学位論文要旨



No 119789
著者(漢字) 木苗,貴秀
著者(英字)
著者(カナ) キナエ,タカヒデ
標題(和) 胚器官増加型変異体を用いたイネの胚のパターン形成に関する発生遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 119789
報告番号 甲19789
学位授与日 2005.02.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2811号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 経塚,淳子
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

 植物の胚発生初期におけるパターン形成は、植物の体制を決定する上で、非常に重要な制御過程であるといえる。パターン形成は、厳密な遺伝的制御の下に、極性の決定、軸の形成、領域の分化の順に進行し、シュートや幼根といった胚器官の形成に至ると考えられている。近年、シロイヌナズナでは、頂部−基部軸に沿った頂部、中央部、基部の3つの領域の形成に関する解析が精力的に進められているが、未解明の部分は多く残されているのが現状である。

 一方、単子葉植物では、胚のパターン形成に関する遺伝学的研究はほとんど行われていない。イネ(科)の胚では、双子葉植物の胚と比較すると、頂部-基部軸と左右軸に加えて背腹軸が存在すること、より複雑な胚器官を分化することから、双子葉植物では得られてない情報が得られることが期待される。そこで、本研究では、地上部と地下部を形成するために重要な胚器官である、シュートと幼根の数に着目し、それらが増加する変異体を同定し、胚のパターン形成に関する発生遺伝学的解析を行った。

胚器官増加型変異体の同定

 台中65号にMNU処理を行った後代のF2集団から、種子の表現型の観察によって、胚器官増加型変異体の同定を行った。その結果、9系統の1遺伝子劣性の胚器官増加型変異体を得ることができた。これら器官増加型変異体を、胚における器官分化パターンの特徴から、5つのグループに分類した。第1のグループは、幼根が増加する変異体、multiple radicle1 (mr1)とapical displacement1 (apd1)である。このグループでは、縮小した頂部領域に1つの未発達のシュートが、拡大した基部領域に複数の幼根が分化していたため、頂部−基部領域の大きさに異常をきたした変異体であると推察された。第2のグループは、多様なパターンで胚器官を増加するaberrant regionalization of embryo2 (are2)である。are2では、胚におけるシュート、幼根の分化パターンは多様で、頂部領域に幼根が分化するものや背側領域にシュートが分化するものも見られたため、頂部-基部軸と背腹軸の双方に異常をきたしたものと考えられた。第3のグループには、シュートと幼根が増加するare1、are4、odm400を分類した。これらの変異体では、本来の腹側領域での胚器官に加えて、典型的な場合には背側領域にもシュートと幼根を鏡像対称に分化していたため、背側領域が欠失し、腹側領域が複製されたものと考えられた。従って、このグループは、背側領域の分化に異常をきたす変異体であると考えられた。第4のグループには、odm132を分類した。この変異体は、第3のグループと同様に、背側領域にも鏡像対称にシュートと幼根を分化するが、胚盤が拡大した巨大胚でもあった。このことから、odm132の原因遺伝子は、背側領域の分化と胚の大きさの決定という2つの異なる過程に関与する、興味深い機能を持つことが示唆された。第5のグループには、odm87を分類した。この変異体では、本来の胚器官分化後に、腹側領域が背側領域へと拡大し、異所的なシュートと幼根を分化した。したがって、胚発生後期に背腹領域の大きさを制御する遺伝子に変異がおきたものと考えられた。これらの器官増加型変異体は、他の植物種では報告されていないものであり、またグループごとに異なる制御過程に異常をきたしたものであると推察されたため、胚のパターン形成機構を明らかにするための有用な材料であると考えられた。

