学位論文要旨



No 119752
著者(漢字) 高津,純也
著者(英字)
著者(カナ) タカツ,ジュンヤ
標題(和) 中国戦国時代における「華」「夷」観の成立と『尚書』
標題(洋)
報告番号 119752
報告番号 甲19752
学位授与日 2004.11.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第462号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平勢,隆郎
 東京大学 助教授 池澤,優
 東京大学 助教授 大西,克也
 東京大学 助教授 吉澤,誠一郎
 東洋文化研究所 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、現代まで息づき続ける中国古代の政治思想を培養してきた儒教経典が、先秦期においていかに成立し展開したか分析するという目的の下、その経書の代表の一『尚書』を題材とし、松本雅明による優れた先行研究を吟味するという作業を中核に据えて検討を行うものである。

 その過程で関鍵となったのは、儒教経典及びそれに載る形で伝えられた政治思想のうちある部分は、漢代以降に統一的思考の下で議論されてきた(そしてそれが上代からそうであったと無意識に信じられてきた)のと異なり、戦国期においては地域別・学派別に異なった状態で併存していた、場合によってはそれに関する複数の主張が対抗させられていた、という可能性であるこのことを念頭に置くに至ったのは、松本により戦国期の『書』が複数存在したと示唆されたこと、またその『書』にも関連する「夏」という語の概念が、睡虎地秦簡の発見により複数併存していたと言えるようになったことであった。このことから、本論では「先秦期の外族呼称」「諸夏と中国」「『左伝』と『夏書』」などについての分析を経由することになった。その内容をまとめると、以下のようになろう。

 まず、先秦時代の外族呼称(漢字を使った記録において、自らを含む社会集団の秩序の埒外にあると認識された人的集団に対し付されていた呼称。「夷」「狄」などが代表例。従来は「異民族」「蛮族」などの言葉を用いた)について同時代史料・文献史料を網羅的に検討した結果、所謂「中國」の東西南北にそれぞれ夷・戎・蠻・狄が居住しているといった認識は、先秦期においては未だ確立しておらず、記録を作成する主体ごとに外族呼称はそれぞれ異なっていたことが知られた。一方、これの反対語として知られる「夏」「華」という単語について同様の検討を行った結果、周王朝ならびにその傘下の諸侯国が春秋時代までに自らを「夏」「華」と呼んだり、自らを含む一群の国家を「諸夏」と呼んだりしたことを示す史料は皆無であった。それは、戦国期になって成立した史料の一部にようやく見られるようになる概念であった。すなわち、殷周王朝は東西南北にそれぞれ居住する夷・戎・蠻・狄と敵対し、それらの侵攻に対抗して周王朝傘下の諸侯国は「諸夏」と自称し団結して排撃した、といったような、従来は春秋期の史実とされてきた状況を示す史料は、同時代史料には皆無であり、文献史料にも非常に限られた文献にしか見られなかった。つまり従来我々が考えてきたような「華」「夷」観、全土を「諸夏」と「夷狄」とに二分して認識する構造が春秋時代に存在し共有されていたとする想定は、「諸夏」「夷狄」どちらの側についても、史実とするに十分な史料は存在しないと言えた。

 しかし、その限られた文献の中核を為すものが『春秋』ならびに三伝であり、従来はここに記された記述を史実と考えて議論してきたのであった。

 それゆえ、次にこの春秋三伝の記載についての詳細な検討を行った。その結果、上述のような語義で「夏」「華」という単語を積極的に用いているのは『左伝』のみであり、しかも全文のうち戦国期になって成立したとされる部分だけであると知れた。

 その『左伝』が言う「(諸)夏」も、従来知られているイメージとは異なり、晋を中心とする狭い範囲を指すに過ぎず、秦・楚・呉といったような「辺境」とされた国だけでなく斉のよう存国も「諸夏」から排除されていた。そして『左伝』が「夏」を尊んでいる背景についても、戦国期の韓が夏王朝の権威を継承することを主張しているという状況を想定することで説明できた。

