学位論文要旨



No 119795
著者(漢字) 高,媛
著者(英字)
著者(カナ) コウ,エン
標題(和) 観光の政治学 : 戦前・戦後における日本人の「満洲」観光
標題(洋)
報告番号 119795
報告番号 甲19795
学位授与日 2005.02.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 博人社第469号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 姜,尚中
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 助教授 北田,暁大
 東京大学 教授 木下,直之
 東京大学 助教授 佐藤,健二
内容要旨 要旨を表示する

 本論では、従来の先行研究で充分検討が行われてこなかった「観光の政治性」に迫り、日露戦争終結の翌年(一九〇六)から現在に至るまで、戦争や植民地支配の歴史と因縁の深い「満洲」への日本人の観光に焦点を当て、「帝国圏」の膨張と崩壊に伴う「観光圏」の伸縮過程を辿りながら、観光という「磁場」で錯綜する複数の権力の伝達回路を浮かび上がらせ、「観光を取り巻く政治」と「観光の生み出す政治」の両面を明らかにしていきたい。

 本論が考察の舞台として「満洲」を選んだのは、次の二つの理由からである。

 ひとつには、満洲は、日清戦争(一八九四〜九五)、日露戦争(一九〇四〜〇五)から、関東州領有(一九〇五〜四五)、満洲事変(一九三一)、「満洲国」建国(一九三二〜四五)、ソ連軍侵攻(一九四五年八月九日〜八月一五日)、引揚げ(一九四五年八月〜)へと続く、帝国日本の膨張と収縮をめぐる、戦争と植民の歴史が畳み込まれた地域であるからである。台湾や朝鮮半島など植民の歴史がつまっている地域と比べれば、満洲は、租借地としての「関東州」(準植民地)と、傀儡国家としての「満洲国」(間接統治)という二つの統治形態が存在し、と同時に、明治以来の度重なる重要な戦いの戦場でもあった。したがって、戦前・戦後における満洲観光の変遷に焦点を当てることによって、観光の包摂する政治性を「帝国圏」の伸縮との関係のなかで通史的に抉り出すことができるだけでなく、植民、間接統治、戦争など、「帝国圏」の多様性と特質を析出することもできるからである。

 もうひとつには、満洲は、戦前においては、「西洋」/日本/中国の「三つの近代」が重層的に拮抗しあうトポスであり、戦後では、戦争と植民地をめぐる日・中・米間のさまざまな記憶のコンフリクトを誘発する「震源地」でもあった。このように「満洲」は複雑な力学によって押し上げられた歴史の褶曲面であるだけに、この地域をめぐる記憶も、何層にも積み重なり、また激しい凹凸を呈しているのである。これは、満洲の表記――「満洲」、「『満洲』」(括弧付き)、「旧満洲」、「偽満」、「中国東北地方」――の煩雑なほどの不統一性からもうかがうことができよう(この点については、台湾や朝鮮半島より、満洲の方がより顕著だといえる)。複数の歴史、複数の心象地理がせめぎあい、きしみあう「戦場」である満洲に、分析地域を設定することによって、従来平面的にとらえられがちな、ホストとゲストの関係を立体的に組み直し、観光における各ファクター間の共時的な相互作用のダイナミズムを描き、観光研究の持つ豊富な批判的な可能性を生かすことができる、という利点がある。

 「重なりあう領土、からまりあう歴史」の結節点としての「満洲」、そしてこの満洲を舞台に繰り広げられてきた観光の一世紀――これを題材として、本論は、戦前/戦後、「西洋」/日本/中国という、時間と空間の二重の視点の間を「往還」し、「観光の政治学」というテーマ性の持つ奥行きと広がりを切り拓いていきたい。

 本論は、序章と終章を除き、戦前(第一章から第五章まで)と戦後(第六章から第八章)の二部、八章の構成となっている。

 まず、序章においては、先行研究を検討し、戦前と戦後における日本人の「満洲」観光を「帝国圏」と「観光圏」との関係のなかで検討する視座を示す。

 第一部の戦前篇は、第一章から第五章までの五章からなっている。

 具体的に、第一章では、満洲観光誕生の年・一九〇六に焦点を当て、実業家による「満韓利源調査」、東京大阪両朝日新聞社主催の「ろせった丸満韓巡遊」、陸軍省・文部省共催の満洲修学旅行などを取り上げ、戦地から視察地、そして観光地への変貌を跡付けてみた。

 続いて第二章では、軍政から民政に移行した満洲で、満鉄や、ジャパン・ツーリスト・ビューロー大連支部、満蒙文化協会などの観光斡旋機関の盛んな活動や、文化人の満洲旅行という権威的な満洲想像を生産するシステムなど、満洲観光を支える「制度」に迫った。

 第三章では、内地における一九三〇年代の「国際観光」政策の展開に焦点を当て、日本(内地)と「外地」、「欧米先進国」と「東洋の弱小国」の間に繰り広げられた複数の観光の流れを交差させ、折り重なる「帝国圏」と「観光圏」の関係を明らかにした。

 第四章では、戦前の満洲観光客の七割から八割を占める修学旅行の歴史を概観した上で、とりわけ、その実施システムにスポットを当て、政府側の思惑や、学校側の考え、満鉄の特恵制度など、修学旅行を取り巻く政治性を中心に考察を行った。

 第五章では、満洲国建国後まもなく発足した観光バスを取り上げ、観光バスが廻る満洲の諸都市で上演された「劇場帝国」の入り組んだドラマトゥルギーを「聖地」「展望台」「盛り場」「歓楽郷」の四幕ものの舞台として解析した。戦前における帝国と植民地との間の非対称的な権力関係のもと、日本人観光客(ゲスト)/在満日本人(「代理ホスト」)/満洲のネーティブ(ホスト)の三者のまなざしの重層的な構造のなかで行われていました。

 第二部の戦後篇は、第六章から第八章までの三章からなる。

 まず、第六章では、戦後の満洲引揚者のなかで醸成された、失われた「故郷」満洲へのノスタルジーに注目し、その形成要因を「楽土から奈落へ」という分裂された敗戦経験や、戦後社会との葛藤の中で探った。

 第七章では、八十年代以降、本格的に始まった満洲観光の変遷を追跡し、満洲体験者による郷愁と慰霊の二大テーマの消費や、旅行社側による「疑似郷愁」の生産、歴史観をめぐる「記憶の内戦」の満洲での戦線拡大など、記憶産業としての満洲観光について分析した。

 第八章では、観光客を受け入れる中国側にスポットを当て、愛国教育と観光市場との交差のなか、「被害者」としてのホストが、失われた帝国の記憶を求めに来たゲストと、どのような応酬が繰り広げられているかを観察し、まなざしの抵抗、接近、流用の三つのパターンにカテゴライズして考察を行った。

 終章では、戦前と戦後の両時期を貫く満洲観光の連続性を抽出し、政治イベントとしての観光を、帝国の巡礼と「社会劇」の二つの視点から論じる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、戦前の日本人の「満州」観光に光を当て、「帝国圏」の膨張と崩壊にともなう「観光圏」の伸縮過程を辿りながら、観光という「磁場」で成立する複数の権力の伝達回路を浮かび上がらせ、「観光を取り巻く政治」と「観光の生み出す政治」の両面を明らかにしようとするユニークな歴史社会学的研究である。

 「西洋」/日本/中国の「三つの近代」が重層的に拮抗する満州にスポットを当て、その観光をめぐるポリティクスを帝国圏の空間的な伸縮との関係で浮き彫りにしょうとする本論文のプロジェクトは、ほとんど先行研究のない未踏の領域への学問的挑戦であり、その豊富な資料やデーターの渉猟と解析とともにきわめて高く評価すべき学問的水準を達成している。

 さらに特筆すべきは、本論文では、観光という磁場の成立を、「ゲスト(ツーリスト)」「代理ホスト(コロニスト)」「ホスト(ネイティブ)」の三者が織りなす重層的なせめぎ合いのプロセスとして描くことで、帝国と植民地との間のヘゲモニーの動態的な分節化にかなりの成功を収めていることである。

 以上のような本論文の独創性と実証性および理論的な水準などを総合的に勘案し、本論文は博士号(社会情報学)授与に値する研究であると判定するに至った。

 以下、「満州国」の成立を画期としてその前後とそれ以後を扱った第一部(第一章から第四章まで)と、第二部(第五章から第八章まで)について概要を明らかにしておきたい。

 満州観光の前史を扱った第一章では、満州のイメージが「辺界」から「富源」へと転換し、その情報源が拡大するとともに「帝国のまなざし」が誕生していく経緯が歴史社会学的に述べられている。

 第二章は、豊富な資料を駆使して「ろせった丸満韓巡遊」と「満州合同修学旅行」のふたつの事例を取り上げ、「満州観光誕生」の具体的な歴史に迫っている。

 第三章では、満州観光の担い手に焦点を絞り、在満観光機関や観光産業が満州観光をどのように組織し、演出していったのか、そのディティールを明らかにするとともに、さらに文化人の満州観光の具体例を丹念に拾い上げ、満州観光が国民の中に浸透していく経緯を浮き彫りにしている。

 第四章では、内地・朝鮮・満州を周遊する観光イメージの生成を、当時の遊覧券とその販路を手がかりに具体的に明らかにし、さらに満州旅行がブームとなり、地方都市にまで拡大、浸透していくプロセスを、地方新聞や旅行社、旅行会の記録などによって記述し、満州観光隆盛の断面を鮮やかに描き出している。

 第二部の第五章は、「満州国」の成立を契機とする「満蒙狂」といわれるほどの旅行ブームの到来を、発掘された貴重な日記や観光聨盟協会の活動などを素材に鮮やかに浮き彫りにしている。

 ツーリズムにおけるゲストとホストの関係を演劇論的な関係に置き換えながら、観光バスがめぐる満州諸都市で上演された「劇場帝国」のドラマトゥルギーを展開している第六章の「「楽土」を走る観光バス」は、本論文の白眉であり、最も読みごたえのあるチャプターになっている。

 第七章では、満州観光を通して日本が、「西洋」に対する「代理ホスト」の役割を果たしつつ、アジアに対して「西洋」の「エージェント」の役割を引き受けていった、その両義性にスポットを当て、満州観光の重層的な意味を明らかにしている。

 第八章は「満州国」崩壊後、引き揚げ者の中で醸成されたノスタルジーに注目して、戦後の中で旧満州観光がもった複雑な意味を論じ、今後の新しい研究課題につなげている。

 以上が全体の要旨であるが、資料の精度に若干の修正を必要とする箇所が2、3あるとはいえ、博士論文としての学問的な水準はきわめて高く、よって、審査委員会は本論文が博士(社会情報学)の学位に値するものとの結論に達した。

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