学位論文要旨



No 119760
著者(漢字) 松田,剛
著者(英字)
著者(カナ) マツタ,ゴウ
標題(和) テレビゲーム使用時における前頭葉の血流変化 : 近赤外分光法による検討
標題(洋)
報告番号 119760
報告番号 甲19760
学位授与日 2004.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第527号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 開,一夫
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 長谷川,寿一
内容要旨 要旨を表示する

背景

 比較的新しいメディアであるテレビゲームが普及し始めて以来,ゲーム使用が人間の発達や認知活動に与える影響は懸念され続けている.特に暴力行動の誘発や社会的能力の発達阻害といった悪影響に関しては,これまでにも心理学の分野において盛んに研究されてきた.最近では,テレビゲームは人間の社会性に関与するとされる前頭前野の活動低下を招くと主張する一般書の発刊を契機に,テレビゲームは前頭前野の発達を阻害し,人格形成に悪影響を与えるという評価が流布しつつある.しかしこうした主張は系統だった客観的データから論理的に帰結されたものではなく,一部のデータからの飛躍的な憶測に過ぎないのが現状である.

目的

 本研究の目的は,実証的なデータを収集することにより,テレビゲーム使用時における前頭前野の活動変化を明らかにし,変化の原因を探求することにある.そのためにまずは市販されているテレビゲーム使用時における前頭前野の活動変化を脳活動計測実験によって確認し,その結果と関連する先行研究の知見を合わせて,テレビゲームに含まれる様々な要素の中で,前頭前野の活動変化に関与している要素を検討する.

装置と測定部位

 本論文で述べる全ての実験において,24チャンネルの同時計測が可能な近赤外分光装置(Near Infrared Spectroscopy:NIRS)が用いられた.NIRSは頭皮上から脳皮質の表面(深さ2cm 程度まで)を流れる血液に含まれる酸素化ヘモグロビン(oxyHb)と脱酸素化ヘモグロビン(deoxyHb)の濃度変化を測定することができる.そのうちoxyHb の変化が局所脳血流の変化と最も相関が高いため,本研究ではoxyHbを脳活動の指標として用いた.NIRSは非侵襲であり,被験者に身体的拘束を課さないため,幅広い年齢層や自然な状態での作業を対象とした脳活動計測に適している.本論文ではテレビゲームの影響が最も懸念されている前頭前野と,運動学習に関与する高次運動野の活動を同時に計測するため,全ての実験において国際10/20法におけるFzを中心とした9cm四方の領域(この領域はDorsal frontal cortex(DFC)に対応すると言われている)を測定した(図1).

実験

 本論文では成人を対象とした5つの実験(実験1,3〜6)と,子どもを対象とした1つの実験(実験2)について述べる.

 実験1と2では,テレビゲーム使用時におけるDFCの活動変化を確認するため,成人と子どもを対象として,市販のテレビゲーム使用時におけるDFCの活動変化を計測した.実験1では成人11名(男10,女1,22-28歳)が4種類のテレビゲーム(シューティング,リズムアクション,ブロック落とし,サイコロパズル)を5分間ずつ使用した.その結果,いずれのゲームにおいても安静時と比べてDFCの血流が低下する傾向にあることが判明した(図2).また血流低下の範囲や程度は,リズムアクションやシューティングといった素早い反応が必要とされるゲームほど大きくなる傾向にあった.

 続く実験2では,テレビゲームの影響が特に懸念されている子どもを被験者として実験1と同様の計測を行い,成人の結果と比較した.23名の児童(男17,女6,6-14歳)が市販のテレビゲーム(ブロック落とし,乱闘アクション,太鼓ゲーム)を5分間ずつ使用した.正しく測定できた13名(男9,女4,7-14歳)のデータを解析した結果,子どもも成人と同様に,ゲーム開始直後からDFCの血流が低下する傾向にあり,その範囲や程度は素早い反応を必要とするゲームの方が大きいことが示された.以上の結果から,ゲーム使用時におけるDFC の血流低下は,年齢に依存しない現象であることが示唆された.

