学位論文要旨



No 119759
著者(漢字) 高,煕卓
著者(英字)
著者(カナ) コウ,ヒタク
標題(和) 近世日本思想における公共探求
標題(洋)
報告番号 119759
報告番号 甲19759
学位授与日 2004.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第526号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 教授 平石,直昭
 東海大学 教授 田尻,祐一郎
内容要旨 要旨を表示する

 日本においては、朱子学が一般に受容された以降の時期、17世紀から19世紀半ばにかけて、従来の宗教的世界から踏み出して世の中に参加しさまざまにその運営を実践しようとする多くの言説が生み出された。本研究では、その試みを「公共探求」と呼び、とくに伊藤仁斎、荻生徂徠、石田梅岩、安藤昌益、本居宣長、二宮尊徳など各社会層から生み出された思想的言説を取り上げてこれにかんする分析を行った。そのなかで、これらの思想家たちのテキストを歴史的・社会的諸地平とのかかわりにおいて捉え、そこに見出された彼らの自他関係、その属した世界への参加、政治との関わり等をめぐる考え方を公共探求の視点から捉え直した。

 本論文では、対象を分析するための、またそこから問題を掘り出すための方法概念として「公共」を使っている。それは、「全称的なもの」としての「公」に与る成員はどんな外延と内包をもち、またどのように構成され、またその「公」がどのように成り立っているか、などの問題を捉え直すためのものである。それは、「公的なもの」が、より大きく広く外なる領域まで開かれ、しかも種々の差異をはらんだ主体の複数性を成り立たせるものとして登場する局面を捉えるためでもある。こうした方法概念を、歴史的に使われて来た「公」や「公共」、また現代用語での「公共性」、それらに関連する周囲の用語・言説のうちに投げ入れることで、そこにある問題性を浮き彫りにしようともした。

 従来の丸山眞男の思想史研究や安丸良夫の民衆思想史研究は、日本近世思想における公共探求を問題にするにあたって、周知のように大きな示唆を与えるものであった。だが、またいくつかの課題を残すものでもあった。第一に、主体形成におけるコスモロジーの位相と役割に対する再定位の問題。第二に、官民対立論や変革主体論とは異なる、生活世界から立ち上がる公共的主体・社会形成の可能性の問題。第三に、その主体・社会形成論の思想的構造や回路の解明の問題などが課題として残されていた。

 ところで、近世日本における政治的安定と経済社会化は、思想史においては、学問の一般的普及を起こした。そこでは、朱子学的構図の受容また変容を始めとして、公共をめぐる思想の運動が展開する。「上」の公的意識の高まりと、「下」からの主体形成や社会参加意識の高まりとが相まって、生活世界や各世界の現場に根ざしつつそれを公共的な世界へと変えようとする、多様な公共探求の試みが生み出された。そこでは、大きくいって、「自然」の再定位の一方で、「人為」的側面が浮き彫りにされ、それが倫理・政治・経済・文化などの世界における「生」と「倫理」との葛藤という問題にかかわっていた。こうした側面を具体的な対象に即して分析を行った。

 第一部では、公共探求の二つの典型として伊藤仁斎と荻生徂徠を取り上げ、なかでも「自然」から「人為」への重心移動の意味を捉えながら、その可能性と問題性を捉え直した。

 第一章では、伊藤仁斎(1627-1705)における、人や社会をふくむ世界全体を「活物」の「生」の世界として捉え、「情」の生活世界の内側から立ち上がる主体や社会形成論を中心的に分析し、仁斎の「天下公共の道」は、生活世界の自然に根ざしつつ、テキストや「生々」の理念にもとづいたパーソナルな誠実・他者への寛容による自己形成を求めた。生活世界における共同性への居直りという問題を乗り越えて、そこからより広い他者に開かれる普遍性に向かう対話的・協働的公共探求であったことを明らかにした。

