学位論文要旨



No 119771
著者(漢字) 伏見,岳志
著者(英字)
著者(カナ) フシミ,タケシ
標題(和) 17世紀ユカタン植民地の貿易活動
標題(洋)
報告番号 119771
報告番号 甲19771
学位授与日 2004.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第530号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,均
 東京大学 助教授 網野,徹哉
 東京大学 教授 深澤,克己
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 教授 本村,凌二
内容要旨 要旨を表示する

 17世紀のスペイン領アメリカの貿易史については多くの研究が積み重ねられてきたが、その大部分はスペイン本国との大西洋貿易に集中しており、よりローカルなレベルで展開する植民地間貿易や、この貿易と大西洋貿易の関係についてはあまり研究が進展していない。植民地間貿易と大西洋貿易との関係については、現在までふたつの相対立する見解がある。ひとつの立場は、1620年代に大西洋貿易が収縮するに伴って、植民地間貿易も後退するという考え方であり、もうひとつの立場は、大西洋貿易の収縮を埋め合わせる形で、植民地間貿易は拡大するという見解である。このふたつの立場の背景には、同時期のスペイン領アメリカの経済状況について、これをヨーロッパと連動した経済危機の時代とする解釈と、反対にスペイン領アメリカの経済を好調と捉える立場がある。

 本論考では、これら研究史上の論点をふまえ、カリブ海沿岸に位置するユカタン植民地を例にとり、(1)この植民地の貿易を通じた他地域との関係を検討し、(2)17世紀をつうじた貿易の時間的変遷を税収記録から再構成し、大西洋貿易と植民地間貿易双方の動向と、その両者の関係について明らかにすることを試み、(3)そのうえでこうした貿易動向を規定する植民地内の要因について考察することに努めた。史料としては、スペイン・セビリアのインディアス文書館で5年に渡って収集した貿易および税務関連記録を中心として、そのほかにスペインおよびメキシコで閲覧したさまざまな史料を用い、これらの史料を元に貿易統計と商人の経済活動に関するデータベースを作成し、これらを分析の基本データとして用いた。

 (1)ユカタン植民地と周辺世界との絆

 17世紀初頭のユカタン半島と、カリブ海およびメキシコ湾のさまざまな港との間には頻繁な船舶の往来があり、活発な取引があった。なかでも、特に重要であったのは、メキシコの銀の積出港であったベラクルスとの関係である。しかし、17世紀初めの貿易活動においては、その他のカリブ海やメキシコの諸港との関係も、とくに交通量の観点から見ると無視できない重要性を保っており、植民地間貿易は多角的なものであった。いっぽう、大西洋の反対側のヨーロッパ世界とのかかわりは、フロータ船団システムによって支えられた貿易、すなわちセビリアを主とするアンダルシア諸港との定期的な取引にほぼ限定され、単一的であった。

 人的なつながりから見ると、本国からのフロータ船団の取引を支えていたのは、スペインからユカタン半島に移住してきた商人たちであり、スペイン、とくにセビリアの商人と同半島との間に築かれる人的ネットワークが、取引の確実性をある程度まで保証している。これは、メキシコのベラクルスについても同様で、ユカタンとベラクルスの両側に定住する商人同士による商品の交換によって、安定した関係が築かれている。ただし、同じベラクルスとの取引でも、コムギや塩などの小額でかさばる商品については、移動型の商人や船舶業関係者による取引も重要である。そして、カリブ海諸港であるハバナやカルタヘナ、ホンジュラスなどとの取引については、商品を携えて移動する旅商人たちの比率が優越していた。移動する旅商人による取引は、海上交通が頻繁な時期には活発化するが、交通量が縮小すると衰退する傾向にある。

 1630年代以降は、海上交通リスクの増大により交通量が減少し、カリブ海諸港との取引は落ち込む。いっぽうベラクルスとの取引関係は強化されたので、同港との取引の優位性が高まった。スペイン本国との取引も、フロータ船団制度の衰退によって縮小する。しかしながら、そのほかのヨーロッパ諸国との非合法的な取引は急増し、ユカタン半島はヨーロッパ商品をベラクルスへと再輸出する中継貿易拠点として機能するようになった。

(2)貿易関係の時間的な変動

 貿易統計の観点から見ても1630年代にユカタン半島と周辺世界との関係が変化したことが見て取れる。この変容は具体的には、1630年代からの貿易の縮小と40年代中ごろからの回復という形で表現される。より長期の視点に立つならば、この時期は、ふたつの貿易サイクルの中間期にあたっている。第一のサイクルは1610年代から1620年代頃に至るまでの貿易拡大期と、30年代から40年代までの収縮局面によって構成される。1640年代半ばから60年代初頭にいたる期間中、貿易はふたたび拡大期に入り、これ以降は少なくとも70年代まで新たな収縮傾向が持続している。

