学位論文要旨



No 119800
著者(漢字) 小渡,康行
著者(英字)
著者(カナ) コワタリ,ヤスユキ
標題(和) 脳左向き斜め顔は顔の認識に関与する脳皮質領域を強く賦活する
標題(洋) Dominance of the left oblique view in face recognition
報告番号 119800
報告番号 甲19800
学位授与日 2005.02.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2377号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 助教授 青木,茂樹
 東京大学 助教授 伊良皆,啓治
内容要旨 要旨を表示する

顔認知に関わる脳内神経機構に関して、これまでに実験動物や人を用いた多数の報告があり、紡錘回(Fusiform gyrus) 領域が関わっていることが示されている。本研究においては、顔認知の過程において、人間の顔の向きがどのような影響を与えるかを調べることを目的とした。これまでに、肖像写真や、肖像絵画など、さまざまな媒体において、1人の肖像の5つのポーズ(左向き横顔、右向き横顔、左向き斜め顔、右向き斜め顔、正面向き)の出現頻度を比較した研究によると、左向き斜め顔が他の向きの顔より有意に出現頻度が高いという複数の報告がなされている。

しかし、顔の向きによる認知の反応時間については、すでに多数の研究があるが、斜め向きの顔の認知が正面あるいは横顔の認知よりも早いという報告と、向きによる差はないと言う報告の両方があり決着がついていない。

相反する結果を生じる要因の一つとして、これまでの刺激方法では、斜め向きと正面向きでは明らかに画像そのものが異なってしまい、反応の差を「向き」だけの違いに帰することはできないということが考えられる。そこで本研究では、すべての顔の向きにたいする反応の違いを調べるというのではなく、左および右斜め顔のみに注目し、オリジナルの顔写真と、同数のそれらの左右を反転した写真の両方を刺激画像として用いた。この方法を用いると、同じ画像でありながら、左右の向きだけが違う状況を作ることができ、左右の向きの差だけによる反応の違いを検出することができると考えたからである。

さらに、心理学的実験により行動の差を検出し、脳の活動部位の差をfMRIを用いて測定することにより、行動と脳活動両者の相関をみることができると考えた。

1.心理学的実験

名前と顔のマッチング課題を用い、左右の斜め向き顔に対する正答率および、反応時間の差を調べた。右利きの正常健常者13人(女性6人、男性7人、19-35歳)が、被験者として参加した。刺激には右向き50枚、左向き50枚の、計100枚の有名人のカラー写真を用い、各々を鏡像反転させた写真を作成し両者を刺激に用いた。さらに顔写真を20x20分割しランダムに並べ替えてスムージングをかけた同サイズの画像をマスク画像として用いた。マッチング課題は、名前-顔の順序(name-face task)、および顔 名前の順序(face-name task)両方で行った。Name-face taskでは、名前の提示から500ms後に、どちらかの向きの顔写真(30-40ms)が提示され、その直後にマスク画像を提示し残像の影響を除いた。Face-name taskでは、顔、直後のマスク画像から平均500ms後に名前という順に提示した。1回の試行では100枚の中から左右25枚ずつ50枚の写真を選び、その反転画像とあわせて計100枚を提示し、顔と名前が一致しているかどうかを、マウスキーを押して答えさせた。これを2回くりかえす中で、同じ顔につき、1回は名前と一致し、もう一回は不一致になるように組み合わせを選んだ。さらに反応する手を左右交代させてこの2回の試行を行い、一人につき、4回の試行を行った。反転とオリジナル、名前との一致、回答に用いる手の左右はカウンターバランスをとった。

データはmatched name-face trials, mismatched name-face trials, matched face-name trials, mismatched face-name trialsの4つにグループ化し解析を行った。まず、右向きと左向きの顔に対する正答率に差があるかを、比率の検定でしらべた。結果は、Name-face taskでのみ、左向きが右向きより有意に正答率が高かった。

また、正当時の反応時間に左右の顔で差があるかをpaired-t検定で調べた。matched trialではname-face taskでもface-name task でも、左向き顔のほうが右向き顔よりも反応時間が有意に短かった。しかし、mismatched trialでは、name-face taskでもface-name task でも有意な差は見られなかった。