 第二章では、「政治の発見」者として評価された荻生徂徠(1666-1725)を取りあげ、経済社会化が本格的に展開し、生活世界と経済との葛藤が生まれはじめた時代のなかで、徂徠における、「天」の「生」の理念と儒学的構図の再編にもとづいて、より非直接的・複雑な自他関係をも視野に入れた、全体の「生」の充実・育成をいっそう可能にする条件の形成を探求する側面を中心的に分析した。そのなかで、 徂徠の公共探求を、政治世界における私事化・独占化による民政の不在や政治組織の無力化の問題を乗り越えるために、「作為」論によって、民政の現場において公共の実現を可能にする幅広い政治主体・組織の形成と、それにもとづく政治・国家論を構想し(「作為」)、その国家による生活世界の再組織化を目指すものであったことを明らかにした。

 第二部では、近世中期以後、経済社会化に伴う、経済と生活世界との葛藤の問題が本格化するにつれて、生活世界の各階層により密着した「下」からの公共探求が求められていくようになるが、仁斎や徂徠による思想史的インパクトの先に、彼らのような経学的関心から離れて、社会各層における主体・社会形成へと重心移動が起こった局面に焦点を合わせている。

 第三章では、超越的「自然」を生活世界に奪回する形で公共的な主体形成論が構想された石田梅岩(1685-1744)における公共探求の側面を中心的に分析している。そこでは、それまでの経済活動やその担い手への軽視・外在的批判に対して、むしろ体制に巻き込まれながらも、他方では、その内側から、自分の拠点や観念性を確保しつつディシプリンを形成し、社会参加・形成していくことになるといった、いわば超越内在的視点によるダイナミズムを梅岩の「通俗道徳」論から捉え直した。

 第四章では、安藤昌益(1703-1762)における、徂徠的な「作為」のパースペクティブの反転から、階級や疎外の問題への解決として「自然」の生活様式を提示していた側面を中心的に分析している。それは、厳しい生存の危機に晒されていた農村の現実をふまえて、「直耕」する主体とその政治的自覚を示すものであった。昌益においても梅岩と同様に、超越的「自然」を生活世界に奪回する形で公共論が構想されていたが、そこでは、差別的秩序やその世界観さえ相対化し、「互性」的世界観にもとづく平等的かつ自立的な主体によるユートピア的な世界を構想する側面を持ちながら、他面では、感性的次元における土着主義に流れ、それ自体がかえって自らを絶対化する独断に陥る危険性といった昌益の公共論における両義性を捉え直した。

 第三部では、近世後期に入り、さらに経済と生活世界との葛藤の問題がより危機的様相を帯びていくことによって、仁斎・徂徠が見出したものが新たな危機意識とともに再び展開されるとともに、それに相応しい新しい経世や物語の次元を構築することが要請されていった局面に焦点を合わせている。

 第五章では、本居宣長(1730-1801)における、新しい経学ともいうべきものが、立ち上がってくる局面を中心的に分析した。宣長の国学は、儒学的な倫理学や政治学とは違った、生の実存的美学な感情から起こってきた文学的なもので、共同世界の再構築の側から公共探求の問題に接近するものであり、それが国学を--そして皇国の世界を基礎づけることになっていた。しかし、生活世界や秩序の動揺が浮き彫りになる状況のなかで、宣長の国学が、超越的な知やその地平(『徳』)を隠蔽しながら、単なるイデオロギー批判に止まり、結局は、神道的「自然」秩序としての「神為」世界が絶対化され、それが皇統中心の国家に収斂され、日本中心主義に変貌するものであったことを明らかにした。

 第六章では、二宮尊徳(1787-1856)における、自然のままでは成り立たない、人為領域としての経済自活の構想と方法論の探求を中心的に分析した。彼の公共探求は、強い自立精神ととともに他者と超越者に開かれた連帯意識にもとづいて、危機的局面に晒されていた農村・各藩などにおいて講、組合などのプラン、具体化・制度化・習慣化を通じた立て直しによって、循環性を含んだ持続可能な流れ--いわば持続可能な開発(Sustainable Development)を構想するエコロジー・エコノミックスと類比できるものを--自然とは別次元に人為によってつくることによって、自他共生を図ろうとしたものとして捉え直した。

