学位論文要旨



No 119754
著者(漢字) 川口,聖司
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,サトシ
標題(和) 金属イオン配位部位を導入した高反応性アミド基質に関する研究
標題(洋)
報告番号 119754
報告番号 甲19754
学位授与日 2004.11.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5929号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 工藤,一秋
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 アミド結合は生物においてタンパク質などを構成する重要な結合であり、無触媒下での加水分解は半減期350年以上の、反応性の低い強固な結合である。一方生体は、加水分解酵素による結合活性化のメカニズムを持ち、体温(37℃)程度で十分効率的にアミドを分解・生成することができる。これまで多くの研究者により生体酵素を用いず、人工的にアミド加溶媒分解を促進させる研究が行なわれてきたが、それらは生体系よりも実質遅い反応である。しかしながら、アミドは生体系および人工系の双方に広く存在する重要な官能基であり、アミド結合の反応性を自由に制御および温和な条件下での加溶媒分解の方法論に対する研究は現在でも、重要な分野と考えられる。

 東京大学 荒木孝二らはこれまで多くの金属作用点を持つ6,6'-bis(acylamino)-2,2'-bipyridine(1)とその金属錯体の機能について研究してきたが、その中でカルボニルのα-位にアミノ基を持つ配位子にCu2+を作用させると、アルコール中もしくは含水メタノール中、30℃という温和な条件でアミドが加アルコール分解することを見出した。アミド加アルコール分解、すなわちアミドからのエステル生成反応は、キモトリプシンなどの生体酵素のモデル系などに向けた知見の蓄積という観点で重要であり、さらに含水アルコール中での選択的なエステル生成は合成化学的にも非常に興味ある反応である。そこで本研究では高い加アルコール分解反応性を示す6,6'-bis(acylamino)-2,2'-bipyridineに注目し、以下の具体的な検討により同反応系から温和かつ速やかなアミド加アルコール分解を進行させるための有益な情報を得ることを目的とした。

2.ランタノイドイオンを用いたアミド加溶媒分解反応

 ランタノイドイオン(Ln3+)は強いルイス酸性を示し、金属配位部位を持つ基質との強い相互作用が期待される。本章ではアミド酸素へのLn3+の高い親和性が1の加溶媒分解に有効と考え、その効果について検討した。

 メタノール中30℃で6-benzoylamino-6'-L-phenylalanylamino-2,2'-bipyridine(1a:1×10-4mol dm-3) に0.2等量のLn3+を加えると、1aの電子スペクトルはビピリジン部位のπ-π*遷移に由来する吸収 (λmax=307nm) が等吸収点を示しながら速やかに減少した(メタノール中のH2O量0.01w/w%におけるCe3+触媒系での初期反応速度:6.5×10-8mol dm-3s-1)。HPLCによる反応液の分析では、アミノ酸エステル(収率 90〜97mol%)と6-amino-6'-benzoylamino-2,2'-bipyridine(2a)のほぼ定量的な生成を確認した。また金属イオンの種類による触媒活性の検討では、Sc3+を除くいずれのLn3+に触媒活性が認められた(Ce3+と同条件下での反応速度:2〜7×10-8 mol dm-3 s-1)。

 基質の構造と反応性についての検討では、アミドカルボニルに対しα-アミノ基と金属に配位可能な2,2'-bipyridine骨格・6,6'位の2つのアミド結合を有する基質が高い反応性を示し、α-アミノ基を持たないもしくは保護された6,6'-bis(benzoylamino)-2,2'-bipyridine (1d)や6-benzoylamino-6'-[N-(benzyloxycarbonyl)-L-phenylalanylamino]-2,2'-bipyridine(cbz-1a)やモノアミドビピリジン基質やビピリジン骨格の代わりにピリジン骨格を持つ基質等では低い反応性であった。

 これらの結果により、これまで銅イオンのみでしか報告されていなかった反応系がLn3+でも銅イオン系同様に温和かつ速やかなアミド加アルコール分解反応を示し、同様の基質構造条件(α-アミノ基、2つのアミド、ビピリジン骨格)を示すことを明らかにした。

3.6,6'-bis(acylamino)-2,2'-bipyridine-Ln3+錯体の構造と反応性

 前章の反応はLn3+-基質錯体が関与していると考えられ、高いアミドの反応性も同錯体に因るものと推定される。Ln3+錯体の構造とその反応性について検討した。

 反応性の低い1dにLn3+を添加するとビピリジン部位の吸収のλmaxが30nm程度長波長側へシフトし、ビピリジン窒素がLn3+に直接配位した錯体の形成が示唆された。また錯体の組成は連続変化法により[1d]:[Ln3+]=1:1であった。また6,6'-bis(p-hexylbenzoylamino)-2,2'-bipyridine(1e)の13C-NMRを検討したところ、CD3OD中では良好なスペクトルが得られなかったが、CDCl3中ではLu3+との錯形成に伴い、ビピリジンおよびアミドカルボニル炭素がいずれも0.59〜4.58ppmシフトしており、Lu3+のビピリジン部位およびアミド酸素への配位が示唆された。

