学位論文要旨



No 119713
著者(漢字) 南,広祐
著者(英字)
著者(カナ) ナン,グワァンウー
標題(和) 経口投与を目的とした自発架橋形成型水溶性リン脂質ポリマーハイドロゲルの特性と応用
標題(洋) CHARACTERIZATION OF SPONTANEOUSLY FORMING HYDROGEL COMPOSED OF WATER-SOLUBLE PHOSPHOLIPID POLYMERS AND ITS APPLICAION AS AN ORAL DRUG DELIVERY CARRIER
報告番号 119713
報告番号 甲19713
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5918号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 助教授 吉田,亮
 東京大学 講師 高井,まどか
 東京大学 講師 山崎,裕一
内容要旨 要旨を表示する

 リン脂質ポリマーである2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ユニットを含むポリマー(MPCポリマー)の水溶液を混合すると自発的にゲル化する。本研究の目的はMPCポリマー水溶液によるゲル化現象の解明と特性を調べて理論的に休系化し、このハイドロゲルを利用してインスリン口腔送達用ハイドロゲルを調製することである。

 食文化の変革に対応して、生活慣習病になる人口が急増し、大きな社会問題となっている。特に糖尿病は年々若年化する傾向があり、日本の潜在患者数は1400万人になるとも推測されている。糖尿病の治療のためにはインスリン投与が有効である。インスリンは食後に高くなった血糖値を下げ、血糖値をある水準に維持させる役割を果す。通常インスリンを投与する方法としては皮下へのインスリン注射がなされているが、痛みを伴うばかりでなく、操作性も悪い。これに代わるインスリン投与方法としてインスリン経口投与が考えられている。インスリンを消化器官に吸収させるこの方法は実際のインスリンの吸収率が非常に低い。そこで、新しい投与システムの開発が強く望まれている。本研究ではこのような社会的、医療的な要求に答えるため新規マテリアル創製を通じてインスリンの経口投与を実現することを目的としている。

 インスリン投与用マテリアルを選ぶ要素即ち、インスリンを運ぶルート、材料の生体適合性などを考えなければならない。そして、厳しい消化器官の環境下においてもインスリンを保護し、高い吸収率を得る戦略が必要である。本研究では水溶液中で溶在したポリマーが混合されことにより分子間相互作用が協同的に作用しゲル化する現象を見出し、これを新規インスリン経口投与システムへ利用することについて研究を行った。

 第1章は本研究の背景と意義、またハイドロゲルに関する研究例、そして消化メカニズムと今までの経口投与戦略について記した。

 第2章では脂質極性基を側鎖に有するMPCポリマーから生成するハイドロゲルのゲルについてと物理的な特徴に関して記述した。MPCユニットを含むPoly[MPC-co-methacrylic acid (MA)](PMA30,MPC:MA=3:7)とPoly[MPC-co-n-butyl methacrylate (BMA)](PMB80,MPC:BMA=8:2))の5wt%と10wt%水溶液を調製した(図1)。

それぞれの水溶液を2:1、1:1,1:2の比率で混合し、室温にて10-20秒間振り混ぜるとMPCハイドロゲルが生成する(図2)。この液体-ゲル転移メカニズムはPMA30のカルボキシレートアニオン基がPMB80によって形成される分子間会合体内の疎水場の低い極性と誘電率によりカルボキシル基化し、水素結合を形成するというものである。

 液体-ゲル転移を起こすMPCハイドロゲルはパラクリスタルである。5wt%の水溶液のハイドロゲル(5wt%ハイドロゲル)の場合、単性モデュラスは2200N/m2で10wt%の水溶液のハイドロゲル(10wt%ハイドロゲル)は4808N/m2であった。ハイドロゲルの単性モデュラスはPMB80の組成に依存した。MPCポリマーハイドロゲルはスポンジ構造を持ち、早くて高い吸水性を見せる。5wt%ハイドロゲルの場合、自由水は約98%、10wt%ハイドロゲルは約92%の自由水を含んでいる。MPCポリマー水溶液に塩を添加することによって水の構造に変化を起こし、液体-ゲル転移現象にも影響を与える。すなわち、添加する塩の種類によってゲル化の時間や機械的な物性の調節が可能である。