さらに、以下の5つの因子にたいして分散分析(ANOVA)を行った:1、被験者、2、顔の左右、 3、提示順(同じ顔の写真が、反転も含めて4回提示されている)、 4、写真のタイプ(反転かオリジナルの写真か)、 5、回答した手の左右。その結果、このANOVAによる検定でも、matched trialではface-name task, name-face taskともに顔の左右の向きで有意差が見られた。なおこの因子の他に、被験者による差と、提示順による差が4つのグループ全てにおいて認められた。回答に用いた手の左右はmismatched trials と face-name task のmatched trialsの3つのグループにおいて、有意な差を示した。 写真のタイプ(オリジナルか反転か)はどのグループにおいても有意な差を示さなかった。

さらに、この心理物理実験で得られた反応の差が、何らかの脳活動の違いに反映されているかどうかを調べるために、fMRIにより、左向き斜め顔と右向き斜め顔を見た際の脳活動に差があるかどうかを調べた。

2.機能的磁気共鳴画像(fMRI)実験

12名の健常被験者(男性5名、女性7名、20 35才)について、刺激画像提示に伴うBOLD信号変化を静磁場強度3TのMRI装置を用い、エコープラナー法により撮像を行った。刺激としては右斜め向き、または,左斜め向きの顔を500ms提示し、その後注視点を12sec提示した。被験者には、提示された顔を知っているかどうか考えるよう指示した。MRI画像はSPM99を用いて解析し、左右の斜め顔を見たときの脳活動の差12人分をRandom effect modelを用いて調べた。

左斜め向き顔を見た時の、BOLD信号が有意に上昇した領域は、前頭前野(BA45,46)、右紡錘回(BA37)、両側帯状回(BA32)、右側下部頭頂葉(BA7,19,39)であった。

右斜め顔でも、右前頭前野、右側紡錘回、左下部頭頂葉に、血流増加がみとめられた。これは左斜め顔とほぼ同じ場所であるが、左と比べて狭い範囲にしか血流増加域が認められなかった。

さらに、右下部頭頂葉、右前頭前野において、左斜め向き顔を見た時のほうが、右斜め顔を見た時より有意に強い磁気共鳴信号の増強がみられ、これはpaired-t testにより有意であった。顔認知に関わっているといわれている紡錘回や、上側頭回(STS)では、左右の向きによる活動の差は見られなかった。

逆に右斜め顔に対して左斜め顔よりも血流増加が多かった領域は認められなかった。

この実験で用いた刺激において、目や口、鼻などは注視点から左右1.3度という狭い範囲内に入っている。この視野角では網膜情報は両側の視覚野に投射すると言う報告もあり、視野による違いにより左右の向きに対する反応の違いを説明できるとは思われない。

前頭前野および、下頭頂葉は記憶の想起に関連しているとの報告がある。提示された顔を知っているかどうか考える、という課題の遂行に際して、これらの領域が、左斜め顔のときに有意に強い活動を示したということは、左斜め向き顔の方が、その人物の記憶からの想起を有利にしている可能性がある。

この、左右の斜め顔に対する、前頭前野および、下頭頂葉の非対称な活動が、肖像における左向き斜め顔の優位な出現頻度や、心理実験における左向き斜め顔に対する反応時間の短縮の原因に関係している可能性がある。

これまでに、肖像に左顔が多いということは数多く報告されてきているが、その理由は仮説の域にとどまっていた。この研究は、これに対し初めて、客観的な理由となりうる心理的事象および相関する脳活動を発見したものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、肖像は左向き斜め顔で表現される頻度が有意に高いという事実にもとづき、人間の社会的活動にとって不可欠な脳機能である相貌認知をより詳細に明らかにするため、左斜め向き顔と右斜め向き顔にたいする人間の相貌認知活動に違いがあるかを、心理学的および神経学的に調べたものであり、下記の結果を得ている。

1.心理学的研究において、名前と顔の一致を答えさせるmatching課題を用いて、顔の認知に要する時間を調べたところ、左向き顔のほうが右向き顔よりも正解を得るまでの反応時間が有意に短かった。

2.fMRIを用いて、左斜め向き顔と右斜め向き顔をみたときの脳活動の違いを調べたところ、右前頭前野、右下頭頂葉において、左斜め向き顔を見たときに右斜め向き顔よりも有意に脳血流が大きく上昇することが見出された。この2つの領域は、これまでの研究において、顔の記憶の想起に重要な働きをしていることが報告されている。それに対し、右顔を見たときに左顔よりも有意に血流が大きく上昇する脳領域はなかった。

以上、本論文は左斜め向き顔の相貌認知における右斜め向き顔に対する優位性を、心理学的、神経学的に明らかにした。本研究は、これまで仮説の域にとどまっていた、肖像に左顔が多いということの理由について、初めて客観的な理由となりうる心理的事象および相関する脳活動を発見したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク