学位論文要旨



No 119738
著者(漢字) 朱,志光
著者(英字)
著者(カナ) チュイ,チーコン
標題(和) 肝臓の機械的性質と構成式ならびに肝臓の統合計算モデルとそのコンピュータ外科への応用
標題(洋) Mechanical Properties, Constitutive Equations, Integrative Computational Model of Liver and their Applications in Computer Aided Surgery
報告番号 119738
報告番号 甲19738
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第78号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 助教授 陳,献
 東京大学 助教授 鈴木,克幸
内容要旨 要旨を表示する

 現在,医用工学分野においてシミュレーション技術は重要なものとなっている。コンピュータ外科における手術シミュレーションではCT,MRIなどの3次元医用画像から得られるボクセルデータから有限要素モデルに利用するメッシュデータへ変換し変形解析解析を行い,臓器,手術器具ならびにそれらの間の相互作用をモデル化する必要がある。手術操作に伴う臓器変形のシミュレーションに関しては,現在は主として医用画像の変形により臓器変形を表現することが行われている。力学的に詳細な臓器変形の理解やそのシミュレーションへの応用はいまだ初期の研究段階にある。

 本研究の最終的な目的は変形する臓器である肝臓を対象とした手術シミュレーションシステムを構築するために求められる技術を開発することであり,肝臓の機械的特性の計測とそのモデリング技術,患者の医用画像に基づく患者臓器のモデリング技術,そしてこれらに基づいた手術機器と組織の相互作用や,組織の違いをも考慮した物理モデリング技術を開発することである。本論文ではその中で,肝臓の変形に関するバイオメカニクス,患者個々の解剖学的構造の違いを考慮した幾何モデルと,変形に関する力学モデルを統合化するモデル化手法,およびその手術シミュレーションの応用を論じた。

 肝臓の機械的特性の実験的検討では,20個のブタ肝臓から得られた70片の直径7mm高さ4−11mmの円筒状試験片に対して短軸引張圧縮試験を行った。応力ひずみ関係は非線形であった。引張圧縮を同一の試験片に加え実験を行うことによりコンピュータ外科への応用で重要となる応力0付近の特性も検討可能とした。得られた実験結果をモデル化するために新たな構成式として対数関数と多項式によりひずみエネルギーを表現する構成式を提案した。実験的に計測されたポアソン比は0.5程度であり,非圧縮性を仮定した。ブタ肝臓組織は超弾性体とみなすことが可能であった。

 提案したひずみエネルギー関数は圧縮引張の全区間にわたり実験結果をよく再現することができ,モデルと実験値の2乗平均誤差は, 91.92±17.43 Pa, 57.55 ±13.23 Pa,29.78 ± 17.67 Pa程度であり,軟性臓器の非線形的な機械特性をよく表現することができた。ひずみの小さな領域では対数関数の成分が小さく,多項式の成分が優位となり,ひずみが大きい領域ではその役割が逆転する。従来報告された. Mooney Rivlin モデルは9つのパラメタを持ち,提案した構成式より実験結果をよりよく再現できるが,提案した構成式が3つのパラメタのみで変形特性を記述できることから,計算効率の観点では優れている。 また,異なる実験結果を記述する場合にMooney Rivlin モデルではパラメタの符号が変わることが見られたが,これは有限要素解析の安定性に関して問題となる。一方提案した構成式ではこのようなことはなかった。したがって提案した構成式は,少ないパラメタで肝臓の非線形的な変形特性を表現できる,数値的に安定なモデルであると考えられた。提案した構成式を圧子を肝臓組織に押し込むインデンテーション試験の解析に応用し,十分な実験結果に対応した予測が可能であることを確認した。

 一般に肝臓組織は異方性を有しており,肝臓表面に垂直な軸を主軸とするtransversely isotropicな特性を示すことを実験にて確認した。提案した構成式をこのような異方性を表現できるように拡張した。既存の構成式と比較して,transversely isotropyを考慮した構成式は実験結果を最もよく再現することができた。肝臓の機械特性を考える上でこのような異方性を考慮することは重要であると考えられる。

