学位論文要旨



No 119733
著者(漢字)
著者(英字) Chimnaronk,Sarin
著者(カナ) チムナロン,サリン
標題(和) 哺乳動物ミトコンドリアのセリルtRNA合成酵素の結晶構造解析
標題(洋) Crystal Structure of Mammalian Mitochondrial Seryl-tRNA Synthetase : Implication for the Dual Mode Recognition
報告番号 119733
報告番号 甲19733
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第73号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 菅,裕明
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS) は転移RNA (tRNA)の3'末端に、対応するアミノ酸を結合させる反応を触媒している酵素であり、20アミノ酸それぞれにに対応する20種類のaaRSが存在する。この反応はアミノアシル化反応と呼び、2段階の反応からなっている。

 アミノ酸 (aa) + ATP → aa-AMP + ピロリン酸 ……………(1)

 aaRS−aa-AMP + tRNA → aa-tRNA + AMP + aaRS ..............(2)

 aaRSは対応するただひとつのアミノ酸と1セットのtRNAを厳密に識別する。この認識の厳密さそのものが翻訳の正確さを制御していると考えられている。しかし、tRNAのすべてが共通のL字構造をとっていること知られており、aaRSは数十種類ものtRNA群の中から対応するtRNAのみを特異的に認識できるように、tRNA上に特異的な目印が存在することが明らかになり、これをtRNAアイデンティティーと呼ぶ。多くの場合、tRNAアイデンティティーはtRNAのアンチコドン、および73位の識別塩基(discriminator)と呼ばれる残基、またはアクセプターステム上の残基に存在している。

 しかし、セリルtRNA合成酵素(SerRS) はtRNASerのアンチコドンもアクセプターステムも認識しておらず、代わりに、tRNASerの特徴的な長く伸びたバリアブルアーム(variable arm, 図1.)を強く認識していることが生化学的解析および共結晶構造解析によって明らかにされている。結晶構造によると、SerRSは二量体を形成し、片方のサブユニットがN末端領域にある長いヘリックスアームを使ってtRNASerのバリアブルアームを認識し、もう片方のサブユニットはアミノアシル化を触媒している。

 しかし、ミトコンドリアの中に存在する二つのtRNASer (mt tRNASer)はこの特徴的な長いバリアブルアームを全く持っていない。さらに、mt tRNASerGCU(コドンAGCとAGUに対応)については、Dアームが完全になくなっており(図1.)、これらのmt tRNASerを一体どのようにしてSerRSが認識しているのかが非常に興味深いことである。本研究室では、以前、ウシ肝臓からミトコンドリアSerRS (mt SerRS)を単離精製し、配列を決定することに成功している。さらに、tRNA変異などを用いて解析して結果、mt SerRSは二つのmt tRNASerのTループを代わりに認識しており、一方、mt tRNASerUGAにはTループとDループの相互作用が必要であることも明らかになった。この結果から、我々は、mt SerRSは二つの基質tRNAを違った認識様式をしていると考え、初めてデュアルモード認識様式 (dual mode recognition) を提唱した。更なる詳細な分子メガニズムを解明するために、本研究では、ウシミトコンドリアのSerRSの結晶構造を1.65 Aの高分解能で決定した。

【結晶化及び構造決定】

様々な結晶化条件を試し、最適化した結果、1.65 Aの高分解能の結晶がポリエチレングリコール8000と硫酸リチウムの組み合わせの沈殿剤によって得られた(図2.)。シンクロトロン放射から得られたデータを分子置換法のよって構造決定を行った。

【mt SerRSの立体構造】

アミノ酸配列の比較から、mt SerRSはN末端とC末端それぞれに延長がみられ、さらにtRNAの識別に関わる長いヘリックスアームにはほとんど相同性がいない。この事実から、mt SerRSは全く違う形のN末端ドメーンを持っているのではないかと推測されていた。しかし、予想と反して、mt SerRSも長いヘリックスアームを持っていることを構造から明らかになった(図3.)。全体の、バクテリアSerRSに対する相同性は約30%であるのにも関わらず、非常によく似た構造を持っていることがわかった。

