学位論文要旨



No 119720
著者(漢字) 田中,十志也
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,トシヤ
標題(和) PPARδの活性化に伴う代謝状態の変動に関する研究
標題(洋)
報告番号 119720
報告番号 甲19720
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5925号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 酒井,寿郎
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 菅,裕明
内容要旨 要旨を表示する

 脂肪酸およびその誘導体をリガンドとする核内受容体「PPARs」には3種類のアイソフォーム(α,β/δおよびγ)が存在している.PPARsアイソフォーム選択的アゴニストやノックアウトマウスの成績より,脂肪細胞の分化および脂肪酸代謝がPPARγによって,また肝臓や心筋における脂肪酸代謝がPPARαによって,それぞれ調節されていることが明らかにされている.一方,PPARδはほぼ全ての臓器に普遍的に発現していることからPPARαやPPARγとの作用の競合や重複が予測されるが,PPARδの内因性リガンドや選択的合成リガンドが得られていなかったために,発現組織におけるPPARδの役割については明らかにされていない.

 骨格筋は全身の約80%のミトコンドリアを含んでいることに加え,インスリン応答性のグルコースの取り込みの75%以上を担っていることから,個体のエネルギー消費およびインスリン応答性を決定する最も重要な臓器であることが知られている.骨格筋での脂肪酸代謝はPPARsの支配下にあると考えられているが,生理的条件下においてどのアイソフォームが調節に関わっているのか,作用の重複の可能性も含め明らかでない.しかし,骨格筋では他のアイソフォームと比較してPPARδが高発現であること,絶食下のPPARαノックアウトマウスでは,肝臓および心臓の脂肪酸代謝が野生型マウスと比較して低下しているが骨格筋の脂肪酸代謝は影響を受けないことから,PPARδが骨格筋の脂質代謝に関与することが示唆されている.

 本研究では,PPARδの骨格筋における役割を明らかにすることを目的として,ラット骨格筋由来細胞株L6をPPARδ選択的アゴニストGW501516にて処置し,得られたRNAを用いてAffimetrix社オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析による標的遺伝子の同定を行った.その結果,PPARδアゴニストは脂肪酸の取り込み・輸送,ミトコンドリア脂肪酸β酸化系酵素や脱共役タンパク質などの一連の脂肪酸代謝関連遺伝子の発現を誘導した.また,PPARδアゴニストはグルコース酸化の律速反応を触媒するピルビン酸デヒドロゲナーゼ複合体(PDC)のαサブユニットをリン酸化することによってPDCの活性を抑制するピルビン酸デヒドロゲナーゼキナーゼ4(PDK4)を誘導することを明らかにした.さらに,パルミチン酸を基質とした脂肪酸のβ酸化能を測定した結果より,PPARδのアゴニストはL6筋管細胞の脂肪酸β酸化を有意に促進することを明らかにした.これらの作用は,PPARδあるいはPPARγのアゴニストでは認められず,PPARδアゴニストに特異的な作用であることを明らかにした.これらのことから,PPARδは骨格筋の脂肪酸代謝を司る重要な因子(脂肪燃焼センサー)であることが示唆された.

 PPARδは骨格筋における「脂肪燃焼センサー」として機能していることから,PPARδアゴニストは脂肪酸の代謝およびエネルギー消費を亢進させて他の組織からの脂肪酸動員を増加させることにより抗肥満効果を示す可能性が考えられる.そこで,高脂肪食負荷したマウスにGW501516を投与して体重増加に及ぼす影響について検討した.その結果,PPARδアゴニストは摂餌量および行動量に影響することなく,高脂肪食負荷による体重増加を約40%抑制した.このとき,PPARδアゴニストを投与したマウスでは基礎代謝量の亢進,皮下および腸管膜脂肪重量の減少が認められた.また病理所見より,高脂肪食を負荷したマウスでは,顕著な脂肪細胞の肥大化,骨格筋および肝細胞中に脂肪滴の蓄積が認められるが,GW501516投与群ではこれらの所見は改善されていた.このことから, PPARδアゴニストは骨格筋における脂肪酸?酸化を促進させることによって,適応型熱産生を亢進させ抗肥満効果を示すことを明らにした.

