学位論文要旨



No 119745
著者(漢字) 村井,潤一郎
著者(英字)
著者(カナ) ムライ,ジュンイチロウ
標題(和) 発言内容の欺瞞性認知を規定する諸要因 : 会話の協調原理違反に基づく分析を中心に
標題(洋)
報告番号 119745
報告番号 甲19745
学位授与日 2004.10.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第103号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 針生,悦子
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 橋元,良明
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は嘘に関する研究である.具体的には,発言内容の欺瞞性,即ち人が話した内容の不正直さを規定する要因について検討していく.その際,Grice(1975)の会話の協調原理,そしてそれを踏まえたMcComack(1992)による情報操作理論(Information Manipulation Theory)に依拠する.

 Griceは,会話の参加者が守るように期待されている原則に,量・質・関係・様式の4つを想定した.量の公準は,必要な量の情報を述べよ,必要以上の情報を述べるなという原則,質の公準は,偽りであると信じていることは言うなという原則,関係の公準は,関係のあることを述べよという原則,様式の公準は,曖昧な表現を避けよという原則七あり,これら4公準を「会話の協調原理」と言う.

 Griceは,話し手が非明示的に公準を破る場合,話し手は聞き手に欺瞞的であると認知されやすいとする.そこでMcComackは「一般に,ある発言内容が欺瞞的であると認知されるのは,その発言内容が会話の公準を密かに破っているためである」とする情報操作理論を提唱した.例として,妻以外の女性と遊んでいたため夜遅く帰宅した夫を考えてみる.妻の「こんなに遅くまで何してたの?」に対する夫の返事,「遊び」は量の公準,「男友達と麻雀をしていた」は質の公準,「今から風呂に入ってくる」は関係の公準,「いやちょっといろいろとあって」は様式の公準,を各々破る返事であり,いずれも欺瞞的であると認知されることになる.McCornack et al.(1992)は情報操作理論の実証研究を行っているが,様々な問題点が存在する.特に,上記の例で言えば「妻以外の女性と遊んでいた」という真実の状況を被験者に呈示していること,また実験刺激の統制が不十分なことは大きな問題である.それらを克服し,また下位公準を設定するなど新たな視点を加えつつ,発言内容の欺瞞性認知について詳細な検討を加えていった.

 論文は全3部構成であり,第1部「本論文の背景」,第2部「発言内容の欺瞞性認知を規定する諸要因」,第3部「総括」から成る.欺瞞性認知についての検討は主に第2部にて行っているが,それに先立つ第1部において,第2部の研究の基礎固めを行った.第3部で,本論文の意義,今後の課題などについて論じた.

 第1部「本論文の背景」は,以下の4章から成る.

 第1章「欺瞞に関する先行研究の検討と本論文の立場」では,心理学における嘘研究,嘘・欺瞞とは何か,といった嘘に関する基礎的側面について言及した上で,本論文が依拠する会話の協調原理,情報操作理論,先行研究の問題点について述べた.また,主として社会心理学における欺瞞研究についてレヴューを加え,「なぜ言語なのか」という欺瞞の言語的側面を検討する意義について述べた.

 本論文は,発言内容の欺瞞性認知について検討するものであるが(第2部),それに先立つ予備的研究が以下の3章である.第2部は質問紙実験が中心になるため,日常性に注目した研究も行った.

 第2章「予備的研究1〜欺瞞検知実験(実験(1))」では,「なぜ言語なのか」という点について欺瞞検知実験を行い,客観的真偽ではなく主観的真偽(つまり欺瞞性)を検討する意義について述べた.本章では,実際に収録した真偽の発言を用いて欺瞞検知実験を行っており,音声群ノ文字群ともに欺哺検知の正答率はチャンスレベルに過ぎないことが分かった.

 第3章「予備的研究2〜青年の日常生活における欺瞞の様相(調査(1))」では,青年の日常生活における欺瞞について日記法による検討を加えた.その結果,男性は1日平均1.57回,女性は1日平均1.96回嘘をついており,他者を嘘だと思う瞬間は,男女とも1日に0.36回であることが分かった.

