学位論文要旨



No 119708
著者(漢字) 古川,章
著者(英字)
著者(カナ) フルカワ,アキラ
標題(和) 放射線により染色体に生成する損傷の視覚的評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 119708
報告番号 甲19708
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5913号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 佐藤,幸夫
 東京大学 助教授 石川,顕一
 東京大学 助教授 高橋,浩之
内容要旨 要旨を表示する

1-1 本研究の目的

 放射線による生体への影響として現れる種々の現象は、細胞中に存在して遺伝情報を保持しているDNA分子、およびその集合体である染色体に対する損傷に本質的に起因すると考えられる。したがって、これらの損傷を視覚的に観測し評価する技術を開発することは、放射線被曝事故発生時の被曝線量推定などの実用的応用から放射線影響の生物学的機構を解明するための学術的研究への応用に至るまで、放射線防護に関わるあらゆる領域において不可欠な重要性を持つものである。本研究では、こうした損傷の視覚的評価法の一つである、放射線により発生する二動原体型異常染色体の光学顕微鏡像画像解析による自動検出システムを開発した。

1-2 本論文の構成

 本論文の第一章では、「総説」として放射線による染色体の損傷、被曝線量推定への応用、およびその自動化の動向について概説したのち、本論文の目的と構成を述べる。

 第二章では、「二動原体型異常染色体の自動検出装置の開発」について、装置およびソフトウエアの構成、本研究で開発した画像処理の手法である、モルフォロジー演算を用いた分裂中期細胞の抽出、教師画像データからのメンバシップ関数の作製による染色体の分類、染色体像の形状からの動原体位置の検出、のそれぞれについて詳述し、また、染色体標本作製技術の改良および自動化、そして開発した自動検出装置を実際に使用して性能を評価し人間の目視による検出と比較した結果について記述する。

 第三章では、最近の計算機の高性能化および低価格化によって可能になった、実用機の製作について述べる。

 第四章では、以上を総括して「結論」とする。

1-3 二動原体型異常染色体による被曝線量推定

 ヒト末梢血液中のリンパ球を培養してスライドグラスに塗布し、染色をほどこしたものを顕微鏡で見ると、リンパ球のなかには細胞分裂の中期にあって染色体(chromosome)が観察できる状態になっているものが含まれている。これを分裂中期細胞(metaphase)という。染色体は正常なヒトの細胞では46本あり、各々の染色体は、2本の染色分体(chromatids)が、動原体(centromere)とよばれる部分でくびれて接合している形状をしている。

動原体は、染色体1本に1つあるのが通常であるが、まれに動原体が2つある異常な染色体がみられることがある。これを二動原体(dicentric)という。これは、2本の染色体がそれぞれ切断・再結合し、動原体を含む断片同士が結合したことによって発生したものである。この二動原体は自然発生頻度が低く、形態的にも識別しやすいので、放射線被曝のもっとも鋭敏で正確な生物学的指標とされている。

 放射線に被曝した細胞ではこの二動原体および環状染色体の出現率が線量に応じて増加するため、この出現率を調べることにより被曝線量を推定することができる。この二動原体染色体の出現率による線量推定法は、線量が低い場合には多数の細胞を顕微鏡で観察する必要があり、自動化による作業の支援が求められていた。

2-1 自動解析システムの構成と機能

 試作した自動解析システムは、ステッピングモータにより駆動されるXYステージと自動焦点装置を持つ自動光学顕微鏡、画像入力装置および制御と画像処理を行う計算機から構成されている。

 また、本システムのソフトウエアは、以下の1)〜4)の処理を行うモジュール群と、その操作をするためのGUI(グラッフィックユーザインターフェース)から構成されている。

