学位論文要旨



No 119693
著者(漢字) 長谷川,洋介
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,ヨウスケ
標題(和) 自由液面炭酸ガス吸収に対する高シュミット数乱流物質輸送モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 119693
報告番号 甲19693
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5898号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 助教授 鹿園,直毅
 東京大学 助教授 高木,周
内容要旨 要旨を表示する

 気液界面における熱・物質輸送は,化学プラントにおける反応撹拌器をはじめ,マイクロ熱交換器,蒸発・凝縮装置などの次世代高効率熱流体システムにおける中核技術として大きな注目を浴びている.工学的な重要性が益々高まる中で,近年では,環境科学の分野においても,地球温暖化の主因子である炭酸ガスの大気-海洋間の交換との関連性から,その予測精度の向上が強く望まれている.

 従来,海洋界面におけるガス交換係数を見積もる際,海上風速で相関した経験式が用いられ(バルク法),この式は,未来の大気中の炭酸ガス濃度を予測するための気候モデルにも組み込まれている.しかし,実際には,この経験式は大きくばらついた観測データを強引にフィッティングしものであり,物理的な裏付けに乏しく信頼性も低い.

 一般に,炭酸ガスなど多くの物質は,液側でシュミット数が大きく,液側界面近傍の薄い濃度境界層内部の物質輸送機構が,全体のガス交換量を支配している.このようなミクロな輸送プロセスは,海上風速以外の因子,すなわち,海洋のうねり,界面変形と気流の相互作用,温度成層などの影響を受ける.また,界面活性物質は,マランゴニ効果を介して界面近傍の乱流場を減衰させ,ガス交換係数に大きな影響を与える.従って,ガス交換係数を風速で整理することは困難であると考えられ,今後,より高精度なガス交換予測に向けて,界面近傍のミクロな輸送現象の理解と物理現象に基づく界面物質輸送モデルの構築が強く望まれる.

 上記のミクロな現象の解明に対して,数値計算は有力なツールとなる.しかし,自由界面乱流場に関する研究は,固体壁面近傍に比べてこれまで研究例が少ない.特に,現実の系で重要となる,界面せん断や気液乱流相互作用が物質輸送に与える影響に関して,ほとんど知見が得られてないのが現状である.また,これまでの研究では,計算負荷のために低シュミット数(Sc〜1)に限られており,物質輸送機構に対する高シュミット数効果に関しても研究を行う必要がある.

 上記の背景を踏まえ,本研究では,せん断のある界面近傍における気液乱流場とそれに伴う高シュミット数物質輸送の数値計算を行った.これにより,界面せん断や気液相互作用が,物質輸送に与える効果を明らかにした.また,従来例のない高シュミット数(Sc=100)での物質輸送計算を実現するため,ハイブリッドDNS/LES法を新たに開発し,気液乱流場に適用した.これにより,物質輸送機構に及ぼすシュミット数効果を調査し,得られた物理的知見に基づき,界面物質輸送モデルの構築を行った.更に,そのモデルをより高レイノルズ数流れ及び,界面活性物質のある界面へと適用し,モデルの検証を行った.以下,本研究で得られた主要な結果を纏める.

 せん断のある気液乱流場に関して,以下のような知見が得られた.

 界面せん断により液側界面近傍において,壁乱流同様のストリーク及び縦渦構造の生成が確認された.界面せん断の強さを変えた計算を行った結果,これらのスケールは液相の粘性スケールで整理されることが明らかになった.この結果より,界面せん断に伴う液相内部の自立的な乱流生成が支配的であり,気液乱流構造間の力学的な相互作用の効果は極めて小さいことが分かった.実際に,気相内部の乱流構造により誘起される速度変動を見積もったところ,液側で確認された速度変動の高々1%であった.

 更に,本研究では物質輸送の観点から,気液乱流相互作用の効果に関する詳しい調査を行った.その結果,これまで報告例のない新たな気液相互作用の存在が確認され,それは,気側界面近傍における逆勾配拡散現象として統計量においても明確に現れた.炭酸ガスなどの溶解度の低いガス吸収においては,物質輸送は液側支配となるため,上述の気液相互作用の効果は小さい.しかし,より一般的な液-液界面における物質移動を考える際には,溶解度によって密度の小さい流体が物質輸送を支配することは十分考えられる.従って,今後,流体の密度比などのパラメータが気液相互作用に与える影響に関して,より詳しく調べる必要がある.

