学位論文要旨



No 119794
著者(漢字) 瓜生,吉則
著者(英字)
著者(カナ) ウリュウ,ヨシミツ
標題(和) 〈少年−雑誌〉の世紀 : 近現代日本における「児童文化」のメディア史/論的考察
標題(洋)
報告番号 119794
報告番号 甲19794
学位授与日 2005.02.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 博人社第468号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 姜,尚中
 東京大学 助教授 水越,伸
 東京大学 助教授 佐藤,健二
 早稲田大学 教授 長谷,正人
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、近現代日本における「児童文化」に関して、「少年雑誌」を素材にしながらその歴史的変容を叙述するものである。その際、<少年>を「読者」として切り出すまなざしと、<雑誌>のコミュニケーション機能への信憑とが交差する場として「少年雑誌」に注目し、その歴史性・社会性を問うことを主題とする。表題にある<少年-雑誌>という語彙は、本来は結びつきに必然性のない両者が交差する様相、言い換えれば単なるイメージの集積庫ではなく、いわば出来事(・・・)としての「少年雑誌」のありように本論が注目していることを示すための造語である。

 まず用語の説明であるが、本論で言う<少年>とは、テクスト分析的な雑誌論が主として対象とするような、物語(小説・マンガなど)の登場人物としての<少年>ではなく、また読者論的雑誌分析が対象とするような「実態」としての<少年>読者でもなく、「少年雑誌」の作り手によって仮想された読者(・・・・・・・・・・・・・・)としての<少年>である。

 従来の「児童文化」研究で少年雑誌が素材として取り上げられる場合、そこに掲載された読物(小説やマンガなど)や記事、投稿=テクストに「描かれていること」を抽出し、その媒体特性や作家の思想を示す、という方法が一般的であるが、これは特定の作者による物語の登場人物としてであれば、まだ作者の「作風」などにその特徴を還元して説明することができるが(いわゆる「作家論」)、その物語が掲載されている雑誌媒体の特性へと類推的に敷衍することは、分析者の恣意が入る余地を大いに残してしまうし、雑誌と掲載作品との関係についても恣意的な解釈をしてしまう危険性を伴うので本論ではこれを採らない。一方、近年注目が集まっている「読者/読書行為論」は、ある歴史的地点における個別のメディアの読書(行為)形態を記述するものであり、本論と相互を否定するというよりも、むしろより大きな「雑誌空間」の違った界面を記述しているとも言える。読者としての<少年>に注目するとはいえ、本論はあくまで「実態」ではなく、「作り手によって仮想された身体としての<少年>読者」にこだわるため、純粋な意味での「読者論」ではないが、その代わりに以下に述べる利点を持っている。

(1)固有名を伴った雑誌の特性ではなく、「少年雑誌」という媒体そのものの特性について考察ができること

 これは、複数の「少年雑誌」を比較する上での利得である。テクスト分析的な手法で雑誌の比較分析を行う場合、どうしても「書かれた/描かれた内容」に重点が置かれるため、その意味内容(イデオロギー)で判断してしまいがちなのだが、本論のように「作り手によって仮想された読者」としての<少年>に注目すると、作り手の思想そのものはイデオロギー的に対立しているように見えても、<少年>読者への態度(距離のとり方や、メッセージの送り方)においては同じ平面にあることが見つかったりする。さらに、メッセージのやりとりの「形式」に注目するこの視角からは、複数雑誌間でのその「形式」の起伏や濃淡、あるいはそのやりとりそのものへの信憑などを(擬似的にではあるが)立体的に示すことができ、同時代の複数雑誌の比較のみならず、時代的な変容過程を示すことができ、「少年雑誌」というメディアそのものの社会的・歴史的特性を浮かび上がらせることもできるようになる。