幼根を増加するmr1変異体の解析

 第1のグループに分類されたmr1は、軸は正常であったが、頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおき、その結果、頂部領域に1つの未発達なシュートが、基部領域に複数(最大4個)の幼根が分化した。胚発生の形態的観察およびOSH1やOsSCRなどの分子マーカーを用いた解析から、mr1では胚発生初期から頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおきており、基部領域では複数の幼根が同時に分化を開始することが明らかになった。幼根の増加は基部領域に限られるが、それらの位置、方向は一定していなかった。また、植物体ではシュートにおいて、分げつの増加、葉の伸長阻害や生殖成長への転換が見られないなど多面的な表現型を示したことから、MR1は、シュートを分化する頂部領域の発達に機能していると考えられた。したがって、基部領域の拡大は、頂部領域の縮小の結果であるといえ、頂部-基部領域の大きさは補償的に制御されていることが明らかになった。また、mr1に外生オーキシン処理を行い、草丈や根の反応を計測したところ、オーキシンに対する感受性が低下している可能性が示唆された。他のモデル植物では、頂部−基部軸の形成にはオーキシンの極性が関与しているとの報告が得られているため、mr1の表現型の異常にオーキシンが関与している可能性が見出された。また、シュートの分化に必要なSHL1遺伝子との関係を明らかにするために、mr1 shl1二重変異体を作出したところ、mr1よりも多くの幼根が分化する傾向が見られ、二重変異体ではそれぞれのシングルミュータントよりも基部領域の拡大が顕著になっていると考えられた。MR1とSHL1はいずれも、頂部領域で機能している遺伝子であるため、これらの遺伝子は、頂部領域の大きさの確保を介して、基部領域の拡大を冗長的に抑制していると考えられた。以上のように、mr1の解析から、イネの初期胚発生における、頂部-基部軸に沿った領域の大きさの制御機構に関する新たな知見を得ることができた。

シュートを頂端に分化し、幼根を増加するapd1変異体の解析

 第1のグループに分類されたapd1は、軸は正常であったが、頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおき、頂部領域の頂端に1つの未発達なシュートが、基部領域に2つの幼根が分化した。apd1、mr1ともに第1のグループに分類されたが、完成胚における両者の表現型の相違は、apd1では胚の頂端にシュートが分化すること、基部領域に分化する幼根は最大でも2つまでで、これら2つの幼根の配置が一定であったことである。胚発生の形態的観察や分子マーカーを用いた解析の結果、本来のシュートおよび幼根の分化以前の表現型にはほとんど異常は観察されず、本来のシュートおよび幼根が分化した直後から頂部領域の縮小と基部領域の拡大が始まり、胚盤や鞘葉の発達阻害によって、シュートが次第に頂端に位置するようになること、基部領域では本来の幼根が分化した後に、拡大した領域に2つめの幼根が分化することが明らかになった。植物体では、主に栄養成長初期のシュートで葉の伸長阻害や褪色、分げつの増加、ラミナジョイントが大きく屈曲するなど多面的な表現型が見られた。このことから、APD1は、シュートを分化する頂部領域の発達に機能すると考えられ、胚発生後期において頂部領域の正常な大きさの確保を介して、基部領域の拡大を抑制していると考えられた。また、オーキシン処理した野生型個体はapd1に類似した表現型を示したことから、apd1ではオーキシン濃度が高くなっている可能性が示唆された。また、shl1 apd1とmr1 apd1二重変異体では、それぞれの遺伝子の機能からは説明できない新規の表現型である、軸の異常が観察された。このことから、APD1は、MR1などの他の遺伝子と冗長的に胚発生初期のパターン形成に関与することが示唆された。

 第1のグループに属する変異体の解析により、イネの胚発生初期、後期ともに、頂部-基部領域の大きさは補償的に制御されていること、基部領域の拡大によって幼根の増加をまねくことが明らかになった。

多様な胚器官増加パターンを示すare2変異体の解析

 第2のグループに分類されたare2は、頂部領域に幼根が、背側領域にシュートが分化するなどの多様な器官増加パターンを示す変異体であった。野生型胚の胚盤上皮細胞の長さは、腹側頂部領域で長く、背側基部領域で短い傾向を示した。しかし、are2では一定の傾向を示さない、背側の細胞の方が長くなるなどの野生型とは異なるパターンを示した。このことから、are2では背腹軸に沿ったパターンに異常がおきていることが推測された。胚発生過程や分子マーカーの解析からは、胚発生初期から、頂部−基部領域と背腹領域の位置関係に異常をきたしたことが確認された。これらの領域は軸に沿って分化するため、are2は、頂部−基部軸と背腹軸の両方に異常をきたす変異体であることが示された。さらに、are2の胚の中には、頂部−基部軸と背腹軸が置き換わったものであると解釈できるものもあったため、イネ胚では2つの軸の形成を、1つの遺伝子が制御する場合があることが示された。また、are2 mr1とare2 apd1を解析したところ、二重変異体はare2の表現型を示したため、ARE2がMR1とAPD1の上位で軸の形成に機能しているものと考えられた。

 以上、本研究では、9系統の胚器官増加型変異体を同定、解析し、イネの胚のパターン形成における軸の形成や領域の分化に関する遺伝学的情報を得ることができた。また、胚器官増加型変異体は、他のモデル植物ではほとんど報告がないため、パターン形成の遺伝学的解析を行うための貴重な材料であることが明らかにされた。