 高シュミット数濃度場のハイブリッドDNS/LESを通して,以下のような知見が得られた.

 界面スカラー束と界面近傍の速度場の時空間相関を求め,液側界面近傍の縦渦構造が濃度境界層をpenetrateし,物質輸送を促進していることが分かった.特に興味深い点としては,界面近傍において,濃度変動と界面垂直方向の速度変動の相関が高く保たれる点である(〜0.6).この結果は,従来固体壁面近傍で報告されている,高シュミット数効果とは大きく異なる.固体壁面では,シュミット数の増加に伴いより低い周波数変動のみが物質輸送に貢献し,渦拡散係数が急速に減衰することが知られている.これに対し,固体壁面では渦拡散係数のシュミット数依存性が小さく,幅広い周波数帯域の速度変動が物質輸送に寄与することが分かった.

 高シュミット数効果に関する上述の知見に基づき,第三章では界面鉛直方向の一次元移流拡散方程式の解析を行った.その結果,penetrationの時間スケール1/βとrenewalの時間スケール1/ωという二つの時間スケールを導入し,その比β/ωによって上記の一次元方程式の解の挙動が決まることを示した.ここで,βは界面発散の強度,ωは速度変動の角速度に対応する.

 この時間スケール比β/ωに着目した解析を行った結果,与えられた速度変動が物質輸送を支配するための条件は,β/ω>>1であり,この時,界面スカラー束は,移流項と拡散項のバランスで決まることを示した.この結果をより現実的な二次元の界面更新渦モデルで検証し,両者に定性的な一致を確認した.また,速度変動が界面をpenetrateする場合,界面スカラー束は界面発散の強度βで決まり,ガス交換係数と以下のように関係付けられることが明かとなった.

K=0.36(βrmsD)1/2(1)

 第四章及び,第五章では,上述の界面物質輸送モデルをより高いレイノルズ数流れ,及び界面活性物質のある界面へ適用し,モデル検証を行った.

 レイノルズ数が,乱流場及び,物質輸送機構に与える影響を纏めると以下のようになる.

 レイノルズ数が増加することにより,乱流の長さスケールは粘性スケールで整理されるものの,かなり速度変動が増加することが分かった.具体的には,乱流スカラー束に基づく流れ場の条件付き抽出を行った結果,レイノルズ数Retを150から300に挙げた場合,縦渦構造に誘起される鉛直方向速度変動は50%程度増加し,これに伴いガス交換係数も12%程度増加することが分かった.

 このようなレイノルズ数効果に対して,式(1)は定量的なガス交換係数の予測を与えることを確認した.

 界面活性物質が乱流場及び,物質輸送に与える影響は,以下のように纏められる.

 マランゴニ効果は,界面発散を伴う運動,すなわち,界面上の渦なし流れを選択的に減衰させる一方,ソレノイダル成分に関しては,ほとんど影響を与えないことが明かとなった.また,ガス交換係数は,マランゴニ数の増加と共に著しく減少し,さらにマランゴニ数を増加させるとある一定値に収束することが分かった.

 これは,マランゴニ数の増加のために,界面をpenetrateする速度変動が著しく減少するためである.このような流れ場では,界面をpenetrateする速度変動の抽出が重要となる.本研究では,界面発散の時系列データと周波数スペクトルを用いる二つの抽出法を提案した.その結果,ある程度以上,マランゴニ数が大きい場合,大部分の速度変動が界面をpenetrateせず,この場合,物質輸送の観点からは,界面は固体壁面と等価であることが分かった.実際に,十分高いマランゴニ数では,ガス交換係数が固体壁面のデータに近付くことが確認された.