 第4章「予備的研究3〜典型的な欺瞞場面と欺瞞的な発言内容に関する信念の構造(調査(2))」では,第2部の研究で使用する仮想場面について検討するため,青年にとって典型的な欺瞞場面を収集した.その結果,先行研究と同様,恋愛場面の妥当性が示唆された.また,我々は,欺瞞的な発言内容に関して情報操作理論に対応する4次元(量・質・関係・様式)で捉えているのだろうか,という点について検討した結果,どのように(HOW)言うかに関する因子(量・様式)と,何を(WHAT)言うかに関する因子(質・関係)の2因子が得られた.

 以上の基礎的検討を踏まえ,第2部「発言内容の欺瞞性認知を規定する諸要因」では,情報操作理論をもとに,発言内容の欺瞞性について実験的検討を行った.第2部は本論文の中核となる部分であり,以下の4章から成る.

 第5章「情報操作理論に基づく発言内容の欺瞞性の分析(実験(2)+実験(3))」では,情報操作理論に基づき,欺瞞性認知を喚起する要因について質問紙実験を行った(実験(2)).実験で用いた場面は「Aさんは,Bさんと3年間恋人としてつきあっています.ある晩,AさんはBさんに電話をしますが,何度かけても留守でした.次の日,Aさんは,町で偶然Bさんに会いました.そこでAさんは「昨日の晩,何度も電話をしたんだけれども….」とBさんに言います.これに対してBさんは…」というもので(以降の実験でもほぼ同様),この時のBさんの返事として,内容を操作した実験刺激を呈示し,欺瞞性などについて評定させた.その結果,様式の効果(曖昧な発言内容は欺瞞性が高い),質の効果について立証した.質については,生起頻度(日常での起こりやすさ)が高ければ欺瞞性が低く,立証可能度(話し手の言ったことを立証できる程度)が低ければ欺瞞性が高いことが分かった.文長と欺瞞度との関係は仮説を支持せず,U字型曲線相関を示さなかった.公準の複数違反による欺瞞性の上昇についても立証できなかった.この点について追試実験を行ったが(実験(3)),やはり公準の複数違反の効果は見出されなかった.しかし,一文で言い切る場合に欺瞞性が低くなることが示唆された.

 第6章「関係の公準についての検討〜好意性と欺瞞性認知(実験(4))」では,第5章で検討されなかった関係の公準について,好意性の観点から同様の検討をした.好意性を表明した発言内容,即ち聞き手にとって嬉しい発言内容は,欺瞞性が低くなることが分かった.

 第7章「強調語と欺瞞性認知(実験(5))」では,とりわけ様式の公準についてさらに検討するため,強調語の観点から行った実験である.強調する発言内容は欺瞞性が高くなると予測されたが,予測に反し,強調群/非強調群の間に差は認められなかった.

 以上第5章〜第7章では,言葉そのものの要因という「発言内容の内側」について検討を加えたが,そこで言及されない点,即ち聞き手の性格特性といった「発言内容の外側」に関する実験・調査が次の第8章である.

 第8章「話し手・性差・公準の組み合わせ効果・性格特性と欺瞞性認知(実験(6)+実験(5)の一部)」では,発言内容そのものではなく,それ以外の点,即ち話し手の違い(恋人/親友/知人),聞き手の性差,様式と量の組み合わせ,性格特性(ここでは一般的信頼)の効果について検討するものである.その結果,親友条件の欺瞞度が低くなること,性差は顕著でないこと,一般的信頼と欺瞞性認知との関連はほとんど認められないこと,などが分かった.

 第3部「総括」は以下の1章から成る.

 第9章「全体的考察」では,本論文の結果をまとめた上で,本論文の学術的・実践的意義,また本研究の問題点と今後の課題について述べた.