 肝臓の機械的特性を表現するためのパラメタとしてヤング率,ポアソン比がある。また組織の機械強度は降伏点,最大応力,破断点で表される。実験的に観察されたブタ肝臓標本の降伏応力は圧縮に対して-2.478x105 Pa(-69.54%),引張に対して5.826x104 Pa(68.7% )であった。最大応力は圧縮・引張それぞれに対して-2.691x105 Pa(-71.82%,),6.926x104 Pa(79.0%)であった。試験片は平均して圧縮においては2.313 x105 Paで破断した。弾性域での肝臓のヤング率は圧縮,引張りに対して,真応力でそれぞれ500 kPa and 750 kPa程度であった。ポアソン比は圧縮引張に対してそれぞれ 0.466 ±0.147,0.431 ±0.155 であった。

 術中シミュレーションなど高速な計算が求められる応用分野に適したモデリング手法として,短軸引張圧縮試験で得られた応力―ひずみ関係をMulti-linear modelで表現する方法を検討した。短軸で表現された関係を,3次元解析に拡張するために等価応力とひずみを使用する手法を検討した。この方法の有用性を多軸引張圧縮状態である肝臓のインデンテーション実験の解析に応用し検証し,実験結果を再現できることを確認した。

 肝臓組織が等方性であると仮定し,提案したひずみエネルギー関数を円筒状の圧子を肝臓組織に押し込むインデンテーション試験による組織変形の解析に応用した。押し込み子の先端に加わる力を計測し,これがモデルから理論的に予測される値と一致するかを,ひずみ速度を通常の外科的処置で想定される範囲に設定し検討し,良好な結果を得た。ただし押し込み速度が大きい場合に実験で観測された低ひずみ領域での応力の振動的な変化を表すことはできなかった。これは粘弾性の影響によるものと考えられる。

 肝臓組織を単純に考察すると,肝臓は肝小葉と結合組織から構成されると考えられる。そこで肝小葉1つを含む程度(2mm×2mm×2mm)の試料に対する灌流液中での圧縮試験を実施した。その結果微小な試料の機械的特性が,通常の大きさの試料で見られたtransversely isotropicな特性と類似していることを見出した。肝臓のtransversely isotropicはこの肝小葉に起因するのではないかと考えられる。複合材料のモデル化などに使われる手法を適用し,肝臓の異方性も考慮したモデルを構築することが可能であると考えられる。

 近年生理学における生体モデルとして,種々のモデルを統合したものが注目を集めている。このようなアプローチをコンピュータ外科分野にも適用可能であると考えられる。患者臓器の3次元医用画像情報から肝臓組織,血管,主要などを分類し,それぞれに適切な機械的物性をあてはめたモデルを構築することが必要である。本論文では肝臓組織の3次元医用画像データから,患者固有の肝臓の有限要素モデルを生成するという問題に対し,ボクセルデータから滑らかな表面を有する有限要素モデルを生成する方法,分岐を含む血管系の幾何学的連続性を保持しながらモデル化する手法を提案し,血管系の幾何モデル作成ならびにカテーテルなどの管状構造物の幾何モデル作成に応用した。

 そして以上の研究成果を統合した肝臓治療のシミュレーションシステムとして,近年肝臓がんの低侵襲治療法であるラジオ波焼灼術(RF Ablation)の手術シミュレーシターを開発した。焼灼針の挿入経路のシミュレーション,針の変形,熱変性の効果を考慮した。また変形の解析には本論文で検討した応力―ひずみ関係のMulti-linear modelを用いた。

 本研究は臓器変形解析の分野の研究に対して,肝臓の非線形的な力学特性を実測し得られた構成式に基づく変形解析を取り入れ,患者個々の医用画像データから得られる肝臓モデルに統合して手術シミュレーションを行うという新たな視点を導入した。患者個々の肝臓物性の違い,疾患による肝臓物性の変化の考慮については今後の研究が求められる。また本論文では肝臓の機械的特性は非線形であり,transversely isotropicな特性を有し,ほぼ非圧縮性であると考えられる超弾性体である。低いひずみ速度であればそれほど大きな粘弾性は示さないことを示したが,外科治療のシミュレーションのより正確なモデル化のためにはが,高いひずみ速度領域で問題となる非線形的な粘弾性特性の考慮が今後行う必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Mechanical Properties、 Constitutive Equations、 Integrative Computational Model of Liver and their Applications in Computer Aided Surgery (肝臓の機械的性質と構成式ならびに肝臓の統合計算モデルとそのコンピュータ外科への応用)」と題し9章よりなる。変形臓器である肝臓のバイオメカニクスに関する実験的検討を行い,肝臓の非線形的な力学特性を記述する構成式を求めるとともに,3次元医用画像から患者固有の臓器形状モデルを生成する手法を提案し,それらの統合について研究している。

 第1章ではブタ肝臓試験片を用いた単軸引張圧縮試験について述べている。従来の方法とは異なり同一試験片に対して引張・圧縮両方の負荷を与えて連続的に測定できる手法を考案し実験を行った。実験結果にこれまでに生体組織の構成式として報告されている種々の構成式をフィッティングし,いかなる構成式が肝臓変形をモデル化できるかを検討した。さらにこの考察に基づき対数関数と多項式でひずみエネルギーを表現する構成式を新たに提案し,よりよく実験結果を表現できることを示した。

 第2章では実験結果より,肝臓が肝臓表面に対して垂直な軸を主軸とするtransversely isotropicな異方性媒質であることを示し,第1章で示した対数関数と多項式でひずみエネルギーを表現する構成式を拡張した。

 第3章では術中の手術シミュレーションに要求される計算の高速化に適した肝臓変形表現法として,短軸引張試験の結果を表現する区分線形化したひずみー応力関係式の使用を検討している。短軸引張圧縮試験の結果を多軸の変形に適用するために,von Mises応力と等価ひずみを導入し,臓器変形シミュレーションに適用した。肝臓試験片のインデンテーション試験のシミュレーションと実験を行い,本手法が実験結果を再現できることを確認している。

 第4章では第1章で提案したひずみエネルギーを表現する構成式の評価として,肝臓のインデンテーション試験を行い,この実験結果を提案した構成式がどの程度表現できるかを検討し,実験結果を良好に再現できることを示した。

 第5章では第2章で取り扱ったtransversely isotropyを肝臓が示す理由として,肝臓の微細構造である肝小葉の力学特性に着目し検討を行った。肝小葉1区画を含むような2mm×2mm×2mmの大きさの肝臓標本を,Ringer液中で顕微鏡にて試料変形を観察しながら圧縮試験を実施した。その結果2mm×2mm×2mmの試料は,10mm×10mm×10mm程度の大きさの肝臓試験片と類似のtransversely isotropicな機械的特性を有しており,肝小葉実質と結合組織をモデル化することで,肝臓の非線形特性をモデル化できるのではないかという示唆を得た。

 第6章では,MRI,CT等から得られる肝臓組織の3次元医用画像データから,患者固有の肝臓の有限要素モデルを生成するという問題に対し,ボクセルデータから滑らかな表面を有する有限要素モデルを生成する手法,分岐を含む血管系の幾何学的連続性を保持しながらモデル化する手法を提案し,血管系の幾何モデル作成ならびにカテーテルなどの管状構造物の幾何モデル作成に応用している。

 第7章および第8章では以上で研究した種々のモデル化手法を統合し,近年肝臓がんの低侵襲治療法であるラジオ波焼灼術(RF Ablation)の手術シミュレーションに応用することを検討している。

 そして第9章では以上の研究全体を考察し,結論を述べている。特に本研究で取り扱わなかった肝臓組織の非線形的な粘弾性特性の取り扱いに対して,本研究の成果をどのように拡張の方向性等を展望している。

 本研究は臓器変形解析の分野の研究に対して,肝臓の非線形的な力学特性を実測し得られた構成式に基づく変形解析を取り入れ,患者個々の医用画像データから得られる肝臓モデルに統合して手術シミュレーションを行うという新たな始点を導入したものと考えられる。患者個々の肝臓物性の違い,疾患による肝臓物性の変化の考慮については今後の研究が求められるが,肝臓等の変形する臓器に対する手術シミュレーションシステム研究に新たな知見を与えたものと評価できる。本研究は佐久間,久田,陳,小林,稲田,許,西村,真弓,Anderson,Cai,Liew,Yeらとの共同研究により実施されたものであるが,その主要部分は論文提出者が主体となって研究開発,検証を行ったものであり,その寄与は十分であると判断する。

 したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める。

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