学位論文要旨



No 119715
著者(漢字) 伊藤,大知
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タイチ
標題(和) イオン認識ゲート膜の開発とイオン認識非線形自律振動現象
標題(洋)
報告番号 119715
報告番号 甲19715
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5920号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山口,猛央
 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 助教授 大久保,達也
 東京大学 教授 加藤,隆史
内容要旨 要旨を表示する

 生命に関する研究は近年ますます加速し、生命の全貌がシステムとして理解されつつある。この生体システムの特徴は協調現象・構造制御・分子認識で特徴付けられる。現在の人工システムで実現不可能な例として、一部だけ化学構造が異なる分子の選択的な輸送、自律的な再生・修復・増殖、脳の情報処理、非常に高いエネルギー変換効率でプロトン濃度勾配からATPを合成するプロセスなどが挙がられるが、その機能は生体システム特有の性質に依って産み出されるものである。生体模倣材料システム工学は、物性−構造制御−機能のパラダイムから成る材料システム工学に生体システムの特徴を織り込むことによって、生命でしか実現できない機能を工学的にも実現可能にすることを目的とする工学分野である。

 本研究の目的は、生体模倣材料システム工学の考え方に基づき、生体膜のイオンチャネルの機能を模倣した特定イオンに応答して物質の輸送特性を制御する「イオン認識ゲート膜の開発」と、イオン認識応答のダイナミクスから生じる「自律非線形振動現象」の構築を行うことにある。生命は生体膜と生体膜で区切られた空間から成る場で全ての現象が起こる。イオン認識ゲート膜の開発とダイナミクスの解明は、生体模倣をシステム的に行う初の試みであり、生体模倣材料システム設計の根幹技術の一つとして期待される。

 本論文は、第1章において生体模倣材料工学の背景と意義、その具体的な試みの一つとしての本研究の目的である、「イオン認識ゲート膜の開発」と「自律非線形振動現象」の構築について説明した。イオン認識ゲート膜は多孔基材の細孔表面に特定のイオンシグナルにより膨潤・収縮するイオン認識ポリマー(poly-NIPAM-co-BCAm)がグラフト重合された構造を持つ膜である。応答特性はグラフトポリマーの応答特性によって決まり、膜形状は多孔基材によって保持される。応答機能と細孔形状保持を別々の材料によって行うことによって、ハイドロゲルキャスト膜とは異なった様々な輸送現象の制御を行うことができる。そして応答特性の非線形性故に、非平衡下のダイナミクスにおいて自律的な非線形振動現象を構築できる可能性があることを示した。

 第2章ではパーオキサイドプラズマグラフト重合を用いたイオン認識ゲート膜の製膜法を検討した。

 第3章では作成したイオン認識ゲート膜の圧力透過特性について検討した。具体的には特定のイオンシグナルによる体積透過流束、溶質阻止率などの制御特性や、応答速度と応答可逆性、有機溶媒中での制御特性、また、グラフト重合量、共存アニオンの制御特性に与える影響を検討した。

 第4章ではイオン認識ゲート膜の浸透圧制御について検討した。具体的には、特定イオンシグナルに応じて、シグナルイオン濃度勾配を駆動力にする場合と、シグナルイオンとは別に添加したdextran濃度勾配を駆動力にする場合について検討した。また浸透圧が発生するダイナミクスについても検討した。

 第5章ではイオン認識ゲート膜の非線形自律振動系の構築と現象の確認、及び解析を行った。具体的にはTeorell振動子を参考に浸透圧流と静水圧流束をカップリングすることによって非線形自律振動システムを提案し、実験により実証することを試みた。

 第6章ではイオン認識振動系の振動メカニズムを、数理モデルを構築することにより考察した。イオン認識振動を典型的な弛張振動とみなして1次の常微分方程式モデルによって数理モデルを構築し考察を進めた。

 第7章では本研究の総括、及び今後の展望を記した。今後はヒステリシス応答や多相応答などより強い非線形応答性を有する次世代の分子認識型ゲート膜開発が必要となってくると考えられる。そこで親疎水性相互作用に加え静電相互作用や水素結合も同時に分子認識により制御することにより、新たな応答特性を創製することを考え、poly-MAPTAC-co -AA-co-BCAmを新たに合成し、そのシグナルイオン分子認識による膨潤収縮挙動を異なるpHで測定し、その応答挙動を考察して、今後の研究の端緒となることを期待した。

 最後にAppendixとして、本論文の検討過程において得られた研究成果を添付した。Appendix1章ではイオン認識ゲート膜の拡散制御特性について検討した。具体的には特定のイオンシグナルによる中性あるいは荷電を持ったモデル薬物の拡散特性について検討する。特に膜構造、膜荷電の拡散特性に与える影響についても考察した。Appendix2章では、イオン認識ポリマーのイオンシグナル認識による膨潤収縮挙動の応答機構解明を検討した。具体的にはポリマー中のクラウンエーテルレセプターの定量、レセプターの錯体定数の決定、ポリマー溶液の融解エンタルピー変化、相転移エンタルピーの変化測定から、水の状態変化に着目しながら考察を行った。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「イオン認識ゲート膜の開発とイオン認識非線形自律振動現象」と題し、生体膜の機能を模倣した特定のイオンに応答して物質の輸送特性を制御するイオン認識ゲート膜の開発と、イオン認識応答のダイナミクスから生じる非線形自律振動現象の構築を目的に行なわれた研究を纏めたもので、7章から成る。