 1610年代から1640年代初めまでの第一の循環(以下サイクルAと呼ぶことにする)と、1640年代から1670年代までの第二の循環(サイクルB)を公的な数字から量的に比較すると、それほどの差を認めることはできない。ただし、サイクルBに関しては、公的な記録にあらわれない非合法な貿易活動が大規模に展開するようになる。この取引を加味するならば、貿易の全体量と黒字幅はサイクルAよりも大きくなると考えられる。

 統計をより細かく検討すると、サイクルAとサイクルBとでは貿易の性格が異なることが読み取れる。まずヨーロッパ世界との貿易に関してみると、サイクルAではアンダルシアとの公式の貿易が大きな比重を占めているが、サイクルBでは、それ以外の非合法的なさまざまな貿易、およびカナリア諸島との貿易が大きな意味を持つようになる。この点で、ヨーロッパとの商業関係には多角化が読み取れる。

 植民地間交易によるヨーロッパ商品の行き来については、サイクルAでは、ユカタン植民地は、ベラクルスやハバナなどから商品を輸入する立場にあった。これに対して、サイクルBになると、非合法貿易を通じてユカタン半島に到着する商品の一部は、ベラクルスなどに再輸出されるようになるので、輸入から輸出へという転換が大まかに認められる。

 植民地間交易に関しては、サイクルAとBの間では、交通量と貿易先の多様さで差異が認められる。まずサイクルAでは、船舶の交通量が多く、ベラクルスのみならず、メキシコ湾やカリブ海の多様な諸港との小型船舶による往来があった。このため、貿易量においても、ベラクルスの比重は抜きんでて大きいものの、そのほかの港との取引も重要である。これに対して、サイクルBでは、まず交通量が縮小して、取引先が限定されるようになるので、ベラクルスへの依存が今まで以上に高まることになる。また、1630年代から急増するベネズエラからのカカオの輸入も重要である。ベラクルスとベネズエラとの交易は、カリブ海域内貿易の大きな軸であり、ユカタン半島の貿易はこの主軸に沿って展開するようになった。

 植民地間貿易と大西洋貿易の関係については、サイクルAでは、植民地貿易は大西洋貿易に連動する形で拡大と収縮を遂げている。これにたいして、サイクルBでは、公認されているスペインとの大西洋貿易と植民地間貿易には連動性は認められない。しかし、この時期に拡大するオランダ勢力を中心とする非合法の大西洋貿易と植民地間貿易のふたつはリンクしていた。

(3)地方経済と貿易との関係

 以上のように要約される両サイクル間に生じた変容を説明する要因はさまざまである。交通量の減少は、1630年代以降の海上リスクの拡大によって大きく説明される。交通量の減少は、すでに述べたとおり取引先の選択に帰結する。また、海上リスクが拡大した当初、すなわち1630年代の時点では、交通量の減少は貿易量に大きな影響を及ぼしたと思われる。しかし、このように交通量と貿易量が連動するのは、比較的短期間のことである。1640年代以降も交通量は相対的に低いレベルで推移しているが、全体の貿易量は回復する傾向にある。これは、各船舶の積載貨物量が増加することで、交通量の減少は埋め合わされるからである。

 むしろ1640年代以降において、貿易量を大きく左右するのは、ユカタン半島内部の経済的な要因である。サイクルBの拡大局面については、従来の貢納制度に重点を置いた生産物徴収方式から、商品委託生産方式(レパルティミエント)への移行が想定される。レパルティミエントの大規模な展開を可能にした大きな要因は、貿易黒字の拡大とこれを現地での貨幣保有量の増加に結びつけることを可能にした貨幣送金システムの導入に求められる。為替手形を用いた新たな公的送金システムの導入は、海賊の横行による海上運送の送金リスクを回避しつつ、半島内での貨幣留保量の維持に貢献する。この仕組みでは、少数の有力商人たちへと貨幣が集中し、総督をはじめとする政治的権力者がおこなうレパルティミエントの資金源となった。したがって、1640年代以降、貨幣流通の面においてレパルティミエントを実施しやすい環境が整うようになった。

 以上の研究結果に基づいて出される結論としては、(1)植民地間貿易と大西洋貿易の関係は、比例や反比例と簡単に区分できるものではなく、1630年代ごろを境として両者の関係は変容すること、(2)貿易動向を規定するユカタン植民地経済は、不況か好景気かという二分法で説明できるものではなく、生産を支える主な要因の人口から貨幣流通へのシフトという構造転換として理解するべきであること、の2点である。