 そのため、本論は固有名を伴った雑誌の特徴を叙述する「単体雑誌論」とはならない。単一の雑誌のことを説明しようとすると、物質性の異なるメディアの比喩を用いなければならない場合も出てくるが、本論はあくまで「少年雑誌」という媒体(メディア)そのものの特性を、事例として取り上げる個々の少年雑誌間の同時代的/歴史的差分から浮かび上がらせようとするものである。本論の副題に「メディア史/論的考察」とあるのも、こうした視角から「少年雑誌」を捉えようとしていることを示すものである。

(2)小説や童話とマンガという「作品」レベルの相違を越えて、すなわち「少年雑誌」のコンテンツの違いを越えて、歴史的な観点から考察ができること

 これは本論が二部構成となっていることと関わっている。時期としては第一部が20世紀前半から十五年戦争期まで、そして第二部が敗戦後から1980年代までなのであるが、本論で取り上げる「少年雑誌」はこの二つの期間で、主軸となるコンテンツ(掲載作品)の表現技法が小説・童話などの活字ものからマンガへと大きく変化している。物語上の<少年>イメージを抽出するという視角を採った場合、活字テクストにしても分析者の恣意が入り込みやすいわけだが、表現技法上全く異なるマンガの場合、さらにその危険性が高まる。本論の視角は、あくまで作り手が「読者」として想定した<少年>に照準しているので、この変化は副次的なものとして処理することができる。さらに言えば、「読者」としての<少年>に照準していればこそ、このコンテンツの変化そのものが「少年雑誌」の出来事として記述されることになり、ひいては<少年-雑誌>の構造的変化の指標として確認することができるのである。

 こうした点で本論は純粋な「読者論」ではないが、コミュニケーションの「形式」の変容を探りながら、<少年>と<雑誌>とが交差する様相を出来事として描き出すことに認識利得を見出すものである。

 最後に本論の構成について説明する。序において課題と方法を示した後、第一章「桃太郎の二つの身体」では、<子ども>が「未熟な現在」と「将来の成長」という二面性において価値を見出され(第一節)、同時に「読物による教育」の対象として浮上してくる様相を記述する。将来の成長を期待されるがゆえに、未熟な現在の状態は「保護」の対象ともなり、また「自主的」な成長を促される対象ともなる(第二節)。そして、読物のメッセージを「白紙」の状態で受け取る「読者」としての<子ども>へのまなざしは、同時に与えるべき「読物」への関心へと連結され、少年雑誌における「教育」の重要性を認知する支えとなっていく(第三節)。

 第二章「少年雑誌という場(メディア)」では、明治半ばから昭和初期までの少年雑誌の変遷を辿りながら、雑誌の「教育」的機能への信憑が多層化していく様相を記述する。公教育の「補助」媒体から「娯楽」的な媒体へと多様化していく少年雑誌(第一節)は、大正半ばの時期に、少年読者の自主的な努力によって「理想」に向かって「成長」していくことを鼓舞する「大衆的児童文学」の流れ(第二節)と、綴方や童謡という形式で「無垢なるもの」の表現者が保護され賞賛される「芸術的児童文学」の流れ(第三節)へと分岐していく。

 第三章「想像の教導体」では、明確な「教化」意識に基づいた少年雑誌の様相を昭和初期のプロレタリア児童文学運動の実践から描いた(第一節)後、1930年代の不況下で醸成された反「商業主義」的な歴史観・雑誌観が、やがて官民一体となった「悪書」追放の運動へと結実していく様相を展望し(第二節)、20世紀前半の少年雑誌が共有していた<少年>読者観および<雑誌>観を総括する(第三節)。

 第四章「少年雑誌という思想(メッセージ)」では、戦後の少年雑誌がかつての「教育的」まなざしを徐々に希薄化させていく様相を描く。読者の投稿が誌面の重要な構成要素となった『漫画少年』(第一節)は、作品によって読者にメッセージが届けられるというよりも、少年雑誌という媒体自体がひとつのメッセージになることを示す先例となった。1960年代の『少年マガジン』はその傾向をより強くし、「劇画」の積極的な導入(第二節)によって、読者とともに「成長」するという、従来には見られなかった独特の雑誌空間を編制するにいたった(第三節)。

