学位論文要旨



No 119719
著者(漢字) 浦野,泰臣
著者(英字)
著者(カナ) ウラノ,ヤスオミ
標題(和) γセクレターゼ複合体の発現と脂質マイクロドメインへの局在解析
標題(洋)
報告番号 119719
報告番号 甲19719
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5924号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 柴崎,芳一
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 野村,仁
内容要旨 要旨を表示する

 膜タンパク質は、生物学的に重要な意味を持つタンパク質が多数含まれており、Gタンパク質共益型受容体に代表されるように創薬ターゲットとしても注目されている。しかし膜タンパク質の機能的な解析は、その疎水的な特性や細胞内における存在量の少なさから、多くの困難な点が指摘されている。本研究では膜タンパク質を効率良く解析するためのツールの開発、および機能的、生化学的に解析することを目的とし、アルツハイマー病(AD)に関わる膜タンパク質であるγセクレターゼ複合体に焦点を当てて研究を行った。

 高齢者痴呆の原因疾患の1つであるADはアミロイドβ(Aβ)の産生と蓄積が発症に深く寄与する可能性が示されている。Aβはその前駆体であるアミロイド前駆体タンパク質(APP)からβセクレターゼおよびγセクレターゼにより切り出される。γセクレターゼは1回膜貫通型タンパク質の膜貫通部位を切断する特異なプロテアーゼであり、その基質としてAPPに加えて、神経発生に関与するNotch等が知られる。γセクレターゼは、Presenilin(PS)、Nicastrin(NCT)、APH-1、PEN-2という4種の膜タンパク質を基本構成因子とする高分子量の膜タンパク質複合体である。

 まずγセクレターゼ複合体についてバキュロウイルス発現系による膜タンパク質の発現解析を試みた。膜タンパク質の解析を行う上での問題点として、十分な量の発現、特に機能的な膜タンパク質複合体の発現が期待される系が確立されていないことや、正しい立体構造を認識する抗体の作製が困難であることが挙げられる。本研究で着目したバキュロウイルス発現系は、脂肪酸アシル化などの翻訳後修飾が見込める上で大量発現が可能である。またその応用であるウイルスディスプレイ法は発芽型ウイルス(BV)上に高品質の膜タンパク質の発現が期待される系として解析が進んでいる。そこでNCTについて、ウイルスディスプレイ法を用いて発現を試みたところ、BV上での発現が確認された。このNCT発現BVを免疫用の抗原として特異的な抗体の作製を行った結果、イムノブロットにおいて内因性の成熟型NCTを認識する抗体が得られた。NCT変異体や糖鎖消化酵素を用いた実験から、成熟型NCTに付加される糖鎖自身あるいは糖鎖およびその付近のアミノ酸配列を認識する抗体等が単離されたことを明らかにした。次に他のγセクレターゼ複合体基本構成因子についてもBV上への発現を試みたところ、PS1、APH-1a、PEN-2もそれぞれBV上に発現していた。そこでこれら4種の組み換えウイルスの共感染によるγセクレターゼの再構成を試みた。その結果、昆虫細胞やBV画分において機能的なγセクレターゼ複合体が再構成された。特にBV画分では選択的に活性型のPS1断片の発現が確認された。共免疫沈降の結果からBV上に発現した各構成因子は複合体を形成しており、glycerol velocity gradient実験により400kDa以上の高分子領域に分画されることが確認された。さらにin vitro γセクレターゼアッセイ法により活性を確認したところ、4つ全てを感染させたときにのみ高い活性が確認された。γセクレターゼの特異的な阻害剤であるL-685,458やDAPTを同時に反応させるとBV画分の活性は抑制された。またPS1不活性型変異体であるPS1 D385Aを用いた共感染BVでは活性が確認されなかった。以上のことからウイルスディスプレイ法を用いることにより、BV上でγセクレターゼ複合体の機能的な再構成が可能となることが示された。