 以上,本研究で得られた知見を纏める.自由界面における物質輸送機構は,界面のpenetrationが本質である.ある速度変動が界面をpenetrateするための条件は速度変動の二つの時間スケール比β/ωが1よりも十分大きいことである.これは,濃度境界層が速度境界層に対して十分小さい場合,シュミット数に依存せずに成立する.従って,何らかの方法で界面のpenetrationのイベントを抽出することにより,界面下のミクロな物理現象に基づくガス交換予測が可能と成る.

 近年,界面におけるPIV計測や赤外放射計測が発達し,非接触で界面情報の取得が可能となりつつある.将来的には,これらの技術を用いて界面をpenetrateするβを見積もり,これと式(1)を用いることで,より高精度なガス交換予測が可能になると思われる.

(以上)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,「自由液面炭酸ガス吸収に対する高シュミット数乱流物質輸送モデルに関する研究」と題し,6章より成っている.

 近年,地球規模の温暖化予測の観点から,主要な温室効果ガスである炭酸ガスの大気・海洋間の交換の予測精度の向上が強く望まれている.従来,海洋界面におけるガス交換係数を見積もる際,バルク法と呼ばれる海上風速との相関に基づく経験式が広く用いられており,大気中の炭酸ガス濃度を予測するための気候モデルにも組み込まれている.しかし,この経験式は大きくばらついた観測データをフィッティングしたものに過ぎず,十分な物理的理解に欠け,その信頼性も不十分である.一般に,炭酸ガスのような,低溶解度,且つ高シュミット数(Sc=V/D,Dは液中での物質の分子拡散係数,Vは液の動粘性係数)の物質交換では,液側界面近傍における薄い濃度境界層内部(20-200μm)の物質輸送機構が支配的となる.上述のミクロな輸送機構は,海上風速以外の因子,すなわち,海洋のうねり,温度成層,界面活性物質の吸着などの影響を受けるため,ガス交換係数を風速などのマクロな変数のみで整理することは妥当ではない.

 近年,より一般的で,界面の化学的な状態も考慮し得る数学的モデルの構築を目標として,局所の界面情報を用いた界面物質輸送モデルが提案されている.これまで,界面情報として,界面勾配,界面発散,界面せん断などを用いた物質輸送モデルが提案されているものの,局所の速度場・濃度場の同時計測は今なお困難であり,これらモデルの物理的根拠を詳細に吟味することは可能ではない.上述の課題に対して,数値計算は強力なツールとなるが,これまで低シュミット数(Sc〜O(1))でのシミュレーションに限られており,高シュミット数効果に関して知見が得られていない.

 以上の背景から,本論文では,界面せん断により生成される数センチメートルオーダーの気液乱流場,及び付随する高シュミット数物質輸送を数値シミュレーションにより再現している.この際,従来計算例のない高シュミット数(Sc=100)における濃度場の計算を行うため,ハイブリッドDNS/LES法を開発し,界面物質輸送を支配する流体運動を明らかにし,ミクロな物理現象に基づく界面物質輸送モデルの構築を試みている.更に,そのモデルをより高レイノルズ数の流れ,あるいは汚れのある界面に適用し,モデルの検証を行っている.

 第一章は序論であり,大気・海洋間のガス交換に影響を及ぼす様々な因子を物理的因子と化学的因子に大きく分類し,それらについて概説している.主に物理的因子に着目し,ガス交換係数の高精度予測のための方法論を論じた後,ミクロな物質輸送現象の理解を進めること,及び物理現象に基づいた一般的な界面物質輸送モデル構築の必要性を説いている.また,高シュミット数濃度場の数値計算を行い,局所の界面スカラー束を支配する界面情報を特定した上でモデルを構築すること,さらにモデルを高レイノルズ数流れや汚れのある界面など,より現実に近い条件下で検証する必要があると論じている.

 第二章では,ハイブリッドDNS/LES法の開発を行っている.界面近傍の薄い濃度境界層内部の濃度場は直接数値計算(DNS)を適用し,その外側ではサブグリッド・スカラー束を組み込むことで,現実的な計算負荷に保ちつつ,従来例のない高シュミット数(Sc=100)における濃度場計算に成功している.可視化により,瞬間的界面スカラー束の大きな領域は斑点状の構造として確認され,液中の縦渦により誘発されるバルク流体の界面への衝突(スプラッティング)と良く対応することを明らかにしている.また,両相の大きな密度比のため,上述の縦渦構造は液側の粘性スケールで支配されており,気液間の乱流構造の相互作用は極めて弱いことが示されている.以上の結果を基に,界面スプラッティングの強度を表す界面発散は,高シュミット数においても界面物質輸送モデルに取り込むべき最も有力な界面情報であると結論付けている.

