学位論文要旨



No 119805
著者(漢字)
著者(英字) Khomenko,Olga
著者(カナ) ホメンコ,オリガ
標題(和) 戦後日本における女性のアイデンティティ形成と商品広告
標題(洋)
報告番号 119805
報告番号 甲19805
学位授与日 2005.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第539号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 中井,和夫
 東京大学 教授 能登路,雅子
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 瀧田,佳子
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、第二次大戦後の復興期たる1950年代から高度成長を経て1970年代に至る三十年間における、日本女性のアイデンティティの形成と変遷をめぐる諸問題を、商品広告に現れた女性表象を手掛かりとして探求することを目的とする。

 アイデンティティ概念についての本研究の視角は、Symbolic Self-Completion Theory に依拠している。この理論では、人間が自己のアイデンティティを確立しようと欲する際、そのシンボルとなる商品を所有し利用することによって、それを達成できると考える。すなわち消費者にとって、商品広告は商品を選択する―実現すべき自己のアイデンティティを選択する―ために不可欠な手段である。他方、広告主にとって、商品広告は消費者の欲求を反映しつつ操作してより多くの商品を販売するための手段である。このとき、自己実現を欲する消費者の行動と、商品を販売しようとする広告主の行動とは、相互に規定し合う関係にある。その際商品広告は、消費者が実現しようとする理想的な自己像を反映する機能を持つのとともに、消費者の意識や行動を広告主の目的へと誘導するイデオロギー的な役割をも果たす。すなわち、商品広告の表象を分析することによって、消費者の主体的な欲望と、その欲望を誘導するイデオロギーとの、双方を同時に析出することができるのである。

 上述の視角に従い、本研究では、女性を読者とする『婦人公論』『女性自身』という二つの雑誌メディアを基本資料とし、それらが掲載する商品広告に現れた女性表象を分析することによって、戦後の日本女性のアイデンティティ形成における主体的な欲求のあり方と、そこに働くイデオロギー的特徴を考察する。その際、本研究は特に四つの商品―家電・化粧品・車・酒―の広告を研究対象として選択する。家電と化粧品は女性ジェンダーと結びついた商品であるのに対し、車と酒は男性ジェンダーと結びついた商品である。また、家電と車は世帯単位で購入する必需品であるのに対し、化粧品と酒は個人の楽しみとして消費する嗜好品である。すなわち四商品は、二つの対立軸によってそれぞれ他から区別される特徴を持ち、それらの広告分析を通して、女性のアイデンティティ形成をめぐる諸問題を多面的に考察することが可能になるのである。

 第一章では、家電広告に見る戦後日本の女性像を分析した結果として、専業主婦としての良妻賢母像が理想的な女性イメージとして確立する50年代半ばまで(第一期)、専業主婦イメージは相変わらずだが、重点が「妻」から「母」に移行する50年代後半から60年代前半まで(第二期)、専業主婦の規範に引きずられつつ、独身女性の姿が描かれ始める60年代後半(第三期)、そして、従来の専業主婦のイメージに捉われない多様な女性像が現れてくる70年代(第四期)という四つの時期に大別できることを明らかにした。戦後から70年代に至る全体を通して、家電広告に現れる女性のライフスタイルは、一つの単純なものから、より多面的で豊かな個性を持つ方向に進んだ。それらの女性像は、女性たちの現実の生き方の主体的な変化を反映しながら、女性の生き方の方向性を規定する力にもなり、そうした相互作用の中で、戦後日本の消費社会が成熟していったのである。

 第二章では、化粧品広告に見る女性像の変化を検討した。第二次大戦後、女性たちは法的・経済的・社会的な地位が高まるとともに、家族のためだけではなく自分自身の人生を生きる自由も得た。そこでその新しい「自分」のあり方を彼女たちは探求する必要があった。ゆえに50年代の女性像は、性的な解放も含めた開放感に溢れ、恋する女性といったイメージが強い。それに対し60年代に入ると、「中流」家庭の「レディ」「マダム」といったイメージが強くなる。ここでの化粧品は、恋やその目的としての結婚、家庭を手に入れるための道具的な機能を果たすことになる。だが60年代後半になると、当時の社会的規範を踏み外すような活発な女性像も登場するようになる。さらに70年代には、専業主婦に飽き足らずに自分の生きがいを探す女性像が現れる。この時期から化粧品は、単に男性を惹きつける道具ではなく、自分自身を開発する道具に変わっていくといえる。

