学位論文要旨



No 119777
著者(漢字) 葛西,秀俊
著者(英字)
著者(カナ) カッサイ,ヒデトシ
標題(和) 視細胞トランスデューシンγサブユニットにおけるファルネシル化の生理的意義
標題(洋) Physiological Role of Selected Farnesylation of Photoreceptor G Protein γ Subunit
報告番号 119777
報告番号 甲19777
学位授与日 2004.12.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4601号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

 G蛋白質を含む様々な情報伝達蛋白質は、C末端システイン残基がイソプレニル化(ファルネシル化またはゲラニルゲラニル化)およびカルボキシルメチル化されている。これらの修飾脂質基は膜アンカーとして働くだけでなく、蛋白質の機能発現に必須である。イソプレニル化蛋白質はC末端にコンセンサス配列CAAX motif(C;システイン、A;脂肪族アミノ酸)を持ち、Xのアミノ酸残基に従ってファルネシル基またはゲラニルゲラニル基のどちらかがシステイン残基に付加されるかが決定される(表1)。単量体G蛋白質において、RasおよびRap2Aはファルネシル化されており、RhoおよびRabファミリーに属する蛋白質群はゲラニルゲラニル化されている(表1)。特にRasのファルネシル化は形質転換能に必須であることが知られており、医学的・薬理学的に抗がん剤のターゲットとして注目されている。またRabのゲラニルゲラニル化は、その制御因子RabGDIとの相互作用に重要な役割を担っていることが結晶構造解析から明らかとなっている。三量体G蛋白質においてもイソプレニル基の使い分けがみられ、視細胞G蛋白質トランスデューシン[Tα/Tβγ(桿体)、Gt2α/Gβ3γ8(錐体)]のγサブユニットはファルネシル化されている一方、他の組織において発現している多くのγサブタイプはゲラニルゲラニル化されている(表1)。トランスデューシンは光情報伝達の中心的役割を担っており、視細胞特異的なγサブユニットのファルネシル化は視細胞の光応答や順応特性に深く関与していると推定される。実際、組換え蛋白質を用いたin vitroにおける生化学的解析の結果、人工的にゲラニルゲラニル化したTβγはファルネシル化(野生型)Tβγと比較して、膜への結合力が増大するばかりでなく、Tαへの親和性およびGTPγSの結合活性を顕著に促進した。このように、トランスデューシンの機能的特徴は修飾脂質の構造に大きく依存していながら、その光情報伝達に関わる生理的意義および重要性については長く謎に包まれている。

 本研究では、Tγのファルネシル化シグナル配列CVIS をゲラニルゲラニル化配列CVIL に置換した(S74L変異、図1)遺伝子改変マウスを作成し、視細胞においてTγがファルネシル化されていることの生理的意義を検証した。イソプレニル化蛋白質は翻訳後のプロセシングによって、CAAX motifのAAX残基は特異的なプロテアーゼRCE1によって切断除去される。このノックインマウスの場合においても一連のプロセシングの結果、S47L変異を導入したアミノ酸残基VISおよびVILは切断されると予想される。従って、ノックインマウスにおいて成熟Tγは、野生型と比較してアミノ酸配列は全く同一であり、C末端の修飾脂質基のみがファルネシル化からゲラニルゲラニル基に置換されることになる(図1)。これが改変マウスの極めてユニークな点であり、この特徴によって以下に述べる解析で得られた表現型をC末端の修飾脂質基の違いにのみ帰属することが可能である。

 まず、網膜に存在する様々な蛋白質の発現量を、ウエスタンブロット法によって野生型マウスと変異型マウスとの間で比較した。その結果、光情報伝達に関わる主な蛋白質群の発現量は、S74L変異によって変化していないことを確認した。次に、マウス視細胞外節膜よりTγを単離し、C末端修飾脂質基の構造を明らかにした。野生型トランスデューシンは、光照射した視細胞外節膜にGTPγSを添加することによって水溶性画分より比較的高純度で回収することができた。この画分よりTγを逆相カラムにより単離し、質量分析を行った結果、ファルネシル化/メチル化Tγの計算分子量とよく一致した。ところが、変異型マウスにおいては、GTPγS添加によってトランスデューシンを回収することはできなかった。そこで、Tβγサブユニットと結合し、水溶性画分に移行させる性質を持つホスデューシンを外節膜に添加することを試みた。その結果、変異型Tβγサブユニットの単離に成功し、ゲラニルゲラニル化/メチル化されることを確認することができた。この生化学的解析の結果は、変異型Tβγの視細胞外節膜への親和性が、野生型と比較して顕著に増大していることを示唆している。

