学位論文要旨



No 119786
著者(漢字) 高橋,健一郎
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ケンイチロウ
標題(和) 1930年代後半の「ソビエト語」の言説空間の分析
標題(洋)
報告番号 119786
報告番号 甲19786
学位授与日 2005.01.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第534号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西中村,浩
 東京大学 教授 石田,英敬
 東京大学 教授 浦,雅泰
 東洋大学 教授 山中,桂一
 早稲田大学 教授 桑野,隆
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、ソビエト体制が確立した1930年代半ばから後半の時期における「ソビエト語」の言説空間を分析したものである。「ソビエト語」に関する従来の研究では、「ソビエト語」全体を一つの単純な図式に還元するような高度に抽象的なものか、あるいは個々の語彙項目、修辞技法、文体などを記述したものが多かった。それに対して本論文は「言説空間」という概念を導入して、ゆるやかな一般的図式のもとで体系的に「ソビエト語」を分析したものである。包括的なモデルのもと、社会認知モデル、語彙、メタファー、文法、結束性、含意、文体、物語構造その他さまざまな分析装置を使い、言説空間の展開を具体的に説得力をもって提示することを目標としている。

 本論文は序論、本論3部10章、補章、終章からなる。

 第I部では、まず従来の「ソビエト語」の諸研究を批判的に検討した。ジョージョ・オーウェルの「ニュースピーク」概念によって捉えられることの多かった「ソビエト語」は、本来は「ディスコース」のレベルで捉えられるべきであり、またジャンルの問題、言語のイデオロギー的使用の問題、言説空間の概念などを研究に取り入れるべきであることを論じた。分析の枠組みとしては、まず物語論的に問題を設定し、30年代以降の基本的な物語構造として《教育の物語》と《闘争の物語》のプロット構成、そしてその根底にある「大家族神話」の神話モデルを提示した。そして、スターリンの言葉を「参照テクスト」とし、それを参照し、応答し、補強するようなインターテクスチュアルな関係をもつ諸ジャンルからなる「言説空間」を考え、モデル化した。本稿の目的は、「大家族神話」を基礎とする《教育の物語》と《闘争の物語》がこの言説空間の中で実際にどのように展開されるのかを分析することであり、その分析が第II部以降でなされた。

 第II部では、まずスターリンの言葉に関する先行研究を概観したのち、スターリンの言葉における「論争のレトリック」と、《教育の物語》と《闘争の物語》の「参照テクスト」としての側面を分析した。「論争のレトリック」とは、ウェルズやハワードなど実際の対談者を前に自己の論理を正当化するレトリックでもあれば、モノローグにおいて予想される(あるいは実際に言われたことのある)「批判的な声」に対しての反論であり、基本的には「…のように見えるが、実際は…だ」という型を取ることが多く、しばしば「修辞的譲歩」(予弁法)を伴うことを見てきた。さらに、さまざまな命題を「前提」表現として滑り込ませたり、敵の言葉や論理を逆用する「逆用の論理」を用いたり、あるいは「レーニン」や「歴史の教訓」という権威による論拠を用いたりすることを観察した。

 また、全国民的な課題を設定し、物語の一定の方向性を打ち立てるものとしての「参照テクスト」であるスターリンのいくつかの演説テクストが分析された。そこでは、その時代の「課題」がどのように定式化されるかが示され、個人崇拝につながり得る語法や粛清の詩学、あるいは時代のキーワードなどが抽出された。

 《教育の物語》の「参照テクスト」では、技術に重点が置かれたそれまでの国の課題から「カードルの育成」、広くは「人間重視」という新たな課題への移行が定式化されていることを見た。また、「ごく平凡な人間」が〈英雄〉になっていく、つまり新たな「課題」の達成のモデル例が語られ、〈非英雄〉がその英雄の〈援助者〉となり、さらに追随していくように呼びかけられる。そして、重要なのはその演説の中で、「楽しく」、「豊かに」などというように、〈われら〉の社会の「よさ」が繰り返し主張され、そして「生活が良くなった、同志たちよ、生活が楽しくなった」という「ソビエト語」の決まり文句となる言葉が発せられることである。「機械」から「人間」へという重点の移動に伴って、「人間」の生活の「楽しさ」が一種のキーワードになる。

