学位論文要旨



No 119709
著者(漢字) 康,
著者(英字)
著者(カナ) カン,イ
標題(和) 核融合炉液体ブランケット用Li-Sn合金中の水素同位体挙動
標題(洋) Hydrogen isotope behaviors in Lithium-tin alloy as a potential liquid breeder or coolant for fusion reactor
報告番号 119709
報告番号 甲19709
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5914号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 助教授 鈴木,晶大
 東京大学 助教授 阿部,弘亨
内容要旨 要旨を表示する

 核融合炉は化石燃料に変わるエネルギー源の1つとして大きな期待が寄せられている。しかしながら、現在のところ、環境への影響を低減し高安全性を確保しながら、正味のエネルギーゲインを得るためには高コストが予想され、このことが、信頼に足る商用エネルギー源としての核融合炉の将来性を不確実なものとしている。核融合炉を他の代替エネルギー源と競合できるようにするためには、コストと安全性の観点からのブランケット研究開発が必要となっている。

 核融合炉液体ブランケット概念において、液体増殖材料中のトリチウム挙動は、核融合炉のコストと安全性に対して大きな意味を持つ。例えば、リチウム鉛共晶合金を液体増殖材料として用いる場合、トリチウム溶解度が非常に小さい事から配管構造材料からのトリチウムの透過漏洩が安全上の重要課題となっている。また、液体リチウムを液体増殖材料として用いる場合はトリチウム溶解度が大きい事からトリチウム透過漏洩の課題は低減されるものの、逆に液体リチウムからトリチウムを取り出す事が非常に困難となっており、トリチウム回収コストが増大すると考えられる。

 近年、核融合炉液体第一壁概念におけるトリチウム増殖材兼冷却材として、新しい液体増殖材料候補―リチウム錫合金(LiSn)―が提案されている[1]。本研究は、リチウム錫合金のトリチウム増殖材兼冷却材としての可能性を、この合金中のトリチウム挙動を研究する事によって探求する事を目的とする。具体的には、リチウム錫合金について、トリチウム拡散係数と溶解度を測定し、トリチウム漏洩問題及び回収問題について考える。

 なお、本研究におけるリチウム錫合金の組成については、高トリチウム増殖比、低蒸気圧、低融点の観点からLi20Sn80を選択した。

1、液体Li20Sn80合金の密度測定

 Li20Sn80合金を研究する上で、密度は最も不可欠な基本的特性の一つである。信頼に足る密度データは、本研究においても、トリチウムの生成速度計算や拡散係数を求めるために必要不可欠になっている。

 Li20Sn80合金密度の測定は、673-873Kの温度範囲で直接アルキメデス法によって行った。測定誤差として影響を与える要素としては、合金の自然対流、合金の表面張力、及び、合金表面に生成する酸化物膜やスラグの影響等が考えられる。このうち、自然対流が重りに与える影響、及び、表面張力がワイヤに与える影響については、適切な実験条件によって低減する事が可能であった。また、その他の影響についても、二種類の重さの異なる重りについての比較を行う事で、影響を相殺した。

 図1に、Li20Sn80合金の密度測定の結果を示す。結果は以下の式で表す事ができる。

Pt[g/cm3]=6.380-4.745×10-4T[K] (673-873K)(1)

 Li20Sn80合金について2種類の金属元素の理想溶体として考えた場合のモル体積をVAidealとし、合金の実際のモル体積VAとした場合、図2に示すように、実際のLi20Sn80合金密度は理想溶体と比較して大きくなる事がわかる。このことから、合金中におけるリチウム原子と錫原子は、それぞれの金属原子が独立に存在している場合と比較して、より大きな相互作用を及ぼし安定化する事によって、理想溶体と比較して体積を減少させていると考えられる。

2、原子炉を用いたトリチウム拡散実験

 東京大学の高速中性子源炉「弥生」を用いたトリチウム放出実験によって、トリチウムの拡散係数及びトリチウム溶解度を測定する研究を行った。実験は500Wと2kWの原子炉出力下で、溶融Li20Sn80合金を673Kから873Kに加熱し、合金と接する気相中の水素分圧を1.1kPaから101kPaまで変化させて行った。

 溶融Li20Sn80合金を細長い円筒状のサンプルホルダー内に装填した。Li20Sn80合金の表面積を考えた場合、トリチウム回収用のスイープガス中に放出されるトリチウムのほとんどは、円筒の径方向へ移動してサンプルホルダー壁を透過するものであると考えられる。図3に、この実験体系におけるトリチウム移動モデル示す。

 本来、このような体系におけるトリチウムの移動はいくつもの拡散方程式の長い数学的記述として与えられるが、実験体系の解析のためには、いくつかの仮定を置いて単純なモデルを適用しその条件下での実験を行う事とした。すなわち、拡散律速による定常状態モデルであり、トリチウムの金属内拡散が律速過程であり、時間的定常が達成されている状態におけるモデルである。このモデルでは、実験結果からトリチウム拡散係数を非常に単純に計算する事ができる。トリチウム停留時間と、トリチウム拡散係数及び溶解度の関係は以下のように表す事ができる。