 第3章ではハイドロゲルのpH応答性について検討した。MPCハイドロゲルは酸性条件下では水を吸収し、膨潤する。そして中性やアルカリ条件下では解離が起こる。膨潤する場合、ハイドロゲルは吸水とともにポリマーの一部は溶解した。またPMA30の組成が高くハイドロゲルでは完全解離時間が遅くなった。基本的に膨潤や解離のメカニズムは同じであるものの、この挙動は明らかにpH依存性を示す。すなわち、カルボキシル基がイオン化される比率によってハイドロゲルの安定性が決定されるが、これはハイドロゲルの中のポリマー分子間架橋あるいは分子内架橋されているかによって異なった。PMA30の組成が上がると分子内架橋が増加し、PMB80の組成が上がると分子間架橋が増えた。分子間架橋が増えるとハイドロゲルは安定し、機械的にも強くなる。ハイドロゲルの数平均架橋点間分子量はPMA:PMB=1:1の場合、約2640で、PMA30の組成が下がると数平均架橋分子量も下がる。

 第4章ではMPCハイドロゲルの薬物送達メカニズムに関する研究をまとめた。PMB80の水中における疎水性会合特性を利用してインスリンなどの難水溶性のポリペプチドを可溶化することができる。ポリペプチド薬物を含有するMPCハイドロゲルは酸性水溶液での膨潤により薬物をNon-Fickianメカニズムにて放出をする。この時、放出パターンは薬物の特性ではなく、ハイドロゲルの性質に依存する。すなわち、酸性条件での放出はハイドロゲルのポリマー消失に原因がある。中性やアルカリ水溶液件では表面侵食(Surface erosion process)による薬物の放出がおこる(図3)。この時の放出もカルボキシル基間水素結合の消失によって分離されるポリマーと水の放出とともに行われる。この傾向は薬物の疎水性や分子量に依存し、100%の放出まで到達する時間は薬物の種類によって異なる。

 第5章ではMPCハイドロゲルのインスリン経口送達用システムの応用について述べた。インスリンの経口送達のためにインスリン含有MPCハイドロゲルを構成しているPMA30とPMB80の分子量の調節、PMA30とPMB80の混合組成を9:1から1:9まで調節、そしてポリマーの濃度が5wt%から70wt%まで調節して調製し、中性条件での放出挙動を調べた。MPCハイドロゲルを構成しているポリマーの分子量や比率および濃度を変えることによって放出時間を30分から13時間まで調節することができた。また、ハイドロゲルの強度や孔の大きさを調節することにより、胃の中と同じpH環境での滞留中に起こるゲルの破壊と過膨潤を防止した。In vitro実験を行った結果、5wt%と10wt%ハイドロゲルの場合、約25%のインスリンが胃の中で放出された。この分率はハイドロゲルのポリマー濃度を上げると約10%まで下げられる。また、小腸の中では75%位のインスリン放出があるが、ポリマーの濃度によって小腸や大腸で放出を90%水準まで上げることができた。即ち、放出時間をハイドロゲルのパラメータを変えることにより調節できた。放出されたインスリンの変性はCDスペクトルによる解析からは認められなかった。

 第6章ではM細胞にインスリンを送達するために疎水性が強い会合性MPCポリマー[Poly(MPC-co-BMA),MPC:BMA=3:7;PMB30W]とインスリンの複合体を作った。小腸に存在するM細胞は物質を拡散によって吸収するので消化酵素による切断が起こらない。M-cellを通じてうまく吸収させるためには脂溶性と疎水性が非常に重要である。PMB30Wは水溶液中で疎水場による安定な複合体を形成した。光散乱における第2ビリアル係数もこの濃度で負から正に変わった。このことは複合体の安定性に変化が起こったことを示している。PMB30W-インスリン複合体は良い安定性を見せた。72時間後インスリンは酸性条件で70%放出されたが、PMB30W-インスリン複合体の場合は70%が保持されていた。また、インスリンは蒸留水の中では24時間以内に沈殿した。しかしながら、PMB30W-インスリン複合体は72時間が過ぎても沈殿が起こらなかった。これはインスリンがPMB30Wによって可溶化され安定になったことを示す。CDスペクトル解析からはインスリンの変性は見られなかった。PMB30W-ポリペプチド薬物の複合体の溶液よりフィルムを調製してMPCポリマーハイドロゲルの中に担持した。PMB30W-ポリペプチド複合体を含んだMPCポリマーハイドロゲルのin vitro条件で重さの変化を調べた。ハイドロゲルは酸性条件で膨潤し、中性条件で解離する。PMB30W-インスリン複合体が入った場合徐々に重量が減少してインスリンが放出された。