 視細胞の光情報伝達は、高度な増幅機構によって1光量子をも検出することができると同時に、極めて幅広い強度の光刺激に順応して適切に応答するという順応特性を示す。Tγの生化学的性質の違いが、視細胞における光情報伝達特性に与える影響を電気生理学的に検証した。まず暗順応状態における種々の強度の光刺激に対する単一視細胞からの応答を吸引電極法によって記録した。意外なことに、野生型と変異型マウスとの間で光感度に有意な差は認められず、単一光量子レベルにおいても光応答の活性化・回復過程および増幅効率に大きな違いは観察されなかった。これらの結果は、Tγの修飾脂質基の鎖長の違いは、光情報伝達の素過程には大きな影響を与えないことを示唆している。次に、視細胞の順応特性を網膜電図(electrorerinogram,ERG)を記録することによって検証した。100luxの順応光を照射前後に網膜の光応答を記録した結果、野生型マウスの光応答の増幅効率は暗順応状態の15%にまで減弱(明順応)したのに対し、変異型マウスにおいてはこの減弱が約40%にとどまった(図2B,100lux)。ところが250luxの順応光の照射後は、野生型および変異型マウスいずれにおいても、増幅効率が暗順応状態の10%程度にまで減少した(図2B,250lux)。

 変異型マウスにおける明順応(100lux)の抑制の分子メカニズムを探るため、Tα・Tβγの光依存的な視細胞内の局在変化を免疫組織化学的に検証した(図3)。野生型・変異型マウスいずれにおいても、Tα・Tβγともに暗順応状態では外節に存在していた(図3C,F,I,L)。しかし、野生型マウスにおいては100luxおよび250luxの光照射に伴いTβγは内節への顕著な移動が観察された(図3J,K)。一方、変異型マウスにおいては、いずれの光条件においてもTβγの細胞内移動が著しく抑制されていた(図3M,N)。Tαについては、野生型・変異型マウスともに光照射に伴う局在変化は同様であった。つまり、100luxの順応光の照射後においてはTαは外節にとどまり(図3D,G)、250luxにおいては内節への局在変化が観察された(図3E,H)。おそらくこのために250luxの光照射後は、ERG解析における増幅効率が野生型・変異型マウスともに同程度にまで減少したものと考えられる(図2B,250lux)。一方、100luxの光照射後、野生型マウスにおいてはファルネシル化Tβγが内節へ移動することによって、外節に存在するTαの活性化効率を減少させ、その結果、光シグナルの増幅効率が減弱(明順応)したものと考えられる。ところが変異型マウスにおいては、ゲラニルゲラニル化Tβγと視細胞外節膜との結合力が増強し、外節から内節への光依存的な細胞内移動が困難となり、明順応が著しく抑制されたものと考えられる。以上の結果より、Tγファルネシル基はTβγの光依存的な細胞内移動を促進し、この効果により視細胞の光シグナル感度が制御されていることが考えられた。

表1 イソプレニル化蛋白質

図1 Tγの翻訳後のプロセシング

【図2】変異型マウスの順応特性。

網膜電図(ERG)より得られた視細胞由来の構成波(a-wave)を解析することによって、光シグナルの増幅定数Aを算出し、順応前後で比較した(Aadapted/Adark)。(A)順応光を照射しなかった対照実験。増幅定数の若干の低下が見られるが(Aadapted/Adark=0.9)、これはERG測定のための刺激光により明順応したと考えられる。(B)100luxおよび250luxの順応光を照射した前後の増幅定数の変化。変異型マウスにおいて、100luxの光条件下で、増幅効率の減弱(明順応)の顕著な抑制が観察された。

【図3】光照射に伴うトランスデューシンの局在変化。(A,B)網膜切片の微分干渉像。変異型マウス(B)の網膜および視細胞の形態は野生型(A)と比較して異常はなく、正常な層構造を形成していた。(C-N)Tαの光照射依存的な細胞内移動は、野生型・変異型マウスともに同様であった(C-H)。しかし、変異マウスにおいて、Tβγの細胞内移動は著しく抑制されていた(L-N)。