1)スライドグラス上の分裂中期細胞を検出し、その位置を記録する。

2)分裂中期細胞の拡大像を撮像し、以後の画像処理に適したものを選別する。

3)細胞中の個々の染色体を切り離し、染色体上の動原体の位置を検出する。

4)異常染色体の候補を画面に表示し、必要により人間が見て修正する。

5)結果を集計し異常染色体の発生率を求める。

2-2 分裂中期細胞の検出

 スライドグラス上の分裂中期細胞の検出は、二値化した入力画像に対し、数理形態学(Mathematical Morphology)的演算、あるいはモルフォロジー演算と呼ばれる手法による基本的処理である膨張(Dilation)、収縮(Erosion)、およびこれらを組み合わせて行う開放(Opening)や閉鎖(Closing)などの処理を施すことにより、染色体に相当する大きさの小粒子が集合して形成された分裂中期細胞に相当する大きさおよび形状の集合体を抽出することによって行った。

2-3 分裂中期細胞像の拡大像の撮像と選別

 二動原体染色体の有無を判定するために、上述の処理により検出された個々の分裂中期細胞を拡大して撮像する必要がある。対物レンズを100倍のものに切り替え、検出された分裂中期細胞の位置にXYステージを駆動してスライドグラスを移動し、1024×1024画素の解像度で撮影する。このとき、自動的に位置を修正して分裂中期細胞が視野の中心に入るようにし、細胞像が画面枠全体に入る大きさになるようにズームレンズにより拡大する動作を行う。

2-4 二動原体染色体の検出

 染色体上の動原体の位置の検出は、まず分裂中期細胞像から個々の染色体を切り出すセグメンテーション処理を行い、切り出された画像を分類して染色体のみを取り出し、その主軸を求め、主軸に直交した方向の濃度分布から動原体の位置を判定するための特徴量のグラフを作成する。それらを得点化して掛け合わせて得られたグラフから動原体の位置を判定する。

 切り出された染色体を分類するときに、あらかじめ正しく分類された画像データ(教師データ)より抽出した特徴量のヒストグラムを各分類別に求めて、それを基にメンバシップ関数を自動生成し、これを用いて分類を行うという独自の手法を使用している。

 また、セグメンテーション処理および動原体検出処理を行うときに取得した特徴量を用いて分裂中期細胞の格付けを行う。

2-5 レビューおよび集計結果表示

 複数の動原体が検出された染色体、すなわち異常染色体の候補を画面に表示し、人間がその正誤を判定して検出結果の修正を行う。全て検査し終えたら、異常染色体数、異常染色体を含む分裂中期細胞数、異常発生率などを集計した結果を表示する。

2-6 自動化のための標本作成法

 染色体異常の自動解析を行うためには、画像処理システムを開発するのみでは不十分であり、自動解析に用いる標本の作製法に関しても改良または新規開発が必要である。このために行われた以下の事項について述べる。

1)培養法の改良とバックグラウンド除去法の開発。

2)染色体標本の自動作成装置の開発。

3)自動培養ロボットの開発。

4)標本作製に適した自動焦点用スライドグラスの評価。

2-7 評価実験

 本システムの性能を評価するため、同一試料を本システムと専門家が観察し、二動原体型異常染色体の発生率の線量効果曲線を求める実験を行った。健常な成人男性の末梢血を採取し、X線を照射した後スライドグラス上に染色体標本を作成した。試行は高線量領域を用いた試行1と、低線量領域を用いた試行2の2回に分けて行った。 X線照射量は試行1で0、94.5、189.0、および283.5 cGy、試行2では11.3、23.6、47.3および94.5 cGyであった。両試行とも各線量について1枚のスライドグラスを使用した。

 試行1の結果では、本システムによって求められた線量効果曲線は人間の専門家による結果よりも低い値を示したが、両者は良好な比例関係にあるため、本システムで得られた異常発生率に一定の係数を乗ずることにより人間による結果に一致する。試行2では分裂中期細胞の選別を試行1よりも厳しく行ったため、自動装置による結果は人間による結果と同様ものとなっている。