 次にAβの産生とコレステロールとの関わりを明らかにすることを目的として、脂質マイクロドメインとγセクレターゼ複合体の関係について解析を試みた。コレステロールの輸送蛋白であるApoEの遺伝子多型であるε4がADの危険因子として確立されている他、高脂血症治療薬であるスタチンにADを含む痴呆の発症予防効果があるとする疫学的な報告があるなど、近年コレステロールの代謝がADの発症に深く関与する可能性が指摘されている。培養細胞レベルにおいてもコレステロール量を減少させると細胞外に分泌されるAβ量が減少することが報告されている。このAPPの代謝に及ぼすコレステロールの影響を明らかにする上で注目されているのが脂質ラフトである。脂質ラフトはコレステロールとスフィンゴ脂質を主成分とする脂質マイクロドメインであり細胞内の情報伝達やタンパク質の選択的な輸送に重要な役割を果たすと考えられている。βセクレターゼによるAPPのβ切断は脂質ラフトにおいて起きる可能性が指摘されているが、γセクレターゼ複合体と脂質ラフトの関係は未知な点が多い。そこで本研究ではγセクレターゼ複合体の脂質ラフトへの局在と集積について明らかにすることを目的として、低温下での界面活性剤処理とショ糖密度勾配遠心による分画を行った。この方法を用いると脂質ラフトに存在するタンパク質は界面活性剤不溶性膜領域(DRM)に回収されることが知られている。ヒト培養神経細胞を用いて分画を行った結果では、神経細胞において脂質ラフトに存在することが知られているflotillin-1と同様に、内因性に発現するγセクレターゼ各構成因子(活性型PS1、2、成熟型NCT、APH-1、PEN-2)はDRMに回収された。共免疫沈降の結果、これら基本構成因子はDRM中でも複合体構造を保持しており、in vitro γセクレターゼアッセイの結果よりDRM中にγセクレターゼ活性が濃縮されていることが確認された。これらの結果から、機能的なγセクレターゼ複合体がDRM中に存在することが示唆された。細胞表面ビオチン化実験によりDRMに回収されるNCTのほとんどが細胞膜の脂質ラフトに存在していたNCTであることが示された。選択的にコレステロールを抽出できるmethyl-β-cyclodextrin(MβCD)処理により脂質ラフトを分解させると、全てのγセクレターゼ複合体構成因子についてDRMから可溶性画分への局在の変化が確認され、γセクレターゼ複合体がコレステロール依存的な脂質ラフトに存在することが明らかになった。さらに内因性のコレステロールの生合成を阻害するスタチン処理により細胞内のコレステロール量を減少させると、全ての構成因子とも可溶性画分への局在の変化が確認された。これらの結果からγセクレターゼ複合体の脂質ラフトへの局在がコレステロールにより調節されている可能性が考えられた。活性型γセクレターゼ複合体には成熟型NCTのみが含まれることが知られているが、可溶性画分では成熟型、未成熟型の両方のバンドが検出されるのに対して、DRMに回収されたNCTは成熟型であった。Mannosidase Iの阻害剤であるkifnensine処理によりNCTの成熟化を阻害しても、増加した未成熟型NCTはDRMに検出され、他のγセクレターゼ複合体各分子のDRMへの局在も変化しなかったことから、NCTの成熟型糖鎖修飾の有無に関わらずγセクレターゼ複合体は脂質ラフトに集積可能であると考えられた。

 本研究において、γセクレターゼ複合体の基本構成因子であるPS、NCT、APH-1、PEN-2についてバキュロウイルス発現系を用いて、BV上に発現させることが出来た。さらにNCTに対する特異的なモノクローナル抗体を作製し、BVが直接免疫用の抗原として使用可能であることを示した。これまで発現が困難であり、抗体作製に煩雑な過程が必要とされる膜タンパク質について、ウイルスディスプレイ法は簡便、かつ有効なツールとなる可能性が示唆された。ウイルスディスプレイ法の応用としてγセクレターゼ複合体のBV上での発現の検討を行い、機能的かつ選択的に再構成されていることを確認した。BV上に発現したγセクレターゼ複合体は、高分子量複合体を形成し、阻害剤によって活性が阻害される等、動物細胞に発現するγセクレターゼと生化学的、酵素的に類似した特徴を示す上で、大量に発現可能であり、かつ活性におけるバックグラウンドが低いことから、阻害剤のスクリーニング等γセクレターゼの機能的な解析に有用であると考えられた。これは複数のタンパク質、特に膜タンパク質により構成される複合体について、機能的にBV上に発現できる可能性を示した重要な結果であるといえる。また脂質ラフトに関する解析から活性型のγセクレターゼ複合体がDRMに回収されることを示した。γセクレターゼ複合体はコレステロールに依存して脂質ラフト構造へ集積され、細胞膜上に局在する可能性が示唆された。APP以外の基質であるNotchやE-cadherinなどは細胞膜に存在しており、その膜内領域のγ切断は細胞膜で起きていることが予想されていることから、細胞表面上において脂質ラフトに存在するγセクレターゼ複合体が基質のγ切断に重要な役割を果たしていると考えられた。またコレステロールがγセクレターゼ複合体の脂質ラフトへの局在を調節する可能性が考えられた

審査要旨 要旨を表示する

 本研究においてアルツハイマー病に関わる膜タンパク質であるγセクレターゼ複合体について解析を行い、以下の結果を得た。

 γセクレターゼ複合体の基本構成因子であるPS、NCT、APH-1、PEN-2についてBV上に発現させることが出来た。さらにNCTに対する特異的なモノクローナル抗体を作製し、BVが免疫用の抗原として使用可能であることを示した。発現が困難であり、抗体作製に煩雑な過程が必要とされる膜タンパク質について、ウイルスディスプレイ法は簡便、かつ有効なツールとなる可能性が示唆された。今後BV上への発現効率の上昇や発現メカニズムの解明などの検討は必要であるが、複数回膜貫通型タンパク質についても免疫用抗原として応用されることが期待される。

 ウイルスディスプレイ法の応用としてγセクレターゼ複合体がBV上で機能的かつ選択的に再構成され、哺乳類細胞のγセクレターゼと生化学的、酵素的に類似した性質を持ち、高い比活性を示すことを明らかにした。これは複数の膜タンパク質からなる複合体を機能的にBV上に発現できる可能性を示した重要な結果であるといえる。今後複合体を発現したBVを抗原として使用すれば、活性型特異的抗体や活性を阻害する抗体を作製出来る可能性も考えられる。またBVをバイオチップとして用いれば、医薬品のスクリーニング系として応用可能となることも期待される。

 膜マイクロドメインの解析から、γセクレターゼ複合体はコレステロールに依存して脂質ラフト構造へ集積され、細胞膜上に局在する可能性が示唆された。脂質ラフトは小胞輸送と共に細胞内情報伝達の場として、伝達に必要な分子を集合させることにより効率を上げる一方で、異なる伝達経路に関わる分子を別々のラフトに配置することで、不要なクロストークを防いでいると考えられており、APPとα、β、γセクレターゼの局在の関係を脂質ラフトという面から総合的に知ることは興味深い。γセクレターゼは様々な一回膜貫通型タンパク質を基質としており、脳神経細胞以外の組織においても重要な役割を果たしていると考えられるが、他の基質について脂質ラフトとの関係を示した報告はない。治療薬としてのγセクレターゼの阻害剤は、広範な基質の切断を抑制することによる副作用が懸念されている。今後γセクレターゼと基質との関係を脂質ラフトという局面から解析することは重要であり、直接活性を阻害するのではなく、特定のドメインへの集積の抑制という点から酵素と基質の結合を抑えることは、治療薬開発に向けた新たな標的となる可能性が考えられる。

 脂質ラフトの解析を行う上で、ショ糖密度勾配遠心法により調製されたDRMが細胞膜上のどのような構造に対応するかは現在のところ不明である。本研究で提示されたBVを用いた抗体作製法は、膜タンパク質の持つ本来の立体構造に則した抗体の作製が可能であり、今回作製された抗NCT抗体や、γセクレターゼ複合体に対する抗体の作製は、免疫組織抗体法を用いた局在解析や、免疫沈降・マススペクトル解析による複合体タンパク質の同定など、脂質マイクロドメインの解明を進める上で強力なツールとなりうると考えられる。

 本研究はコレステロール代謝と脂質ラフトにおけるγセクレターゼの関係を明らかにし、医学、生物学へ寄与するものと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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