 このような《教育の物語》と並んで、《闘争の物語》もまたこの時期きわめて重要であった。ここでは「敵/われら」という対立が「平和」という普遍的価値に基づく語によって構築され、「敵=戦争/われら=平和」という図式が成立する。また、「ファシズムのスパイ」、「トロツキスト」とカテゴリー化される敵との闘争についても語られる。

 「生活の楽しさ」「豊かさ」を歌い上げ、英雄の「偉業」を褒め称え、理想世界を描き出す《教育の物語》を背景に、そのような「理想状態」を乱す国内外の敵と闘争するという《闘争の物語》がこの時期の基本的な物語のパターンとなる。

 これらのテーマは、いろいろなジャンルによって、そのジャンル的特質に制約されながら、さまざまな形で展開されていくが、それらについて第III部で分析された。

 第III部では、ジャンルの言語的特性、メディア論的特性に目を向けつつ、「参照テクスト」が直接的・間接的に引用され、反復される様子、そして「参照テクスト」に対して応答する語りなどを詳細に検討し、物語の展開を考察した。取り上げたのは、新聞の社説と投稿記事、スローガン、歌である。

 新聞の社説記事は、党機関が「上から」語るジャンルであり、「書き言葉」の特性を最大限に生かして詳細に論理的に展開するものであり、一般的な受信者に向けられたジャンルである。そこでは、第一にスターリン自身やスターリンの言葉への解説、評価付けが行われる。そして、スターリンの言葉の重要部分が引用されるほか、参照テクストで提示されたテーマがさらに具体化、詳細化して伝えられ、また他の重要な「ソビエト語」のテーマの中に含められることもある。スターリンの言葉が「生きたメタファー」に乏しいのに対して、新聞記事ではさまざまなメタファーによって生き生きと語り直されていた。そのような語りを通して、参照テクストで示された課題に対して「報告」(「課題は達成されつつある」)、「予言」(「課題は達成されるだろう」)、「命令」(「課題を達成せよ(達成しよう)」)というような応答を返していく。また、私的記事ではスターリンの呼びかけに対する応答が「わたし」あるいは「われら」の立場から、具体的状況と共に「下から」語られ、そこでは社説記事と同様の「報告」、「予言」、「命令」のタイプのほかに、「課題を達成します」という「決意表明」タイプの応答も返される。

 スローガンは基本的には「上から」出されるジャンルであり、定型性を持つ簡潔な表現形式である。それは、「命令」、「称賛」、「非難」という基本的な機能を果たしながら、参照テクストを圧縮し、定式化し、イデオロギー的価値を極限まで高めて人々に叩き込むほか、参照テクストへの力強い応答となっている。これも新聞テクストと同様に「課題」に対する「報告」、「予言」、「命令」などのタイプがあるが、そのほかにスローガンでは「祈願」タイプが優勢であった。

 次に考察した「大衆歌」というジャンルは、特定の人物が作詞作曲したという意味においては「上から」のジャンルであるが、それと同時に民衆一人一人が自分の歌として歌う「下から」のジャンルと見なすことも可能であり、詩的であると同時に私的でもあり、またあらゆる場面で何度も繰り返される教育的なジャンルでもある。そして歌は何よりも「声」のジャンルであり、「文字コミュニケーション」が支配的になりつつあった30年代にあって、それを補う重要な「声」の分野の一ジャンルであった。そこでも、「われら」の立場から参照テクストに力強く応答し、物語を反復・補強していくが、しかし「歌」のジャンルでとりわけ重要なのは、「祖国」を美しく提示し、そこに配置される「あなたとわたし」という個人のきわめて私的な感情、状況を歌いながら、国家的物語を補強、反復してしまう政治性であった。

