学位論文要旨



No 119743
著者(漢字) 堤,信幸
著者(英字)
著者(カナ) ツツミ,ノブユキ
標題(和) 天然ヒラメに寄生する単生類Neoheterobothrium hirameの由来と伝播に関する研究
標題(洋)
報告番号 119743
報告番号 甲19743
学位授与日 2004.10.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2810号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 鈴木,譲
 国立科学博物館 主任研究官 倉持,利明
 東京大学 助教授 良永,知義
内容要旨 要旨を表示する

内容

 1995年以降、日本海沿岸を中心に鰓の退色、無眼側体色の蒼白化等の貧血症状を呈するヒラメが漁獲されるようになった。1997年頃には、同様の症状を示す個体が養殖場や種苗生産場のヒラメにも観察されると共に、太平洋沿岸の天然ヒラメにも見られるようになった。これらの貧血ヒラメにはディクリドフォラ科Neoheterobothrium属単生類の寄生も高率に見られ、Ogawa(1999)はこの寄生虫を新種とし、Neoheterobothrium hirameと命名した。N.hirameは宿主血液を栄養とするため、大量に寄生されたヒラメは貧血症状を呈し、死に至る場合もある。本虫の寄生には水域特有の季節変動があり、寄生レベルの高い水域ではヒラメの漁獲が減少するという報告もある。ヒラメは古くから漁獲対象魚、養殖対象魚であったにも関わらず、N.hirmeの確認された例は1995年まで無く、その後急速に分布を拡大した。本虫が急速に寄生を拡大した理由として、N.hirameはヒラメの進化の過程でまったく接触していない新しい寄生虫であったという仮説が考えられた。そこでまず、本虫の由来を明らかにするために形態および遺伝子を用いて本虫の系統学的位置を推定すると共に、N.hirameの遺伝的多型の検出を試みた。次に、伝播の中で寄生虫側の要因であるN.hirameの繁殖力を明らかにするため、産卵量、孵化率、感染力、成長、成熟、寿命を調べた。最後に、伝播の中で宿主側の要因であるN.hirameの感染に対するヒラメの生体防御能を調べた。

1.N.hirameの由来

1-1.形態の比較

 N.hirameはOgawa(1999)が新種記載に用いた標本と茨城県、福井県のヒラメより得られた標本の計16個体、およびアメリカ合衆国東海岸のサザンフラウンダー(Paralichthys lethostigma)より得られた標本(Neoheterobothrium sp.)計7個体を用いた。重要な分類形質である把握器などの硬組織、および柔組織である全長や本体と固着盤を結ぶ狭部の長さに差は見られなかった。一方、咽頭の長さと幅に差が見られたため、形態のみによってN.sp.がN.hirameと同種であるとは判定しなかった。

1-2.遺伝子の比較

 SSU rRNA遺伝子の比較に大分産、和歌山産、秋田産のN.hirameを3個体ずつ、アメリカのサザンフラウンダー寄生のN.sp.を8個体、ITS1〜ITS2領域、COI部分領域、RAPD法の比較に、これら3県の計28個体とN.sp.8個体を用いた。その結果、SSU rRN領域〜ITS2領域には個体間変異は見られなかった。一方、COI部分領域ではN.hirameに産地による変異は見られなかったが、N.sp.は3群に分けられ、その内の1群はN.hirameのものと同じであった。N.sp.にみられた変異はすべて第3塩基対に起こっていたためアミノ酸の配列には変化は無かった。RAPD法ではN.sp.は5種類のパターンに分けられたのに対し、N.hirameのパターンは1種類であった。ITS領域の結果から、N.hirameとN.sp.は系統的に極めて近いこと、COI領域やRAPD解析の結果から、N.sp.は多型であるのに対し、N.hirameが遺伝的に均一であることが示された。これらの結果は、日本のN.hirameとアメリカのN.sp.が極めて最近に分離したこと、N.hirameは少数の個体を親として国内に拡散したことを示唆している。

2.N.hirameの生物学的特徴

 N.hirameは卵生で、孵化幼生は繊毛によって水中を遊泳してヒラメの鰓弁に達すると、脱繊毛して着定する。着定した幼生は宿主血液を吸収しながら成長し、やがて口腔壁や咽頭部に移動した後に成熟する。野外調査報告から、成虫の寄生数とヒラメの貧血程度には相関があり、成虫10虫程度の寄生で0歳ヒラメが死亡すると推定されている。1日あたりの産卵数は、水温10゜Cでは平均203個であったが、15゜Cから25゜Cの範囲では577〜781個と著しく増加し、孵化率も91.4〜96.3%と高かった。孵化幼生を用いた感染実験を行った結果、15〜25゜Cでは同等の感染力を示した。15、20、25゜Cで、産卵は寄生してそれぞれ59、38、31日後から始まり、寿命は122、66、52日と推定された。N.hirameの孵化幼生の感染能力を調べる室内実験を行ったところ、1m2におけるヒラメ1個体あたりの虫卵数(X)と感染強度(Y)はY=0.1592X+0.0025X2で表された。鳥取県天神川沖で行われた野外調査報告から計算されたヒラメ密度と本虫の寄生強度、および25゜Cでの本虫の日間産卵数651から、0歳ヒラメ資源量が激減した時期の寄生強度を試算した。すなわち、初めに寄生した群(第一世代)は産卵を開始する7月下旬から1虫平均で14000虫卵を産出(平均水温を25゜Cと想定)することによって、0歳ヒラメにおける感染強度は1999年で16虫、2000年では39虫に達したと推定された。

