏教思想という伝統的な社会・文化的背景があるが、近年、民主化への政治的転換と産業化政策の中で人権思想としての「市民」意識の向上へと変化した中で住民参加の意義が拡大したこと、住民参加がめざすのはコミュニティ形成のためのソーシャル・キャピタルの蓄積で、その有効性が発揮されれば居住環境が改善されると推察されること、また、その方法は、より多元的で重層的な住民参加の可能性を確保し、住民たちが主体的かつ自立的に居住環境改善を推進していく必要があり、「外部者」との関係性も大きなポイントである点、さらに住民のエンパワーメントでは特に「こどもの参加」が権利として重要な位置を占め、開発途上国の厳しい環境下においてその有効性が実証されるべきである点を指摘している。

 また、住民参加の意義は、1970年代以降の民主化や、NGOなどによる住民の組織化が進み、居住環境改善政策に対する参加の機会が拡大・確保されてきた点に見出せ、特に1990年代以降のCBOのネットワーク形成と、CBOの活動内容が従来の住宅環境に関するハード面での改善から、こどもや高齢者などを含むよりソフトな社会開発面での活動へと進み、高次なものへと変化している点がされてた。

 そして、バンコク、チャンマイ、ソンクラーでの居住環境改善活動への青少年と大人の参加状況に関する統計分析では、双方の居住環境に対する精神的な価値観と、フィジカルな価値観とがほぼ共通であり、またそれぞれの課題について、青少年と大人が互に違った立場から活動に参加していること、双方の参加度とコミュニティへの帰属意識の向上には相関関係もみられ、年齢層を超えて住民全体が参加し合うことで相乗効果を高め、コミュニティへの帰属意識を向上させながら確固たるコミュニティの形成を図っていく必要があることを明らかにした。加えて、ウボンラーチャタニーの参加型ワークショップでは、青少年のソーシャル・キャピタルに関する認識が鋭く、CBOを中心とした住民のより密な人間関係によるコミュニティづくりの大切さが明確化された。実践事例の考察から導かれた結論においても、こどもたちの居住環境改善への参画が、現在の居住地区において安心して暮らせる持続可能な居住環境を確保していく上で重要な要因であることが窺え、今後のこどもたちの参画をどのように維持・発展させるかが成功の鍵となることが指摘されている。

 以上を受けて、(1)都市スラムをコミュニティとして再認識し、個々のケースに対してコミュニティベースでアプローチし、現存するソーシャル・キャピタルとしての社会的資源を有効活用していけるよう包括的に解決策を練る必要があること、(2)既存の活動への住民参加をさらに高め、住民間の信頼関係や社会規範に基づく相互扶助意識の向上、ネットワーク化を図り、結束あるコミュニティを形成し、青年グループ活動には、住民リーダーによる助言や支援をすること、(3)従来から指摘されているジェンダー、民族、宗教を超えた多元的な住民参加に加え、特にこどもと大人の関係性を大切にし、世代間を超えたより重層的な住民参加が可能な社会環境の確保を試みること、(4)特に地方都市では、コミュニティとしての都市スラムと「外部者」との関係の再構築を図ること、(5)「市民社会」における住民参加の促進のための住民ネットワーク組織とNGOの強化、そしてタイ国内の組織基盤のみならず、アジアの周辺諸国や国際社会におけるネットワークを確立すること、(6)近年、タイの都市スラムの改善目標がより高次になり、実践面でもCBOの住民リーダーやNGOなどがこどもたちの参加を促していることから、こどもたちに未来の持続可能なまちづくりへの希望を託すことであり、こどもたちの社会的な参画が関係者間で保障されれば、住民自身の手によってスラムは着実に改善されていくことを提言している

 本研究は、タイをとして都市スラムにおける住民参加と子供参加によるまちづくりの関係を詳細に明らかにし、優れた学術的価値を有している。さらに、その分析を通じて今後の実践的課題についての有益な提言を行っている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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