 これらのジャンルを横断して、ソビエト文化の〈英雄〉、〈敵〉、〈賢き父〉、〈母〉という元型がはっきりと現れてくる。本稿で考察した時期であれば、〈英雄〉は「スタハーノフ運動者」を代表とするさまざまな男女の労働者たちであり、スターリンによって課題が整理され、意味づけを与えられ、そして新聞で詳細に報じられ、スローガンによって呼びかけられ、あるいはみずからそれらに応答する。〈敵〉は「資本主義」、「搾取」、「貧困」、「失業」、「飢餓」、「平和の敵」その他によって特徴付けられ、ときには「黒雲」などのようなフォークロア的イメージによって表象される。〈賢き父〉とはスターリンであり、スターリン崇拝につながるような言葉の様態がスターリン自身のテクストやその他のジャンルでも観察された。〈母〉の形象をとるのは主として「祖国」であり、それは新聞のテクストにもスローガンのテクストにもその現れを見ることができたが、最も重要なジャンルは「歌」である。そこでは母なる祖国が「美しきもの」として語られ、それへの侵害が敵との闘争の論拠にもなった。また、時に応じて「スターリン−党−英雄−非英雄」などの人間の序列化が前景化する場合や、〈英雄〉の男女の差違が強調される場合もあり、それぞれ考察した。

 終章では、本論文の分析をまとめ、従来の「ソビエト語」研究、そして政治言説研究一般における本論文の意義を再度示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、その題目が示すとおり、ソビエト体制が確立された1930年代半ばから後半にかけてのソビエトにおける「ソビエト語」の言説空間を分析したものである。

 「ソビエト語」とはソビエトの公的なイデオロギーを反映した言語であるが、この「ソビエト語」についての従来の研究はその全体をひとつの単純な図式に還元しようとする研究、あるいはスターリンの演説や論文、新聞の社説など、個別のテクストに関して、その語彙項目、修辞技巧、あるいは文体などを記述するという研究が主であった。しかしながら、近年、スターリン時代の全体主義文化の研究が新しく展開されるなかで、「ソビエト語」の全体像を捉えることがますます必要になってきた。本論文は、「ソビエト語」に関する従来の研究を踏まえながら、あらゆるジャンルが互いに浸透し合い、関連しあう「言説空間」という概念を導入することによって、個々のテクストだけではなく、様々なジャンルにおける「ソビエト語」の展開を包括的に捉えようとするものである。しかも、言語学的な研究だけに終わるのではなく、全体主義文化全体の文脈において「言説空間」を研究しようとする果敢な試みでもある。

 本論文は、序論、第1部3章、第2部4章、第3部3章、そして補章、終章から構成されている。

 「ソビエト語」の研究のための理論的な枠組みを提示した第1部では、まず従来の「ソビエト語」の諸研究が批判的に検討され、新しい研究の枠組みを作るためには「ソビエト語」は「ディスコース」のレベルで捉えられるべきであり、ジャンルの問題、言語のイデオロギー的使用の問題などを取り込んだ研究が必要であることが指摘される。そのために、スターリンの言葉を「参照テクスト」とし、それを参照し、応答し、補強するようなインターテクスチュアルな関係をもつ諸ジャンルからなる「言説空間」という概念を導入し、そのモデルを提示する。そして、スターリン時代の言説が物語論的視点から分析され、30年代以降の基本的な物語構造として「教育の物語」と「闘争の物語」という2つのプロット構成があり、その根底には「大家族神話」という神話モデルがあることが指摘されている。

