学位論文要旨



No 119784
著者(漢字) 鮫島,真哉
著者(英字)
著者(カナ) サメシマ,シンヤ
標題(和) ツヤオオズアリ翅原基のカースト特異的形成メカニズムに関する分子社会生物学的研究
標題(洋) Molecular sociobiology on wing development during caste differentiation in Pheidole megacephala (Hymenoptera ; Formicidae)
報告番号 119784
報告番号 甲19784
学位授与日 2005.01.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4604号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 朴,長根
 北海道大学 助教授 三浦,徹
内容要旨 要旨を表示する

 真社会性昆虫であるアリ類においてはコロニー構成個体が同一ゲノム情報を持つにも関わらず、形態的・行動的な多型を示すカーストが存在する。カースト間の様々な形態差の中で、最も特徴的なものは翅形質である。すなわち、アリ類のワーカーは翅を持たないが、繁殖虫は結婚飛行のための翅を持つ。この翅多型はカースト間の繁殖における役割を特徴づけており、また地上あるいは地下での生活への適応と、それによるアリ類の繁栄とに深く関わる興味深い形質である。昆虫類では二次的に飛翔能力を失った系統が多数あり、中には翅形成の機構そのものを失った分類群も存在する。しかしアリ類では繁殖虫において翅形成機構が機能しているので、アリ類のワーカーにおける無翅は発生途上の環境に依存した表現型多型と考えられている。一般にアリ類は全てのカーストで翅原基を持つものの、ワーカーでは蛹化過程で消失することが知られている。しかしその発生学的なプロセスや分子機構に関しては未だに明らかでない。本研究では、女王及び大小2型のワーカーカーストをもつフタフシアリ亜科オオズアリ属のツヤオオズアリpheidole megacephalaを主な材料にして、翅形成の発生プロセスに関する以下の研究を行った。

[第1章]オオズアリ属の大ワーカー蛹期における翅芽の種間多型

 オオズアリ属ではP. bicarinata、P. pallidula において、大小2型ワーカーの内、大ワーカーでのみ、成虫期では無翅であるが蛹期には中胸に翅芽が存在することが報告されている。しかし、新たにオオズアリ属5種の蛹形態を比較した結果、P. nodus、P. fervida の2種の大ワーカーでは翅芽が観察されたものの、P. pieli、P. indica、P. megacephala の3種では翅芽は確認されず、蛹期の翅芽の存在に種間多型があることが示された。さらに、翅芽を持つP. fervidaと翅芽を持たないP. megacephala の2種間で、終齢幼虫期の翅原基を比較したところ、両者の大きさや形態には差が見られなかった。このことから前蛹期に種特異的な翅芽形成ないし、その退縮が起こっており、翅芽の種間多型の原因となっていることが示唆された。オオズアリ属の大ワーカーでは、小ワーカーと比較して、ボディサイズの増大、頭部・胸部の肥大化が見られるが、大小2ワーカー間の形態差は種によって異なる。翅芽の種間多型は、このようなオオズアリ属の種によるアロメトリーの違いと関連していることも考えられる。

[第2章]ツヤオオズアリのカースト特異的翅形成過程

 前蛹期の翅退縮プロセスを明らかにすべく、ツヤオオズアリ(P. megacephala)を材料にして、その翅形成過程をカースト間で組織学的に詳細に比較した。その結果、大小2型ワーカー共に前翅原基を持つことが観察された。オオズアリ属では P. bicarinata、P. pallidula、P.morrisi において小ワーカーでは翅原基は存在しないことが報告されているが、P. megacephalaの小ワーカーでは直径20μm程の翅原基が存在していた。オオズアリ属のカースト分化においては幼若ホルモンが重要な役割を果たしており、終齢幼虫期に幼若ホルモンを投与することによって大ワーカーを誘導できる。このことは、すべてのワーカーが幼虫期に前翅原基ないしその前駆細胞群を持つことを示している。おそらくオオズアリ属では、全ワーカーに前翅原基ないしその前駆細胞群が存在しているが、P. megacephala において特に前翅原基が観察されたことは、種間で原基の発達の程度に差があることに起因すると思われる。P.megacephalaはオオズアリ属の中でも特に発達した頭部を持つ大ワーカーを有しており、翅芽の種間多型と同様、アロメトリーの違いと関連していることが考えられる。

 さらに大小ワーカーの翅原基の発生過程を追った結果、小ワーカーの原基は成長や形態形成を起こすことなく退縮していくのに対し、大ワーカーでは機能的な翅を有する女王と同様に、翅原基は反転・伸長し形態形成を起こすものの、原基上皮細胞はそれ以上分化することなく退縮していくことが観察された。退縮過程にある翅原基内部では大型化した血球細胞が観察され、断片化した核DNAを検出するTUNEL法によってアポトーシスを起こしていることが確認された。以上、組織学的観察の結果、P. megacephala の3つのカースト、女王・大小2型ワーカーでは、それぞれ異なる翅形成の発生プロセスをたどることが示された。さらに、同じく成虫では無翅となる大小2ワーカーでも、その無翅化のプロセスは異なっていた。

 アポトーシスによる翅の退縮は鱗翅目昆虫においても知られている。フチグロトゲエダシャク(Nyssiodes lefuarius)、アカモンドクガ(Orgyia recens)では雌特異的に無翅化するが、翅退縮はP. megacephala とは異なり蛹期に起こる。また同じ雌における無翅化ではあるが、N.lefuarius、O. recensでは進化的に完全に無翅形質であるのに対し、P. megacephalaでは無翅はカースト間の表現型多型として生じる。このように両者は非常に異なる現象ではあるが、最終的な組織退縮の実行機構は同じアポトーシスであるということは興味深い。今回、小ワーカーではアポトーシスは観察されなかったが、大ワーカーでは頭部・胸部が肥大化しており、翅原基の一時的伸長とアポトーシスによる退縮はこの肥大化に伴う大ワーカー特異的な現象である可能性もある。

[第3章]ツヤオオズアリのエクダイソンレセプター(EcR)の同定と翅形成時の発現パターン

 完全変態昆虫では前蛹期・蛹期においてダイナミックな組織・器官の改変が起こる。この過程ではエクダイソンが統合的な役割を果たしている。エクダイソンのシグナルはEcRによって受容されるが、EcRアイソフォームの発現パターンによって成虫器官の形成、幼虫器官の退縮等の組織・器官特異的反応が制御されていると考えられている。そこでEcRと翅退縮の関係を調べるべく、P. megacephalaにおいてEcRのクローニングを行った結果、アミノ末端だけが異なる2つのクローンが得られた。データベースでの検索の結果、それぞれ他の昆虫から得られているEcRアイソフォーム、EcR-A、-Bのオルソログと同定された。各クローンのシークエンスのアライメント解析によると、P. megacephala EcR (PmEcR) のA アイソフォーム特異的領域は、他の昆虫のEcR-Aと同じくカルボキシル末端に高度に保存された領域を持っていた。一方、PmEcR-Bは、他の昆虫のEcR-Bアイソフォーム特異的領域の持つカルボキシル末端の高度に保存された領域と一致する配列を持たなかった。この各アイソフォームのカルボキシル末端で保存された領域は、アイソフォーム特異的な機能と関係していると考えられている。種間でこの領域の配列に差があることは、アイソフォーム特異的な機能に種間で違いがあることを示唆しているが、具体的な機構に関しては明らかでない。

 翅原基におけるA、Bアイソフォームの発現パターンとカースト特異的な翅形成との関係を評価するために、クローニングで得られたPmEcRの配列を元にA、Bアイソフォーム特異的なRNAプローブを作成し、in situハイブリダイゼーション法を用いて、前蛹期の各器官におけるアイソフォームの発現パターンを女王と大ワーカーで比較した。女王ではPmEcR-Aは翅原基・脚原基・中枢神経系で強く発現していたが、中腸・脂肪体・マルピーギ管では発現は認められなかった。これに対し大ワーカーの、ほとんどの組織におけるPmEcR-Aの発現パターンは女王とほぼ同じであったが、翅原基での発現は脚原基・中枢神経系と比較して弱いものであった。一方PmEcR-Bの発現パターンは女王-大ワーカー間、各器官間で違いは見られず、観察されたほぼ全組織で発現が検出された。翅原基におけるPmEcR-Aの発現にカースト間で差が見られたことは大変興味深く、この違いが前蛹期のカースト特異的な翅形成を誘引している可能性を示唆している。ショウジョウバエや鱗翅目昆虫類での研究から、EcRアイソフォームの発現パターンは種によって異なっていること示されているが、P. megacephala におけるEcRアイソフォームの発現パターンもこれまでの報告とは異なるものであった。前蛹期の形態形成は、その全期間を通じたエクダイソンタイターの動的変化が関わっている。また真社会性の膜翅目ではカーストによってエクダイソンの分泌パターンが異なることが報告されており、PmEcRの発現に関してもその時間的変化やエクダイソンタイターとの関係を、なお詳細に追跡していくことが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなる。第1章はオオズアリ属の大ワーカー蛹期における翅芽の種間多型を調べている。第2章はツヤオオズアリのカースト特異的翅形成過程を調べている。第3章では、ツヤオオズアリにおけるエクダイソンレセプター(EcR)の同定と翅形成時の発現パターンの研究を行っている。