 第7章ではより高効率の経口送達システムを作るために、大腸にインスリンを送達するハイドロゲルを設計した。インスリンは内膜に含有し、エチレンシアミン四酢酸・二ナトリウム(EDTA)を外膜として含む構造を持つ二重膜ハイドロゲル(Timing-controlled release hydrogel:TCR hydrogel)を調製した(図4)。このハイドロゲルの最終目的部位は大腸であるものの、小腸で放出されるインスリンはEDTAにより保護され、小腸による吸収も高める。これはEDTAがカルシウムイオンとの相互作用を起こし、トリプシンの消化作用を防ぐ効果があり、また細胞間結合を広げる効果があるため、EDTAと一緒に放出されたインスリンは効率的に小腸に吸収され、残った大部分は大腸で放出されるからである。インスリンを含めた内膜とEDTAを含めた外膜は完全に分離されている。pH水溶液での膨潤や解離が互いに異なって、大腸まで運ばれたインスリンの比率は最大60%-70%まで抑えることができた。

 第8章は本研究のまとめである。

 本研究を通じてMPCポリマーハイドロゲルの特性と経口投与用ハイドロゲルとしての可能性について調べた。MPCポリマーハイドロゲルは今までに存在しなかった新しい概念により設計された優れたインスリンの経口投与用マテリアルとなると結論した。

図1.PMA30(a)とPMB80(b)の構造式.

図2.ハイドロゲルの液体-ゲル移転現象.

図3.胃の条件(酸性pH)及び小腸の条件(中性pH)での膨潤/解離と放出メカニズム.

図4.TCRハイドロゲルの調製.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、最先端のバイオ技術を応用して社会貢献を図る際に必須となるマテリアルの創製を目的とし、生体適合性を有するリン脂質ポリマーである2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ユニットを含むポリマー(MPCポリマー)ハイドロゲルを利用したインスリン経口投与用ハイドロゲルの調製とその糖尿病の治療への可能性を述べている。インスリン送達用材料を選ぶ要素即ち、厳しい消化環境からインスリンを守って高い吸収率を得る戦略を考え、高いインスリン吸収率の経口投与用ハイドロゲル調製している。分子間相互作用が発現するように官能基を導入したMPCポリマーの水溶液を混合すると自発的にゲル化する現象を見いだし、これをインスリン保持担体とするマテリアル設計を行っている。本論文ではMPCポリマー水溶液によるゲル化現象の解明と特性を調べて理論的に体系化し、インスリン経口投与システムについて系統的研究した結果を全8章で展開している。

 第1章は本研究の背景と意義、また薬物担体としてのハイドロゲルに関する研究例、そして消化器官における消化・吸収機構と今までの経口投与戦略について記している。

 第2章ではリン脂質極性基を側鎖に有するMPCポリマーから生成するハイドロゲルのゲルについて、物理化学的な特徴を記述している。MPCユニットを含むPoly[MPC-co-メタクリル酸(MA)](PMA)とPoly[MPC-co-n-ブチルメタクリレーと(BMA)](PMB)の水溶液の濃度を変化させて調製し、それぞれの水溶液を所定の比率で混合し、室温にてMPCハイドロゲルを生成している。この液体―ゲル転移メカニズムはPMAのカルボキシレートアニオン基がPMBによって形成される分子間会合体内の疎水場の低い極性と誘電率によりカルボキシル基化し、水素結合を形成することを明らかにした。MPCポリマーハイドロゲルはスポンジ構造を持ち、吸水速度が大きく、また高含水率となることを見出している。ハイドロゲルの単性モデュラスはPMBの比率に依存していることを明らかにしている。これらのハイドロゲルの中の水の状態を分析し、自由水が90%以上であることを示している。MPCポリマー水溶液に塩を添加することによって水の構造に変化を起こし、液体―ゲル転移現象にも影響を与えることを見出している。すなわち、添加する塩の種類によってゲル化の時間や機械的な物性の調節が可能であることを示している。

