学位論文要旨



No 119802
著者(漢字) 桑原,公一郎
著者(英字)
著者(カナ) クワバラ,コウイチロウ
標題(和) 内皮細胞におけるRyk2を介した遊走と増殖の相異なる制御機構
標題(洋) Differential Regulation of Cell Migration and Prohferation through Pyk2 in Endothelial Cells
報告番号 119802
報告番号 甲19802
学位授与日 2005.02.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2379号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

 血管発生(vasculogenesis)及び血管新生(angiogenesis)において,内皮細胞の遊走と増殖は重要な役割を担っており,焦点接着キナーゼ(focal adhesion kinase, FAK)ファミリーの非受容体型タンパク質チロシキナーゼであるproline-rich tyrosine kinase 2(Pyk2;CAKβ, RAFTK, CADTK, FAK2)は,遊走と増殖という相異なった細胞機能の各々において重要な働きをしていると考えられている.そこで,野生型ならびに変異型のPyk2蛋白をアデノウィルス・ベクターによってヒト臍帯静脈血管内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell, hUVEC)及びヒト皮膚微小血管内皮細胞(human dermal microvascular endothelial cell, hMVEC-d)に過剰発現させ,Pyk2が細胞遊走と細胞増殖を制御する機構について検討した.野生型Pyk2を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2のほか,その自己リン酸化チロシン残基を置換したPyk2変異体(Pyk2Y402F)を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2Y402F,及びそのチロシンリン酸化酵素活性を不活化させたPyk2変異体(Pyk2K457A)を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2K457Aを作製し,実験に用いた.対照として,アデノウィルス非感染細胞及びAxCAまたはAd5dlxを感染させた細胞を用いた.

 hUVEC及びhMVEC-dに対しAxCA-Pyk2Y402Fまたは AxCA-Pyk2K457Aを30 multiplicity of infection(MOI)で感染させると,AxCA-Pyk2を3 MOIで感染させた場合と同程度の細胞内Pyk2発現が得られることが,抗Pyk2抗体を用いたウェスタン・ブロットによって確かめられた.また,AxCA-Pyk2を感染させた内皮細胞や非感染細胞をstromal-derived factor-1α(SDF-1α)で刺激すると,extracellularly regulated kinase 1/2(ERK1/2)の活性化が促進されたが,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2K457Aを感染させた細胞では,SDF-1α刺激によるERK1/2の活性化が認められなかった.

 細胞遊走の実験は,Boydenチャンバー法を用いて行った.AxCA-Pyk2Y402Fを感染させたhUVECでは,非感染細胞またはAxCAを感染させた細胞と比較して遊走が促進され,その遊走促進効果は3から30 MOIの範囲で濃度依存性を示した.AxCA-Pyk2Y402Fを30 MOIで感染させたhUVECの遊走促進効果は,AxCA-Pyk2を3 MOIで感染させた場合と同程度であった.これに対し,AxCA-Pyk2K457Aを感染させたhUVECでは,対照の細胞と比較して遊走能に有意差が認められなかった.これらの結果と同様の効果がhMVEC-dを用いた実験においても確認された.

 細胞内情報伝達については,ウェスタン・ブロット法及び免疫沈降法を用いて調べた. Pyk2はその分子内にリン酸化されうるチロシン残基を4つ有している(Pyk2 Y402, Pyk2 Y579, Pyk2 Y580及びPyk2 Y881).各々のリン酸化チロシン部位に対する特異的抗体を用いてウェスタン・ブロッティングを行ったところ,アデノウィルス非感染hUVECにおいてSDF-1αまたはvascular endothelial growth factor(VEGF)による刺激でPyk2 Y402及びPyk2 Y881のリン酸化が明瞭に増強されたが,Pyk2 Y579及びPyk2 Y580のリン酸化は明瞭に検出されなかった.このことは,SDF-1αまたはVEGFによって刺激される経路に対して,Pyk2 Y402及びPyk2 Y881が主に関与している可能性を示唆している.また,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させたhMVEC-dにおいてPyk2 Y881のリン酸化の増強が認められたのに対し, AxCA-Pyk2K457Aを感染させたhMVEC-dではPyk2 Y881のリン酸化の増強は認められなかった.なお,Pyk2 Y579及びPyk2 Y580のリン酸化の増強は,いずれのPyk2変異体を過剰発現させた内皮細胞においても認められなかった.インテグリンの下流にあるシグナル伝達系を仲介するアダプター蛋白であるp130Casは,その分子内にSrc homology 3(SH3)領域を有し,FAKやPyk2のプロリン繰り返し配列と特異的に結合し,FAKを介する細胞遊走において重要な役割を担っていることが知られている.そこで,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させたhMVEC-dの溶解物を, p130Casに対する抗体で免疫沈降させた後,抗Pyk2抗体を用いてウェスタン・ブロッティングを行ったところ,対照と比較して反応の増強が認められ,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させた内皮細胞におけるPyk2とp130Casとの複合体形成の促進が示唆された.AxCA-Pyk2K457Aを感染させたhMVEC-dでは,そのような増強効果は認められなかった.これらの結果を細胞遊走の実験結果と照合することにより,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させた内皮細胞において,Pyk2 Y881のリン酸化及びPyk2とp130Casの複合体形成を介する情報伝達が,内皮細胞の遊走促進に重要であることが示唆された.

細胞増殖については,3-(4,5-dimethyl-2-thiazolyl)-2,5-diphenyl-2H-tetrazolium bromide(MTT)ホルマザン法の変法である2-(2-methoxy-4-nitrophenyl)-3-(4-nitrophenyl)-5-(2,4-disulfophenyl)-2H tetrazolium monosodium salt(WST-8)ホルマザン法を用いて検討した.AxCA-Pyk2を3 MOIで感染させたhMVEC-dの増殖は,AxCAを30 MOIで感染させた細胞と比較して有意に抑制された.AxCA-Pyk2を10 MOI以上でhMVEC-dに感染させたところ,明らかに細胞障害が誘導された.しかし,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2K457Aを30 MOIで感染させたhMVEC-dの増殖は,AxCAを感染させた細胞と比較して有意差が認められなかった.これらの結果から,Y402F及びK457Aの変異は共に野生型Pyk2の増殖抑制作用を解除したと考えられた.

 以上の実験結果によって,Pyk2の介在する情報伝達は内皮細胞の遊走及び増殖の両者に関与しているが,これら2つの細胞機能を相異なった機構で制御していることが示された.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は.細胞の遊走と増殖という相異なった細胞機能において重要な働きをしていると考えられているproline-rich tyrosine kinase 2(Pyk2)がその各々の機能を制御する機構を明らかにする目的で,野生型Pyk2を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2のほか,その自己リン酸化チロシン残基を置換したPyk2変異体(Pyk2Y402F)を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2Y402F,及びそのチロシンリン酸化酵素活性を不活化させたPyk2変異体(Pyk2K457A)を発現するアデノウィルス・ベクターであるAxCA-Pyk2K457Aを作製し,これらのアデノウィルスを感染させることによって野生型または変異型Pyk2を発現させたヒト臍帯静脈血管内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell, hUVEC)及びヒト皮膚微小血管内皮細胞(human dermal microvascular endothelial cell, hMVEC-d)を用いて,内皮細胞の遊走及び増殖に対するPyk2の作用に関する検討を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.Boydenチャンバー法による細胞遊走実験の結果,AxCA-Pyk2K457Aを感染させたhUVECでは,非感染細胞またはAxCAを感染させた細胞と比較して遊走能に有意差が認められなかったのに対し,AxCA-Pyk2Y402Fを感染させたhUVECでは,対照の細胞と比較して遊走が促進され,その遊走促進効果は3から30 multiplicity of infection(MOI)の範囲で濃度依存的であり,AxCA-Pyk2Y402F(30 MOI)の遊走促進効果はAxCA-Pyk2(3 MOI)と同程度であったことが示された(hUVEC及びhMVEC-dに対しAxCA-Pyk2Y402Fまたは AxCA-Pyk2K457Aを30 MOIで感染させると,AxCA-Pyk2を3 MOIで感染させた場合と同程度の細胞内Pyk2発現が得られることが,抗Pyk2抗体を用いたウェスタン・ブロットによって確かめられている).また,これらの結果と同様の効果がhMVEC-dを用いた実験においても確認された.

2.Pyk2の有するリン酸化されうるチロシン残基(Pyk2 Y402, Pyk2 Y579, Pyk2 Y580及びPyk2 Y881)の各々に対するリン酸化チロシン部位特異的抗体を用いたウェスタン・ブロッティングにより,アデノウィルス非感染hUVECにおいて強力な内皮細胞遊走増殖刺激因子であるstromal-derived factor-1α(SDF-1α)またはvascular endothelial growth factor(VEGF)による刺激でPyk2 Y402及びPyk2 Y881のリン酸化が明瞭に増強され,さらに,内皮細胞に対して遊走刺激作用を有するAxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させたhMVEC-dにおいてPyk2 Y881のリン酸化の増強が認められたのに対し,内皮細胞遊走刺激作用のないAxCA-Pyk2K457Aを感染させたhMVEC-dではPyk2 Y881のリン酸化の増強が認められなかったことから,Pyk2 Y881のリン酸化が内皮細胞の遊走促進に重要であることが示された.

3.インテグリンの下流にあるシグナル伝達系を仲介するアダプター蛋白であるp130Casに対する抗体で免疫沈降させたのち抗Pyk2抗体を用いてウェスタン・ブロッティングを行うことにより,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させたhMVEC-dにおけるPyk2とp130Casとの複合体形成の促進が示唆され,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2を感染させた内皮細胞において,Pyk2とp130Casの複合体形成を介する情報伝達が,内皮細胞の遊走促進に重要であることが示唆された.

4.2-(2-methoxy-4-nitrophenyl)-3-(4-nitrophenyl)-5-(2,4-disulfophenyl)-2H tetrazolium monosodium salt(WST-8)ホルマザン法による細胞増殖実験によって,AxCA-Pyk2を3 MOIで感染させたhMVEC-dの増殖は,AxCAを30 MOIで感染させた細胞と比較して有意に抑制されたのに対し,AxCA-Pyk2Y402FまたはAxCA-Pyk2K457Aを30 MOIで感染させたhMVEC-dの増殖は,AxCAを感染させた細胞と比較して有意差が認められず,Pyk2のY402F及びK457Aの変異は共に野生型Pyk2の増殖抑制作用を解除する可能性が示された.

 以上,本論文は野生型Pyk2あるいはY402FもしくはK457Aの変異型Pyk2を発現するアデノウィルス・ベクターを作製し,それらを内皮細胞に感染させて細胞遊走と細胞増殖に対するPyk2の作用を検討することにより,Pyk2の介在する情報伝達は内皮細胞の遊走及び増殖の両者に関与しているが,これら2つの細胞機能を相異なった機構で制御していることを明らかにした.本研究は,多様な細胞機能の制御に深く関与しているPyk2が各々の機能を制御する機構の解明に重要な貢献を成すと期待され,学位の授与に値するものと考えられる.

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