学位論文要旨



No 119776
著者(漢字) 岩國,真紀子
著者(英字)
著者(カナ) イワクニ,マキコ
標題(和) GPSデータに基づく東アジアのテクトニクスの研究
標題(洋) Tectonics in east Asia as seen from GPS data
報告番号 119776
報告番号 甲19776
学位授与日 2004.12.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4600号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬野,徹三
 東京大学 助教授 岩森,光
 東京大学 教授 栗田,敬
 京都大学 教授 橋本,学
 東京大学 教授 加藤,照之
内容要旨 要旨を表示する

 中国を中心とする東アジアはインド大陸の衝突による大規模な変形の場であり,多くの興味深い地学現象が見られる地域である.この地域の変形を支配する機構を明らかにすることはテクトニクス研究にとって第一級の重要性を持っている.近年この地域では多くのGPS観測が実施され,地震・火山噴火に伴う局所的な地殻変動ばかりでなく,大陸スケールの変位・変形が明らかにされるようになった.日本列島はユーラシア大陸の東縁に位置しており,インド大陸の衝突の影響が日本まで及んでいると言われている一方,北西方向に位置するアムールプレートの運動の影響を受けているとの考え方も提唱されている.そこで,本研究では,GPSのデータに基づいて東アジアの変形とそのメカニズムを明らかにすることを目的として,以下の研究を行った.

1.多数のGPSデータを統合して東アジアの詳細な変位速度場を明らかにする.

2.得られた変位速度場を統一的に説明する新たなモデルを提唱する.

3.モデルから予測されるブロック間の独立性を検証し,ブロックの存在を解明する.

 東アジアにおいては既に数多くのGPS観測研究が実施されているが,それぞれが独自の基準座標系を用いているため,そのままでは全体を概観することが難しい.そこでまず,アジア全体の変形を明らかにするために統一性のある座標系を用いて多くのベクトル場を統合することとした.このための座標系としてはITRF2000を採用した.まず文献から得られるGPS変位速度データ中のITRF2000の速度が得られている地点で,観測点の速度がITRF2000に一致するはずであると考え,残差が最小となるように全体の観測点に微小な速度のオフセットと回転を与えて,すべてのデータの座標系をITRF2000に合わせた.さらに,ITRF2000ではnnr-NUVEL1を採用しているので,東アジアの変形を見やすくするためにユーラシア安定地塊を基準とするベクトルに変換した.この手法を5つのデータセットに適用し,合計638点からなる統合変位速度場を得た.その結果,1)インドの衝突が中国地域全体を扇形に押し広げるように影響を与えていること,2)四川・雲南地域では変位が急激な時計回りの回転を示す一方,東のサウスチャイナブロックの領域では東向きの剛体運動を示していて,明らかなブロック境界が存在すること,3)アムールプレート・スンダブロックが独立した剛体運動を示しているように見えること,などがわかった.

 次に,こうして得られた東アジアの変形場を支配するメカニズムについて考察した.これまで東アジアの変形を説明するモデルとしては,大きくわけて二つ,すなわち,剛体ブロック運動モデルと連続体モデルが提唱されてきた.今回得られたGPS変位速度場を詳細に見ると,ブロック運動が卓越しているように見えるものの,ブロック内変形もその大きさは小さいものの無視できないようにも見える.また,ブロックの境界をなす断層帯においては,地質学的な時間スケールでは差動変位があるが,数年という短い時間スケールでは断層浅部は固着していることがわかっているので,断層でのすべり遅れの成分も加える必要がある.

 以上を考慮すると,前節で得られた観測点速度Vobsは次式で完全に記述できると考えられる;

Vobs=Vblock+Vdisl+Vdefom+ε

ここで,Vblockは剛体変位成分,Vdislはブロック境界におけるすべり遅れ(固着)成分,Vdeformは内部変形成分,εは観測誤差,である.右辺の初めの二項はMatsu'ura et al.[1986]やHashimoto and Jackon[1993]で導入されたブロック・断層モデルと同じ形であり,これらの研究では断層のすべり遅れについては横ずれと縦ずれの2成分を未知パラメータとしている.しかしながら,東アジアの衝突境界では断層に垂直成分のすべり遅れ(tensile crack)を考慮する必要があると考えられる.そこで本研究では,すべり遅れの縦ずれ成分の代わりに垂直成分を未知パラメーターとして推定して東アジアの変形場のモデル化を行うことにした.インバージョンの方法とあわせてHashimoto and Jackson[1993]から以下の4点を発展させた.