 第1章は序論であり、本研究の目的を述べている。まず刺激応答性ポリマー、刺激応答性人工膜、および人工膜とハイドロゲルを用いた非線形自律振動現象について既往の研究のレビューを行なっている。その上で、本研究の対象である、生体膜のイオンチャネルの機能を模倣し、特定イオンに応答して物質輸送現象を制御するイオン認識ゲート膜の提案を行っている。イオン認識ゲート膜は、多孔基材の細孔表面に特定のイオンシグナルにより膨潤・収縮するイオン認識ポリマーであるpoly-N-isopropylacrylamide-co-benzo[18]crown-6-acrylamideがグラフト重合された構造を持つ膜である。この膜は特定イオンシグナルを捕捉認識し、膜細孔中でグラフト鎖が膨潤して、膜細孔が閉まる。また逆にシグナルイオンでないイオンに対しては認識捕捉せず、膜細孔中グラフト鎖が収縮して、膜細孔は開く。このようにイオン認識により膜細孔を開閉する機能を保持する。さらにイオン認識ゲート膜の非線形な応答ダイナミクスに着目し、イオン認識による非線形自律振動現象を構築できることを提案している。

 第2章はイオン認識ゲート膜の作製法について述べている。遊離ラジカルを活性種とするプラズマグラフト重合法と、パーオキサイドラジカルを活性種とするプラズマグラフト重合法を比較検討し、後者により効率的にクラウンエーテルレセプターを導入できることを示し、イオン認識ゲート膜の製膜法を確立している。さらに湿潤・乾燥によりグラフト鎖を膨潤・収縮させて、膜細孔の開閉を環境応答型SEMにより観察し、ゲート膜として機能することを示している。

 第3章はイオン認識ゲート膜の圧力透過特性について述べている。クラウンエーテルレセプターが認識するイオンシグナルであるBa2+、Sr2+、K+によって、体積透過流束の変化温度が高温側にシフトすることを示し、確かにイオン認識により圧力透過特性が変化することを明らかにしている。さらに純水透過流束の変化温度以上の温度一定条件では、特定イオンシグナルに応答して自律的に体積流束を制御し、この時の応答速度は架橋ゲルの数時間オーダーの応答速度に対して数秒オーダーと高速であり、完全な応答可逆性を有することを明らかにしている。また生体膜イオンチャネルとは異なり、有機溶媒中でも安定な応答性を示し、エタノール水溶液中での応答感度が10倍向上することを見出している。また細孔の開閉により体積透過流束を制御するのみでなく、溶質阻止率も制御することを示し、分子シグナルに応答して阻止特性を変化させる新規な分離膜として機能することを示している。最後に将来のゲート膜設計法確立の第一歩として、既往の報告による動的光散乱法によるポリマーStokes径と基材膜の構造から圧透過流束を予測し、実験値と比較を行い、低グラフトポリマー量のゲート膜に関しては、実験と推算のおおよその一致をみている。

 第4章はイオン認識ゲート膜の浸透圧制御について述べている。イオンシグナルに応じて、イオンシグナル濃度勾配を駆動力にする場合と、イオンシグナルとは別に添加したdextran濃度勾配を駆動力にする場合について、それぞれ浸透圧を発生することを明らかにしている。また浸透圧発生のダイナミクスが、膜中の初期シグナルイオン濃度に大きく依存し、膜中イオン濃度が高い場合は応答の遅れ現象が現れることを明らかにしている。

 第5章はイオン認識非線形自律振動現象の実験によるコンセプトの証明について述べている。Teorell振動子を参考に、イオン認識ゲート膜を介して静水圧流と浸透圧流をカップリングすることによって、特定イオンにのみ応答して自励発振する非線形自律振動現象を提案し、まず実験的に2値安定性が実現する条件を探索し、同一供給イオン濃度でも透過圧力が異なれば静水圧流も浸透圧流も流れることを見出し、さらに細管フィードバック条件の最適化とクラウンエーテル浸漬を行なうことによって、イオン認識非線形自律振動の実験的証明に成功し、その定性的なメカニズムについての考察を行なっている。この現象は分子認識によって起こる点と、細孔の開閉現象を伴う点で、創見性・将来性に富んだものである。

 第6章はイオン認識非線形自律振動現象の数理モデル構築について述べている。イオン認識非線形自律振動現象は、シグナルイオン水溶液が静水圧流により進入し膜細孔が閉まる速いモードと、浸透圧流によるクラウンレセプターからシグナルイオンが排除され膜細孔が開く遅いモードの結合からなる、典型的な弛張振動である。この現象に対し、Teorell振動子の数理モデルと、生体膜イオンチャネルの複合体であるシナプスの興奮現象をモデル化したHodgkin-Huxleyモデルを参考にし、膜の現象論的輸送方程式から出発し、輸送パラメータの飽和型非線形特性と時間遅れ応答効果を導入した数理モデルを構築し考察を行っている。この検討により、本系の非線形振動現象の主因となっている浸透圧流の自触媒的増加現象を明らかにした。さらにパラメータを変えた様々な計算により、持続振動が起こる条件など、分子認識非線形自律振動の閾値的発生について明らかにしている。

 第7章は、第2章から第6章に記載した内容を総括するとともに、将来本研究結果が材料システム工学の重要な要素技術を構成し、かつDDS・再生医療・バイオセンサー・分離プロセス技術など具体的な応用技術の発展へと期待されることを示している。

 以上要するに、本論文は材料システム工学の考え方に基づき、特定イオンを認識して輸送現象特性を変化させるイオン認識ゲート膜の開発と、非平衡下におけるイオン認識ゲート膜の非線形自律振動現象の構築を行なったものである。本論文は個別の技術開発にとどまらず、超分子による分子認識という分子レベルの現象から、マクロな輸送現象制御に至る、システム的材料設計論と、非平衡下で非線形性に起因するダイナミクスをシステム的材料設計論に基づいて構築する方法論の確立に寄与するもので、化学システム工学への貢献は大きいものと考えられる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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