学位論文要旨



No 119725
著者(漢字) 王,東香
著者(英字)
著者(カナ) ワン,ドンシャン
標題(和) アルカリ性酸素漂白排液リグニンからの土壌改良剤の開発
標題(洋) Utilization of Lignin Fragments in Alkaline-Oxygen Stage Waste Liquor as Soil Conditioning Agent
報告番号 119725
報告番号 甲19725
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2809号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

 世界的な人口増加に伴なう食糧およびその他の天然資源に対する急速なニーズの増大の結果、劣悪土壌地域の利用あるいは森林の開発が広く進められている。そのため、劣悪土壌の利用のための技術開発は緊急の課題となっている。劣悪土壌の一つである酸性土壌においては、作物生産性が通常の耕地の30−40%程度に過ぎないこと指摘されているが、そのような地域が地球上の陸地の約30%、3,950Mhaをも占めていることには大いに注目する必要がある。 酸性土壌の抱える問題は、酸性であるために土壌水中のアルミニウムイオン(Al)濃度が高い場合が多いことである。すなわち、各種Alの中でもAl+3の場合に最も典型的に見られる植物に対する生育阻害のために、酸性土壌での作物生産性が著しく低下する結果となっており、Alによる植物生育阻害の防止技術の開発が待たれているといえる。

 本研究は、健全な森林において表層土壌中の腐植物質が土壌水中の金属イオン濃度の調整機能を有していることが、樹木の健全な生育の重要な要因となっていること、および部分酸化リグニンの化学構造が腐植物質に類似していることに着目し、製紙用パルプ製造工程の一つであるアルカリ性酸素脱リグニン工程排液中のリグニンの土壌改良剤としての利用の可能性を明らかにしょうとした。

 実際のアルカリ性酸素脱リグニン工程排液を入手し、セファデックスG‐25を用いたゲルろ過法による分子量分別によって4画分(F1−F4)を得た。各画分に含まれる部分酸化リグニンの化学的性状を、13C, 1H-NMR、FT-IRおよび電位差・電動度同時滴定などによって検討したところ、最も高分子量の画分であるF1は元の芳香核構造を保持しており、クラフトリグニンをアルカリ性酸素処理して得られる高分子画分と類似の構造を有していると考えられた。F2およびF3はF1に比較してカルボキシル基に代表される弱酸性基をより多く含んでおり、より高度に酸化的構造変化を受けていることがわかった。また、相当量の強酸性基を有していることが認められた。最も低分子量の画分であるF4は弱酸性基とともに最も著量の強酸性基を含むことが明らかとなった。なお、後に述べるように、強酸性基は主にシュウ酸に代表される低分子有機酸と、硫酸および塩酸からなると考えている。

 各画分がAl共存下での植物の生育に及ぼす影響を、二十日大根を対象として検討した。二十日大根の幼苗を培養液上に浮遊させたネット上に移植し、一定期間生育させたのち、全根長の測定によって植物体の生育状況を追跡した。本実験条件では、培養液中のAl濃度0.5ppmで根の伸長が著しく阻害されたが、F1を12.5ppm濃度で添加することで、この阻害は実質的に除去された。F2およびF3の場合にも同様の効果が確認された。また、Al無添加条件に比較して、F1、F2、あるいはF3とAl共存させた条件では、根の伸長が一層増大し、根の密度が増大することが認められたことは注目される。 F4の場合に同様の効果を得るためには、F3の8倍程度の添加が必要であった。重要なことは、分別して得られた4画分がAlによる植物の生育阻害の抑制に異なった性能を有していること、およびF3に関しては添加量が一定量以上に増大した場合には、逆に生育阻害が認められたことである。

 このように画分によって異なるAl生育阻害抑制能力は、基本的にはそれぞれの画分中の部分酸化リグニンの性状によると考えられるが、さらに各画分に特徴的に含まれる低分子有機化合物の影響に注目し、主にキャピラリー電気泳動法を用いて検討した。その結果、F3にはシュウ酸ナトリウムと酢酸ナトリウムが、F4にはギ酸ナトリウムが特徴的に含まれていることが明らかになった。また、これらの低分子有機化合物とともに硫酸ナトリウムおよび塩化ナトリウムが確認された。硫酸ナトリウムは主にF3に分布し、F1およびF2に若干量が認められた。一方、塩化ナトリウムについてはF4に集中的に分布が認められ、F1およびF2に若干の分布が認められた。分子量分画を行ったにも係わらず、本来、非常に低分子量である有機および無機塩に上述のような分布が認められた理由については、各画分の部分酸化リグニンとの間の相互作用によると考えている。

 次いで、有機塩および無機塩の存在が、Alによる二十日大根の生育阻害に及ぼす影響について検討した。共存する無機塩については、確認されたレベルの存在量では二十日大根の生育に全く影響がないことが明らかとなった。一方、有機塩類、特にシュウ酸ナトリウムの場合には、Alと共存することによってその生育阻害に影響を与える。すなわち、Al:シュウ酸ナトリウムのモル比が1:2の近傍では、Alによる生育阻害をほぼ消去できるのに対し、シュウ酸ナトリウム存在量がそれ以上に増大した場合には、シュウ酸ナトリウム自身による生育阻害が顕在化することが明らかとなった。以上の事実をもとに考えると、F3添加量の増大に伴って認められたAl生育阻害作用の顕在化は、F3中に含まれるシュウ酸ナトリウムに起因しているといえよう。