 第三章では、日本で自動車生産が本格化し始めた50年代末から、高度成長を経て70年代末に至る三十年間に及ぶ、婦人雑誌上の自動車広告における女性像の変化を検討した。50年代末から60年代初めの婦人雑誌における車広告の特徴は、女性の「美しさ」というジェンダー的な表象が用いられていたことである。当時の家庭で財布の紐を握っていた主婦に向けて、車商品のイメージを高める役割を婦人雑誌の広告が引き受けたといえる。続いて「中流」家庭に一気に自家用車が普及する60年代半ばからは、都市の核家族向けの「ファミリーカー」の人気に応じて、女性像はもっぱら家庭の妻・母としての役割を引き受ける。次いで70年代になると、それまでの規範的な家族イメージ自体が変質し、女性の表象自体が多様化する傾向が見られる。それは、女性の生き方の理想像が、この時期に大きく変化したことと関係していると考える。

 第四章では、婦人雑誌上の酒広告の女性像の変化を追う。戦前、女性の飲酒は芸妓や酌婦など「醜業」と結びついたイメージが根強くあり、酒造業界が戦後女性消費者層を開拓するにあたり、そうしたイメージを打ち壊す必要があった。そこで50年代に女性向き商品として国産ワインが宣伝され、幸せな主婦と恋する女性という二種のイメージがワインと結び付けられた。恋・ロマンス・結婚というテーマは60年代の広告でも色濃い。だが60年代後半になると、専門職の女性がストレス解消のためにワインを飲むイメージのほか、ビールを飲む女性像も登場する。この変化は70年代にいっそう進み、女性イメージから既婚・未婚の区別が見えなくなる。主婦・「奥様」イメージの魅力の衰退に代わって、広告の中に氾濫するようになるのは、専門的な職業を持ちつつ自由な生活を楽しみ、しかもファッショナブルでセクシーな女性像である。

 上述の表象分析を踏まえて終章では、戦後日本女性の欲求・価値観の主体的な変化と、それを制約し誘導しようとする社会の支配的なイデオロギーとが、相互の媒介と矛盾を経ながら、女性のアイデンティティを形成・展開していく過程について論じた。その上で、戦後日本における商品とジェンダーの関係について考察し直した。

 第二次大戦後、日本女性たちは政治的・経済的・社会的・人格的な主体としての権利を獲得した。自己決定の主体となった女性たちは、社会変化に応じてライフスタイルを変える必要があった。その際商品広告は、新しい時代に見合った女性像の一つのモデルとして機能した。戦後から60年代まで、日本社会では物質的な豊かさへの願望が一貫し、豊かさと幸せはイコールなものとしてみなされ、結婚して幸福な家庭を築くことへの女性たちの願望が大きかった。商品をより多く所有することが幸せな家族のイメージと結びついた時代だからこそ、広告において、家庭の専業主婦の生活が女性の幸せの象徴として描かれたのである。だがそうした価値観は70年代に大きく転換する。日本社会が物質的な豊かさを実現したことで、「豊かな主婦」「幸福な家庭」像は女性にとって絶対的な目標ではなくなり、社会進出への願望が高まって、むしろ個人としてのステイタスを確立する方向へ女性たちは目を向け始める。そのような女性の欲求の転換とともに、広告表象も変化したのである。

 他方、広告に現れる女性像は、女性たちの欲望を操作しようとする社会の支配的イデオロギーをも反映している。高度成長期の「豊かな主婦」「幸福な家庭」というイメージのもと、女性が期待通りの役割を果たすとき、家族統合は安定し、生殖による労働力の再生産もうまい具合にコントロールされ、さらには企業社会や国家が望むような社会的安定が実現する。さらにオイルショック後、より安価な労働力として、パートタイムの女性労働の利用価値が企業社会にとって高まり、専業主婦を理想とする女性像は企業社会にも物足りないものになった。70年代以後の広告において女性の社会進出イメージが急速に広がったことには、そうしたイデオロギー的背景もある。こうした社会的イデオロギーと、女性の主体的願望との一致とずれを巧妙に計算しつつ、広告上の女性表象が作られたのである。

