学位論文要旨



No 119774
著者(漢字) 柴崎,友一朗
著者(英字)
著者(カナ) シバザキ,ユウイチロウ
標題(和) 巻貝鏡像体のらせん卵割に関わる細胞骨格の研究
標題(洋)
報告番号 119774
報告番号 甲19774
学位授与日 2004.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第533号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

 軟体動物、環形動物、紐方動物の多くと扁形動物の一部は、らせん卵割と呼ばれる卵割をおこなう。らせん卵割の特徴は卵割で生じる割球が動植物軸に対して斜めに配置することであり、たとえば第3卵割では、動物極側に生じる4つの小割球が対となる大割球に対して動物極側から見て時計回り(右旋的)、または反時計回り(左旋的)にずれて配置する。軟体動物である巻貝の場合、この第3卵割の旋性と貝の巻型の旋性は一致することが知られている。

 同一種内で右巻と左巻の正常体が存在する淡水産巻貝Lymnaea peregra(和名:ソトモノアラガイ)の巻型は、母親の遺伝型のみに依存すること(遅滞遺伝)、単一または強く連鎖する複数の遺伝子によって決定されること、右巻が左巻に対して優性であることが知られている。さらに細胞質移植の実験により、第3卵割の旋性は右巻の1細胞期胚に含まれる母性因子によって制御されている可能性が示唆されている。この母性因子は卵割形態変化を司る細胞骨格系に関わるものであることが予想されているが、その実体は未だ不明のままである。

 当研究室は近年、L.peregraの近縁種であるL.stagnalis(和名:ヨーロッパモノアラガイ)の右巻・左巻各系統の大量飼育に成功し、これにより巻貝の巻型決定機構の解明に対する様々なアプローチが可能となった。本研究で私は、これらの巻貝を用いて、卵割の旋性に関わると予想される細胞骨格動態や細胞骨格の構成因子について、細胞生物学的手法と分子生物学的手法を用いて解析をおこなった。

 第一章では、L.stagnalis右巻胚・左巻胚の第3卵割の旋性決定に関わる細胞骨格系の動態とその機能について解析をおこなった。

 チューブリンの抗体染色や蛍光ファロイジン染色によって、第3卵割期の紡錘体の配向や細胞形態を観察したところ、右巻胚では分裂中期から分裂溝形成期までの間、紡錘体の右旋的な傾き(図1a)と細胞境界面の右旋的な変形(spiral deformation:SD;図1c)が見られたが、同時期の左巻胚は紡錘体の配向(図1b)と細胞形態(図1d)は中立性を保っていた。左巻胚の細胞形態にらせん性が生じるのは分裂終期の分裂溝の進入過程であった。このように右巻胚と左巻胚では、胚にらせん性が生じる時期とその生じ方に大きな差が在り、これまで鏡像対称的に進行すると考えられていた右巻胚と左巻胚の卵割は、細胞形態レベルでも細胞骨格レベルでも鏡像対称性からの逸脱が起きていることが明らかとなった。

 続いて、細胞骨格系の特異的阻害剤を用いて、らせん性の形成に対する細胞骨格の関与について調べた。右巻胚に対してアクチン重合阻害剤ラトランキュリンで処理をおこなうと、分裂中期~後期に起こる紡錘体の傾きとSDは阻害された。この時紡錘体の配向と細胞形態は中立化し、同時期の正常左巻胚とほぼ同じ様相を示した。このことは右巻胚におけるアクチン依存的ならせん性の形成が右巻遺伝子の制御下で起こっていることを示唆する。左巻胚にラトランキュリン処理をおこなうと、小割球の左旋的な回転は阻害されて最終的な小割球の配置は中立化した。これらのことから右巻胚・左巻胚ともに、らせん性が形成される過程にはアクチン重合が関わることが示唆された。

 次に紡錘体形成前の右巻胚に微小管重合阻害剤ノコダゾールで処理をおこなうと、紡錘体が形成されないまま、通常よりも大きなSDが生じた。このことはSDが紡錘体の傾きに非依存的に起こることを示す。また小割球が生じる前の左巻胚のノコダゾールで処理をおこなうと、一部の胚で小割球の回転方向の逆転が起こった。このことは分裂溝の進入時に起こる小割球の回転の方向は、微小管の重合・脱重合によって制御されている可能性を示唆する。以上の結果より、L.stagnalis右巻胚と左巻胚の第3卵割では、細胞質分裂前から右巻胚特異的に働くアクチン依存的な卵割右旋化メカニズムと、細胞質分裂時に働く微小管依存的な小割球の回転方向制御メカニズム、という2つのメカニズムによって卵割の旋性が制御されている可能性が考えられた。

