学位論文要旨



No 119755
著者(漢字) 田中,靖
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヤスシ
標題(和) 高解像度空間情報データを用いた山地流域の侵食過程に関する地形計測学的研究
標題(洋) Geomorphometrical study on erosion processes in a mountain drainage basin using high-resolution digital spatial data
報告番号 119755
報告番号 甲19755
学位授与日 2004.11.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4595号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 池田,安隆
 東京大学 助教授 須貝,俊彦
 東京大学 助教授 小口,高
内容要旨 要旨を表示する

 山地流域における侵食過程に関する知見は,日本の地形を理解する上で重要な基礎である.この理解は,最終的には,上流でのダムの堆砂や中流・下流域での地形侵食のような目に見える形の環境問題だけではなく,核燃料廃棄物の最終処分地を決定するための立地評価に代表されるような,これまで試みられることが少なかった非常に長い時間を対象とする地形変化予測という地球科学および工学の重要な課題に対しても「地形学」の分野から積極的な提言を可能とする根拠となる.

 山地斜面の形態およびその侵食過程を把握するための研究は,斜面上で発生した個々の崩壊地を対象に詳細な検討を行なう研究と,広域的に求められた侵食速度を用いて斜面形の変化を検討する研究に大別できる.用いるデータは,前者は現地における測量や地形観察が主であり,後者は地形図を用いた地形計測によって行われてきた.しかし,個々の崩壊を対象とすると,斜面形一般への普遍化が難しい.一方,小縮尺の地形図を用いた地形計測では地形形成プロセスを検討するのに十分な精度ではなかった.そのため,山地地形の研究といっても,これら二通りの成果を形態的および量的に関連付けることは困難であった.

 1990年代中頃から,地形を計算機で扱うための高解像度のデジタル数値標高モデル(DEM)や,地質・土地利用など様々な種類のデジタルデータの整備が世界中で進み,その利用が容易になった.これらのデータは,山地斜面の形態や侵食過程について,詳細かつ広域的に検討することを可能にすると考える.しかし,実際にデジタルデータを用いて地形解析を行なうためには,これまでの地形学の研究成果をも考慮した数値解析手法の開発が不可欠である.加えて,この手法によって得られた結果の評価手段の開発も必要となる.これらの点を踏まえて,本論文は崩壊が多数発生する山地流域の斜面形の特徴とその成因の地形学的研究について,高解像度デジタルデータを用いて定量的な検討を行なったものである.

 本論文は,7章から構成される.第1章では,既報の関連する研究のレビューを行い,本研究を遂行するにあたっての課題の整理と地形学的意義の確認を行った.続く第2章では,調査対象とした山梨県・雨畑川流域の地形学的特性を,主に文献調査から明らかにし,第四紀における隆起速度と侵食速度が共に日本で相対的に速い地域の一つであること,および現在における侵食の営力は主に表層崩壊であり,この流域が地形と崩壊の関係を検討する上で適切であることを示した.

 第3章では,本論文の基礎データとなる高解像度の空間情報としてのDEMおよびオルソ画像を,デジタル写真測量技術によって作成する方法について述べた.現時点で対象流域をカバーする最も空間解像度の高い情報は,空中写真のステレオペア画像である.その際に問題となったのは,一つのペアがカバーする領域がそれほど広くないことである.そのため流域全体をカバーするデータの作成には,異なるステレオペアモデルから作成されたDEMの結合に調整が必要であった.それぞれのステレオペアモデルが独自の誤差を含んでいるために,オーバーラップ領域のDEMは単純には一致しない.そこで,オーバーラップ領域のDEM値は,オーバーラップ領域端からの距離で重み付けした平均値を採用することにより,対象流域全体の整合の取れた5m-DEMを取得することに成功した.同じ方法で,1m解像度のオルソ画像も作成した.