 第3章ではハイドロゲルのpH応答性について検討している。MPCポリマーから生成するハイドロゲルは酸性条件下では水を吸収し、膨潤し、中性やアルカリ条件下では解離が起こることを明らかにしている。膨潤する場合、ハイドロゲルは吸水とともにポリマーの一部は溶解し、またPMAの比率が高いハイドロゲルでは完全解離時間が遅くなると述べている。PMAの比率が増加すると分子内架橋点数が増加し、またPMBの比率の増加では分子間の架橋が多くなる。分子間架橋点数が増えるとハイドロゲルは安定し、機械的にも強くなることを示している。ハイドロゲルの数平均架橋点間分子量を計算し、PMAの比率が下がると数平均架橋分子量も減少することからMPCポリマーハイドロゲルの新しい構造モデルを提案している。

 第4章ではMPCポリマーハイドロゲルの薬物送達メカニズムに関する研究を数学的に計算し、体系的にまとめている。ポリペプチド薬物を含有するMPCポリマーハイドロゲルは酸性水溶液での膨潤により薬物をNon-Fickianメカニズムにて放出をすることを証明している。この時、放出パターンは薬物の特性ではなく、ハイドロゲルの性質に依存することから、酸性条件での放出はハイドロゲルのポリマー消失に原因があると示している。中性やアルカリ水溶液件では表面侵食による薬物の放出が起こり、この時の放出もカルボキシル基間の水素結合の消失によって分離されるポリマーと水の放出とともに行われることを見出している。この傾向は薬物の疎水性や分子量に依存し、100%の放出まで到達する時間は薬物の種類によって異なることを示している。

 第5章ではMPCポリマーハイドロゲルによるインスリン経口投与システムについて述べている。インスリンの経口投与のためにインスリン含有MPCポリマーハイドロゲルを構成しているPMAとPMBの分子量、混合比率、そしてポリマーの濃度の調節により、中性条件での放出挙動に与えるこれらの因子の効果について検討している。すなわちこれらの因子を変えることによって放出時間を30分間から13時間まで調節できることを明らかにしている。また、ハイドロゲルの強度や孔の大きさを調節することにより、胃の中と同じpH環境での滞留中に起こるゲルの破壊と過膨潤を防止出来ると提案している。

 第6章では小腸に存在するM細胞を標的としたインスリン送達システムについて述べている。M細胞にインスリンを送達するために、疎水性が強い会合性MPCポリマー(PMB30W)とインスリンの複合体の研究を行っている。PMB30Wは水溶液中で疎水場による安定な複合体を形成する。CDスペクトル解析通じてPMB30W-インスリン複合体のインスリンには変性が見られないことを確認している。PMB30W-ポリペプチド薬物の複合体の溶液よりフィルムを調製してMPCポリマーハイドロゲルの中に担持しin vitro条件で重さの変化を調べている。この結果、ハイドロゲルは酸性条件で膨潤し、中性条件で解離する。PMB30W-インスリン複合体が入った場合徐々に重量が減少してインスリンが放出されることを述べている。

 第7章ではより高効率のインスリン経口投与システムを作るために、大腸にインスリンを送達するハイドロゲルを設計している。インスリンは内膜に含有し、エチレンシアミン四酢酸・二ナトリウム(EDTA)を外膜に含む構造を持ち、時艱的な制御が可能な二重膜ハイドロゲルを調製している。このハイドロゲルの最終目的部位は大腸であるものの、小腸で放出されるインスリンはEDTAにより保護され、小腸による吸収も高める。これはEDTAがカルシウムイオンとの相互作用を起こし、消化酵素の反応を防ぐ効果があり、また細胞間結合を広げる効果があるため、EDTAと一緒に放出されたインスリンは効率的に小腸に吸収され、残った大部分は大腸で放出されると提案している。pH水溶液での膨潤や解離が互いに異なって、大腸まで運ばれたインスリンの比率は最大60%-70%まで抑えることができると示唆している。

 第8章は本研究をまとめている。

 これらの系統的研究の遂行によりMPCポリマーハイドロゲルのゲル化機構を具体的にモデル化した。また、このハイドロゲルのpH応答性と薬物放出メカニズムを数学的に体系化し、MPCポリマーハイドロゲルの特性と経口投与用ハイドロゲルとしての可能性について明確にした。そして高効率のインスリン経口投与システムの実現に向けてMPCポリマーの構造、組成に注目したハイドロゲルシステムの構築を行った。これらの研究成果はポリペプチド製剤の新しい投与形態を開拓するものであり、バイオマテリアル工学の発展にも多大な貢献をするものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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