 第二章では、巻型決定因子の候補の1つであるα-チューブリン遺伝子アイソタイプについて解析をおこなった。

 1細胞期の右巻胚と左巻胚で発現している蛋白質について二次元電気泳動法による比較解析をおこなった結果、右巻胚特異的に現れたスポット3個のうちの1個(以降spot#1と呼ぶ)がα-チューブリンと同定された(当研究グループ遠藤による)。前章の結果でL.stagnalisの第3卵割過程では、紡錘体の傾きが右巻胚だけで見られることや左巻胚の卵割時に微小管重合阻害剤を施すと卵割方向の逆転が起きることから、微小管やその構成因子であるチューブリンは何らかの形で卵割の旋性の決定に関わっている可能性が考えられた。

 まずspot#1のα-チューブリンの性質を明らかにするために、L.stagnalis 右巻系統と左巻系統で発現する6種類のα-チューブリン遺伝子の全長塩基配列の決定をおこなった(LSD-TUBA1~6、LSS-TUBA1~6、LSDは右巻系統、LSSは左巻系統由来であることを示す)。その結果、spot#1のα-チューブリンはLSD-TUBA4の遺伝子産物であった。LSD-TUBA4とLSS-TUBA4の塩基配列を比較するとコード領域に1箇所の1塩基多型が存在したが、アミノ酸の相違をもたらすものではなかった。

 当研究室では、巻型決定遺伝子に関して優性ホモの個体と劣性ホモの個体の戻し交配から、同じ両親をもつヘテロの個体群と劣性ホモの個体群(F2世代)を得ている。LSD-TUBA4遺伝子が巻型決定遺伝子そのもの、もしくはその近傍にある遺伝子であるかどうかを検定するために、LSD-TUBA4特異的プライマーを用いた完全欠失検出法RT-PCRにより遺伝子連鎖解析をおこなった。その結果、TUBA4と巻型決定遺伝子の連鎖は見られなかった。

 次に、1細胞期胚における各アイソタイプの発現をRT-PCRにより調べた。その結果、TUBA3、TUBA4、TUBA6の発現が確認されたが、TUBA4は発現レベルに右巻胚と左巻胚で大きな差は見られなかった。

 以上の結果からspot#1が右巻特異的に検出された原因が、TUBA4の遺伝子レベルの違いである可能性は低いと考えられた。そのため、蛋白質レベルの違い、すなわちTUBA4mRNAの翻訳が左巻胚で抑制されている可能性やTUBA4蛋白質が右巻胚(又は左巻胚)特異的な翻訳後修飾や分解を受ける可能性が考えられた。これらの可能性を検討するためには、今後、TUBA4特異的な抗体の作製とそれを用いた解析をおこなっていく必要がある。

 第一章、第二章をまとめると、本研究では、私はこれまでメカニズムが不明であった巻貝の卵割における旋性決定メカニズムには、細胞骨格系の蛋白質が関与することを初めて明らかにした。さらに巻型決定因子の候補の1つであるα-チューブリンのアイソタイプを同定し、それが二次元電気泳動で右巻胚特異的なスポットとして現われる機構の解明のための基盤を作った。これらの成果は、発生学の重要課題の1つである巻貝の巻型決定メカニズム解明への新たな突破口を開くものである。

図1L.stagnalis右巻胚・左巻胚の第3分裂後期における紡錘体の配向と細胞形態

a,右巻胚のチューブリン抗体染色像;b,左巻胚のチューブリン抗体染色像

c,右巻胚の蛍光ファロイジン染色像;d,左巻胚の蛍光ファロイジン染色像

全て胚を動物極側から見た図。スケールバーは20μm。

審査要旨 要旨を表示する

 淡水産巻貝Lymnaea属のある種では、完全内臓逆位体である右巻と左巻が自然界に正常体として存在する。この場合、右巻が優性形質であり、巻型決定遺伝子は単一の座位、あるいは強く連鎖する少数の座位に存在することが古典的交配実験で示されている。右巻胚と左巻胚の形態差は、受精後まもなく起こるらせん卵割の第3卵割の旋性(右旋性又は左旋性)に顕著に現われるが、1980年代に行なわれた細胞質移植実験により、その旋性は右巻の1細胞期胚に存在する母性因子によって制御されている可能性が示唆された。この母性因子については、卵割形態変化を司る細胞骨格系に関わるものであることが予想されてきたが、その実体は未だ不明のままである。このような背景のもと、柴崎氏は、主にLymnaea stagnalisの鏡像体を用いて、卵割の旋性決定に関わることが予想される細胞骨格について、卵割時の細胞骨格動態に注目した細胞生物学的解析、および、微小管の構成因子であるα-チューブリンについての分子生物学的解析を行なった。

