学位論文要旨



No 119734
著者(漢字) 金,鎭文
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジンムン
標題(和) マウス体細胞核移植実験系を用いた遺伝子発現リプログラミング機構の解析
標題(洋) Mechanism for reprogramming of gene expression in the oocytes reconstructed by nuclear transfer
報告番号 119734
報告番号 甲19734
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第74号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 久恒,辰博
内容要旨 要旨を表示する

序論

 生命は、受精という分化した生殖細胞同士の接合により全能性をもつ受精卵が生じることから始まる。受精卵では生殖細胞特異的な遺伝子発現は停止し、個体発生のための新しい遺伝子発現が開始する。このような全能性の回復は遺伝子発現様式の「リプログラミング」を介して起こるとされているが、その分子機構は現在のところまったく分かっていない。体細胞クローン動物は、除核した未受精卵細胞質中に体細胞核を移植した後、再構築された胚を一定期間の体外培養を経てから子宮内に戻すことによって作成することができる。1997年のクローン羊ドリー誕生の報告以降、数々の研究チームによって体細胞クローン動物作出が報告されてきたことから、適切な細胞質環境下に置くと体細胞の遺伝子発現情報が削除され、受精卵同様の遺伝子発現リプログラミングが起こり全能性を回復することが明らかになった。一方、哺乳類ではゲノム刷り込み現象という片親性遺伝子発現現象が存在するので、リプログラミングの過程でゲノムの親由来を区別する情報は維持されなければならない。したがって、遺伝子発現情報を削除しながらゲノムの親由来に関しての情報を維持する機構の存在が示唆される。

 受精や体細胞クローンの過程で見られるこの様な遺伝子発現のリプログラミングは、DNA の塩基配列の変化を伴わない遺伝子発現調節、すなわちepigeneticな調節機構によって引き起こされる。中でもヒストンN末端領域のアセチル化やメチル化修飾の組み合わせが遺

伝子発現に影響を与えているという「ヒストンコード仮説」に代表されるように、DNA を取り巻くクロマチンの翻訳後修飾が重要な役割を担っていると考えられている。

これまでのリプログラミングに関しての研究は、主に発生した個体に生じた異常の解析に頼っており、実際にリプログラミングされる時ゲノムにどの様な変化が伴うかについての研究は行われていない。そこで私は、遺伝子発現リプログラミング機構の解明を目的とし、核移植実験系を用いて遺伝子発現リプログラミングの際にクロマチンに起こるepigenetic な変化を解析することにした。

結果と考察

1. リプログラミングに置ける未受精卵細胞質の役割。

 現在までの体細胞クローン動物作成の報告から、第二減数分裂中期でcell cycle が停止している未受精卵細胞質環境に暴露させることがリプログラミングに重要であることが示唆されてきた。そこで、リプログラミングに置ける未受精卵細胞質環境の重要性を解析するためにクロマチンリモデリングの指標と考えられている、転写活性、基本転写因子TATA box bindingprotein (TBP)の局在、そしてDNase I 感受性の変化を、未受精卵細胞質に核移植した場合と人為的な活性化でcell cycle を進行させた卵細胞質へ核移植した場合とで比較した。

 まず、未受精卵を除核後に核移植を施してから活性化刺激をあたえる方法をTA プロトコール 、除核卵に活性化刺激をあたえてから体細胞核を移植する方法をAT プロトコールと称し両方のプロトコールによって作られた核移植胚のin vitro での発生結果を比較してみたところ、AT プロトコールによる核移植胚において顕著な発生遅延が確認された(Table1)。1細胞期での転写活性とTBP の局在、DNase I に対する感受性の変化は、未受精卵細胞質を用いたTA 胚でのみ受精卵と同じ挙動を示した。

 以上の実験結果から、リプログラミングによる全能性の回復には未受精卵細胞質環境が必須であることがわかった。

2. Cell memory の消去による遺伝子発現情報の初期化。

 分化した体細胞核が未受精卵細胞質中でリプログラミングされるためには、まず体細胞特異的な遺伝子発現様式が初期化されなければならないが、初期化の際に分子レベルでゲノムに起こる変化に関しての知見はこれまでにまったく得られていない。体細胞分裂期において分化した細胞特有の遺伝子発現様式は、親細胞で発現していた遺伝子の制御領域に様々なマーカーが付けられることによって娘細胞に受け継がれるといわれており、cell memory と呼ばれている。そこで「初期化にはcell memory の消去が必要」との仮説を立てて、cell memoryマーカーの候補である基本転写因子TBP の挙動とヒストンH3 lysine 14 (H3K14) およびH4lysine 12 (H4K12) のアセチル化が、未受精卵細胞質中で体細胞の初期化が起こる際どのように変化するのか解析することにした。