1.ブロック同士の衝突や境界での拡大変形を考慮して,横ずれ成分と垂直成分を推定した.

2.最適なパラメータを推定するためにABIC(Akaike's Bayesian Information Criterion)を導入した.

3.東アジアは広大で球面効果を無視できないので,ブロックの相対運動を推定する際に地球中心を原点とするデカルト座標系を導入した.

4.いくつかの境界の取り方を変えたモデルの中で最適なモデルを選ぶためにAIC(Akaike's Information Criterion)を導入した.

 得られた最適なモデルのブロックの相対運動から,東アジアの変形の原因はインドの水平方向の衝突変位が支配的であることが明らかになった.しかしながら,アムールプレートを想定したブロックは南へ移動することから,アムールプレートはインドの衝突の影響を受けていないことも明らかとなった.

 次に,今回新たに導入した内部変形成分を見るために,残差(観測値-モデルからの計算値)を内部変形(Vdeform)とみなして,この残差にEl-fiky&Kato[1999]によって導入された最小二乗予測法を適用してひずみ場を求めた.残差から求めた歪では,全体的にずり歪はほとんどゼロになり,東アジアはほぼブロック・断層モデルで説明できることがわかった.しかしながら,タリム盆地の北西部・ヒマラヤ・アムールプレートの南側北緯40度の地域,四川・雲南地域などではブロック・断層モデルで説明できない内部変形が残っていることがわかった.つまり,東アジアの変形場はブロック運動・断層でのすべり遅れ・内部変形の足し合わせでほぼ完全に記述できることが明らかとなった.内部変形のメカニズムの解明は今後の課題である.

 最後に,先のモデルでは,チベットを除く東アジアはユーラシアプレートから独立に動いているように見えた.またスンダブロックも周りのブロックから独立に動いているように見えたので,これらが互いに独立であるかどうかを,さらに詳細に検討するためにF検定を用いて調べた.検定を行ったのはユーラシアプレートvs.アムールプレート,サウスチャイナブロックvs.スンダブロックとアムールプレートvs. サウスチャイナブロックの3組である.その結果,アムールプレートは周りの地域から独立に運動しているといってよい,ということがわかった.従って,例えば日本列島の変形場を論じる際にはアムールプレートを基準とする座標系で示した場合とユーラシアを基準とする座標系で示した場合には有意な差が出てくるということに注意しなくてはならない.また,サウスチャイナブロックとスンダブロックも独立に運動する,という結果となった.

以上をまとめると本研究では次のような結論が得られた.

1.東アジアの変位速度場の統合により,これまでになく詳細な変位速度場が得られた.

2.ブロック・断層・内部変形モデルを導入し,東アジアの変形場を規定する原因がインドの衝突によるものであり,変形場はブロック・断層モデルと内部変形の重ねあわせでほぼ完全に記述できることが明らかとなった.

3.ブロック・プレート同士の運動の独立性を統計的に検証した結果,アムールプレート・サウスチャイナブロック・スンダブロックはすべて周りの地域から独立に運動することが明らかになった.

図1:東アジアの統合変位速度場(ユーラシア安定地塊基準).

図2:ブロック・断層モデルから推定された東アジアのブロック運動

図3:(左)図1の変位速度から推定した最大ずりひずみ成分,(右)残差からブロックごとに推定した最大ずりひずみ成分.

審査要旨 要旨を表示する

岩国真紀子の博士論文Tectonics in east Asia as seen from GPS dataは,東アジア-中国において入手可能なすべてのGPSデータ(水平変動)を一つの座標系のもとに統一同化し,それを用いてあるモデル計算との比較により,東アジアで現在起こっている変動の様式を明らかにしようとしたものである.

 第1章の導入部分では,これまでの東アジアテクトニクス研究の発展の歴史,現在までの成果,特にGPSが出現してからの成果をreviewしている.大きな研究の流れとしては二つの考え方があったとし,一つは剛体ブロック運動モデルで,東アジアがいくつかのブロックに分かれて運動し変動をもたらすとするもの,もう一つは連続体モデルで,特にチベットが連続体として厚化するというものである.この章の最後で,これらのうちどちらが適当なモデルであるのかGPSデータを用いて検証すること,ブロックモデルが妥当な場合,いくつかのプレートやブロックの独立性を検証するという本論文の目的が述べられている.