 次にインスリン抵抗性に及ぼす影響を検討した結果,PPARδアゴニストはグルコース負荷試験において血中からのグルコースの消失を有意に促進する一方,インスリン負荷試験において有意な血糖低下作用を示した.これらの結果より,GW501516を投与した動物ではインスリンに対する感受性が亢進していることが示唆された.同様に,レプチンを遺伝的に欠損しているob/obマウスを用いた検討において,GW501516は空腹時および随時血糖,血中インスリン値を低下させインスリン抵抗性を改善した.さらに,GW501516を投与したob/obマウスでは,膵島の肥大化がほぼ正常化しており,膵島におけるPPAR?の活性化がインスリン抵抗性によって引き起こされる膵島の肥大化,その後の?細胞の欠失を防御または遅延させて膵島の保護作用を示すことが推察された.

 以上のことより,PPARδは骨格筋の「肪酸燃焼センサー」としての役割を有しており,PPARδアゴニストは骨格筋の脂肪酸β酸化ならびに脱共役タンパクを誘導することによりエネルギー消費を亢進させ,脂肪組織などからの脂肪酸を骨格筋に動員させることを明らかにした.これらの作用により,PPARδアゴニストは肥満,インスリン抵抗性,高インスリン血症,耐糖能異常,凝固線溶系異常,高VLDL-TG血症,低HDL-C血症および高血圧症が一個人に集積するメタボリックシンドロームの理想的な薬剤になることが示唆された.

 本研究は,in vitroでのトランスクリプトーム解析に基づいたPPARδの機能予測に踏みとどまらず,in vivoモデルを用いてPPARδ活性化薬の薬理作用を検討することで,これまで明らかにされていなかった生体内,特に骨格筋の脂肪酸代謝におけるPPARδの役割についての知見に加え,PPARδ活性化薬がメタボリックシンドロームの新規治療薬になる可能性を提示するものである.

審査要旨 要旨を表示する

 PPARδは脂質恒常性,糖代謝,エネルギー消費,およびコレステロール逆転送系に関わる遺伝子群の転写を調節するPPARsファミリーに属する核内受容体で,普遍的に発現しているために発現分布からの機能予測が難しいことに加え,内因性リガンドあるいは選択的合成リガンドが得られていなかったために,その生理的役割に対する理解は遅れている.しかし,PPARδは骨格筋に高発現であること,運動時あるいは絶食時におけるPPARαノックアウトマウスの骨格筋の脂肪酸代謝は野生型マウスと比較して変化がないことから,PPAR?が骨格筋の脂肪酸代謝に関与していることが示唆される.骨格筋は脂肪酸をエネルギー源として燃焼する組織であることに加え,個体のインスリン感受性をも決定する組織であるにもかかわらず,これまでのところ骨格筋におけるPPARsの役割については明らかにされていなかった.これらのことより,本論文では最近報告されたPPARδ選択的合成リガンドGW501516を用いて骨格筋におけるPPARδの役割について解析を実施した.

 第2章では,まずRT-PCRの結果よりL6筋芽細胞およびL6筋管細胞においてPPARδがPPARαおよびPPARγと比較して高発現していることを示した.次に,DNAマイクロアレイの結果より,PPARδアゴニストは筋管細胞において脂肪酸の輸送,活性化,酸化,脱共役タンパク等,脂肪酸代謝に係わる13個の遺伝子を誘導することを明らかにし,RT-PCRにて再確認した.さらに,GW501516は時間および用量依存的にL6筋管細胞における脂肪酸β酸化を誘導することを示した.これらの作用はPPARαやPPARγのアゴニストでは認められず,PPARδがL6筋管細胞の脂肪酸代謝を調節する因子の一つであることを明らかにした.