 しかし、mt SerRSにしか見られない特徴が3つあることを発見した。一つ目は、長いヘリックスアームの先端に非常に極性に富んだアミノ酸残基(グルタミンとアスパラギン)からなるループが存在している。これをチップループ(tip loop)と呼ぶことにする。現在はこのループの役割は未知で解析中である。二つ目は、N末端に追加された一本のヘリックスである。これをディスタルへリックス(distal helix)と呼ぶ。ディスタルへリックスは長いループ(~25 A)を介してN末端に付加されており、空間的な配置が、2本さDNAに結合するタンパク質が持つHLHモチーフ(helix-loop-helix motif) に似ていることから、ディスタルへリックスは基質tRNAと結合する可能性が示唆される。最後の三つ目は、C末端に長く伸びた延長である。これをCテール(C-tail)と呼ぶ。Cテールは一本のβ-シートを含んでおり、これが二量体のインターフェースの一部を形成していることがわかった。これらの三つの特徴は哺乳動物ミトコンドリアSerRSの間で高く保存されており、奇妙なmt tRNASerの認識になんらか関わっていると考えられ、これを検証するために、SerRSの変異体解析を行った。

【mt SerRSの変異体解析】

 mt SerRSのへリックスアーム上のアルギニン残基のアラニン置換やディスタルへリックスの欠損及びCテールの欠如の変異体を作成し(図3.)、ウシの肝臓から単離精製した2つのmt tRNASerを使って、活性測定(aminoacylation assay)を行った。その結果 (図4.)、驚くべきことに、バクテリアなどのSerRSでtRNA認識に使われるヘリックスアーム上の極性残基は活性に影響は少なく、反対に、ディスタルへリックスとCテールの欠損変異は大きく二つのtRNAに対して活性が低下していることがわかった。一方、K93Aの変異体はmt tRNASerUGAにだけ、活性の低下をもたらした。これらの結果を考察すると、mt SerRSは特有のディスタルへリックスおよびCテールを使って両方の基質tRNAを認識しているのに対し、Lys 93は片方のtRNASerUGAの認識にだけ使われていることが明らかになり、これがdual mode recognitionの正体であることを明らかにした。このLys 93がTループとDループの相互作用をチェックしている可能性があると考えられる。

【SerRSの進化】

 mt SerRSはどのように進化してきたでしょうか?結晶構造からの情報によって、この問題の答えが見えてきた。セリンに対応するコドンは二つのボックス(コドン表上)に分かれており(AGC, AGUとUCA, UCG, UCC, UCU)、tRNAのアンチコドンをSerRSはアイデンティティー因子として利用することができないため、代わりにN末端の長いヘリックスアームを使って、tRNASer特有の長いバリアブルアームを認識することにした(図5.)。しかし、ミトコンドリアの中では、ゲノムの収縮に伴ってmt tRNAが短縮し、バリアブルアームを失ってしまった。それを補うようにmt SerRSはN末端のディスタルへリックス及びCテールの付加によってmt tRNA上の新たなアイデンティティーを見つけ出し、さらに、通常のクロバーリーフ構造に近いtRNASerUGAを効率よくかつ正確に識別するために、Lys 93が使われたと考えられる。詳細な認識メガニズムはmt SerRSとtRNAとの共結晶構造を解くことで完全に明らかにされることでしょう。

 図1. tRNASerの二次構造の比較。大腸菌(左) tRNASerは長いバリアブルアームを持っているのに対し、ウシミトコンドリアtRNASer (中央と右)には欠如している。太字は変異体解析より推測された認識部位

図2.(左)mt SerRSの高分解能の結晶。(右) シンクロトロンによるX線回折像。最も外側の円周の解像度は1.57 A。

図3. 決定された1.65 Aの二量体のmt SerRSの結晶構造をCαトレースおよびリボンで表している。ミトコンドリアSerRSに特徴的なチップループ、ディスタルへリックス、及びCテールが見られる(ピンク色のCαトレース)。

図4. Aminoacylation assay

図5. SerRSの分子進化モデル。

審査要旨 要旨を表示する

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS) は転移RNA (tRNA)の3'末端に、対応するアミノ酸を結合させる反応の触媒をしている酵素であり、20アミノ酸それぞれにに対応する20種類のaaRSが存在し、aaRSは対応するただひとつのアミノ酸と1セットのtRNAを厳密に識別する。この認識の厳密さそのものが翻訳の正確さを制御していると考えられている。セリルtRNA合成酵(SerRS) はtRNASerの特徴的な長く伸びたバリアブルアーム(variable arm) を強く認識していることが生化学的解析および共結晶構造解析によって明らかにされている。しかし、動物ミトコンドリアの中に存在する二つのtRNASer(mt tRNASer) はこの特徴的な長いバリアブルアームを全く持っていない。

 本論文では、ミトコンドリアSerRS (mt SerRS) のmt tRNASerの認識メカニズムを分子レベルまで解明するために、ウシmt SerRSの結晶化及びX線結晶構造解析の研究を行っている。