審査要旨 要旨を表示する

 蛋白質のイソプレニル化(ファルネシル化またはゲラニルゲラニル化)は、G蛋白質をはじめとする様々な情報伝達蛋白質に見出される翻訳後修飾である。修飾イソプレニル基は、蛋白質を脂質二重膜につなぎとめる膜アンカーとして働くだけではなく、蛋白質間の相互作用を介したシグナル伝達の制御因子としても機能することが知られている。イソプレニル化シグナル配列として、CAAX motif(C;システイン、A;脂肪族アミノ酸)と呼ばれる配列が蛋白質C末端に存在し、Xのアミノ酸残基に従って、ファルネシル基またはゲラニルゲラニル基のいずれかがCAAX motif中のシステイン残基に付加される。三量体G蛋白質のγサブユニットはイソプレニル化され、サブタイプ間においてファルネシル基とゲラニルゲラニル基の使い分けがみられる。すなわち、視細胞G蛋白質トランスデューシン[Tα/Tβγ(桿体に発現)、Gt2α/Gβ3γ8(錐体に発現)]のγサブユニットはファルネシル化されている一方、他の組織において発現している大部分のγサブタイプはゲラニルゲラニル化されている。トランスデューシンは光情報伝達の中心的役割を担っており、in vitroにおけるトランスデューシンの機能的特徴は修飾脂質基の構造に大きく依存している。これらのことから論文申請者は、視細胞特異的なTγのファルネシル化は視細胞の光応答や順応特性に深く関与していると推定し、その生理的意義の解明に向けてノックインマウスを用いたアプローチを行った。

 論文申請者は、Tγのファルネシル化配列CVISをゲラニルゲラニル化配列CVILに置換したノックインマウス(以下、S74Lマウスと呼ぶ)を作成した。まず、生化学的手法によりS74LマウスTγのC末端修飾脂質基の構造を明らかにした。マウス網膜よりTγを単離し、逆相HPLCと質量分析を用いて分析した結果、野生型Tγはファルネシル化、S74L変異型Tγはゲラニルゲラニル化されていることが明らかとなった。次に、S74Lマウス網膜に存在する様々な蛋白質の発現量を、ウエスタンブロット法によって野生型マウスと比較した。その結果、光情報伝達に関わる主要な蛋白質群の発現量は、S74L変異によって変化していないことが判った。

 視細胞の光情報伝達は、高度に発達した増幅機構を持つと同時に、極めて幅広い強度の背景光に対する順応特性を持つ。論文申請者はS74Lマウス視細胞における光情報伝達特性を電気生理学的に調べた。まず暗順応状態において種々の強度の光刺激を与え、単一視細胞からの電気応答を吸引電極法によって記録した。意外なことに、野生型とS74Lマウスとの間で、光応答の活性化・回復過程および光シグナルの増幅効率に有意な違いは認められなかった。この結果は、Tγイソプレニル基の鎖長の違いは、暗順応状態における光応答特性に大きな影響を与えないことを示唆している。次に、S74Lマウスに背景光を照射した際の順応特性を、網膜電図により解析した。その結果、100luxの背景光を10分間照射した時に野生型マウスでみられる光シグナルの増幅効率の低下(明順応)が、S74Lマウスでは起こりにくくなっていることがわかった。

 視細胞における順応機構には、多くの分子メカニズムが働いている。長時間(数分以上)の背景光照射に対する順応メカニズムとして、トランスデューシンの局在変化が光シグナルの増幅効率を調節するというモデルが提唱されている。順応光照射によってトランスデューシンが外節から内節方向へ視細胞内を移動する結果、外節におけるトランスデューシン濃度が減少し、シグナル増幅効率が低下する、つまり明順応が引き起こされるというモデルである。S74Lマウスにおいて明順応が抑制されていたことに対する分子基盤を探るため、論文申請者は、順応光の照射前後におけるトランスデューシンの視細胞内の局在を免疫組織化学的に解析した。100luxの順応光を10分間照射したところ、野生型マウスのTbγは外節から内節方向へ局在変化したが、S74LマウスにおいてはTbγの細胞内移動が著しく抑制されていた。一方、この順応条件においては、野生型とS74Lマウスの間でTαの局在には違いは認められなかった。これらの結果より、野生型マウスにおいては、順応光照射に伴ってファルネシル化Tβγが内節方向へ移動した結果、外節における光シグナルの増幅効率が減弱(明順応)したものと考えられる。ところがS74Lマウスにおいては、ゲラニルゲラニル化Tβγと視細胞外節膜との結合力が増強した結果、Tβγの光依存的な外節から内節への細胞内移動が阻害され、明順応が抑えられたものと考えられる。

 以上の解析によって、視細胞特異的なTγのファルネシル化は、トランスデューシンの光依存的な局在変化および明順応を制御する上で極めて重要な役割を果たしていることが明らかとなった。本論文は、蛋白質に結合した脂質修飾の分子的特徴を、細胞の機能的特徴と結びつけた点において、非常にユニークな研究成果であり、高い学術的価値が認められる。

 なお、本論文は饗場篤・中尾和貴・中村健司・勝木元也・Wei-Hong Xiong・King-Wai Yau・今井啓雄・七田芳則・岡野俊行・深田吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行った研究成果であり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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