 第2章はデータ同化の方法と得られた結果を記述している.GPS速度は,ITRF2000を基準座標系に用い,すでに出版された各論文に含まれる共通の観測点で速度が得られている場合,それらの観測点のITRF2000に対する速度の残差が最小となるように各観測点網に微小な速度のオフセットと回転を与えて,すべてのデータをITRF2000座標系に対するものに変換するという方法を用いている.またタイでは本人がみずからデータ取得に参加し,それを特にスンダブロックの運動を明らかにするためのデータとして用いている.この部分は目録に示されているように論文に投稿中である.

 第3章では,上に述べた目的のために,どちらのモデルによる変形をも取り入れることができるモデルを導入し,そのモデルによる解を求め,その解から東アジアの変形を論じている.そのために,東アジアを十数個のブロックに分割し,それらのブロック間の剛体運動,ブロック境界におけるすべり遅れによる部分的固着,ブロック自体の内部変形,の三つの要素による変動の和として水平変動をモデル化して,データを説明する最適解として各要素を表すパラメーター値を求めている.ブロックの境界でのすべり遅れで変形を表現する部分はMatsuura et al. (1986)の定式化とそれの日本列島への適用(Hashimoto & Jackson, 1993)にスキームは負っているが,東アジアの衝突地域の垂直断層による変形は,横ずれ成分によるもののみならず境界に直交する成分によるも含むので,その成分がもたらすブロックの変形も新にモデルに組み込むという工夫がなされている.また剛体回転部分に関しては,球面でオイラーベクトルを求めて表現することがなされている.またいくつかのブロック境界セグメントに地質学的に知られた断層すべり速度を先験情報として与える際に,ABICで最適な重み付けすることがなされている.ブロック境界の取り方は断層などの地質学的データにもとづいたもので,その取り方には任意性があるが,それに関しては,いくつかの境界の取り方に対してAICを用いて最適なブロックの分け方を選ぶ,などの工夫がなされている.

 続いてモデルを適用して得られた結果を記述しその意味を議論している.GPSデータは,剛体的ブロック運動とその境界での部分的すべり遅れでほとんど説明できることがわかった.ブロックの速度ベクトルはヒマラヤから遠ざかるにつれ減少し広がりながら北や東に向かっている.このことからインド亜大陸のアジアへの衝突がこのようなブロック運動の原因であるとしている.またブロック境界で得られたすべり遅れの分布をブロック間の衝突,押し出し,回転などから議論している.雲南地方の断層では,得られたスリップ不足と,地質学的に推定されたすべり速度や歴史地震の発生を比較し,将来地震がおこりそうなセグメントと期待される地震のマグニチュードを推定している.剛体的ブロック運動とその境界での部分的すべり遅れからの残差が大きい箇所が,テンシャン,雲南,山西の3箇所に見られ,これらの地域ではブロック内変形が無視できないとしている.プレート境界の取り方と独立性に関しては,アムール,南中国,スンダブロックらがユーラシアプレートと同一のプレートではないことをAICから示せたが,各ブロックに分けた場合の間では有意なAICの違いはないことがわかった.

 第4章ではアムールプレートとスンダブロックの独立性をF-testを用いて検討し,それらが独立に存在する場合の統計的有意性を示している.またアムールプレートを考えに入れた場合,西南日本でアムールプレートに対する運動がユーラシアプレートに対する運動と顕著に違うことを論じている.

 最後に第5章で全体の結論を述べている.

 この論文では,東アジアの変形に対しブロック運動と部分固着モデルを改良し,その解を求めることによってこのモデルのGPSデータへの適合の優位性が示され,その結果をインドの衝突によるものと解釈した.得られたすべり遅れの分布やブロック内変形をブロック間の相互作用の観点から議論した.またいくつかのプレートやブロックが独自に存在することの統計的有意性を示した.これから直ちに連続体モデルが排除されるという結果にはならないものの,またこのようなモデルの地球物理学的背景はまだ十分に明らかにされたとは言えないものの,ここで得られた結果が,従来得られていなかった新たな知見を加え,東アジアの地殻の変形のメカニズムの理解に向けた研究を大きく前進させたということは確かである.

 なお,本論文第2章は,加藤照之,瀧口博士,仲江川敏之,里村幹夫,第3-4章は,加藤照之,宮崎真一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析およびモデル計算をおこなったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがて,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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