 一方高い反応性を持つ1aとLu3+との錯体についてメタノール中で検討を行ったところ、反応はMichaelis-Menten型に従い、1a-Lu3+錯体([1a]:[Lu3+]=1:1)の形成を示した。これは1dによる解析結果と一致する。30℃・メタノール中のH2O量0.03w/w%における1/KM(1a-Lu3+錯体の錯形成定数に相当)は8.9×103 dm-3 mol-1であり、k2(1a-Lu3+錯体の分解反応速度定数)は1.1×10-3 s-1であり、高い反応性を示す。

 電子スペクトルによる反応性を異なる錯体の比較では、反応性の高い1a-Lu3+錯体は、反応性の低いcbz-1a-Lu3+錯体や1d-Lu3+錯体よりも長波長側に観測された。これは一般的な1-Cu2+錯体のアミド解離型に特徴的であることから、高い反応性1a-Lu3+錯体ではプロトン解離アミド体であることを示唆している。さらに、低反応性1d-Lu3+錯体にNaOHを添加すると、電子スペクトルはアミド解離型錯体型になり、アミド加アルコール分解も約5倍加速された。これらの結果はアミドプロトンの解離が錯体の反応性に寄与していることを示唆している。

4.テルピリジン部位を金属配位部位とするアミド基質の反応性

 前述のビスアミド型のアミド基質は、反応を受けるアミドと反応を受けないアミドをそれぞれ1つずつ持つ。これは、反応を詳細に解析する上で、系を複雑化させる可能性がある。そこで、反応を受けないアミドを、金属配位部位であるピリジンを置き換えたテルピリジン型基質6-(L-phenylalanylamino)-2,2':6',2"-terpyridine (5a)を用いて、反応の検討を行なった。

 Cu2+イオン存在下、5aはビピリジン型アミド基質と同様、3つのテルピリジン窒素および1つのカルボニル酸素へCu2+が配位したN3O型錯体5a-Cu2+を経由して、アミド部位の加アルコール分解を受けた。これらはアミドに対して3座の配位部位を導入した基質が高い反応性を持つこと示す。さらに5a-Cu2+錯体の酸塩基滴定や錯体のPF6-塩を用いたIR分析により、5a-Cu2+錯体は3種の異なるプロトン化状態A、D1、D2を持つことを明らかにした。さらにその中でD2(解離アミド、フリーのアミノ基を持つ)体が本反応系における速く、反応の主体となっていることを明らかにした。(メタノール中・30℃におけるD2体のk1値:6×10-3 sec-1、半減期:2 min)。ところでD2体の解離アミドの塩基性はアミノ基の塩基性よりも小さいという結果が得られた。これはこれまで報告されてきたアミドでは見られない結果である。アミドプロトン解離およびアミノ基の反応性の影響は含水メタノール(H2O量12w/w%)においてそれぞれ3600倍、70倍程度に見積もられた。一般に解離アミドの金属錯体はアミドの窒素が金属配位しており、反応に対して安定である。一方本研究の反応性の高い錯体はアミド酸素が金属配位しており、この錯体の配位様式が錯体の反応性に寄与している可能性がある。

5.総括および展望

 本研究では、アミドに対して3座の金属配位部位を導入した基質に対して銅イオンやランタノイドイオンを作用させることにより、アミドが加アルコール分解されることを明らかにした。金属配位部位はさらに別の構造へ置換することができる余地がある。また銅イオン系でもランタノイド系でもアミド基質は同様の反応性を示したことは、触媒としてさらに別の金属イオンを利用できる可能性を示唆する。本反応は、水に対して失活しやすいランタノイドを除き、含水アルコール中でも加水分解ではなく加アルコール分解が選択的に進行する。これは、選択性のある新しいアミドの反応として、アミノ酸エステルの合成などに有用となる可能性が考えられる。また本研究のような温和な反応は、生理活性な基質を温和に修飾する反応試薬への応用、ドラッグデリバリーなど生体内の特異的な部位で薬剤を投薬するためのリンカーなどとしての利用につながる可能性がある。さらには材料工学等、自然界に投棄されても温和かつ安全に分解可能な材料としての応用も期待したい。

5a-Cu2+(A)