 ヒストンH3K14 とH4K12 のアセチル化(Ac-H3K14, Ac-H4K12)は、体細胞分裂期でもアセチル化されている状態でいることからcell memory を維持するマーカーとして機能しているとされている。まず、これらのlysine 残基のアセチル化が体細胞分裂期では維持されるが、減数分裂期特異的に脱アセチル化されている事をNIH3T3 細胞とマウス減数分裂期および初期発生胚を用いた免疫染色によって確認した。 次に未受精卵細胞質中にNIH3T3 細胞の核を移植するとH4K12 とH3K14 が脱アセチル化される事を確認した(図2A)。この脱アセチル化は、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害剤Trichostatin A 処理によって阻害されることからHDAC の作用である事を確認できた。

 更に、EGFP-tagged TBP の発現vector をNIH3T3 細胞にtransfection した後、未受精卵細胞質への核移植実験を行った。体細胞分裂期にはほとんどの転写因子がDNA から離れていくが、TBP はDNA に結合したままであることが報告されている。実験の結果、間期及び分裂期のNIH3T3 核に検出されるEGFP シグナルが核移植後に消える事を確認できた(図2B)。

 これらの結果から、H3K14, H4K12 のアセチル化とTBP によって維持されるcell memoryの消去が初期化機構に関与していることが示唆された。

3. ゲノムの親由来情報維持マーカーとしての非対称的ヒストンH3 lysine 9 のメチル化。

 哺乳類では一部の遺伝子の刷り込み(ゲノミック・インプリンティング)によって父親由来のゲノムと母親由来のゲノム間に機能的な差が存在することが知られている。このためゲノムが父親由来か母親由来かを記憶する情報はcell memory が消去される初期化の過程でも維持されなければならない。以前からゲノミック・インプリンティングの維持には制御領域のDNAメチル化が重要であることが知られているが、最近の報告によってDNA のメチル化はヒストンH3 lysine 9 (H3K9)のメチル化の下流で働くことが分かった。そこで、受精後にゲノムの由来を区別するメカニズムから鑑みる事で、初期化の過程でゲノムの由来に関する情報が維持される機構を明らかにできると考え、初期発生胚と核移植胚におけるH3K9 のメチル化を解析した。

 マウス一細胞期胚におけるメチル化H3K9 を特異的に認識する抗体を用いた免疫染色の結果、母親由来の雌性前核では強いメチル化シグナルが観察されるが、父親由来の雄性前核からは非常に弱いシグナルしか検出されなかった。この父系、母系ゲノム間の非対称的なメチル化は2 細胞期まで維持されており、1 細胞期から2 細胞期にかけてDNA 複製依存的な減少が観察された。このことから、非対称性は受精後の新規H3K9 メチル化活性の欠如によるものであると考えられた。4 細胞期になるとH3K9 の新規メチル化によりこの非対称性はなくなった。メチル化されていない雄性前核を、除核した卵胞期卵(GV)や未受精卵(MII)に移植すると新規メチル化が見られた事から、受精前にはヒストンH3K9 メチル化活性が存在することが確認された。したがって、母親由来のゲノムだけが受精前から未受精卵細胞質に存在するためH3K9 のメチル化が起こると考えられ、受精直後の父系・母系ゲノム由来は受精を境にしたヒストンH3K9 メチル化活性のon-off によるH3K9 の非対称的なメチル化によって区別されている事が示唆された。更に、α-amanitin やcycloheximide を用いて転写やタンパク質合成を阻害すると父親由来のゲノムでも新規H3K9 メチル化がおこる事から、積極的な対称的H3K9 メチル化機構を図3 に示した。

結論

 本研究では、遺伝子発現リプログラミングの際に消える情報(遺伝子発現情報)と維持される情報(ゲノムの親由来情報)について、その両方を解明することがリプログラミング機構の総体的な理解に必要であるとの考えから、クロマチンのepigenetic な挙動に注目して実験を行い、以下の知見を得ることができた。

1. 未受精卵細胞質環境に暴露させないと、分化した細胞が受精卵様のクロマチンリモデリング様式を示さない。したがって、リプログラミングによる全能性の回復には未受精卵細胞質環境が必須である。

2. H3K14, H4K12 のアセチル化とTBP によって維持されるcell memory の消去が、分化した細胞における遺伝子発現情報の初期化機構に関与している。

3. 受精直後の父系・母系ゲノムの由来は、受精を境にしたヒストンH3K9 メチル化活性のon-off 調節による非対称的なH3K9 メチル化によって区別されている。