 シュウ酸ナトリウムによるAl生育阻害の抑制は、Alとの間の錯体形成によると考えられるが、その点について27Al−NMRスペクトルを測定して検討した。Al単独で−0.3ppmにシグナルが認められるのに対し、シュウ酸ナトリウムの添加によって、Al :シュウ酸ナトリウムのモル比1:1の錯体に相当すると考えられる新たなシグナルが6.2ppmに現れた。 添加量の増大に伴って前者のシグナルは消失し、この新たなシグナルの強度が増加するとともに、更に別の新たなシグナルが11.3ppm付近に現れる。6.2ppmおよび11.3ppmのシグナルはF3とAlが共存した場合に認められるシグナルに一致していることから、F3添加量の増加に伴って認められるAl生育阻害作用に対する影響の変化は、F3中のシュウ酸ナトリウムとAlとの間の錯体構造の変化によるものと考えられる。

 以上から、アルカリ性酸素脱リグニン排液中のリグニンは土壌改良剤としての性能を有しているが、その利用にあたっては、共存する低分子有機酸塩、特にシュウ酸塩の存在量を適切にコントロールすることが不可欠であると結論される。

審査要旨 要旨を表示する

 作物生産性あるいは森林の生育に問題を有する劣悪土壌の利用のための技術開発は、現在、世界的に緊急の課題となっている。劣悪土壌の一つである酸性土壌においては、作物生産性が通常の耕地の30−40%程度に過ぎないことが指摘されているが、そのような地域が地球上の陸地の約30%をも占めていることは大いに注目する必要がある。 酸性土壌の抱える問題は、酸性であるために土壌水中のアルミニウムイオン(Al)濃度が高い場合が多いことであり、Alによる植物生育阻害の防止技術の開発が待たれているといえる。

 本研究は、健全な森林において表層土壌中の腐植物質が土壌水中の金属イオン濃度の調整機能を有していることが、樹木の健全な生育の重要な要因となっていること、および部分酸化リグニンの化学構造が腐植物質に類似していることに着目し、製紙用パルプ製造工程の一つであるアルカリ性酸素脱リグニン工程排液中のリグニンの土壌改良剤としての利用の可能性を明らかにしょうとしたものである。

 アルカリ性酸素脱リグニン工程排液を実操業工程から入手し、セファデックスG‐25を用いたゲルろ過法による分子量分別によって4画分(F1−F4)を得るとともに、各画分に含まれる部分酸化リグニンの化学的性状を、13C-NMR, 1H-NMR、FT-IR、電位差・電動度同時滴定、キャピラリ−電気泳動などによって検討している。最も高分子量の画分であるF1が元の芳香核構造をある程度保持しているのに対し、F2、F3、F4と低分子量になるにしたがって、より高度に酸化的構造変化を受けていることがわかった。また、F3およびF4には相当量の強酸性基を有しており、その構造としては、F3ではシュウ酸および硫酸が、F4では塩酸およびギ酸が特徴的であった。

 各画分がAl共存下での植物の生育に及ぼす影響を、培養液上に浮遊させたネット上で生育させた二十日大根の根の伸長生長に基づいて検討している。本実験条件では、培養液中のAl濃度0.5ppmで根の伸長が著しく阻害されたが、F1を12.5ppm濃度で添加することで、この阻害は実質的に除去された。F2およびF3の場合にも同様の効果が確認された。また、Al無添加条件に比較して、F1、F2、あるいはF3とAl共存させた条件では、根の伸長が一層増大し、根の密度が増大することが認められたことは注目される。 F4の場合に同様の効果を得るためには、F3の8倍程度の添加が必要であった。興味深いことは、分別して得られた4画分がAlによる植物の生育阻害の抑制に異なった性能を有していること、およびF3に関しては添加量が一定量以上に増大した場合に、逆に生育阻害を示したことである。

 このように画分によって異なるAl生育阻害抑制能力は、基本的にはそれぞれの画分中の部分酸化リグニンの性状によると考えられるが、さらに各画分に特徴的に含まれる低分子有機化合物の影響に注目し、特に存在量の多いシュウ酸を中心にその影響を検討し、F3添加量の増大に伴って認められた生育阻害作用の顕在化は、F3中に含まれるシュウ酸ナトリウムに起因していると結論している。シュウ酸ナトリウムの存在量が、Al:シュウ酸ナトリウムのモル比1:2の近傍では、Alによる生育阻害をほぼ消去できるのに対し、それ以上に増大した場合には、シュウ酸ナトリウム自身による生育阻害が顕在化することを見出している。また、27Al−NMRスペクトルを用いてAl:シュウ酸ナトリウムのモル比によって形成される多様な錯体の存在を明らかにするとともに、シュウ酸ナトリウムによるAl生育阻害の抑制を27Al−NMRスペクトルの変化から説明している。

 以上、本研究はアルカリ性酸素脱リグニン排液中のリグニンがAlによる植物の生育阻害抑制作用を有していることを確認するとともに、共存する低分子有機酸塩、特にシュウ酸塩の存在量を適切にコントロールすることで、土壌改良剤としての利用が可能であることを示したもので、木材化学の基礎および応用上極めて有用であり、審査委員一同は申請者が博士(農学)に相当すると判断した。

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