5a-Cu2+(D1)

5a-Cu2+(D2)

審査要旨 要旨を表示する

 結合形成が容易で安定なアミド結合は、タンパク質をはじめとする縮合高分子などを形成する結合として生体系および合成系で重要な役割を担っているが、温和な条件での切断は必ずしも容易ではない。一般的なアミド切断反応は、加溶媒分解、特に加水分解であり、生体内では酵素により効率よく進行することから、温和な条件で速やかにアミドを加溶媒分解する触媒の探索が活発に行われてきている。本論文は、オリゴピリジル金属配位部位を持つアミド基質のアミド加溶媒分解反応を対象とし、金属イオンを触媒とすることで温和な条件で速やかに進行するという特徴を明らかにし、高い反応性を示す要因などを解明したものである。論文は、全5章で構成されている。

 第1章は序論で、アミド結合の性質やその重要性、酵素や触媒によるアミド加水分解反応および加溶媒反応について概説し、触媒を用いたアミド加溶媒分解反応の課題や問題点、研究の方向性などを整理している。そして30℃という温和な条件で速やかに進行するオリゴピリジルアミド基質の加アルコール分解反応を対象とした本論文の研究目的、意義、そして具体的な検討内容を述べている。

 第2章では、キレート配位子ビピリジンの両端6、6'位にアミノ基を持つジアミノビピリジンと2分子のフェニルアラニンとがアミド結合したビスアミドビピリジンを基質として用い、ルイス酸性の高いランタノイドイオンを触媒とする反応の結果を述べている。メタノール中での反応は、30℃という温和な条件にもかかわらず、数十分から数時間という短い半減期で片側アミドのみがメタノリシスを受け、アミノ酸メチルエステルが80%以上の収率で生成する、というこの反応の特徴を明らかにしている。また、反応がビスアミドビピリジン基質-ランタノイド錯体を経由して進行することを示した上で、ランタノイドイオンの種類による反応性の違い、アルコールの種類や共存する水による反応阻害効果、高い反応性を示すために必要な基質構造などを明らかにしている。

 第3章では、反応活性種となるビスアミドビピリジン基質とランタノイドとの錯体について、より詳細な錯形成挙動や錯体構造解析を行っている。その結果、会合定数103〜105 mol dm-3(メタノール中30℃)で1:1錯体を形成すること、ジスプロシウム(III)やルテチウム(III)を用いた系でのミカエリス-メンテン型反応解析から求めた1:1錯体の反応性(メタノール中30℃での半減期 2〜10分)が極めて高いこと、さらには基質が2つのアミド酸素とビピリジンの環窒素で配位する4座キレート配位子として作用していること、などを明らかにしている。

 第4章では、ビスアミドビピリジン基質が2つのアミド基を分子内に持つため反応解析が困難であることから、片側のアミドをピリジンに置き換えたフェニルアラニルアミドテルピリジンを合成して新たな基質とし、銅(II)イオンを触媒とした加アルコール分解を詳細に検討している。テルピリジン金属配位部位を持つ基質の場合も、温和な条件でフェニルアラニンメチルエステルがほぼ定量的に生成し、水が共存(0〜39モル%)しても加水分解ではなく加アルコール分解のみが進行するという高い反応選択性があることを確認している。そして、錯体構造について詳細な検討を行い、反応活性種であるアミドテルピリジン基質-銅(II)1:1錯体は、配位子上のフェニルアラニル部位アミノ基のプロトン化およびアミドのプロトン解離により、3つの異なる酸塩基平衡状態をとることを示した上で、メタノール中では塩基を加えることなく解離するというアミドプロトンの高い酸性を示している。さらに、錯体の酸塩基平衡状態と反応活性とを検討した結果、アミドが解離してアミノ基がプロトン化されていない状態にある錯体が真の活性種であり、半減期2分(メタノール中30℃)という高い反応性を示すことを明らかにしている。これは、触媒を用いたアミド加溶媒分解としてこれまでに報告されたものと比較しても、十分に速いものである。さらに、モデル化合物などとの対比などから、アミド解離した基質では反応速度が103以上、そしてプロトン化していないα-アミノ基が存在すると102近く大きくなると推定しており、オリゴピリジル配位部位を持つアミド基質が高い反応性を示す要因を明らかにしている。

 第5章では金属配位部位を持つアミド基質の高い反応性に関して得られた知見を総括し、今後の展望を述べている。

 以上のように本研究は、形成容易で安定なアミドという重要性の高い結合を温和な条件で速やかに切断するための要因解明を行ったものであり、得られた知見は合成化学的に重要な意義を持つだけでなく、有機化学全般の発展に寄与すること大と考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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