2-8 実用機の製作

 上述の自動システムを開発した後、このシステムを更に発展させることを必要とさせるような以下のような状況の変化があった。

1)計算機の高性能化・低価格化

2)全自動顕微鏡の市販開始

3)自動化に適する新しい染色法が開発された

4)被曝事故が各地で頻発したことから、高速・大量処理への需要が高まった

 このような状況の変化に対応すべく、これまでの成果を活用しつつ、市販の部品を使用することにより低価格化を図った普及機を製作し、6台を国内各地の研究機関に設置した。

3-1 結論

 本研究において、放射線被曝時の線量推定のための二動原体型異常染色体の自動検出装置、およびこれに用いるための染色体試料作製に関連した技術を開発し、実用可能な性能を有するシステムを実現することができた。染色体試料作成法の改良およびその自動化といった周辺技術の開発までも含めた、総合的な線量評価自動化システムの開発に成功したのは、世界的にも類をみないものである。性能向上と普及化の両面においての今後の発展が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 生体自身を用いた放射線の線量測定は、放射線の人体に対する影響を評価する際に、対象が類似しているので損傷メカニズム的に近い量で可能であるという利点がある。そのような観点から歯や骨の電子スピン共鳴測定が試みられたり、あるいはリンパ球減少とか遺伝子突然変異を検出しようという試みがなされてきている。更には、実験室内でカナリア等の鳥を飼ってみたり、あるいは植物を栽培する可能性も議論されてきている。

 このような方法は、生物学的線量推定法として、従来より試みられてきたが、放射線測定感度の点や生体試料によるばらつきなどもあって、特に低線量への適用には限界のあるものが多いが、本論文では二動原体の出現率を適用してこれを実現しようとしている。本論文は4章で構成されている。

 第1章は序説で、この生物学的線量推定法についていくつかの他の方法の特徴を紹介するとともに、それぞれの方法の限界も説明している。又、同時に染色体のくびれと言われる動原体が普通は染色体1体に1つあるのが通常であるが、まれに2つくびれがある異常なものがあり、これを二動原体(dicentric)と呼ぶ。これは染色体が切断・再結合されて発生する異常型である。これ以外にも環状染色体が異常型として発生する。これらの二動原体や環状染色体は自然発生頻度が低く、放射線被曝に対して最も感度がよい生物学的指標であり、実際1999年のJCO臨界事故の際にもこの方法が電気泳動法などを用いて適用されている。この染色体観察法を自動的に行うことが今回の研究の目的である。

 なお、染色体自動観察法以外に、生物学的線量推定法の例として、「未含有血リンパ球数の測定」「小核試験」「遺伝子突然変異の検出」「歯や骨の電子スピン共鳴」について本章でサーベイされており、感度的に不充分で問題があると評価されている。

 第2章は、異常染色体の自動検出装置の試作について記述した章であり、この装置はハード的には(1)ステッピングモーターにより駆動されるXYステージ(2)自動焦点装置を持つ自動光学顕微鏡(3)画像入力装置及び(4)制御と画像処理を行う計算機から構成されている。これらを用いて二動原体を検出するための自動的な画像処理法について詳述している。この方法を染色体評価の専門家の評価結果と比べると、正答率は97.0〜97.8%であった。最終的には、人間による形状あるいは画像判断を含めて異常染色体数としているので、実際は半自動であるが観察者としての人間の労力はかなり削減されている。

 また、以上の自動検出システムについての成果を用いて、実用機を製作し、国内の6研究施設に設置して性能評価実験を行なっている。この実用機では最近の計算機の発展を考慮してパソコン上で動作する汎用画像ソフトの処理機能を利用している。

 第3章は、放射線で損傷した染色体やDNAを直接可視化することが可能と期待される方法として、原子間力顕微鏡(AFM)の使用による観察実験を行っている。本研究ではプラスミドDNAの1本鎖切断が生じて出来る開環状構造のものと、2本鎖切断を生じて出来る線状構造のものを、原子間力顕微鏡で観察して、従来の電気泳動法による結果と比較し殆んど同じような傾向の結果が得られると説明している。

 今回は、測定試料の数が少ないのでばらつきを生じているが、この方向で染色体異常やDNA損傷を直接的に観察できる可能性があることを示した。

 第4章は、結語であり、本研究のまとめと今後の課題について述べている。低コストの染色体異常検出の実用機の実現とDNA鎖損傷のAFM観察可能性を実証するという方向性により、近い将来には実際的な生物学的線量推定法が可能との技術的結果を示しており、この生体を対象とした放射線線量測定の分野に大きく貢献していると言える。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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