 一方『公羊伝』『穀梁伝』では、「諸夏」を殆ど用いない替わりに「中國」の語を用いて「夷狄」と対置させるが、その「中國」という尊ばれる語も、従来知られているイメージとは異なり、『公羊伝』では斉、『穀梁伝』では中山をそれぞれ中心とする狭い範囲を指すに過ぎず、周や晋のような国も「中國」から排除されていた。

 これらのことから、「諸夏」「中國」といった単語に込められた語義や範囲も、それらの言葉に対する褒貶もまた外族に対する「夷狄」「戎狄」といった単語の選択もそれらが示す範囲も、その単語を含む文章を作成する主体ごとにそれぞれ異なっていると考えられた。従来の考え方では、『史記』『左伝』などの史料に記録されている単語が鵜呑みにされ、各史料相互間の差異に注目すると言うよりはむしろそれを捨象し、読み手の主観によって各種の記録を恣意的に再構成することで当時の史実が想定されてきた。時代や地域によって記録を作成する国が替われば、用いられる単語もその用法も替わる、という点が従来気づかれていなかったのである。

 このように、史料を網羅的に再検討し、近年急増する出土史料の利用や文献史料への新たな知見を活用した結果、我々が知るような「華」「夷」観、すなわち「夏」「中國」と「夷」などとを対置させて議論する用例は、戦国期になって初めて出現し、しかも異なる考え方が同時期にいくつも併存し対抗させられていた、といえた。この検討結果は従来の常識を大きく揺さぶるものであり、同時期の儒教経典の成立と展開の研究に対して大きな影響を及ぼすであろう。事実、本論にて戦国期の書篇の姿に関し、新たな推論を結実させることが出来た。

 すなわち、『左伝』に数多く引用されている「夏書」を含む書篇(『尚書』各篇)が、このような戦国期の新しい政治思想の下で利用されていることが結論づけられたのである。『左伝』に含まれる説話においては、登場人物が意見を陳述する際に箴言として書篇を引用することが多いが、それは場当たり的に引用されているのではなく、韓に夏王朝の政治的権威が継承されることを主張する材料の一環として配置されていることが明らかになった。また「夏書」以外の引用書篇を検討した結果からも、書篇には虞夏商周王朝の権威が伴っていると考えられていたらしいと知れた。そもそも『左伝』の中で書篇の存在について触れられている場所は、詩篇の存在について触れられている場所と異なり戦国期に成立したと思しき場所に例外なく集中している。『詩経』各篇は、春秋期の一部の諸侯が有していた政治的場における賦詩の習慣を基礎として戦国期に広く政治的利用されるに至ったと考えられているが、春秋期における書篇の政治的利用は文献史料から全く確認できない。書篇の内容自体には西周期以来の記録を反映している部分があるにせよ、その書篇としてのテキスト化は基本的には戦国期になって行われたと考えられた。

 これらのことは『尚書』の成立と展開にっいて論じる上でも重要な材料を提供したものと考えるが、この議論にあたって先行研究を繙いた結果、松本雅明『春秋戦国における尚書の展開』(風間書房、一九六六年)が極めて重要な分析結果を多く記していることに着目することとなった。本論は近年の出土文物の増加や『左伝』の史料的性格に対する再検討結果を利用することで初めて、従来説に対して一石を投じることができたのであるが、松本はそのような成果を享受することがなかったにもかかわらず、さまざまな重要な指摘を書篇について行っていたのである。

 このことを踏まえ、松本が該書で行った春秋戦国期の書篇の分析について、『左伝』所引以外のものについても再検討の手を伸ばした。

 その結果、松本は先秦諸子が引用する書篇のうち、逸篇について篇名の推定や夏商周書への配当を行う際、少々強引であると言わざるを得ない判断を行ったり、またそれを前提にさらなる議論を積み重ねたりしている箇所があるとわかった。この点は批判を免れないと思われる。しかるにそのような、恣意性に大きく頼って形成された結論を一旦排除し、動かし難い史料から判断されたる部分のみを取り上げて松本の議論を再構成しても、十分継承するに足ると思われる成果が見出された。その中で最も根幹となるものを挙げれば、戦国前中期の比較的短い期間に書篇が次々と生成されたこと、『書』への編纂は儒家・墨家などの各派別に実行され、共通の篇と独自の篇を持つ複数の『書』が並行して作られ同時期に併存していたこと、その一部分のみが漢代に継承され再度編纂されて今文『尚書』が成立したこと、といった諸点である。