 アリ類においては、形態的・行動的な多型を示すカーストが存在する。カースト間の様々な形態差の中で、最も特徴的なものは翅形質である。この翅多型はカースト間の繁殖における役割を特徴づけており、また地上あるいは地下での生活への適応と、それによるアリ類の繁栄とに深く関わる興味深い形質である。一般にアリ類は全てのカーストで翅原基を持つものの、ワーカーでは蛹化過程で消失することが知られている。しかしその発生学的なプロセスや分子機構に関しては未だに明らかでなかった。そこで本研究では、女王及び大小2型のワーカーカーストをもつフタフシアリ亜科オオズアリ属のツヤオオズアリPheidole megacephala を主な材料にして、翅形成の発生プロセスに関する研究を行っていて、いくつもの新知見をもたらしている。

[第1章]

 オオズアリ属ではP. bicarinata、P. pallidula において、大小2型ワーカーのうち、大ワーカーでのみ、成虫期では無翅であるが蛹期には中胸に翅芽が存在することが報告されている。しかし、新たにオオズアリ属5種の蛹形態を比較した結果、P. nodus、P. fervida の2種の大ワーカーでは翅芽が観察されたものの、P. pieli、P. indica、P. megacephala の3種では翅芽は確認されず、蛹期の翅芽の存在に種間多型があることを、本研究ではじめて示している。

[第2章]

 前蛹期の翅退縮プロセスを明らかにすべく、ツヤオオズアリ(P. megacephala)を材料にして、その翅形成過程をカースト間で組織学的に詳細に比較している。その結果、大小2型ワーカー共に前翅原基を持つことを確かめている。さらに大小ワーカーの翅原基の発生過程を追った結果、小ワーカーの原基は成長や形態形成を起こすことなく退縮していくのに対し、大ワーカーでは機能的な翅を有する女王と同様に、翅原基は反転・伸長し形態形成を起こすものの、原基上皮細胞はそれ以上分化することなく退縮していくことを見いだしている。退縮過程にある翅原基内部では大型化した血球細胞が観察され、断片化した核DNAを検出するTUNEL法によってアポトーシスを起こしていることが確認している。以上、組織学的観察の結果、P. megacephalaの3つのカースト、女王・大小2型ワーカーでは、それぞれ異なる翅形成の発生プロセスを経ることが示している。最終的な組織退縮の実行機構がアポトーシスであるということはたいへん興味深い。

[第3章]

 完全変態昆虫では前蛹期・蛹期における変態の過程でエクダイソンが統合的な役割を果たしている。そこでEcRと翅退縮の関係を調べるべく、P. megacephala においてEcRのクローニングを行った結果、アミノ末端だけが異なる2つのクローンが得ている。データベースでの検索の結果、それぞれ他の昆虫から得られているEcRアイソフォーム、EcR-A、-Bのオルソログと同定している。各クローンのシークエンスのアライメント解析によると、P. megacephala EcR(PmEcR)のAアイソフォーム特異的領域は、他の昆虫のEcR-Aと同じく、カルボキシル末端に高度に保存された領域を持っていた。一方PmEcR-Bは、他の昆虫のEcR-Bアイソフォーム特異的領域の持つカルボキシル末端の高度に保存された領域と一致する配列を持たなかった。

 翅原基におけるA、Bアイソフォームの発現パターンと、前蛹期におけるカースト特異的な翅原基の形態形成との関係を評価するために、クローニングで得られたPmEcRの配列を元にA、Bアイソフォーム特異的なRNAプローブを作成し、in situハイブリダイゼーション法を用いて、前蛹期の各器官におけるアイソフォームの発現パターンを女王と大ワーカーで比較している。女王ではPmEcR-Aは翅原基・脚原基・中枢神経系で強く発現していたが、中腸・脂肪体・マルピーギ管では発現は認められなかった。これに対し大ワーカーでは、ほとんどの組織におけるPmEcR-Aの発現パターンは女王とほぼ同じであったが、翅原基での発現は脚原基・中枢神経系と比較して弱いものであった。一方PmEcR-Bの発現パターンは、女王-大ワーカー間、各器官間で違いは見られず、観察されたほぼ全組織で発現が検出している。翅原基におけるPmEcR-Aの発現にカースト間で差が見られたことは大変興味深く、この違いが前蛹期のカースト特異的な翅形成を誘引している可能性を示唆している。このように本論文により、従来はほとんど未解明であったアリ類における翅形成の分子生物学的機構を明らかにしたことは、アリ類の社会性の進化を考察する上でたいへん意義深いものである。

 なお、本論文の第1、2、3章は松本忠夫、三浦徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び分析をおこなったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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