 このような日本近世思想における公共探求は、総じて振り返ってみると、自他の「生」への共鳴・育成・対話にもとづきつつ、自他の共生を可能にする空間の構築につながるものをもっていた。それは、人為性を担保するところから始まっているが(仁斎・徂徠)、他方、これに見合ったコスモロジーおよび超越者・全体者なども改めて浮上してきている。そこでは、一方では、自然や他者・全体の生への没入に回帰する傾向が見られるが、他方では、自然や他者に開かれつつ、公共的な実践をどこまでも探求的に維持しようとするものも見出されていた。

 今日のわれわれには、自然や自己・他者を(国家や全体性と切り離して)再定位しつつ、自・他共生の公共空間の形成をはかることが課題として残されている。その際、日本近世思想における公共探求は、これまで公私関係をめぐるさまざまな癒着や欺瞞を反省するためにも、自他協働的な主体・社会の形成のためにも、肯定・否定いずれもふくむ、多面的な可能性を示唆するものであると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「近世日本思想における公共探求」は、徳川時代・17世紀末から19世紀半ばにかけて生み出された、世の運営に参加・実践しようとする思想的言説を〈公共〉を模索・構築する営みととらえ、これを伊藤仁斎、荻生徂徠、石田梅岩、安藤昌益、本居宣長、二宮尊徳の6人の思想の分析により解明した研究である。

 従来、徳川期の社会思想史・政治思想史は、近代化をもたらす政治主体を見出すという角度から捉えられ、「公」意識の形成や、それに対する民衆意識の対抗といった道筋で捉えられることが多かった。これに対して本論文は、これは様々な社会各層からの〈公共〉参加の言説の展開として捉えるべきだとし、その多様な変遷を上記6人において位置づける。

 序章では、以上の問題設定および〈公共〉についての概念規定をする。そして、朱子学が近世における公共探求の言説の下敷きになったが、これを踏まえながらも、その主体確立の構図が変容させられた(変容する社会背景が近世日本にあった)として、以下の本文の展開を導く。

 第一部「「自然」から「人為」へ--儒学的構図の再編」では、〈公共〉探求問題を近世前期から中期に至る時期から儒学者の経学(儒学テクスト学)のうちに取り上げる。第一章では、伊藤仁斎において、人情にもとづく生活世界に公共形成の現場が求められたこと、しかもそれが共同体的な親密圏を越えて広い他者に開かれる対話的・協働的公共探求であったこと、その王道(政治)論がこの生活世界的人倫の民生を育むものとして再定位されたこと等を説得的に述べている。次いで第二章では、荻生徂徠について、経済社会化の進行と社会組織の肥大に伴って、人の個別直接的倫理関係を越えた領域があらわれてこれに対して制度政策ほかをもって対処すべき責任・課題が生じ、そこに徂徠の公共論の主眼があったとする。徂徠の公共構築論は、社会的には、当時の武士政権の政治手法に対する批判的な乗り越えの動きである一方、庶民層の主体化を封じ込めようとするものであり、それは、「天」を援用しつつ、民生を育むことを理念として、政治的な徳性をもつ人々と制度とを作り出そうとするものであった。そしてこのような徂徠の議論が、民生論において仁斎を引く側面があること、さらに現実の徳川体制を相対化するような国家構想に繋がっていることを適切に指摘する。