 すなわち、戦国期の書篇とは未だ固定化した一書となっていない、この時代に多種多様な書篇が生まれ多種多様に編纂され、それらが漢代までに大きく淘汰された、という展開の想定は、斬新であり且つ注目すべきものと考えられる。『尚書』という儒教経典が、先秦期に既に共有される一書として広汎に流布していたのでなく、戦国期に新たに誕生した多くの書篇を、複数の学派がそれぞれの立場に沿うように書物として編纂し、結果として複数の『書』が成立していたとする説は、経典の展開を単なる一本の時間軸の上で判断するのでなく、複数の対立する考え方が同時期に併存していたとする可能性を示唆するものであり、細かな分析の是非をさておいても継承すべき見解であった。

 今後は松本の成果に目配りし、その有用性に注意しつつ継承できる点を汲上げる形での『尚書』研究が進展させられることが期待される。そしてさらにその手法を応用して、儒教経典の多くへと検討の手を伸ばしていくことも可能であろう。

 本論は、このように戦国期書篇の成立と展開について基本的な考え方を提示し、儒教経典の先秦期における有り様について一つの可能性を示すに至ったと考えるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 東アジアには、中国起源の独特な中華・夷狄観がある。提出された論文は、その中華・夷狄観の淵源をたどり、『公羊伝』・『左伝』・『穀梁伝』それぞれに示された独特な中華・夷狄観を検討し、その検討結果を『尚書』に関して応用した。

 一般には、春秋時代に整然とした中華・夷狄観ができあがっていたように考えられているが、実際には、自分たちを他とどのように区別するかの都市ごとの様々な言い方が存在し、それらが、戦国時代の領域国歌(官僚が地方都市に派遣される)の下でまとめられ、いくつかの地域色豊かな中華夷狄秋観ができあがっていた。提出論文は、その点を上記の書物によって検証したのである。天下が統一されると、それらの中華夷狄観はさらに一つにまとめられた。

 提出論文はさらに、検証結果を利用して、松本雅明が残した研究成果を分析している。松本とは異なる方法からその検討内容を検証し、併せて松本に寄せられた批判の問題点を摘出して、松本の見解の大要を是認する。

 殷代・周代および春秋時代において、漢字による表現として残された時期的な、あるいは地方性ゆたかな表現の存在を確認し、戦国時代において、国家ごとに独特なまとめがなされたことを検証した上で、従来の検討内容を検証したことは、とかく議論が錯綜しがちなこの時代の検討方法として、評価された。ただし、議論が錯綜しがちな現状は、個々の論者の歴史観・史料観の相違によってもたらされている。その現状を知る委員から、その点の確認がなされている。

 松本の検討は、膨大な史料を渉猟し、広い視野からなされた大著として公刊されている。ところが、これに対する批判を是とすべきかどうか、是とするならいかなる意味で是なのか、否とするならいかなる意味で否なのかは、実のところこれまで、ほとんど検討されてこなかった。その結果として、長らく研究史のかたすみに追いやられていたこの大著を、あらためて検証の場に引きもどし、定の成果を得たことは、評価されてよい。今後、この検討がさらに精緻化されることを期待する。

 当研究が、『尚書』という古典を対象としているだけに、この古典がなお重視されている現代において、この研究のもつ意味はなお少なくあるまい。ただし、提出論文の内容をその中に位置づけていくには、古代や歴代のみならず、さらには近代史に関わる豊かな教養が要求される。今後、この作業の充実をはかることは、別に意味をもつ研究となるであろう。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしい水準に達しているものと判断する。

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