ここで、Dはトリチウム拡散係数、Ksはジーベルト係数、Pは密度、Wは分子量であり、添え字の1と2は、それぞれ、Li20Sn80合金及びアルファ鉄製の透過壁を示している。

また、a及びbはそれぞれ、鉄製の透過壁の内径及び外形である。

 この極めて単純なモデルを適用するためには、このモデルの条件を満たすように実験条件を設定する必要がある。

 トリチウム生成速度については、原子炉コアや照射試験体系を3次元形状で扱うモンテカルロ核粒子輸送計算コード(MCNP)による合金中でのトリチウム生成速度分布の計算を行なった。図4に、トリチウム生成速度分布の典型的な結果として、Y軸及びZ軸を固定した状態で、X軸に沿って-3mmから3mmまで変化させた際の変化を示す。なお、X軸とY軸の交点は円筒状の合金断面円の中心である。この結果より、径方向に沿ったトリチウム生成速度の差は、最大で-4.4%から7.3%にも及ぶ事がわかる。この結果をモデルに適用するために、合金中の位置プロファイルを詳細に計算した結果を0次近似し、合金中どこでも一定な値として用いた。

 鉛直方向へのトリチウム放出については、径方向に比べて合金の比表面積が小さいこと、及び、気液表面が酸化物等で覆われている事から非常に小さいと考えられ、実験体系においてもモデルにおいても径方向へのトリチウム拡散のみを考える のが適切である。また、本実験体系において得られるトリチウム放出係数は小さく、すでに多くの測定値が報告されているサンプルホルダー外側での水素の再結合が律速過程にはならない事がわかった。この事は、本実験体系においてトリチウム拡散が律速過程である事を示している。モデルを適用するためには拡散律速だけでなく、定常状態を実現しなければならないが、873K以下の場合、本実験体系における原子炉運転時間の範囲内では、定常状態を達成できなかった。一方、873K以上の場合は、定常状態が達成された。定常状態は、みかけのトリチウムインベントリーと照射後に放出される本当のトリチウムインベントリーを比較する事によって確認した。

 このように設定した適切な実験条件下で873KのLi20Sn80合金中のトリチウム拡散係数測定を行った。式(2)により、トリチウム停留時間からトリチウム拡散係数及びトリチウムのジーベルト定数を評価した。なお、合金中の水素のジーベルト定数の値は、リチウム中の水素のジーベルト定数102Pa -0.5と、錫中の水素のジーベルト定数107Pa-0.5の間にあると考えられる。結果を図5及び図6に示す。図5において、トリチウム拡散係数D1は負にはならないため、Ks1が10-5 Pa-0.5から10-2Pa-0.5の領域にあるとは考えられない。従って、図7に示すように、トリチウム拡散係数D1は10-9 m2/sのオーダーであり、トリチウムのジーベルト定数は、10-7Pa-0.5から10-5Pa-0.5の範囲内にあるという事ができる。

3、結論

 Li20Sn80合金中のトリチウム拡散係数の値は、Li17Pb83合金中の拡散係数(10-9m2/s)と同じ桁であった。また、Li20Sn80合金中のトリチウムのジーベルト定数は、錫中のそれに近い値を示した。Li20Sn80合金の密度は理想溶体のそれよりも小さく、リチウム原子と錫原子の強い相互作用があると考えられる。これらの結果から、Li17Pb83合金で見られた大きなトリチウムの透過漏洩課題も、また、Liで見られたトリチウム回収の課題も、Li20Sn80合金の場合ではそれほど大きくならないと考えられる。すなわち、Li20Sn80合金は、Li17Pb83合金やLiの短所を持たない材料候補であると言える。また、この合金の密度はLi17Pb83合金より小さく、冷却材として循環させる際に非常に大きなポンプ動力を必要としないという利点も挙げられる。

参考文献[1] Dai-Kai Sze, Richard F. Mattas, Zhanhe Wang, Edward Cheng, Mohamed Sawan: "Sn-Li, a new breeding material for fusion", presented at the 5th APEX Meeting, Nov. 2 - 4, 1998.

図1、合金の密度の温度依存性

図2、773KにおけるLi20Sn80合金のモル体積

1.T generation

2.T diffusion in the alloy

3.T diffusion in the wall

4.T across the interface of alloy and wall

5.T release on the surface

S:T generation rate

Kr:H and T recombination coefficient

Ks2:TSieverts' constant in Fe

PT2:HT pressure in the gas phase

C1,C2:T concentration in the alloy and Fe

D1,D2:T diffusion coefficient in the alloy and Fe

図3、径方向へのトリチウムの移動モデル

図4、X方向へのチリチウム生成速度分布

図5、低ジーベルト定数領域における拡散係数のジーベルト定数に対する依存性

図6、高ジーベルト定数領域における拡散係数のジーベルト定数に対する依存性

図7、873KにおけるLi20 Sn80合金の可能なジーベルト定数範囲

審査要旨 要旨を表示する

 核融合炉においては、燃料として使用するトリチウム(三重水素)を炉内のブランケットとよばれる機器で製造する必要があり、そのためにリチウムを含んだトリチウム増殖材料を使用するが、その特性を明らかにすることが、核融合炉の設計や安全評価上きわめて重要である。本研究は、これまでほとんど研究がおこなわれていないが、魅力的な増殖材料であるリチウム錫合金について、そのトリチウムの挙動を含むいくつかの重要な特性を明らかにしたものであり、6章から構成されている。