 第4章では,デジタル写真測量技術で作成した高解像度DEMの精度を検討するために,コンピュータ上の仮想地形を用いた精度評価方法を提案した.この方法は,従来のデジタル写真測量の精度評価に比べて,真の標高値が既知であることと,誤差の発生状況を個別の要因ごとに面的に検知することができるという点で優れている.この方法に基づいて,実際の測量調査で誤差を生じると考えられるGPSの精度などの各種条件を変えてシミュレーションを行なった結果から,本論文で対象流域のDEM作成に用いた空中写真と同様の撮影条件を仮定したとき,最も理想的な条件でDEMを発生させても,高さ方向の標準偏差で80cm程度の誤差が生じることが分かった.これ以降の解析では,この値をデータ精度の上限に設定した.

 第5章は,DEMの解像度の違いによる地形計測への影響について考察し,本研究の目的に適するようにDEMの補正を行うことを課題とした.高解像度のDEMを用いて,局所領域の地形条件を広域に展開する研究を行なうためには,DEMから求められる勾配やラプラシアンのような微分値が,現地での実測に近い値で与えられる必要がある.また,DEMから自動的に抽出される流路および流域が,現実のものと一致していることも必要である.一つの山地斜面を対象にして研究を行なうような場合,例えば国土地理院より提供されている2.5万分の1地形図をもとにした50m程度の解像度のDEMは,これらの条件を満足するものではないことは従来から指摘されていた.しかし,設定された地形計測学的研究の目的のために必要なDEMの解像度については,まだ充分に議論されていない.そこで本研究では,解像度の変化に伴う斜面勾配のヒストグラムの変化に着目し,この流域の斜面勾配を検討するには25mよりも高解像度のDEMが必要であるとの結論を得た.本研究で作成した5m-DEMは,デジタル写真測量に特徴的なスパイク状ノイズと樹冠面の凹凸の情報を含んでいる.これを補正するために,ラプラシアンフィルターによるスパイクの除去と線形補間法による補間処理,そして移動平均法を用いたDEMの平滑化処理を行い,結果として本研究の地形計測に妥当な10m-DEMを作成した.

 こうして得たデータを用いて,第6章において対象流域の地形計測を行い,さらに,地形と崩壊の関係について考察した.まず,地形計測により得られた研究地域の特徴は,(1)標高と勾配の関係を検討すると,1300-2000mの高度帯において平均勾配に落ち込みが見られること,(2)高度とは関係なく,南向き斜面の勾配は北向き斜面の勾配よりも2〜3゜程度急であるということの二点であった.次に,この流域の侵食営力として重要な崩壊の発生状況について検討するために,オルソ画像を用いて崩壊地分布のマッピングを行い,地形との関係を検討した.その結果,(1)の特徴に対応して1300-2000mの高度帯では崩壊地面積率が増えないこと,また,(2)の特徴に対応して,南向き斜面上の崩壊と北向き斜面上の崩壊でその規模-頻度分布の傾きに顕著な違いがあること,が示された.これらの結果は,(a)この流域における地形の特徴が,崩壊の発生様式と深い関係があること,(b)この流域が山地の地形発達モデルの中でまだ発達段階にあること,(c)1300-2000mの高度帯における緩傾斜部がこの流域の今後の地形発達と侵食(崩壊)の関係を検討する上で重要であること,の三点をさしている.さらに,ここで得られた結果を従来の研究成果と合わせて考察した結果から,斜面勾配の高度変化を詳細に検討することで,日本における山地の地形発達ステージの地理的な分布を明らかにすることが可能であることを指摘した.また,ここで見られる斜面の非対称性については,従来から指摘のあった雨の降り方や周氷河現象の影響の他に,中程度(10kmぐらい)の波長の地殻変動の影響も関与している可能性があることを示した.

 最後の第7章で,本研究の成果をまとめ,残された問題点について整理した.

 これまで,写真測量は主に工学的観点から,山地の地形計測に関しては主に地形学的観点から研究が行われてきた.このため,目的に応じて必要とする解像度や精度は異なるにも関わらず,十分な議論がなされないまま写真測量の技術だけが発展してきた.本研究では,データの作成から山地斜面の地形計測までの一連の過程を全ておこなうことにより,そこに生じる問題とそれらに対する対処法を,地形学的立場から実証的に示すことができた.