審査要旨 要旨を表示する

 植物の胚発生初期におけるパターン形成は、極性の決定、軸の形成、領域の分化、器官の分化の順に進行すると考えられ、この時期に植物の基本的な体制が確立するので、そのメカニズムの解明は、植物の発生制御を展望する上で極めて重要であるといえる。しかし、シロイヌナズナで研究が行われているとは言え、未解明の部分が多く残されている。本研究は、イネを材料に、胚器官数が増加する変異体を多数同定し、胚のパターン形成に関する発生遺伝学的解析を行ったものである。本論文の内容は、4つの章から構成されている。

1.胚器官増加型変異体の同定

 イネ品種台中65号にMNU処理を行った後代から、9系統の1遺伝子劣性の胚器官増加型変異体を得た。胚器官分化パターンの特徴から、これらの変異体を5つのグループに分類した。グループIは、幼根が増加する変異体multiple radicle1(mr1)とapical displacement1(apd1)で、頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおきていた。グループIIは、多様なパターンで胚器官を増加するaberrant regionalozaion of embryo2(are2)であり、頂部―基部軸、背腹軸、左右軸に沿った異常をきたしていた。グループIIIは、典型的な場合には腹側領域と背側領域に鏡像対称に胚器官を分化するare1、are4、odm400であり、背側領域の分化異常により、腹側領域が拡大していた。グループIVのodm132は、腹側領域と背側領域に鏡像対称に胚器官を分化し、かつ、巨大胚であり、背側領域の分化と胚の大きさの制御に異常がおきていた。グループVのodm87は、本来の胚器官分化後に、背側領域にシュートや幼根を分化し、胚発生後期での背腹領域の維持に異常がおきていた。このように、イネの胚のパターン形成には、多くの遺伝子が関与した多様な制御機構が働いていると考えられる。

2.幼根を増加するmr1変異体の解析

 mr1変異体では、胚の頂部領域に1つの未発達なシュート、基部領域に複数の幼根が形成される。胚発生過程の観察から、mr1では胚発生初期から頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおきており、複数の幼根が同時に分化を開始することが明らかになった。発芽後、シュートにおいて多面的な異常が見られ、根では大きな異常は認められなかったので、MR1はシュートを分化する頂部領域の発達に機能していると考えられる。このことから、基部領域の拡大は、頂部領域の縮小の結果であり、頂部―基部領域の大きさは補償的に制御されていることが示唆される。mr1 shl12重変異体の解析により、MR1とSHL1は、頂部領域の大きさの確保を介して、基部領域の拡大を冗長的に抑制していることを示した。

3.シュートを頂端に分化し、幼根を増加するapd1変異体の解析

 apd1は、胚の先端に未発達なシュート、基部領域に2つの幼根を分化するものである。球状胚段階での異常はなく、胚器官分化以降に頂部領域の縮小と基部領域の拡大がおき、シュートが頂端に位置し、基部領域に2つめの幼根が分化していた。植物体では、シュートで多面的な表現型が見られたことから、APD1はシュートを分化する頂部領域の発達に機能していると考えられた。shl1,mr1との2重変異体の解析から、APD1はこれらの遺伝子と相互作用しながら、胚のパターン形成に関与していることが示唆された。また、mr1とapd1の解析により、イネの胚発生過程では、頂部-基部領域の大きさが補償的に制御されていることが明らかになった。

4.多様な胚器官増加パターンを示すare2変異体の解析

 are2変異体の胚では、頂部領域に複数の幼根が分化したり、背側にシュートが分化するなど、頂部-基部方向と背腹方向に沿った多様な器官分化パターンが見られた。さらに、左右方向にシュート、幼根が重複した胚も観察された。胚発生過程や分子マーカーを用いた解析により、このような多様な表現型は、頂部―基部軸、背腹軸、左右軸の極性、それらに沿ったパターン形成の異常に起因することが示された。さらに2重変異体の解析により、ARE2は、MR1,APD1の上位で機能していることが明らかになった。このように、ARE2は、胚における複数の軸形成、パターン形成に関わる重要な遺伝子であると考えられる。

 以上、本研究は、イネの胚のパターン形成に関わる重要な変異体を多数同定するとともに、重要な遺伝子を詳細に解析し、胚のパターン形成の制御機構を明らかにしたものであり、学術上、応用上価値が高い。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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