 第二部「「自然」再発見による参加と批判--儒学的構図を越えて」では、儒学的構図に必ずしも捉われずときにはこれを批判する形で各社会層から出てくる、近世中期の〈公共〉探求の言説を扱う。まず、このような公共探求は、経済社会化がより進行する中期段階に応じて出てくるものであり、儒学および他の諸言説を取り込みながら、自然や超越者に新たにアクセスする仕方で行われたことを指摘する。第三章では、石田梅岩が、町人の世界を背景にして、徂徠のように経済社会の抑圧によるのではなく、むしろその担い手(町人・商人)を社会に位置づけるべく公共構築をはかっていること、また他者への協調に収斂してしまいがちな仁斎的構図を越えて、庶民の自立的な主体化を図っていることを描き出している。第四章では、安藤昌益が、農民の世界を背景にして、徂徠的な「作為」のパースペクティブを反転させ、従来の体制や教説をラディカルに批判する地点を獲得すると共に、あたらしい自然観にもとづいて、平等な主体によるユートピア的な公共論を形成している、とする。ただし、昌益の土着主義が隘路に陥ったり議論が独善化したりする側面があることも指摘している。

 第三部「「神為」と「人為」の構築--近世後期における生の再編」では、近世後期になって世の矛盾が深まるとともに、仁斎・徂徠の問題意識を踏まえながらの再度の人為化の営みが起こるとして、本居宣長および二宮尊徳の公共探求論を取り扱う。第五章では、宣長が、仁斎以来の「情」を基礎にしながら、それを実存的感情として深化させつつ「みやび」「もののあはれ」によって、自己を有限化しつつ共同体感情を受容・喚起すること、それが、宣長なりの〈公共〉探求となっており、新たな日本的経学の構築にも至っている。しかしそれが結局、神道的「自然」(『神為』)世界を絶対化し、皇統中心の国家の物語に収斂している、と指摘する。第六章では、尊徳が、農村や各藩の経済・生活の崩壊に直面して、ただ自然に委ねるのではない、人為的な自治・自活の営みを立ち上げそこに持続可能な自他共生を構想していること、と同時にその次元において、新たな天道や神があらわれていることを捉えている。

 最後に終章では、全体を振り返るとともに、横井小楠にふれ、覇道的な世界秩序を乗り越えようとするその普遍的〈公共〉構想(『天地公共の実理』)が、現代にも意義をもつことを述べる。

 以上のように、本論文は、徳川期の多くの思想家の営みに立ち入りながら、これを総合的に論じた労作である。各々の分析は、膨大な研究・史料を踏まえて、的確に行われており、筆者の研鑽が窺える雄編になっている。とくに、これまで個々に研究されて来た対象を、〈公共〉探求という観点から、一貫してとらえたこと、この視点のもとに、近世における言説の流れ・段階を説得的に把握していること、社会各層の多面的な言説を複合的に論じて全体像を提示していること等は、本論文にして始めて行われた仕事として、高く評価できる。また、そこに込められた〈公共〉理論とその問題意識も首肯できるもので、それが思想史研究と結合していることも重要な特長だといえる。各論においては、とくに伊藤仁斎・荻生徂徠論が重厚な仕上がりを見せており、個別研究としても、高い完成度をもつ。

 他方、いくつか問題点も残る。用語において、「超越」「普遍」といった概念に曖昧さが見られる。「生活世界」概念も重要な割に無規定である。これらはもっと明確化すべきだろう。公共形成の「下から」「上から」という議論が散見するが、そこにやや未熟さが残る。また、全体の流れ・図式設定において、朱子学的構図からの変容をもって論を出発させているので、朱子学を基礎にする公共探究の流れが背後に隠れてしまうと共に、最後の小楠論が唐突になっている。これも、朱子学の公共構築面を書き込む必要があっただろう。また、とくに丸山真男の研究の把握がやや単純である。--このようにさらに論の展開が望まれる点もある。しかし、これらは瑕瑾であって、本論文の全体としての意義を損なうものではない。

 本論文は、まず、近世日本の重要な諸思想に対して包括的に取り組み、それをまとめ上げた仕事として優れているが、これを公共探求論の観点から一貫して取り扱った点もこれまでにない創造的な仕事である。このような点から、審査委員会は、本論文は、当該研究分野において画期的な地平を開くものであり、博士(学術)を与えるにふさわしい業績であると認めた。

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