 実験3と4では,刺激を統制した実験によってDFCの血流低下を招く要因を検討した.実験3では,ゲームの種類による血流変化の違いが,ゲームの内容ではなく,視覚刺激の違いに起因している可能性を検討した.実験1に参加した被験者のうち6名(男5,女1,22-28歳)が,実験1と同じ4種類のテレビゲームの映像と,2種類のゲーム以外の映像(自然風景,モザイク映像)を受動的に観察した.その結果,ゲーム以外の映像を見ているときよりも,ゲームの映像を見ているときの方が血流低下の範囲や程度が大きいことが示された一方で,ゲームの種類による血流変化の違いは認められなかった.したがってDFCの血流変化には,視覚刺激の物理的特性よりも,ゲームと非ゲームの違いが大きく影響していると考えられる.内観報告により,ゲームの映像を見ているときは,実際に自分で使用しているつもりになっていた被験者が多数いたことから,ゲームと非ゲームの観察時における違いとしては,映像に関する注意の負荷の違いが考えられる.ここでいう注意とは,限られた情報処理容量の中から特定の対象に割り当てられた処理容量のことである.被験者は非ゲームよりもゲームの映像を見ているときに,映像に関する情報処理により多くの注意を割り当てていた可能性がある.

 この仮説を検証するため,実験4では映像に関する注意の負荷がDFCの血流低下に関与している可能性を検討した.4つのターゲット刺激の出現位置に対応したボタンをできる限り速く押す選択反応課題において,ターゲットの提示間隔と提示順序をそれぞれ2条件(Slow,Fast×Clock,Random)設定することで,被験者の刺激に対する注意の負荷(本実験では視覚・運動処理における負荷)を操作した.被験者は成人8名(男3,女5,22-28歳)であった.実験の結果,ターゲットの提示間隔が短く,提示順序がランダムなときに,DFCの血流低下は最も大きくなることが示された(図3).本実験と異なる課題を用いた先行研究においても,刺激に対する注意の負荷と前頭前野の血流低下の関連性が指摘されており,本実験においても被験者の刺激に対する注意が増大するほどに,DFCの血流が低下したと考えられる.

 実験5と6では,テレビゲーム使用時におけるDFCの血流低下の遠因を探るため,DFCが活性化する条件を検討した.DFCの直下にある前頭前野内側部が,自己または他者の心的状態(自己の情動や他者の意図の推測など)に関する課題を行っているときに活性化するという複数の先行研究の報告から,ゲーム使用時においても心的状態に関する認知活動が要求される場合には,DFCが活性化する可能性が考えられる.そこで実験5では,同一のテレビゲームを用いつつ,教示を操作することで被験者の心的状態に関する認知活動を誘発することを試みた.14名の男性(18-22 歳)が人間様(HL)条件およびコンピュータ(COM)条件においてオセロゲームを使用した.実際はHL条件もCOM 条件も同じプログラムが対戦相手であるが,被験者には教示によってHL条件の対戦者が本物の人間であると伝えた.

 測定後のアンケートを基に,HL条件の方が「面白さ」の評価が高い被験者7名(高評価群)と,それ以外の被験者7名(低評価群)にわけて分析した結果,高評価群ではHL条件のときにDFC右側がより活性化していた(図4).同じプログラムであるにもかかわらず,HL条件の方が面白いと評価した高評価群は,HL条件のときに対戦者が本物の人間であることを強く意識し,対戦者の心的状態に関する認知活動をより盛んに行っていた可能性が高い.一方でCOM条件や実験1,2のように,テレビゲームを単独で使用する場合には,他者の心的状態に関する処理は必要ないため,当該処理を担うDFCが活性化する必要性はより減少すると考えられる.

