学位論文要旨



No 119689
著者(漢字) 何,丹
著者(英字)
著者(カナ) ヒ,ダン
標題(和) 上海における親成長都市政体の形成とその都市再開発への含意
標題(洋) Formation of Pro-growth Urban Regime and Its Implication to Downtown Redevelopment in Shanghai
報告番号 119689
報告番号 甲19689
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5894号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 特任教授 マーコトゥリオ,ピーター
 東京大学 助教授 北沢,猛
 東京大学 講師 大森,宣暁
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

1970年末に始まる中国の改革開放政策は都市部の社会経済構造や人々の日常生活にも大きな変化をもたらした。1990年以降の上海は、健全な社会経済成長と長い歴史を持つ文化的コンテクストに裏打ちされ、中国独自の社会主義市場経済(中国特色社会主義市場経済)のモデルへと急速な成長を遂げた。上海はここ14年間、浦東でとりわけ急速に発展した都市であり、インナーシティーにおける高架道路、大規模緑地公園、多くの高層建築にみられるような都市再開発が急速に進んでおり、市場指向型経済への移行に向けた経済改革に伴い、建設費財源や利害関係は多元化している。このような過渡期にある上海において、都市再開発とは多様な利害の交錯するアリーナととらえられ、行政、ディベロッパー、住民といった主体が協力して活動することによって、都市全体の整備という共通の目標を達成する必要があろう。以上の問題意識のもと、本研究の目的は、上海において、短期間で中心市街地の再開発を成功に導くために、どのような制度的枠組みが求められるかを考察することにある。

都市再開発や中心市街地の再開発というテーマは、ネオ・マルキズム、ネオ・プルーラリズム、ネオ・エリーティズムに基礎を置き、物的開発のプロセスや社会全体の動きとして議論されてきたが、近年はサステイナブル・シティ、グローバル・シティまたは世界都市へ向けたプロセスとして議論されている。とりわけ1980年代後半から1990年代初頭までは、アーバンレジーム(urban regime)理論やその応用から都市再開発の政治経済的分析がなされてきた。C.ストーン(Stone, C.)は、「アーバンレジーム(都市政体)」を「インフォーマルな制度であり、公的組織と私的利害の両者が行政的決定においてすること」とし、行政が都市政策を遂行するのに適しているという考えも、経済部門が都市政策を方向付けるという考えも否定している。アーバンレジームとは原因としての外部環境の変化と結果としての政策との「中間的領域」であり、それらを調整する有機的組織体であることを導いている。アーバンレジームモデルは、地域の諸主体が社会経済的変化などの地域外からの圧力を調整する方法として表現されるものであるにもかかわらず、アーバンレジームに関する研究の焦点は、連携関係を構築するための地域内部のダイナミズム、すなわち、制度位置付けの異なる主体間の地域内部での調整方法としての「市民的協力(civic cooperation)」にある。さらに、ストーンはアーバンレジームの異なる形態として、維持・管理のレジーム、開発のレジーム、中間層の進歩したレジーム、貧困層へ様々な機会が広げられたレジーム、の4つを定義した。

「レジーム」は多様な経済的、社会的、政治的勢力によって1つの明確な戦略的アジェンダが示されるような場・時に存在するといわれている。しかし、国、地域、都市が異なれば社会経済的背景や文化的背景も異なっており、したがって、アーバンレジームは明確に異なった形態をとる。近年の関連研究においては先進国を事例としたものが多く、開発途上国、とりわけ、中央集権型経済から市場指向型経済への移行過程にあるような国を事例とした研究はほとんどみ

られない。したがって、本研究の分析の枠組みとして、アーバンレジームという概念によって、上海の急速な開発を支える原動力はどのように説明しうるか、すなわち、上海におけるアーバンレジームとはどのような特徴を有するかという点に焦点を当てる。本研究は互いに関連した次の3つの研究課題から構成されている。

(1)上海における様々な問題を解決する処方箋として、経済成長を推進するような親成長的なアーバンレジームは存在するのか?

(2)その場合、なぜ上海はそのような親成長的なアーバンレジームを選択したのか?

(3)そのアーバンレジームは上海において中心市街地の再開発を促進しているのか?