 第1章は序論であり、本研究の背景と目的について述べている。核融合炉は化石燃料に変わるエネルギー源の1つとして大きな期待が寄せられているが、核融合炉を他の代替エネルギー源と競合できるようにするためには、コストと安全性の観点からのブランケット研究開発が必要となっている。特に、核融合炉液体ブランケット概念において、液体増殖材料中のトリチウム挙動は、これらに関して大きな意味を持つ。

 近年、核融合炉液体第一壁概念におけるトリチウム増殖材料兼冷却材料として、リチウム錫合金(LiSn)が提案されている。本研究は、本候補材料のトリチウム増殖材料や冷却材料としての可能性を、そのトリチウム挙動をとおして検討する事を目的としている。

 第2章は、リチウム錫合金の製造方法とその結果について述べている。本研究におけるリチウム錫合金の組成については、高トリチウム増殖比、低蒸気圧、低融点の観点からLi20Sn80を選択している。

 第3章では、Li20Sn80合金を研究する上で、最も基本的な特性の一つである高温密度の測定について述べている。信頼性の高い密度データは、本研究においても、トリチウムの生成速度計算や拡散係数を求めるために必要不可欠であった。

 Li20Sn80合金密度の測定は、673-873Kの温度範囲で直接アルキメデス法によって行い、密度を温度の関数として表現している。測定誤差の因子としては、合金の自然対流、合金の表面張力、及び、合金表面に生成する酸化物膜やスラグの影響等が考えられるが、これらは、適切な実験条件の設定によって取り除く事が可能であった。

 測定したLi20Sn80合金のモル体積が理想溶体と比較して小さいことから、合金中におけるリチウム原子と錫原子は、それぞれの金属原子が独立に存在している場合と比較して、より大きな相互作用を及ぼし安定化する事によって、理想溶体と比較して体積を減少させていると結論している。

 第4章は本論文の中心部分であり、東京大学の高速中性子源炉「弥生」を用いた高温トリチウム生成放出実験によって、トリチウムの拡散係数及びトリチウム溶解度を測定した結果について述べている。

 溶融Li20Sn80合金を細長い円筒状のサンプルホルダー内に装填し、解析のために無限円柱体系中の径方向トリチウム拡散律速による定常状態モデルを適用し、その条件下での実験を行う事とした。本モデルでは、実験結果からトリチウム拡散係数と溶解度(ジーベルト定数)の関係を求める事ができるが、このモデルを適用するためには、その条件を満たすように実験条件を設定する必要がある。

 トリチウム生成速度に関しては、原子炉心や照射試験体系を3次元形状で扱うモンテカルロ核粒子輸送計算コード(MCNP)による合金中でのトリチウム生成速度分布の計算を行なった。この結果より、円柱軸方向および径方向に沿ったトリチウム生成速度の差は、最大でも-7.2%から4.3%であることを確認するとともに、本モデルを適用するために、合金中の位置プロファイルを詳細に計算した結果を0次近似し、合金中どこでも一定な値として用いた。

 気相へのトリチウム放出については、径方向に比べて合金の自由表面積が小さい事および気液表面が酸化物等で覆われている事から非常に小さいと仮定できる事、また、サンプルホルダー外表面での水素の再結合が律速過程にはならない事、さらに、873K以上の場合に定常状態が達成されることを確認した。

 このように設定した適切な実験条件下で873KのLi20Sn80合金中のトリチウム拡散係数測定を行い、トリチウム停留時間からトリチウム拡散係数及びトリチウムのジーベルト定数を評価した。その結果、トリチウム拡散係数は10-9m2/sのオーダーであり、トリチウムのジーベルト定数は、10-7Pa-0.5から10-5Pa-0.5の範囲内にあると結論している。

 第5章では、本研究で得られた結果をもとに総合的な観点から議論を行い、他の液体増殖材料との特性比較を通してリチウム錫の液体増殖材料研究における位置づけについて整理を行っている。特に、リチウム錫合金が、リチウムとリチウム鉛の中間的な特性を持ち、トリチウム回収やトリチウム透過漏洩という観点から、両者の欠点をカバーできる材料であると結論するとともに、今後の研究開発課題についてまとめている。第6章は結論である。

 以上を要するに、本研究は、新しい液体増殖候補材料であるリチウム錫合金について、トリチウムの挙動を含むいくつかの重要な特性を世界で始めて明らかにしたものであり、本研究で得られた成果は、核融合炉ブランケット研究開発に関して有益な知見を与えるものであるのみならず、核融合炉工学およびシステム量子工学に寄与するところが大である。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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