 第五章「消費される少年雑誌」は、徹底した読者アンケートに基づく誌面構成を行う1970年代の『少年ジャンプ』が、<少年>の永遠の成長を描くことになった経緯と、それに伴う「作者」の消失(第一節)、さらには「編集者」の機能が透明化することで、20世紀的な<少年-雑誌>のありようが大きな転換点を迎えている様相を描く(第二節)。

 以上のように本論は、かつて「教育」的な機能を充満させていた少年雑誌というメディアが、<少年>読者へのまなざし、および<雑誌>という媒体への信憑の変化とともに、そのイデオロギー性を希薄化させつつ変容してきた過程を描いたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、近現代日本における少年雑誌の歴史を、主にその作り手となった人々の側から丹念に跡づけつつ、「少年」という主体が、近現代日本のメディア文化のなかで言説戦略上の対象/読者としていかに位置づけられ、「雑誌」という媒体と結びついて機能してきたのかを明らかにした労作である。瓜生氏は、これまで児童文学研究などでの少年雑誌の分析が、しばしば読物や記事の内容の分析に終始してきたことを批判し、むしろ「少年」と「雑誌」の関係自体の歴史的・社会的探究を目指す。雑誌の作り手が読者としての「少年」をどう概念化していたのかに注目し、「雑誌」というコミュニケーション形式を同時代的/歴史的に比較する中からメディアとしての少年雑誌の変容過程を明らかにしようと試みている。

 論文は、序において概念設定と方法論を提示した後、第一章で、文学や教育の言説における「児童」や「少年」の扱われ方に焦点を当て、それらが「保護」ないしは自発的な「成長」を促される対象とされ、また読物のメッセージを「白紙」の状態で受け取る「児童/少年」という観点から、「読物による教育」の重視されるようになっていった過程が示される。

 第二章では、明治中期から昭和初期までを扱い、少年雑誌の教育的機能への信憑が多層化していく展開が記述されている。公教育の補助媒体から娯楽媒体へと多様化していく少年雑誌は、大正半ば、少年読者の自主努力で成長することを鼓舞する「大衆的児童文学」と、綴方や童謡という形式で「無垢なる」児童を保護する「芸術的児童文学」の流れへ分岐する。しかし両者には、雑誌の強力な教育機能と読者の「透明」な身体への信憑が共有されていた。

 第三章では、昭和初期のプロレタリア児童文学運動を論じた後、1930年代に醸成された反商業主義的な歴史観・雑誌観が、やがて官民一体となった「悪書」追放の運動へと結実していく様相を展望し、この時代の少年雑誌が共有していた「少年」読者観を総括している。

 第四章では、戦後、「少年」と「雑誌」の結合が溶解していく様相が示される。読者のマンガ投稿が誌面の重要な構成要素となった『漫画少年』は、作り手に読者を一方的に措定することを断念させ、『少年マガジン』は、劇画の積極的な導入によって読者と共に雑誌が成長する関係を組織する。さらに第五章では、徹底した読者アンケートに基づいた誌面構成を行う70年代以降の『少年ジャンプ』が、編集者機能を透明化させる過程として論じられる。

 以上のように、本論文は、戦前の児童・少年文学から戦後の少年マンガまでを通底する視座に収め、一貫した実証的論証を展開している。雑誌の雑種性や市場の力についての分析などについての検討がまだなお発展可能性を残しており、現代を扱った第五章の論述がやや平板になってしまった点、一部に定義がやや曖昧なまま用いられている概念があることなど、若干の難点は指摘されたが、単なる内容分析でも読者論でもなく、言説が存立する認識論的な地平における少年雑誌の連続性と非連続性を綿密に検証している点は高く評価でき、新しい研究領域を開拓するものと認められる。よって本審査委員会は、本論文の学術的意義を高く評価し、全員一致で博士(社会情報学)の学位を授与するに値するものと認定した。

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