まず、(1)について、改革前後の都市開発戦略プロセスと成果、市街地環境に対する大規模資金フローに関する調査を行った。国家レベルでは、都市開発戦略は改革前後で180度転換されたことが明らかになった。新たな都市開発戦略は都市の急速な成長に寄与していることから、中央政府は国家経済全体の成長を促進するような都市開発へと注意を払うようになったといえる。上海レベルでは、都市の土地利用やスカイライン形成に変化をもたらすような市街地環境に大規模資金が向けられていることから、都市レベルでの経済開発が刺激されたといえる。したがって、上海においては、何らかのアーバンレジーム−急速な経済成長を中心的課題にすえ、かつ、開発を推進するあらゆる機会を生かすようなアーバンレジーム−が形成された、または、形成されつつあると結論付けられる。

次に、(2)について、3つの観点から議論を展開している。

(1) 中央政府と上海市政府との財務上の関係を評価・検討することによって、中央政府からの資金的支援の取り下げまたは減少に伴って、上海市政府は行政業務を遂行するために、制度化された新たな資金源を模索する必要があることが明らかになった。したがって、予算外支出・歳入は、上海市政府とプライベートセクターとが連携するような「協力基盤(cooperation platform)」となっている。多くの都市再開発プロジェクトが円滑に遂行されるかどうかは予算外支出・歳入次第であることが観察された。

(2) 経済のグローバル化が都市環境層の激化をもたらしたため、上海市政府は、行政構造の再構築を行い、潜在的な海外投資の誘発やより効果的なプライベートセクターとの協力関係の構築をねらった。行政改革により、都市における区政府の再編が行われ、街道政府は商務に携わることができる独立団体となった。さらに、住民自治の範囲が拡大し、コミュニティ参加の機会が拡大した。

(3) 中国特有の政治文化を背景として、上海市政府のビジネス進出の可能性がさらに強化された。経済成長を促進してゆくことは、各レベルの政府の重要な任務、時には唯一の任務となり、中国共産党の権限の唯一の正当性となり、そして、上海市政府のトップ層が昇進するための条件となった。十分な資金がない場合、公共セクターはビジネスセクターを協力せざるを得ない。さらに、憲法にプライベートセクターの財産の保護や資本主義的原理が追加されたことによって、企業化が政策決定過程に直接的に参加する可能性が増加した。

そして、(3)については、上海の中心市街地の再開発プロジェクトに関する事例研究として、新天地広場、太平橋公園、馬場路の3事例を扱った。事例研究から得られた知見は次の2点に集約される。

(1) 進歩的な資金面でのインセンティブ、地方分権化された計画行政、弱められたプラン・コントロールが公民パートナーシップの主要な手段となる。さらに、行政は特定のプロジェクトに対して政策的保護を加えることも有効である。換言すると、行政とディベロッパーとの交渉に大きな裁量の余地が存在すること、または、行政が明確な方向性を示し、かつ、その方向性の大部分がディベロッパーと行政の主要なメンバーとの個人的な関係に基づいて決定されていること、が公民パートナーシップにおいて重要である。

(2) 上海市政府は住民の利害により多くの注意を払うようになってきている。とりわけ、都市開発政策の転換点と位置付けられる2001年以降、住民の移転に対する保障を充実させている。また、住民は移転に対する合理的な保障についてディベロッパーと交渉することができるようになった。しかし、そのような交渉は経済的な保障に限られており、また、個人的なレベルのものでもある。NGOやCBOのような住民が信頼できる制度化された手段は存在していない。

以上の考察に基づき、開発途上国、特に中央計画経済から市場指向型経済への移行の過渡期にあるポスト社会主義国、における新たな親成長アーバンレジームに関して次のような結論が得られた。

(1) このような親成長アーバンレジームは、「行政が依然としてあらゆる資源の分配を支配し、プライベートセクターと協力し、一方で住民は政策決定過程において周縁化されている」ことによって特徴付けられる。

(2) 都市間競争、経済のグローバル化、行政改革のような外部環境の変化に直面した場合、このようなアーバンレジームは過渡期にある都市の多くに対して必須の選択である。

(3) ポスト社会主義国に特有の政治文化のために、行政高官は大規模再開発プロジェクトを進めようとし、また、非常に長い期間、親成長的アーバンレジームは安定化する。

(4) 進歩的な資金面でのインセンティブ、規制緩和化された都市計画や特定のプロジェクトを保護するような特別な政策は良好なビジネス環境を維持するための主要な手段であると考えられる。

(5) 行政が住民に対して自治権を与えること、政策決定における住民参加によって、ポスト社会主義国都市の市民社会が回復しつつあることもまた無視できない要素としてあげられる。

審査要旨 要旨を表示する

1970年末に始まる中国の改革開放政策は都市部の社会経済構造や人々の日常生活にも大きな変化をもたらした。1990年以降の上海は、健全な社会経済成長と長い歴史を持つ文化的コンテクストに裏打ちされ、中国独自の社会主義市場経済(中国特色社会主義市場経済)のモデルへと急速な成長を遂げた。上海はここ14年間、浦東でとりわけ急速に発展した都市であり、インナーシティーにおける高架道路、大規模緑地公園、多くの高層建築にみられるような都市再開発が急速に進んでおり、市場指向型経済への移行に向けた経済改革に伴い、建設費財源や利害関係は多元化している。このような過渡期にある上海において、都市再開発とは多様な利害の交錯するアリーナととらえられ、行政、ディベロッパー、住民といった主体が協力して活動することによって、都市全体の整備という共通の目標を達成する必要があろう。以上の問題意識のもとで、本研究は、上海において、短期間で中心市街地の再開発を成功に導くために、どのような制度的枠組みが求められるかを考察している。本研究は互いに関連した次の3つの研究課題から構成されている。

(1)上海における様々な問題を解決する処方箋として、経済成長を推進するような親成長的なアーバンレジームは存在するのか?

(2)その場合、なぜ上海はそのような親成長的なアーバンレジームを選択したのか?

(3)そのアーバンレジームは上海において中心市街地の再開発を促進しているのか?

 (1)について、改革前後の都市開発戦略プロセスと成果、市街地環境に対する大規模資金フローに関する調査を行った。国家レベルでは、都市開発戦略は改革前後で180度転換されたことが明らかになった。新たな都市開発戦略は都市の急速な成長に寄与していることから、中央政府は国家経済全体の成長を促進するような都市開発へと注意を払うようになったといえる。上海レベルでは、都市の土地利用やスカイライン形成に変化をもたらすような市街地環境に大規模資金が向けられていることから、都市レベルでの経済開発が刺激されたといえる。したがって、上海においては、何らかのアーバンレジーム―急速な経済成長を中心的課題にすえ、かつ、開発を推進するあらゆる機会を生かすようなアーバンレジーム―が形成されつつあると結論付けている。

 次に、(2)について、3つの観点から議論を展開している。(1)中央政府と上海市政府との財務上の関係を評価・検討することによって、中央政府からの資金的支援の取り下げまたは減少に伴って、上海市政府は行政業務を遂行するために、制度化された新たな資金源を模索する必要があることが明らかになった。(2)経済のグローバル化が都市環境層の激化をもたらしたため、上海市政府は、行政改革により、都市における区政府の再編が行われ、街道政府は商務に携わることができる独立団体となった。さらに、住民自治の範囲が拡大し、コミュニティ参加の機会が拡大した。(3)経済成長を促進してゆくことは、各レベルの政府の重要な任務、時には唯一の任務となり、中国共産党の権限の唯一の正当性となり、そして、上海市政府のトップ層が昇進するための条件となった。

 (3)については、上海の中心市街地の再開発プロジェクトに関する事例研究として、新天地広場、太平橋公園、馬場路の3事例を扱った。事例研究から得られた知見は次の2点に集約される。(1)行政とディベロッパーとの交渉に大きな裁量の余地が存在すること、または、行政が明確な方向性を示し、かつ、その方向性の大部分がディベロッパーと行政の主要なメンバーとの個人的な関係に基づいて決定されていること、が公民パートナーシップにおいて重要である。(2)都市開発政策の転換点と位置付けられる2001年以降、住民の移転に対する保障を充実させている。また、住民は移転に対する合理的な保障についてディベロッパーと交渉することができるようになった。しかし、そのような交渉は経済的な保障に限られており、また、個人的なレベルのものでもある。NGOやCBOのような住民が信頼できる制度化された手段は存在していない。

 以上の考察に基づき、開発途上国、特に中央計画経済から市場指向型経済への移行の過渡期にあるポスト社会主義国、における新たな親成長アーバンレジームに関して次のような結論が得られた。

(1) このような親成長アーバンレジームは、「行政が依然としてあらゆる資源の分配を支配し、プライベートセクターと協力し、一方で住民は政策決定過程において周縁化されている」ことによって特徴付けられる。

(2) 都市間競争、経済のグローバル化、行政改革のような外部環境の変化に直面した場合、このようなアーバンレジームは過渡期にある都市の多くに対して必須の選択である。

(3) ポスト社会主義国に特有の政治文化のために、行政高官は大規模再開発プロジェクトを進めようとし、また、非常に長い期間、親成長的アーバンレジームは安定化する。

(4) 進歩的な資金面でのインセンティブ、規制緩和化された都市計画や特定のプロジェクトを保護するような特別な政策は良好なビジネス環境を維持するための主要な手段であると考えられる。

(5) 行政が住民に対して自治権を与えること、政策決定における住民参加によって、ポスト社会主義国都市の市民社会が回復しつつあることもまた無視できない要素としてあげられる。

 本研究は、中国・上海市を事例として成長促進的な政策形成過程とその都市再開発課程への影響を詳細に明らかにし、優れた学術的価値を有している。さらに、その分析を通じて今後の制度改善のための有益な提言を行っている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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