 上述の展開過程における広告の女性表象の変遷は、商品とジェンダーの関係の変化をも表現する。家電・化粧品=女性ジェンダー、車・酒=男性ジェンダー、という当初の図式は、高度成長期における商品の多品種化によって変化し、商品ごとに新たなジェンダーの分割線が出現していく。またかつて男性向けとされた商品にも女性の消費が拡大することで、ジェンダーの境界線は絶えず引き直されて行く。さらに70年代以降は、商品をめぐり男女ジェンダーの垣根が低くなる「脱ジェンダー」化、商品の細分化とともにジェンダーの新たな境界線が複雑に引かれていく新たな「ジェンダー化」、さらにジェンダーのあり方を規定する言説自体の変化、という三重の変化によって、商品とジェンダーの関係はさらなる錯綜を見せるのである。こうした傾向がいっそう進行する現在、女性のアイデンティティの行方についての考察は、今後の検討課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 ホメンコ・オリガ氏の学位請求論文『戦後日本における女性のアイデンティティ形成と商品広告』は、1950年代から高度成長を経て70年代に至る約30年間の商品広告を精密に分析しながら、戦後日本における女性のアイデンティティ構築と消費行動の関係を多面的に明らかにした労作である。近年、広告図像の分析は、社会学や美術史学、メディア研究などの領域で盛んになってきており、またジェンダー表象の視点から図像分析を進めた研究もみられるが、ホメンコ氏の研究は、戦後日本の30年以上に及ぶ長期的な変化を丹念に扱っていること、家電製品、自動車、化粧品、酒類という4つのジャンルに焦点を当てながら、戦後の消費経済と文化的アイデンティティの関係を、幅広く浮かび上がらせていることなどの点で、これまでの既存の研究の地平をさらに拡張するものである。

 ホメンコ論文が目指しているのは、戦後日本の女性のアイデンティティの変容を、広告表象におけるジェンダーの描かれ方の変化から浮き彫りにしてゆくことである。そのために、ホメンコ氏は、女性が欲望の主体として広告を見つめ、商品との関係で自己のアイデンティティを形成していく側面を重視しつつ、そうした欲望の主体のポジションが社会的に位置づけられていく面にも留意している。そのために、彼女はウィクランドとゴルウィッツアーによるSymbolic Self-Completion Theory を基礎に、人間がシンボルとなる商品を消費することで自己のアイデンティティを構築していく過程を分析しながら、消費者の主体的な欲望と広告主が表現するイデオロギーとの相互作用を明らかにしようとしている。

 ホメンコ氏が分析対象として取り上げたのは、『婦人公論』と『女性自身』の2つの雑誌に掲載された広告である。これらの雑誌は、どちらも代表的な女性雑誌でありながら、その読者たちが生活パターンや年齢、階層などの点で際立った対照をなしているという認識から、2つの雑誌の比較も視野に入れながら、掲載された広告の分析を進めている。

 ホメンコ氏は、雑誌広告のなかでも4つの商品、すなわち家電、化粧品、自動車、酒の広告に焦点を絞り、そこにおける表象上のジェンダー関係の歴史的な変化を分析している。同氏によれば、このうち家電と化粧品は女性ジェンダーと結びついた商品であり、自動車と酒類はもともと男性ジェンダーと結びついた商品である。また、家電と自動車は世帯単位で購入する必需品だが、化粧品と酒は、個人的な楽しみとして消費する嗜好品であるという。ホメンコ氏はこのように、想定される購買層の「男性」/「女性」という区別と、「家族単位の必需品」/「個人単位の嗜好品」という区別の2つの分析軸によって4つの象限を構成し、そのような4つの次元相互の関係が、戦後数十年間の社会変化のなかでどのように構造的に変化してきたのかを明らかにしようとするのである。

 論文は、序章において問題設定や先行研究との関係、分析枠組、そして分析対象についてそれぞれ整理した後、第一章で家電広告における女性像を、第二章で化粧品広告における女性像を、第三章で自動車広告における女性像を、第四章で酒類の広告における女性像を分析していく。いずれの場合も、(1)1950年代半ばまで、(2)1950年代後半から60年代にかけて、(3)60年代後半、(4)70年代以降の4つの時期が区別されていく。