3.N.hirameに対するヒラメの宿主反応

 N.hirame成虫は鰓弁から口腔壁・咽頭部へ移動した後、虫体後端部を宿主組織内に埋没させて寄生する結果、寄生部位には顕著な炎症反応が観察される。伝播のメカニズムを明らかにするためには、寄生虫の繁殖力だけでなく、寄生虫に対する宿主反応も明らかにする必要があると考えられた。そこで、伝播の中で宿主側の要因であるN.hirameに対するヒラメの生体防御能を明らかにするために以下の実験を行った。

3-1.感染実験によるN.hirame再感染の再現

 N.hirame既感染および未感染のヒラメを同居させて感染実験を行った。その結果、感染開始時には、既感染魚群には成虫の寄生数およびヘモグロビン(Hb)量の減少がみられたにも関わらず、鰓弁寄生期の寄生虫数に差がなかった。孵化幼生は既感染ヒラメにも着定し、宿主の貧血状態には影響を受けないことが示された。次に、既感染魚の寄生虫を駆除して2週間後および5週間後に、駆虫した既感染歴魚群と無感染歴魚群を1つの水槽に同居させN.hirameの虫卵を添加することによって感染実験を行った。その結果、駆虫2週間後の既感染魚を用いた感染実験では、鰓弁寄生期の未成熟虫の寄生数に差が見られなかったのに対して、既感染歴魚群の成虫の寄生数は無感染歴魚群に比べて有意に少なかった。一方、駆虫5週間後の既感染魚を用いた感染実験では、未成熟虫、成虫共に既感染歴魚群と無感染歴魚群の間の寄生数に差は見られなかった。そのため、寄生虫を駆除して5週間以上経つとN.hirameに対する防御反応が認められなくなり、無感染歴魚と同様に寄生虫を排除することが出来なくなることが示された。

3-2.虫体抗原接種による寄生虫再感染の再現

 N.hirame成虫を超音波破砕し、遠心分離した上清を抗原液とし、抗原液とFreund完全アジュバントの等量混合液を1尾あたり100μgタンパク質となるように0歳ヒラメの皮下および腹腔内に接種し、N.hirameに対する抗体産生を促した。対照としてアジュバント区にはPBSとFreund完全アジュバントの等量混合液、またはPBSを皮下に接種した。注射は1週間毎に4回行った。すべての実験区で鰓弁寄生期および口腔壁・咽頭寄生期共に寄生数に有意な差は見られず、寄生数は53〜206虫であった。PBS区では31日後から死亡が見られ、37日後には死亡率は44%に達したが、抗原を含まないアジュバント区には死亡は見られなかった。以上のことからN.hirameの寄生に対する生体防御には、主に非特異的因子が働くことが示唆された。

まとめ

 本研究では比較すべき既知種の記載が不十分であったことから、形態のみで判定するのが困難であった。そこで、遺伝子配列の比較も検討した結果、N.hirameとN.sp.の間には形態的にほとんど差がみられず、解析したSSU rRNA領域からITS2領域にかけてN.sp.とN.hirameに配列の差は無かったことから、両者は同種であることが遺伝子によっても強く示唆された。したがって、本虫は本来、北米に分布するサザンフラウンダーに寄生していた単生虫が日本に持ち込まれた可能性が高いと考えられた。

 本虫の1日あたりの産卵数と寿命から、1虫の総産卵量は最大36000虫卵に達することが明らかになった。虫卵を用いた感染実験の結果とN.hirameの産卵数から鳥取県で1999年と2000年に確認された夏から秋にかけて0歳ヒラメを致死させるのに十分な数の虫体が寄生したと想定され、ヒラメ資源量の減少をN.hirameの寄生によって推定することが出来た。虫卵の孵化や孵化幼生の着定は水温の影響を受けず、感染履歴の有無に関わらず、同程度に孵化幼生が着定することが示された。そのため、ヒラメはN.hirameの再感染を抑制することが出来ないことが示唆された。以上のことから、N.hirameが日本の水域に急速に分布を広げた理由として、進化の過程でヒラメと接触することのなかった寄生虫であったため、ヒラメの生体防御による影響を強く受けること無く、比較的速やかにヒラメ系群内に伝播することが出来たためと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 1995年以降、日本海沿岸を中心に重度の貧血症状を呈するヒラメが漁獲されるようになった。これらのヒラメには従来未知の吸血性単生類の寄生が高率に見られた。後にこの寄生虫は新種Neoheterobothrium hirame(以下、本種)として報告された。本種の寄生レベルの高い水域ではヒラメの漁獲が減少しているという報告もある。本種は1990年代に突然出現し、その後全国に急速に分布を拡大したため、海外から侵入した寄生虫であることが疑われた。そこでまず、本種の由来を明らかにするために、本種と最も類似している北米産Neoheterobothrium sp.について形態および遺伝子を比較した。次に、伝播に影響する寄生虫側の要因として産卵量、孵化率、感染力、成長、成熟、寿命から本種の繁殖力を明らかにした。また、伝播に影響する宿主側の要因としてヒラメの生体防御能を調べた。

1.本種の由来

 本種の新種記載に用いられた標本など、計16個体を、形態的に最も類似したアメリカ産サザンフラウンダー(Paralichthys leothostigma)より得られたN.sp.7個体と比較した。咽頭の測定値のわずかな違い以外に差はみられず、形態的にはN.sp.と本種は同種であることが示唆された。

 3県から本種の計9個体とサザンフラウンダー寄生のMN.sp8個体を用いてSSU rRNA遺伝子を、3県から本種の計28個体とN.sp.8個体を用いてITS1〜ITS2領域、COI部分領域を比較した。その結果、すべての領域に両種間で変異は見られなかった。これらの結果は、N.hirameとN.sp.が同種であり、したがって本種は北米から侵入したことが強く示唆された。

2.本種の生物学的特徴

 本種の日間産卵数は20゜Cで最も多く、平均781個にも達した。孵化幼生を用いた感染実験では、15、20、25゜Cで、寄生後それぞれ59、38、31日目から産卵が始まり、寿命は122、66、52日と推定された。孵化幼生の感染能力を調べる実験では、単位面積あたりのヒラメの個体数をnとすると、単位面積あたりの虫卵数(X)と寄生強度(Y)はY=x/n(1-0.8252n)またはY=x/n(1-0.6365n)で表された。鳥取県で行われた野外調査から計算されたヒラメ密度と寄生強度、実験で得られた本種の日間産卵数と産卵期間から、0歳ヒラメが激減した時期の寄生強度を試算した。すなわち、初めに寄生した群(第1世代)は産卵を開始する7月下旬から1虫平均で7000虫卵を産出(水温を25゜Cと想定)することによって、0歳ヒラメの寄生強度は1999年の8月中旬で3.6〜8.4虫/尾、2000年の8月中旬では5.6〜13.2虫/尾に達したと推定された。さらに、第2世代が産出した虫卵による感染によって、8月下旬以降にはヒラメを致死させるのに十分な数の虫体が寄生したと想定された。

3.本種に対するヒラメの宿主反応

 本種に既感染の魚群および未感染の対照魚群を同居させ、本種の孵化幼生を添加することによって攻撃実験を行った。その結果、同居3週後の既感染魚の寄生数は対照魚に比べて有意に少なかったことから、感染したヒラメは何らかの宿主反応により寄生虫を排除することが示唆された。次に、既感染魚の寄生虫を駆除して2週後または5週後に未感染魚群と同居させ、同様な攻撃実験を行った。その結果、2週後の駆虫魚では成虫の寄生数が対照魚群に比べて有意に少なかった。5週後の駆虫魚では、抗体価が対照魚に比べて有意に高かったが、寄生数に差は見られなかった。そのため、抗体は本種に対するヒラメの生体防御にほとんど関与せず、防御反応の持続期間も限定的であると考えられた。

 次に、本種の成虫の超音波破砕、遠心上清を抗原液とし、Freund完全アジュバントとの等量混合液を0歳ヒラメの皮下および腹腔内に接種し、抗体産生を促した。対照として、PBSとアジュバントの等量混合液、またはPBSのみを皮下に接種した。2回目の接種後に攻撃実験を行った。腹腔内抗原接種区では他の区に比べて抗体価が有意に上昇し、白血球数も増加したが、寄生数に有意な差はなかった。以上のことから、本種の寄生の阻害や成虫の排除に抗N.hirame抗体や白血球が関与している可能性は低いことが示唆された。

 以上、本研究によって、N.hirameはサザンフラウンダーとともに北米から日本に持ち込まれたことが示唆された。また、ヒラメ資源量の減少が本種の寄生によると推定できた。本種の繁殖力は強く、寄生に対して宿主反応が有効に働かないことが、本種が日本の水域に急速に分布を広げた原因と考えられた。これらの結果は水産動物の防疫体制を考えるうえで、重要な知見を提供するもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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