 第3章では,PPARδアゴニストはマウスの骨格筋脂肪酸β酸化を用量依存的に促進するが,PPARαおよびPPARγのアゴニストは骨格筋脂肪酸β酸化を促進しないことを明らかにした.PPARδアゴニストはマウス骨格筋においてFATP,LCAD,PDK4,UCP2およびUCP3誘導作用を示した.GW501516は摂餌量および行動量に影響することなく高脂肪食負荷による体重増加を有意に抑制することを明らかにした.また,GW501516は骨格筋および肝臓における脂肪蓄積,脂肪細胞の肥大化,および脂肪重量の増加を抑制するとともに,高脂肪食負荷によって惹起されるAST,ALTおよびLDHといった肝障害性マーカーの上昇を抑制した.高脂肪食負荷による血糖上昇およびGW501516による有意な血糖低下作用は認められなかったが,GW501516は空腹時および随時インスリン値を有意に低下させた.さらに,グルコースおよびインスリン負荷試験の結果よりGW501516を投与したマウスでは対照群と比較して有意な血糖値の低下が認められ,インスリン感受性が亢進していることが示唆された.GW501516は高脂肪食負荷マウスにおいて酸素消費量を増加,肝臓および骨格筋におけるトリグリセライドの蓄積を抑制することを明らかにした.定量的PCRの結果より,GW501516は肝臓および骨格筋の脂肪酸β酸化系酵素および脱共役タンパクを誘導したが,褐色脂肪組織あるいは白色脂肪組織の脂肪酸β酸化系酵素の誘導は認められなかった.GW501516は白色脂肪細胞においてTNFαやPAI-1といったインスリンシグナリングを抑制するタンパク質の高脂肪食負荷による誘導を抑制することが示唆された.

 摂食抑制ホルモンのレプチン遺伝子が欠損しているob/obマウスにおいて,GW501516は摂餌量に影響することなく,体重,血清トリグリセライド,遊離脂肪酸,総ケトン体,コレステロールを低下させることを明らかにした.GW501516はob/obマウスにおいて有意な血糖,インスリン低下作用およびアディポネクチン上昇作用を示した.また,グルコース負荷試験においてGW501516投与群では対照群と比較して常に血糖値は低値を示す一方,インスリン分泌が促進されることを明らかにした.病理組織学的所見より,ob/obマウスでは膵島の顕著な過形成が認められるが,GW501516はこれを改善することを明らかにした.

 第4章では,PPARδアゴニストの高脂肪食負荷動物における体重増加抑制効果が投与を実施した6ヶ月間持続すること,高脂肪食負荷によるPI-3 kinase活性の低下をPPAR?アゴニストが改善することを明らかにした.また,GW501516が膵島からのグルコース応答性のインスリン分泌を用量依存的に促進すること,DNAマイクロアレイの結果より膵島においてGW501516によって誘導される遺伝子群を明らかにした.さらに,PPAR?アゴニストを投与したマウスの骨格筋において誘導されるFATP,LCAD,PDK4,UCP2およびUCP3が絶食させたマウスの骨格筋において誘導されていることを明らかにした.

 本論文の結果よりPPARδは,飢餓時あるいは寒冷刺激時における「脂肪酸燃焼センサー」としての機能を有し,遊離脂肪酸あるいはケトン体を取り込み脂肪酸β酸化および脱共役タンパクを誘導して,熱産生を増加させることが示唆された.したがって,PPARδアゴニストは骨格筋において脂肪燃焼を促進させることによって,末梢組織から骨格筋への脂肪酸の動員を増加させて脂肪組織や肝臓に蓄積したトリグリセライドを減少させることが示唆された.これらの作用により,PPARδアゴニストは高脂肪食負荷による体重増加抑制,インスリン抵抗性改善作用,脂肪肝改善効果および脂肪組織の肥大化抑制作用を介したアディポサイトカインの分泌改善効果を発揮することが示唆された.以上のことから,PPARδアゴニストは肥満,耐糖能異常,高脂血症,低HDL-コレステロール血症,高PAI-1血症といった高血圧を除くメタボリックシンドロームの主要な症状を改善しうる創薬ターゲットとなることを明らかとした.

 本論文は,in vitroでのトランスクリプトーム解析に基づいたPPAR?の機能予測に踏みとどまらず,in vivoモデルを用いてPPARδアゴニストの薬理作用を検討することで,これまで明らかにされていなかった生体内,特に骨格筋におけるPPAR?の役割についての知見に加え,PPARδアゴニストがメタボリックシンドロームの新規治療薬になる可能性を提示するものであり,極めて意義深いものであると考えられる.

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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