 実験6では,視覚刺激に対する反応手順の学習過程において,学習初期には学習後期よりも高次運動野と前頭前野がより活性化しているという先行研究に注目し,同じく視覚刺激に対する反応手順を学習する必要があるテレビゲームにおいても,学習前後でDFCの活動が変化するか否かを検討した.成人6名(男5,女1,25-28歳)を対象に,レーシングゲームの練習前と練習後のDFCの活動を比較した結果,練習前の方が練習後よりも補足運動野に相当すると思われるDFC後方の部位が活性化していた(図5).この結果は,ゲームに熟達することで運動の学習に関するDFCの活動が不要になったことを示唆している.

結論

 本研究により,テレビゲーム使用時にはDFCの血流が低下する傾向にあることが明らかとなり,その原因としては以下の3点が示唆された.

i. 映像・操作に対する処理を迅速に行う必要があるときには,DFCの活動が抑制されるため

ii.一人用のテレビゲームでは,他者の心的状態に関する認知活動が必要ないため

iii.遊び慣れたテレビゲームでは,視覚情報に対する運動の学習が必要ないため

 すなわち迅速で的確な反応を必要とし,なおかつ前頭葉の担う認知活動が必要ない課題では,DFCの血流低下が生じやすくなると考えられる.

 これらの要因は,いずれも脳の情報処理を効率化するためのメカニズムと考えられる.課題を迅速かつ的確に処理しなければならないときは,課題に直接関与しない脳活動を抑制し,課題に関する処理を担う部位のみを集中的に働かせた方が,処理の高速化やエネルギー消費の点で有利である.したがってDFCの血流低下は視覚運動処理の効率化が求められるあらゆる作業において生じうるものであり,テレビゲームに固有の現象ではない可能性が考えられる.今後はこれを検証するとともに,本論文では取り上げることができなかった長期的なゲーム使用が人間の認知発達に与える影響や,その影響の個人差について検討したい.

図1 チャンネルの配置と測定部位のイメージ

図2 実験1:ゲーム使用時と安静時のoxyHb濃度変化をt検定した結果のp値を色の濃淡でマッピングした画像(p-map).安静時よりもゲーム中に血流が増加していた部位は白く,低下していた部位は黒く表示されている.

図3 実験3:課題時と安静時のoxyHb濃度変化をt検定した結果のp-map

高評価群

低評価群

図4 実験4:HL条件とCOM条件のoxyHb濃度変化をt検定した結果のp-map

図5 実験5:練習前と練習後のoxyHb濃度変化をt検定した結果のp-map

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、テレビゲームの使用と脳活動の関係を明らかにすることを目的として行った実験研究について述べたものである。昨今、マスコミ等において、子どもの社会性欠如や暴力的行動が社会問題として取り上げられ、これらの原因の1つとしてテレビゲーム使用があげられることが少なくない。しかしながら、こうした議論の大半は明確な根拠に基づいているとは言いがたく、不必要な不安を喚起しかねない。特に最近の一般書には、テレビゲームが人間の社会性に関与する前頭前野の活動を恒常的に低下させ、人格形成に悪影響を与えるといった主張を、十分な根拠なしにしているものもある。

 こうした現状において、本論文では、実証的データの蓄積とこれに基づいた客観的議論を目標に、脳活動計測実験を行っている。具体的には、まず、成人・児童を対象として市販されているテレビゲーム使用中の脳活動変化における一般的傾向を探るための実験(実験1、実験2)を行い、これに続いて、テレビゲーム中の脳活動変化の要因を探る実験(実験3~実験6)へと発展させている。これら全ての実験において、近赤外分光法(Near Infrared Spectroscopy;NIRS)が用いられた。NIRSは脳皮質表面におけるヘモダイナミクス(脳血流)を計測するもので、被験者に身体的拘束を課すことなく、非侵襲に脳活動を計測することができる。本論文では、テレビゲームの影響が最も懸念されている前頭前野と運動学習に関与する高次運動野の活動を同時に計測するため、国際10/20法におけるFzを中心とした9cm四方の領域(この領域はDorsal frontal cortex;DFCに対応すると言われている)を計測の対象とした。