 刷り込み遺伝子などの発現様式やテロメア長、血清生化学、病理解剖などの解析によって体細胞クローン動物そのものの異常に関しての知見は蓄積されてきたが、その原因に関しては、リプログラミングそのものの理解が明確になされていないため、確立された解釈が存在しなかった。本研究によって得られた知見は体細胞クローン技術の改良、更には近年盛んに研究されている治療目的のクローニングを通じた再生医療への貢献が期待できる。

図1. 受精と体細胞クローニングにおける遺伝子発現のリプログラミング

Table 1. 核移植プロトコールの違いによる核移植胚発生率への影響

図2. 核移植(NT)後に見られるcell memory マーカーの消去

図3. 非対称的ヒストンH3 lysine 9 メチル化機構の模式図

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、減数分裂期中の卵子ゲノムあるいは未受精卵中に移植された体細胞核ゲノムにおけるリプログラミングのメカニズムについて調べたものである。全体は3章からなり、第1章ではマウス未受精卵の細胞質環境が移植された体細胞核のゲノムリプログラミングに及ぼす影響について、第2、3章では減数分裂中の卵子ゲノムおよび未受精卵に移植された体細胞核ゲノムのリプログラミングにおけるヒストン修飾の関与について述べられている。

 第1章では、受精前の第2減数分裂中にあるMII期卵と受精直後の1細胞期胚にそれぞれ体細胞核を移植し、その発生、および転写活性、TBPの核局在などの遺伝子発現に関連する要因について比較した。その結果、MII期移植卵では胚盤胞まで半数以上の移植胚が発生したが、1細胞期移植胚ではほとんどその発生が見られなかった。また、転写活性は、MII期移植胚では活性化後一旦不活化し、その後1細胞後期で急激に上昇したが、これは対照群の活性化卵と同様の変化パターンであった。一方、1細胞期移植胚では不活化が見られず、その後も急激な上昇はなく一定レベルを保っていた。また、基礎転写因子であるTBPの核内局在の変化も同様であった。以上より、MII期卵の細胞質には分化した体細胞核のゲノムをリプログラミングする因子が存在するが、この因子は受精後すぐに消失あるいは不活化することが明らかとなった。また、転写活性、あるいはTBPの核局在の変化は体細胞核移植におけるゲノムリプログラミングの良い指標となることが示唆された。

 第2章では、これまでまったく明らかにされていなかったゲノムリプログラミングのメカニズムを解き明かすことを試みた。まず、分化した体細胞で遺伝子発現の情報を分裂期を越えて次の世代へ残すために必要な"cell memory"が、ゲノムリプログラミングの際に消失するという仮説を立て、その"cell memory"のマーカーであるヒストンのアセチル化およびTBPの核局在を調べた。その結果、減数分裂中にヒストンの著しい脱アセチル化、およびTBPの核局在の消失が起こることが示された。さらにこの変化は未受精卵に移植された体細胞核でも同様に見られた。これらのヒストン脱アセチル化は、減数分裂特異的なヒストン脱アセチル化酵素の活性化によるものであることも明らかとなった。以上により、ゲノムリプログラミングにはそれまでの分化したゲノムが持っていた遺伝子発現情報の消去が関与しており、その消去には"cell memory"の消去が必要であることが示唆された。

 第3章では、ゲノムの両親由来に関する情報がリプログラミングの際に残されるメカニズムについて調べた。哺乳類では父親由来のゲノムと母親由来のゲノム間に機能的な差が存在することが知られている。このためゲノムが父親由来か母親由来かを記憶する情報は、ゲノムリプログラミングの際にcell memoryが消去される過程でも維持されなければならない。そこで、ゲノムの両親由来を記憶するマーカーとしてヒストンH3 Lysin9(H3K9)のメチル化に着目し、リプログラミングの際の変化とその調節機構を調べた。その結果、受精後のH3K9のメチル化は母親由来のゲノムで高く、父親由来のゲノムで低いことが明らかとなった。ところが、父親由来のゲノムを未受精卵中に移植するとメチル化レベルの上昇が見られた。これらの結果は、父親と母親由来のゲノムには本質的な違いはなく、H3K9のメチル化を用いて単に受精前に卵子中に存在したゲノムは母親、そして受精後に侵入してきたゲノムを父親と認識することでゲノムの由来を識別する機構があることを示唆している。

 以上のように、本論文はこれまでまったく明らかにされていなかった減数分裂中、あるいは未受精卵に移植された体細胞核でのゲノムリプログラミングの調節機構の解明に大きく寄与するものであると考えられる。

 なお、本論文第1章は、小倉淳郎、永田昌男、青木不学、第2章は、劉紅淋、田崎真友子、永田昌男、青木不学、第3章は劉紅淋、青木不学との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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