 以上,6つの実験と2つの調査を通して,欺瞞について検討を加えたが,第2部で得られた結果をまとめたものが以下の表である(↑:上昇,↓:低下).

 これらをまとめると,「言葉を濁さずに一文で言い切られ,その内容が,普段起こりやすく,聞き手が確かめることができることであり,一文以上の発言の場合,相手に好意を非明示的に見せつつそらしている」発言内容は非欺隔的であると認知されるということになる.

 本論文では,先行研究の各種問題点を克服した上で情報操作理論を再検討し,下位公準を設定することで理論の精緻化を行った.さらに,発言内容の内側のみならず外側についても検討した点で,また第1部にて欺瞞の言語的側面を検討するための基盤について検討した点で,本論文は情報操作理論を発展的に洗練させるものである.語用論に大きな影響を及ぼしたGriceの流れを汲む本論文が,心理学と言語学の掛け橋になることも期待される.

発言内容の内側の要因

発言内容の外側の要因

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、Grice(1975)の「会話の協調原理」や、McCornack(1992)の「情報操作理論」などの先行研究を踏まえ、人が話し手の発言を欺瞞的であると認知する時の影響要因を明らかにしようとしたものである。本論文は、3部9章から成っている。

 第1章では、心理学における嘘に関する基礎研究について言及した上で、本論文が依拠する会話の協調原理、情報操作理論を整理し、先行研究の問題点について述べている。第2章では、人は言語情報から真実の発言を真実と判断したり、嘘の発言を欺瞞的だと判断したりすることがどの程度可能かを調べるために、欺瞞検知実験を行った。その結果、チャンスレベルでしか真偽を検出できないことが判明した。第3章では、日記法による調査を行った結果、青年期の日常生活において、かなりの頻度で嘘をつくことがある一方、他者の発言を嘘だと思う頻度ははるかに少ないことがわかり、本論文の日常的、現実的な意義の裏づけとなるとしている。第4章では、質問紙調査によって、聞き手は欺瞞的な発言をいかなる次元で捉えているのか、その認知構造について検討し、どのように言うか(how)に関する因子(量・様式)と、何を言うか(what)に関する因子(質・関係)の2因子が得られたとしている。

 以上の基礎的検討を踏まえ、以下では、情報操作理論をもとに、発言内容の欺瞞性認知について質問紙実験による検討を行っている。第5章では、曖昧度の高い発言内容は欺瞞度が高く認知されること、生起頻度(日常での起こりやすさ)が高ければ欺瞞性が低く、立証可能度(話し手の言ったことを立証できる程度)が高ければ欺瞞性が低いことがわかった。Grice(1975)の会話の公準の複数違反の効果は見出されなかったが、様式に違反せずに一文で言い切る場合には欺瞞性が低くなることが示された。第6章では、話し手と聞き手の人間関係に着目し、好意性を表明した発言内容は、非好意型・中立型と比較して、欺瞞性が低くなることを見出している。第7章では、必要以上に発言内容を強調した場合には欺瞞性が高くなるという仮説を実験的に検討したが、予測に反し、強調語の効果は見出せなかった。なお、ここまでの実験では話し手を恋人と想定していたが、第8章では、話し手として恋人、親友、知人の3種類を設定し、加えて、聞き手の性差、様式と量の組み合わせ、性格特性(ここでは一般的信頼)の効果についても考察した。その結果、検討したすべての発言内容において、親友条件の欺瞞度が低くなること、聞き手の性別は顕著な影響がないこと、一般的信頼と欺瞞性認知との関連はほとんど認められないこと、等の知見が得られたとしている。第9章では「全体的考察」として、以上の研究を総括している。

 このように、本論文は、先行研究の各種問題点を克服した上で、情報操作理論を精緻化し、さらに、発言内容を中心にしながらも、それ以外の要因についても検討した点で、日常的に生起する欺瞞性認知の生じるメカニズムに関して新たな知見をもたらす優れた研究として評価された。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するにふさわしいものと判断された。

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