 第2部と第3部では、第1部で提示された理論的枠組みが具体的なテクストの分析によって実証される。第2部では、まず第1次言説というべきスターリンの論争や演説のテクストにおける「論争のレトリック」の分析がなされ、こうしたテクストにおいて時代の「課題」がいかに定式化されるかが示され、個人崇拝につながりうる語法や粛正を正当化するレトリック、そしてこの時代のキーワードが抽出された。さらに、こうしたテクストにおいて、「大家族神話」がどのように位置づけられているか、「教育の物語」と「闘争の物語」がどのように展開されるかの分析がなされ、この二つの物語が30年代後半のスターリンのテクストにおいてきわめて重要であったことが例証される。

 第3部では、ジャンルの言語的特性、メディア的特性に注目しつつ、まず、「上から」語るジャンルとして、スターリンの言葉を直接的・間接的に引用し、反復する新聞の社説やスローガンの言説が、「参照テクスト」としてのスターリンのテクストと相互に依存し合い、関連しあっていることが示される。次に、「上から」のジャンルであると同時に、民衆一人一人が自分の歌として「歌う」という意味で「下から」のジャンルでもある大衆歌の分析がなされる。そして、大衆歌において民衆が自分たちの側からスターリンの「参照テクスト」に応答し、その物語を反復・補強していくことが示される。さらに、「ソビエト語」の言説空間においては、こうした歌において美しく提示された広大な「祖国」、あるいは「あなたとわたし」の間の工場のようなきわめて私的な状況や感情が国家の公的な物語によって意味づけられ、公的な言説を補強し、反復していくという政治性を持つことが指摘される。

 論文の叙述は、一つ一つの資料に即してなされ、非常に説得的である。とりわけ「参照テクスト」であるスターリンのテクストを頂点としたヒエラルヒー構造をなすソビエトの「言説空間」を構成するさまざまなジャンルのテクストが、新聞の社説から大衆歌に至るまで、包括的に取り上げられていること、そしてそれらが社会認知モデル、語彙、メタファー、文法、結束制、含意、文体、物語構造などさまざまな視点から綿密に分析されていることは、意欲的であり、従来なかった試みとして特記されるべきである。審査委員のなかからは、こうしたさまざまなテクストを分析した結果、いずれの場合にもテクストが「大家族神話」をその基盤に持つ「教育の物語」と「闘争の物語」という二つのプロットを中心にして構成されているという同じ結論に達しているのではないかという指摘がなされた。しかし、本論文の目指すところは、30年代のソビエトの「言説空間」においてはさまざまなジャンルのテクストが「参照テクスト」を参照し、それに応答・反復し、互いに補強しあうインターテクスチュアルな関係にあることを例証することであることを考慮するなら、この点についてはむしろ積極的に評価すべきであると言えよう。

 また、本論文がもっとも評価されるべき点の一つは、従来は語彙、文体レベルで行われていた「ソビエト語」研究をディスコース分析という視点で捉え返し、1930年代のソビエトの公的な言説とそれを支えるさまざまなジャンルのテクストを包括的に捉え、ソビエト語の全貌を明らかにできるような視点を提示しえたことである。もう一つは、従来はオーウェルの「ニュースピーク」モデルに従って、全体主義言説においては上から一方的に言語操作がなされるという見方が支配的であったのに対し、民衆自身もみずからそれに応答し、全体主義社会の言説を支えるという側面を見過ごすべきではないことを、具体的なテクストの分析によって証明したことである。

 ただ、審査委員のなかからは、1930年代後半を取り上げた根拠が必ずしも明確に示されていないこと、言語テクスト以外にソビエト・イデオロギーを支えた他のメディアについての言及が十分ではないこと、そして1940年代をあつかった終章の論文全体での位置づけが明確でないことが指摘された。しかしながら、本論文は、いわばこの分野でのパイオニア的な仕事と評価すべきであり、こうした欠陥は今後の研究の過程で当然補われていくだろうとの期待が持てる分析のモデルが提示されていることを考えれば、本論文の価値を損なうものではないことは審査委員全員の一致した結論である。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク