学位論文要旨



No 119706
著者(漢字) 佐藤,琢哉
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タクヤ
標題(和) 非線形光学を用いた遷移金属酸化物の電荷・スピン状態の検出
標題(洋)
報告番号 119706
報告番号 甲19706
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5911号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 助教授 岡本,博
 東京大学 助教授 島野,亮
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

 線形光学はその優れたスペクトル、空間、時間的分解能のために電子物性を調べる強力な方法である。一方、非線形光学では2つかそれ以上の光子が関わってくるために、線形の場合と比べて新たな自由度を持つ。そのため線形光学と相補的な役割を担う。2次の光学感受率χ(2)は系の各々のサイトが持つ対称性に依存しているため、対称性のわずかな変化で非線形光学応答は劇的に変化しうる。その最たる二つの例として界面第二高調波発生(SHG)と磁気SHGが挙げられる。

 前者の例においては、反転対称性をもつ物質でSHGは電気双極子近似の範囲で禁制であるのに対し、その表面や界面においては対称性の破れによって許容である。線形光学では光が侵入する範囲内すべてをプローブするのに対して、SHGは界面の電子状態のみに敏感となる。後者の例では、磁気的な長距離秩序が生まれることで系の対称性が低下することを反映して、磁気SHGが観測される。これは強磁性秩序のみならず、反強磁性秩序でも同様である。Faraday効果のような線形磁気光学においては反強磁性体の2つの副格子によって信号が相殺されてしまうために、反強磁性体を調べることはできない。そのため、磁気SHGは反強磁性を調べるユニークかつ強力な手法であるといえる。

 このような非線形光学を用いる舞台は、遷移金属酸化物である。d電子のもつ強いクーロン相互作用や交換相互作用のために、電荷・スピン・軌道が強く結合した系として、NiOのMott絶縁体を始めとして、Cu酸化物の高温超伝導やMn酸化物の巨大磁気抵抗効果など多彩な物性を示す。

 本研究では、第2章においてMn酸化物薄膜の界面における特有な電子状態を界面SHGを用いて観測した。第3章では反強磁性体NiOのスピンダイナミクスを磁気SHGなどにより調べ、さらに第4章において非線形磁気光学をより一般的に多くの種類の磁性体に適用する手法を開発した。

 第2章 Mn酸化物薄膜における界面結晶場敏感な第二高調波発生

 Mn酸化物はその物性がキャリアドープや格子定数に敏感であり、強磁性金属、反強磁性絶縁体、軌道秩序、電荷秩序など多彩な電子相を示す。近年では急峻な界面を持つ薄膜作製が可能になってきており、多層膜界面における電荷移動やストレイン効果の結果、新しい相の出現、スピンキャンティング、スピンフラストレーションなどが提案されている。これらの界面物性はデバイス開発においても重要であり、実際、Mn酸化物からなるTMRの動作温度低下のメカニズム解明や酸化物トランジスタの提案がなされている。このように、界面での電子状態を調べることが必須である。

 そこで、界面のみの電子状態を選択的に抽出可能なSHG技術を用いることにより、界面物性を支配する現象である「電荷移動」をMn酸化物界面で観測し、そのスペクトロスコピーを行った。試料としてLSAT基板上にLaMnO3、SrMnO3、LaMnO3/SrMnO3、SrMnO3/LaMnO3の4種類の構造を作製した。それらはRHEED、AFM、X線を用いて評価され、layer by layerモードでエピタキシャルに2次元成長し、原子レベルで平坦な表面を持つことが確認された。それらの薄膜及び基板のSHGを室温にてMakerフリンジ法で測定した。現象論的モデルを用いてバルク、表面、極性不連続ヘテロ界面からの寄与を分離することにより、SrMnO3-LaMnO3界面における電荷移動が明らかとなった。さらに、SrMnO3-LaMnO3、空気-SrMnO3各界面でのχ(2)スペクトル(それぞれχSL,χaSは、2.0eV付近にピークを示した(図1)。Hartree-Fock法を用いた数値計算によると、ピークは界面のSrMnO3におけるO2p軌道-Mn3d軌道の電荷移動励起によることが明らかとなった。

第3章 反強磁性体NiOにおけるスピンダイナミクス

 磁性体のスピンダイナミクスは、次世代の「超高速」スピントロニクスにおいて極めて重要である。TMRを用いたMRAMでは強磁性薄膜の磁化の反転速度が読み書き速度を決定する。超短パルスレーザーを用いたポンプ-プローブ法はすべての実験の中で最も高い時間分解能を持ち、実時間軸での観測が可能である。強磁性体の超高速スピンダイナミクスは、磁気Kerr効果等を用いて調べられてきたが、反強磁性体に関する知見はほとんどないのが現状である。

 そこで、非線形光学を用いて反強磁性体NiOのスピンダイナミクスをポンプ-プローブ法により調べた。スピン系をプローブするSHGと、格子系をプローブするTHG、電子系をプローブする基本波反射を同時観測すると、緩やかに減衰しながら振動するコヒーレント成分と、各サブシステムの温度緩和を表すインコヒーレント成分が認められた(図2)。まずインコヒーレント成分では、基本波反射とSHGは励起と同時に変化し、100psにわたって緩和するのに対し、THGは励起直後は変化せず、その後ゆっくりと変化していくことがわかる。これは"電子系とスピン系"と"格子系"の結合が弱いことを示唆する。ωにおける基本波反射とSHGに見られる振動成分をフーリエ変換すると、基本波の振動周波数はエネルギーに換算して約0.112meV、SHGは約0.107meV、0.116×2meVとなった。この値は、NiOの容易磁化軸<112>とそれに垂直な軸<111>の間の磁気異方性エネルギーD1=(0.10±0.01)meVとほぼ同じである。さらに振動振幅がポンプ光強度に対して閾値を持つことを観測した。これらの結果は以下のように解釈された。「まずポンプ光照射の間、磁気異方性が変調を受け、Ni2+スピンの磁気容易化軸が<112>から<111>に変わる。これは"<112>相"から"<111>相"への光誘起磁気相転移の一つと考えられる。ポンプ光照射後はポテンシャルは元の状態に戻るが、電子は2つの相にコヒーレントに共存する。そのためプローブ光によりSHGを観測すると、2つの基底状態のエネルギー差である磁気異方性エネルギーに相当する周波数を持つ量子ビートが観測される。」さらに、この振動は時間差を持つ2つのポンプ光により制御された。それぞれのポンプ光が単独で起こす振動どうしが同位相の時は、2つのポンプ光による振動の振幅は倍増し、逆位相のときは振動が打ち消しあった。このことは、室温における超高速スイッチングの可能性を与える。

 第4章 NiOとKNiF3を用いた共鳴増強磁気和周波発生

 前章で述べたように、非線形磁気光学効果は磁性体、特に反強磁性体を光学的に測定するユニークかつ強力な方法である。しかし電気双極子近似では、SHGは反転対称性を持たない系でのみ許容であるが、多くの磁性体が反転対称性を持つことからSHGの利用は限られたものになってしまう。反転対称性を持つ磁性体を調べるために、界面SHG、磁気双極子型SHG、3次の非線形過程などが試みられてきた。しかし、任意の磁性体を扱うにはそれらの方法は十分に一般的とはいえない。

 そこで、反転対称性を有する場合も含めて任意の磁性体を研究するための有効な方法として、NiOとKNiF3を例にとって共鳴増強磁気和周波発生(SFG)を議論する。周波数ω1の波長可変レーザーを用いて中間状態へ共鳴的に励起し、周波数ω2の2つめのレーザーで非線形スペクトルω1+ω2を得る。この方法は、反転対称性をもつ物質に対しても有効に用いることができる。なぜなら、2次の非線形光学過程が電気双極子遷移よりも高次の過程でしか許容されていない場合でも、ω1での共鳴によってSFG信号が大きくなるからである。図3(a,b)はNiOの吸収スペクトル、(c)はSHGスペクトル、(d)はhω1=0.972eVにおける共鳴増強SFGスペクトルである。SHGでは2光子遷移に寄与する2つのフォトンエネルギーを独立に選ぶ自由度がないために、そのスペクトルはωと2ωにおける電子遷移の不可分な重なり合わせとなっている。多くの場合では、ωで共鳴増強する遷移が存在しないために、2ωにおける状態を調べることができないことになる。一方、共鳴増強SFGスペクトルでは、中間準位のω1を共鳴準位で固定し、ω1+ω2だけをスキャンするので、終状態ω1+ω2における非線形スペクトルを表しているといえる。また、信号強度が大きくなるので、SHGでは観測できなかったピーク(図3(d)左)も観測された。また厚く吸収の大きい試料においても共鳴増強和周波発生技術は有効であることもKNiF3を用いて示された。

 第5章 結論

 第2章ではSHGを用いてMn酸化物薄膜界面における電荷移動を明らかにした。第3章では反強磁性体NiOのスピンダイナミクスを取り上げ、3温度モデルによる解析、光誘起相転移、量子ビートの観測、ダブルパルスによるビート制御など議論した。4章では任意の対称性を持つ磁性体に非線形磁気光学を用いるための共鳴増強磁気和周波発生技術により、SHGでは得られない情報が得られることを示した。以上のように、非線形光学を用いて遷移金属酸化物の電荷・スピン状態の検出を行った。特に界面特有の電子状態や反強磁性体のスピン状態といった、マクロな物性には現れにくいものに焦点を絞り、非線形光学の有用性を顕わにした。

図1:Mn酸化物界面におけるχ(2)スペクトル

図2:ポンプ光励起によるSHG(黒丸)、ωにおける基本波反射(黒四角)、2ωにおける基本波反射(灰三角)、THG(白抜き丸)の時間発展

図3:(a,b)吸収スペクトル、(c)SHGスペクトル、(d)SFGスペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 高い時間・空間・エネルギー分解能が比較的容易に得られる光学的測定法は、物質科学において最も汎用性のある研究手法の一つとして定着している。この汎用性は、光が物質内に遍在する外殻電子と強く相互作用することに起因するが、この強い相互作用は逆に強いバックグラウンドとなって、全体の中で希にしか起こらない過程を覆い隠してしまう働きもする。このような状況下で、非線形光学現象は特定の対称性やエネルギーレベルを選択的に強調する有力な手法である。本論文は、非線形光学過程の中でも最も次数が低く従って効率も高い二次の非線形性に注目し、これを遷移金属酸化物に応用してその有用性を示したものである。

本論文は全4章よりなる。

 第1章は序章であって、二次の非線形光学効果に着目する理由が簡潔に述べられている。

 第2章は、Mn酸化物薄膜における界面第二高調波発生と題して、価数の異なるMnイオンからなる酸化物の界面を第二高調波発生(SHG)法によって調べた結果が記されている。LaMnO3(LMO)とSrMnO3(SMO)はバルク結晶中では反転対称性を持ち、電気双極子近似ではSHG効率は厳密にゼロになる。一方、これら結晶でもその表面では反転対称性が破れているためSHG活性であるが、この両者の接合界面においては、接合面の両側においてMnの形式価数が異なるため、表面とは異なる効果が期待される。そこで、透明ペロフスカイト基板上にレーザーアブレーション法で作製したLMO、SMOおよびその組み合わせの薄膜について、第二高調波発生効率を測定したところ、酸化物と基板の界面からの寄与は殆ど無く、また接合面からの信号は酸化物表面からの信号に比べて数倍大きい事が観測された。また、接合面からの信号は、LMO/空気/SMO構造の空気層をゼロにした極限として期待されるものよりも桁違いに大きいことが分った。このことは、接合界面に特有の非対称な電子状態が存在することを示唆し、SHGによって物質内部の界面を選択的に検出することが可能であることが示された。

 第3章では、NiOのスピンのダイナミクスをSHG法によって検出した結果が述べられている。NiOは523Kという高いネール温度を持つ反強磁性体であり、交換バイアスによって強磁性体素子の磁化方向を規制するための有効な物質であると期待されている。ところが、反強磁性体のスピンの運動については、巨視的な磁化や線形の磁気光学効果で検出することが出来ないため、未知の部分が多い。ところで、NiOではSHGが反強磁性秩序を反映することが知られている。NiOを光励起し、そのSHG効率を時間遅れのついた第二の光パルスで検出するポンプ・プローブ法を用いたところ、100ピコ秒を優に越える長いコヒーレンス時間を持った振動現象が観測された。その基本周波数(約28GHz)は、反強磁性共鳴周波数よりも桁違いに小さく、磁気異方性に由来する反強磁性スピン全体の振動現象であると推測された。この現象はポンプ光強度について明確な閾値が存在し、磁気異方性の不安定な極値が瞬間的に安定化する一種の「光誘起相転移」であると解釈された。また、このコヒーレント振動はポンプ光に対して位相も含めた重ね合わせの原理が成り立つ事も示された。このことは、光によるスピン操作の可能性を与え、今後のスピントロニクスへ向けた重要な可能性を提供するものである。

 第4章では、NiOとKNiF3を使って、和周波発生(SFG)法の長所が示されている。SFGでは波長の異なる二つの光子が関与するため、中間状態、終状態のそれぞれに共鳴するような光子のエネルギーの組み合わせが可能である。このような二重の共鳴によって、磁気双極子遷移のような遷移強度の弱い過程を含む非線形光学過程が容易に測定可能なレベルまで増強される。通常のSHGでは検出できないような微弱な遷移と付随するフォノンサイドバンド、吸収スペクトルを避ける光子エネルギーの組み合わせによってバルクの非線形光学効果を容易に検出可能にする試みなどが示されている。

 以上を要するに本論文では、非線形光学効果を用いて、通常であれば大きなバックグラウンドの中に埋もれてしまう微弱な信号を選択的に取り出し、これが酸化物エレクトロニクスやスピントロニクスなど将来の工学の重要分野において汎用性のあるプローブとして有用であることをデモンストレートした。

 この点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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