審査要旨 要旨を表示する

 スペイン領アメリカ植民地(16~18世紀)の歴史は、セビリャのインディアス文書館に保存された膨大な公文書類を根本史料として、20世紀半ばから飛躍的に研究が進んだ。研究は植民地の営みの様々な側面に及んだが、特に注目すべき二つの分野があった。一つはピエール・ショーニュの『セビリャと大西洋』を嚆矢とする植民地間貿易の数量経済史的研究であり、関税の徴収記録に基づいて貿易規模についての長期のタイムシリーズを示した。いまひとつは、チャールズ・ギブソンの『スペイン統治下のアステカ人』を嚆矢とするエスノヒストリー的研究であり、征服以前に高文明が栄えた地域における植民地時代の先住民に関係する史料に現代民族学の知見を適用して成果をあげた。

 スペイン領植民地の中でユカタン半島は、メキシコ本土から海と密林によって隔てられた孤立性の高い地域であり、後古典期マヤ文明の中心地として固有の文化をもった先住民の人口が多かった。植民地時代にあっても北・西部のメリダ、カンペチェなど都市を生活圏とするスペイン人入植者と、その支配に服しながらも南・東部の未制圧の森林地帯を背景に擁するユカテコ・マヤ先住民との間には緊張をはらんだ関係が続いたが、この側面についてはナンシー・ファリスの『スペイン統治下のマヤ社会』(1974年)がほぼその全体像を示した。しかし対外貿易については、ユカタンにはメキシコ本土の銀に匹敵するような強力な輸出商品がないこともあり、ショーニュが確立した方法論に基づく数量的研究はなされていなかった。本学位論文はこの空白に切り込んで、関税の徴収記録にもとづいて17世紀のほぼ60年間について貿易額のタイムシリーズを示し、その成果にもとづいてユカタン植民地内部の社会経済関係についても新しい観点を切り開いたものである。

 本論文は、本文全六章A4版181頁(400字詰め原稿用紙換算約586頁)に加えて、統計表・グラフ43頁、参考文献目録10頁から構成されている。注は文献注を含めて本文の脚注として付されている。

 本論文の構成は主題ごとに一章を宛て、第一章「交易ルート、港、商品」、第二章「商人たち」、第三章「貿易動向」、第四章「非合法貿易」、第五章「生産体制」、第六章「人口と貨幣流通」の六章および序論と結論から成っている。序論においては二つの問題提起がなされている。第一にユカタン植民地を、先住民の文化程度は高いが強力な対ヨーロッパ輸出商品をもたない準周辺植民地と位置づけ、しかしそのような植民地についても海外貿易が地域社会に及ぼした影響を検討する必要がある、とした。第二にアメリカ植民地における17世紀が、ヨーロッパ経済と対ヨーロッパ貿易の景気後退を直接に反映した不況の時代であったか、それともすでに独自の経済ダイナミズムを内蔵した成熟の時代であったか、という以前からある問題を再提起し、第一の問題との関係で検討するとした。

 第一章と第二章は対外貿易の中身と担い手を扱っている。第一章は、ユカタンの主力輸出品が綿布・蜜蝋・塩など征服以前と一定の連続性を有する先住民の生産物であったこと、当初は小型船による近隣諸地域との多様な物資交換が見られたが、1620年代の海上治安悪化を境に対外貿易はカンペチェ一港を通じての、比較的大きな船舶による本国のセビリャ、メキシコのベラクルス、ベネズエラのカラカスとの中・遠距離貿易にしぼられてくる、とした。第二章は裁判記録等に基づいて貿易に従事した商人たちの経営形態を明らかにし、メリダ市に定住する大規模商人はセビリャとの直航貿易こそ支配しているものの、自ら商品を携えて移動する中小商人も、ハバナなどカリブ海島嶼への穀物供給などにとどまらず、ベラクルスとの貿易にも一定の役割を果たしていたが、ただしその役割は先に述べた貿易船の大規模化に伴って縮小した、とする。

 第三章は、関税の徴収記録簿を史料として貿易額を推計し1609~1676年のタイムシリーズを示したうえでこれを分析しており、本論文の最も大きな貢献はこの部分にある。本論文によればこの間にユカタン植民地の海外貿易は二つのサイクルを描いており、第一のサイクルは1610年代に谷、1630年代に山、第二のそれは1640年代に谷、1660年代に山がある。1630年代から1640年代の下降は海上治安悪化による対本国貿易の不振によって説明されるが、1640年代から1660年代にかけてのユカタン植民地の購買力回復の時期には対本国貿易はもちなおしておらず、その一端は対カナリア諸島貿易の好調によって説明できるものの、その大半は公式統計には表れない様々な形態の非合法貿易の台頭に求めるしかない、と結論される。ベラクルスとの間のヨーロッパ商品貿易の収支はこの時期に赤字から黒字に転換し、その調達先はカリブ海方面における非合法貿易だと考えられるからである。