 第一章では、翻訳系におけるtRNA及びaaRSのそれぞれの特徴と役割についての概論を述べている。さらに、結晶構造が解かれているバクテリアSerRSの立体構造及びtRNASerの認識メカニズムを詳しく解釈し、これに対して、ミトコンドリアの翻訳系の特徴やバクテリアとの違いについて続いて述べている。本研究室では、以前、ウシ肝臓からmt SerRSを単離精製し、配列を決定することに成功している。さらに、tRNA変異体などを用いて解析した結果、mt SerRSは二つのmt tRNASerのTループを代わりに認識しており、一方、mt tRNASerUGAにはTループとDループの相互作用が必要であることも明らかになっている。この結果から、本論文では、mt SerRSは二つの基質tRNAを違った認識様式をしていると考え、初めて提唱されたデュアルモード認識様式 (dual mode recognition) の分子機構を解明することを目的としている。

 第二章では、結晶構造解析においての長い道のりの詳細を述べている。本論文では、ウシmt SerRSを発現ベクターにクローニングし、大腸菌内で大量発現させ、三段階のカラムクロマトグラフィーにより精製を行っている。結晶化条件の検討の結果、1.65 Aの高分解能を示す結晶をポリエチレングリコール8000と硫酸リチウムの組み合わせの沈殿剤によって得ており、シンクロトロン放射から得られたデータを分子置換法のよって構造決定に成功している。

 第三章では、決定されたmt SerRSの立体構造について述べている。アミノ酸配列の比較から、mt SerRSはtRNAの識別に関わるN末端の長いヘリックスドメーンにはほとんど相同性がいないのにもかかわらず、mt SerRSも長いヘリックスアームを持っていることを明らかにしている。さらに、mt SerRSにしか見られない特徴が3つあることを発見している。一つ目は、長いヘリックスアームの先端に非常に極性に富んだアミノ酸残基(グルタミンとアスパラギン)からなるループが存在していること、二つ目は、N末端に一本の短いα‐ヘリックス付加されていること、そして、三つ目は、C末端に長く伸びた延長ループがあることを示している。これらをそれぞれ、ティップループ(tip loop)、ディスタルへリックス(distal helix)とCテール(C-tail) と命名している。ディスタルヘリックスは長いループ(~25 A) を介してN末端に付加されており、一方、一本の短いβ-シートを含むCテールは二量体のインターフェースの一部を形成していることを見出している。また、ディスタルへリックスとCテールは二量体中では近傍に位置し、水素結合をしていることを示している。これら三つの特徴は哺乳動物ミトコンドリアSerRSの間で高く保存されており、奇妙なmt tRNASerの認識になんらか関わっていると考えられている。後半では、mt tRNASerの識別のメカニズムを検証するために、mt SerRSのtRNAドッキングモデル及び変異体解析について述べている。tRNAドッキングモデルでは、二量体中のディスタルへリックスとCテールが結合するtRNAと大きくクラッシュしていることを示し、mt SerRSの変異体解析では、ディスタルへリックスとCテールの欠損タンパクはアミノアシル化活性を失っていることを見出している。これらの結果より、mt SerRSは他のSerRSと違い、特徴的なディスタルへリックスとCテールを使って、tRNASerを認識していることを見出した。これに対し、K93Aの変異体はmt tRNASerUGAにだけ、活性の低下をもたらしたことから、Lys93は片方のtRNASerUGAの認識にだけ使われていることを明らかにしている。

 終章では、結晶構造及び変異体解析の結果より、mt SerRSのtRNASer認識の分子機構、さらにtRNA認識の進化モデルについての総括を述べている。mt SerRSのLys93残基がmt tRNASerUGAのTループとDループの相互作用をチェックしている可能性があることを示し、mt tRNASerのデュアルモード認識様式の正体であることを提唱している。進化の過程で、失われたtRNASerのバリアブルアームを補うようにmt SerRSはN末端のディスタルへリックス及びCテールを獲得してmt tRNASer上の新たなアイデンティティーを見つけ出し、さらに、通常のクロバーリーフ構造に近いtRNASerUGAを効率よくかつ正確に識別するために、Lys 93が使われていることを本論文では考察している。

 以上、本論文はmt SerRSの結晶構造解析及び構造に基づいた変異体解析を述べたもので、初めての哺乳動物のミトコンドリアのアミノアシルtRNA合成酵素の立体構造の報告であり、さらにmt tRNASerの認識の分子機構をも明らかにしている。

 なお、本論文は、Mads Gravers Jeppesen氏、鈴木 勉氏、Jens Nyborg氏、渡辺公綱氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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