 第一章では、まず、新たに確立した巻貝の胚の固定染色法や顕微鏡法を用いて、第3卵割期の微小管とF-アクチンの動態について、L.stagnalis右巻胚と左巻胚の詳細な比較解析を行なった。その結果、優性である右巻胚では、分裂中期~後期に起こる、紡錘体の傾きと細胞形態変化(spiral deformation: SD)によって右旋化が起きているのに対し、劣性である左巻胚では、分裂中期~後期の紡錘体の配向と細胞形態は中立性を保ち、細胞質分裂時に生じる小割球の回転によって左旋化が起きていることが明らかとなった。これらのことから右巻胚と左巻胚の卵割は、細胞形態レベルでも細胞骨格レベルでも互いに鏡像対称ではなく、らせん性が生じる時期と生じ方に大きな差が存在することが初めて示された。つづいて、細胞骨格の特異的阻害剤を用いて、右巻胚の右旋化(紡錘体の傾きとSD)と左巻胚の左旋化(小割球の回転)に対する微小管やF-アクチンの重合の関与について調べた。その結果、右巻胚の紡錘体の傾きとSD、左巻胚の小割球の回転は、ともにアクチン重合阻害剤で中立化したことから、両者にはアクチン重合が関与することを明らかにした。また右巻胚のSDは、微小管重合阻害剤で紡錘体の形成を阻害した場合でも顕著に起こったことから、紡錘体の構造や傾きには非依存的に起きていることが明らかとなった。さらに、細胞質分裂時に起こる左巻胚の小割球の回転方向は、微小管重合阻害剤で逆転(右旋化)したことから、小割球の回転方向の決定には微小管の重合が関与していることが示唆された。これらの知見は、未知の巻型決定遺伝子が細胞骨格依存的な卵割メカニズムに関わることを示しており、今後、巻型決定機構の解明への大きな糸口になっていくと考えられる。次に、左巻優性種Physa acutaの左巻胚の第3卵割の細胞骨格動態を調べた結果、右巻優性種L. stagnalisの右巻胚の場合の鏡像対称であり、アクチン重合依存的な紡錘体の傾きとSDが逆方向(左旋的)に生じていることが明らかとなった。この結果と前述のL.stagnalis種内鏡像体の結果から、これまで単一遺伝子、もしくは強く連鎖する近接遺伝子の変異で生じたことが示されている種内鏡像体と、交配実験が不可能な種間鏡像体とでは、鏡像体が生じた過程が共通ではないことを示唆するものである。

 第二章では、先行研究によって1細胞期胚の蛋白2次元電気泳動により右巻特異的スポットとして単離されたα-チューブリン蛋白について、その遺伝子解析(遺伝子同定、発現解析、巻型決定遺伝子との連鎖解析)を行なった。まず、Lymnaea stagnalisの生殖腺及び肝臓に発現する6種類の新規α-チューブリン遺伝子(TUBA1-6)のcDNA全長クローニングを行ない、1細胞期胚の蛋白2次元電気泳動による右巻特異的スポット(TUBA4)を同定した。TUBA4について、右巻と左巻の予想アミノ酸配列に相違はなかった。また発現解析により、TUBA4は1細胞期に母性に発現する遺伝子の1つであり、右巻と左巻でmRNA発現量に大きな差はないことが明らかとなった。さらに当研究室で既に確立されている戻し交配F2世代による巻型決定遺伝子の連鎖解析システムを用いて解析を行なったところ、TUBA4と未知の巻型決定遺伝子は遺伝学的に連鎖していないことが示された。これらのことから、TUBA4は巻型決定遺伝子そのものではないと考えられたが、1細胞期に右巻特異的な蛋白質として発現している事実から、翻訳レベルの調節や翻訳後修飾のパターンに巻型特異的な機構が存在する可能性が示唆された。

 以上、本論文は、これまでほとんど解明されていなかった巻貝の巻型決定機構について細胞骨格を切り口とした解析をおこない、細胞骨格動態や細胞骨格の構成因子の重要性を初めて明らかにしたものであり、巻貝の巻型決定因子の同定へ向けた研究に重要な貢献をなすと考えられる。

 従って、本審査委員会は博士(学術)の学位にふさわしいものと認定する。

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