 実験1では、健常成人(11名)を対象に、市販テレビゲーム(シューティング、リズムアクションなど4種類)使用中の脳活動変化が計測されている。実験の結果、ゲーム操作中はDFCにおける脳活動が抑制傾向にあること、この傾向は映像刺激に対して素早い反応が要求されるゲームほど大きくなることが明らかになった。実験2では、実験1と同じく市販テレビゲームを用いて、発達途上にある児童(23名)を被験者とした実験が行われている。被験児23名中計測に成功した13名の脳血流解析の結果は、実験1と同じくテレビゲーム中にはDFCの活動が抑制傾向にあることが明らかになった。成人だけでなく、児童においてもこうした傾向を発見したのは本研究が最初であり、実証データの蓄積という点で特筆に値する。

 さて、実験1、実験2におけるDFCの活動抑制傾向はテレビゲームのどのような要素に起因するのか。続く実験3~実験6では、テレビゲームに含まれる様々な要素の中で、DFCの活動変化に関与している要素を探っている。実験3では、テレビゲームを操作するのではなく受動的に観察するだけでも同様の傾向が現れるかどうかを検討している。被験者(成人6名)には、テレビゲームの映像と、2種類のゲーム以外の映像(自然風景、モザイク映像)が呈示された。その結果、ゲーム以外の映像を見ているときよりも、ゲームの映像を見ているときの方がDFCにおける活動抑制の範囲や程度が大きいことが示された。しかし、実験1、実験2のようなゲームの種類による違いは認められなかった。この結果から、テレビゲームの視覚的特性よりも、ゲームか非ゲームの違いから誘発される注意負荷の違いがDFCの活動変化に影響するとの仮説が立てられている。実験4では、この仮説を検証するため、市販のテレビゲームではなく、テレビゲームを単純化し、かつ、視覚・運動処理の負荷を統制した実験が行われている。健常成人(8名)を対象といた実験の結果、視覚・運動処理の負荷を高め、映像に対する注意が増すほどDFCにおける活動抑制が大きくなることが明らかになった。この結果は、実験1や実験2でみられたDFCにおける活動抑制傾向の原因の1つが、多くのテレビゲームが要求している視覚刺激に対する迅速で正確な反応にあることを示唆する。

 続く実験5・実験6では、テレビゲーム使用時においてDFCが活性化する条件が検討されている。自己または他者の心的状態に関する課題を行っているときには前頭前野内側部が活性化するという先行研究から、ゲーム使用時においても心的状態に関する認知活動が要求される場合にはDFCが活性化する可能性がある。そこで実験5では、同一のテレビゲームを用いつつ教示を操作することで心的状態に関する認知活動を誘発する実験を行っている。健常成人(14名)を対象とした実験の結果、たとえ同じテレビゲームであっても心的状態に関する認知活動が大きいほどDFCの活動も活性化されることが示されている。また、実験6では、視覚・運動学習における学習初期には学習後期よりも高次運動野と前頭前野がより活性化しているという先行研究に注目し、テレビゲーム練習初期と練習後期のDFCの活動を比較している。健常成人(6名)を対象とした実験の結果、練習前の方が練習後よりも補足運動野に相当すると思われるDFC後方の部位が活性化していた。これら2つの実験結果は、テレビゲームであれば全てDFCの活動を抑制するといった飛躍的議論を反証する根拠を与えている。

 以上のように、本論文はテレビゲームと脳活動の関係という社会的に重要なテーマを取り扱い、かつ、実証的データに基づく客観的な議論を展開している点で評価できる。特に、これまでゲームと脳の関係については部分的なデータからの飛躍的な議論が多い中で、今後の発展につながる系統だった実証データを蓄積した功績は大きい。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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