 作成した雨畑ダム流域の高解像度のDEMとオルソ写真を用いて地形計測を高精度におこなった結果からは,地形学的に日本の山地地形の遷移帯の標高に位置する対象流域の地形発達上の位置付けを明らかとし,地形形成営力として働く崩壊の発生状況に地形との関連性を見出すことができた.これらの知見は,これまで形態的および量的に関連付けることが困難であった地形とそれを形成する現象について,関連性を定量的に導くことができたという意味で,地形研究上の重要な成果であると考える.

審査要旨 要旨を表示する

 地球表面の起伏の性状は、隆起運動と侵蝕作用によって形成される山地の形態によって特徴付けられるが、従来の山地地形の形態およびその形成過程に関する研究は、山地斜面上で発生した個々の崩壊地を対象に詳細な検討を行なう研究と、広域的に求められた侵蝕速度を用いて斜面形・起伏の変化を検討する研究に大別される。前者は現地における測量や地形観察によって遂行され、後者は地形図を用いた地形計測的手法によって行われてきた。1990年代以降、地形を計算機で扱うための数値標高モデル(DEM)や、地質・土地利用など様々な種類のデジタルデータの整備が世界的に進展し、その利用が容易になったため、山地斜面の形態や侵蝕過程を詳細かつ広域的に検討することが可能になると期待された。しかし、上記の2つの地形学分野の成果を結ぶには、崩壊地の形態を分析でき、かつ、広域的に収集できる高解像度の地形量データが必要であることが明確化し、そのためのデータ収集手法、検証、および、新しい数値解析手法の開発が要請されるようになった。こうした状況の下で、本論文は崩壊が多数発生している山地流域を対象に、高解像度デジタルデータの作成手法の開発を行い、それを用いて山地地形の特徴を定量的に検討し、それに基づいて大地形と小地形との関連を考察したものである。

 本論文は7章から構成されている。第1章では、既存の関連する研究のレビューを行い、本研究を遂行するにあたっての課題の整理と地形学的意義の確認を行っている。第2章では、調査対象とした中部山岳・雨畑川流域の地形学的特性を整理し、この流域が大地形と崩壊(小地形)との関連を検討する上で適切な地域であることを示した。第3章では、本論文の基礎データとなる高解像度の空間情報としての数値標高データ(DEM)およびオルソ画像を、デジタル写真測量技術によって作成する方法について検討している。本論文では対象流域全体の整合の取れた高解像度の5m-DEMを取得することに成功した。第4章では、デジタル写真測量技術で作成した高解像度DEMの精度を検討するために、コンピュータ上の仮想地形を用いた精度評価方法を提案し、最も理想的な条件でDEMを発生させても、高さ方向で80cm程度の誤差が生じることを検証し、データ精度の上限を明確化させた。

 第5章では、DEMの解像度の違いによる地形計測値への影響について考察し、本研究の目的に適するDEMの作成を行った。すなわち、ラプラシアンフィルターによるスパイク状ノイズの除去と線形補間法による補間処理、および移動平均法を用いたDEMの平滑化処理を行い、解像度の変化に伴う誤差を検討し、対象地域の地形計測に適切な10m-DEMを作成することに成功している。第6章においては、得たデータを用いて、対象流域の斜面形の分析、および、地形と崩壊の関係について考察している。その結果、対象流域における斜面形・起伏の性状が崩壊の発生様式と深い関係があること、および、対象流域の地形は山地地形の発達モデルの中で発達段階に位置することを指摘し、従来の定性的な山地地形の発達モデルと調和的であることを示すとともに、量的評価が可能であることを明らかにした。最後の第7章では本論文の成果をまとめ、高解像度のDEMとオルソ写真を用いて地形計測を高精度に行うことによって崩壊発生等の地形形成過程と現地形との関連性を見出すことができることを指摘している。

 以上のように、本論文は高解像度DEMを作成する実践的手法の開発とそれによって作成されたデータの精度を検証し、高解像度DEMを用いることによって、これまで形態的および量的に関連付けることが困難であった大地形と小地形との地形現象の関連を定量的に明らかにすることを試みた研究である。なお、本論文第4章は、隈元 崇氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断された。よって博士(理学)の学位を授与できると認める

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