 第三章では,界面発散と界面スカラー束を定量的に関係付けるモデルの構築を目的として,界面垂直方向のみを考慮した一次元移流拡散方程式の性質を調査している.具体的には,界面発散が,ある単一の周波数ω,振幅βで変動する場合を想定している.この時,上記の一次元移流拡散方程式は,適切にスケールリングすることにより,シュミット数に依存せず,βとωの比のみに支配されることを示している.更に,β>ωを満たす界面発散のみが界面を更新し,物質輸送を促進することを明らかにしている.この時,界面直下では対流項と拡散項の釣り合いにより濃度分布が決まるため,界面発散の強度bを用いて解析的に界面スカラー束を予測できるとしている.本結果は,ハイブリッド計算で得られた時系列データを用いて検証され,清浄な界面では定量的なガス交換量の予測が可能であることが示されている.

 第四章では,界面物質輸送モデルをより高レイノルズ数の流れに適用し検証を行うと共に,界面物質輸送に対するレイノルズ数効果を明らかにしている.まず,ラグランジュ法に基づくシミュレーションから,レイノルズ数Re=150, 300でガス交換係数が10%程度増加することを報告している.さらに,スカラー粒子輸送に寄与する乱流場の条件付き抽出を行い,界面下に生成される縦渦構造の長さスケールは粘性長さで整理されるものの,速度スケールはレイノルズ数の増加に伴い20%程度上昇し,ガス交換が促進されることを明らかにしている.また,従来の界面更新モデルでは,ガス交換係数に対するレイノルズ数効果を予測することはできず,一方本論文で構築されたモデルによって,定量的な予測が可能となることを示している.

 第五章では,界面汚れに伴うマランゴニ効果が気液乱流場,及び界面物質輸送に与える影響を論じている.まず,マランゴニ数の増加と共に,液側の平均速度分布は壁乱流のそれに近付くものの,水平方向の速度変動は依然として大きな値を保ち,壁近傍の流れ場とは本質的に異なる性質を有していることを明らかにしている.また,界面の速度変動を渦なし成分とソレノイダル成分に分解し,自由界面乱流場に対するマランゴニ数効果は,渦無し成分の選択的な減衰であることを明らかにしている.界面汚れのある流れ場に対して数値シミュレーションを行った結果,マランゴニ数の増加と伴にガス交換係数は著しく減少し,さらにマランゴニ数を増加させると固体壁面のデータに収束することを明らかにしている.これは,界面を更新する速度変動の著しい減少で説明され,界面を更新する速度変動を抽出し,本論文の界面物質輸送モデルを適用することによって,ガス交換係数の定量的予測が可能であるとしている.更にマランゴニ数が増加すると,界面を更新する速度変動の大部分が減衰し,物質輸送機構が自由界面から固体壁面へと移行することを述べている.

 第六章は結論であり,本論文で得られた成果をまとめている.

 以上,本論文では,ミクロな物理現象に基づく一般的な界面物質輸送モデルの構築を目的とし,ハイブリッドDNS/LES法による高シュミット数濃度場の数値シミュレーションを行い,物質輸送を支配する流体運動を特定している.その結果,界面の更新が界面物質輸送の本質であり,この時,界面下の濃度分布は対流項と拡散項の釣り合いで決定され,界面発散によって局所の界面スカラー束を定量的に予測できることを明らかにした.さらに,構築された界面物質輸送モデルをより現実的な界面,すなわち高レイノルズ数流れ,及び汚れのある界面に適用し,その予測に一般性があることを示している.

 これらの結果は,地球環境問題や化学製造プロセスにおける気液界面物質輸送現象機構に重要な知見を加え,それらの数値予測精度の向上にも繋がるもので,熱流体工学をはじめ機械工学の上で寄与するところが大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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