 第四章は第三章の結論を受けて、当時の非合法貿易の実態を検討する。総督報告書等から得られた約80件の事例の中ではオランダ相手のそれが突出しており、本国同様の貿易の自由をもつカナリア諸島民に名義を借りるなど様々な手法があったことが示される。

 第五章と第六章では貿易の地域経済への影響が論じられる。第五章ではほぼこの時期にエンコミエンダ貢納の金納化が起こり、さらに、官吏が配下の先住民に前貸しを行って輸出向け商品を生産させるレパルティミエントと呼ばれる慣行が登場することが指摘される。第六章では、第五章で述べた転換は先住民人口の減少を反映したものだとする説が従来行われていたが、実際の人口動態は第三章で示されたユカタン植民地の購買力の消長とは合致しないことが示される。そして、1630年代に報告された極端な貨幣不足がその後解消したこと、まさに同じ時期にレパルティミエントに必要な前貸し資本が商人層から十分に供給されるようになったことからして、人口動態よりはむしろ、カリブ海方面で密輸入されたヨーロッパ商品をベラクルスに再輸出することでベラクルスとの間のヨーロッパ商品貿易の黒字化が起こり、その結果生じた貨幣供給の増大から、エンコミエンダからレパルティミエントへの転換はよりよく説明されるのではないかとの仮説を示して本論文は閉じられている。

 以上が本論文の概要であるが、本論文の最大の貢献は、インディアス文書館において五年の歳月を費やした文書調査を行うことにより、数十年にわたる海外貿易額のタイムシリーズを示した結果、研究に予期しない新生面を開いた点にある。スペインの植民地貿易に対する厳重な統制制度のもとでのみ発生し得た「コンタドゥリア」と呼ばれる膨大な税金徴収記録の手書き文書に基づいて、長期の貿易額タイムシリーズを導く方法論は、前世紀半ばのピエール・ショーニュの仕事以来確立されたものであった。しかし対ヨーロッパ輸出産業を持たないユカタンは、この種の分析にはそぐわないものとみなされて、今日にいたるまで誰ひとりこの作業には手をつけなかった。著者はこういう事情を十分に知りながらあえて本研究に着手し、事前には予想しなかった結果として、自前の輸出産業によって生じたわけではなく、密貿易品の再輸出に根ざすとおぼしい購買力を検出した。この成果は本論文のオリジナルな貢献であり、今後国際学界でも高い評価を受けるであろう。

 さらに本論文は抽象的なクリオメトリックスの世界にとどまらず、17世紀ユカタンの海外貿易の世界について、個々の貿易商品、港湾、船舶、大小の商人たち、さらには密貿易の地下世界にいたるまで、意欲的に様々な史料を駆使してその具体相を克明に描き出している。具体的な事実の世界への旺盛な好奇心が、それに見合った史料調査の実力によって十分に裏付けられている点は、計量経済史的な貢献とならぶ、本論文のもうひとつの成果であり美点であって注目に値する。

 しかしながら本研究にも問題点はある。第一に、苦心の史料調査によって得られた実証データを余計な抽象概念を使わずわかりやすく具体的に記述している点は本論文の美点ではあるが、その半面著者は解釈を加えるにあたり所によってあまりにも慎重にすぎ、叙述がやや事実の平面にとどまって踏み込みの浅い印象を与える。とりわけこの点は第六章に顕著であり、箇所によっては貿易収支と貨幣供給増減の等価関係といった基本的な点についても十分な理解があるかどうか微妙な点が見られる。とりわけ審査の席で指摘された為替送金制度の採用と貿易収支の赤字黒字との間の因果関係の転倒は本論文の重大な瑕疵であった。

 第二に、本論文が海外貿易の世界を踏み越えて、海外貿易と地域経済社会との関係についても考察を広げていることは、その美点の一つではあるけれども、地域経済社会、とりわけ先住民との関係についての叙述は、海外貿易と商人たちについての叙述の有無を言わせない迫力に比べるとやや通り一遍であり、史料のない部分を他地域の研究から得られた通念で不用意に埋めているきらいがある。とりわけ第五章・第六章のレパルティミエントの叙述にそれは顕著であり、たとえば先住民の貨幣需要についてのスペイン側の証言を証言者の利害関係に注意せず鵜呑みにしている点は、審査の席で問題があるとされた。

 その他、付録の地図が簡略すぎて言及地名を網羅していないこと、注のいくつかに見られる史料・文献表示の若干の不備、若干の訳語の不適切などの問題点が指摘された。

 しかしながら、これらの欠点は、先に述べた本論文の成果と美点を大きく損なうものではない。本論文は未刊行史料を駆使してユカタン植民地の計量経済史に新生面を切り開き、この分野の研究を大きく前進させたものである点を高く評価して、本審査委員会は、本論文の査読及び口述試験の結果により本論文提出者が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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