 こうしてたとえば、第一章の家電広告の分析では、50年代に主婦としての良妻賢母像が理想的な女性像として確立し、60年代で主婦イメージの重心が「妻」から「母」へと移行し、またその後半には独身女性の姿が描かれ始め、70年代になって従来の主婦像にとらわれない多様な女性像が現れてくる、というジェンダー表象の流れが明らかにされる。特に、50年代の段階では、人々は家電に憧れの気持ちを持っており、アメリカ的なライフスタイルや主婦像のイメージが強力に作用していたが、60年代以降になると「主婦」と「独身女性」、「未婚」と「既婚」の間にアンヴィヴァレントな欲望が認められるようになり、さらに70年代にはこれらの「主婦」や「独身女性」の二項には収まらない様々な女性イメージが登場してくるようになることが明らかにされている。

 第二章の化粧品広告の分析でも、女性個人のアイデンティティ形成という視点から、自己イメージとジェンダー、あるいはセクシュアリティの関係の変化が考察されている。分析の視点は、化粧品が女性のいかなる目的の手段として位置づけられているのか、男性からの眼差しや、女性自身の自己への眼差しが、広告表象のなかにどのように浮かび上がっているかといった点である。そして、ここでも第二章と同じように、1950年代の化粧品広告におけるアメリカ的なイメージの圧倒的な影響と、60年代における「レディ」や「マダム」のイメージや「白い肌」への憧れから、やがてそれとは異なるイメージの浮上、そして70年代には自己変革志向をもった多様な女性像の登場といった流れが示されている。

 第三章の自動車広告の分析では、男性の消費者像と結びつけられることの多い車の広告に、いかにして女性の姿が描きこまれるようになっていったか、また単なる同乗者としての女性から運転手としての女性のイメージへの変化がいかに生じていったのかが検討されている。車の広告の場合、その車を焦点にしながらもカップルや家族のイメージ、ファミリーカーをめぐる家族関係などが浮上する。ホメンコ氏はここで、比較の論点として車の広告のなかでの男性像の変化にも目を向け、女性雑誌のなかの車の広告において、男性像がいかに描き込まれてきたのかについても分析している。

 第四章の酒類の広告の分析では、花柳界的なイメージではない仕方で女性と飲酒の結びつきが構築されていく局面に光が当てられている。ホメンコ氏によれば、50年代のワインの広告は、「奥様」の社交の一部、ないしは恋する若い女性のイメージと結びつけて飲酒を推奨するものであったが、60年代になると一人の自由な時間を満喫する女性のイメージや恋愛のイメージなどより多様な表象が現れてくるようになり、やがて60年代後半、女性雑誌にもワインだけではなくビールの広告が登場してくる。ホメンコ氏は、ここでもこうした酒類の広告のなかで、男性像がどのように描かれていたかについても論及している。

 ホメンコ論文の主張するところでは、50年代、アメリカ的な生活イメージの強い影響力の下で広告のなかの女性像が確立してくるのであり、また60年代までは、広告イメージのなかに既婚と未婚の境界線は明瞭に描きこまれていた。ところが、70年代以降、この女性像の構図が大きく変化し始め、未婚と既婚の区別や家族のなかの主婦像、男性的な商品と女性的な商品の境界線が、次第に曖昧になってくるのである。こうして70年代以降、車(「ドライブ」のイメージ)や酒類(「飲酒」のイメージ)の広告表象も、しばしばそれまでにない仕方で女性の欲望と結びつきを示すようになる。他方、家電広告では、それまでのような明瞭な女性=主婦との結びつきは目立たないものになってくるのである。

 ホメンコ氏は、こうした70年代の変化について、マーケティングをする側の戦略の変化と消費者である女性自身の価値観の変化、さらに家族やジェンダーに関する支配的なイデオロギーの変化という複数の面から考察を試みている。結果的に、70年代以降、女性雑誌の広告表象において、(1)それぞれの商品カテゴリーの脱ジェンダー化と、(2)商品の細分化とともに境界線がより複雑に引かれていく新たなジェンダー化、(3)ジェンダーのあり方を規定する言説の変化が同時並行的に生じているという認識を示している。

 以上に見たように、ホメンコ論文は、『婦人公論』と『女性自身』という2つの代表的な女性雑誌の約30年間の広告すべてについて直接、一次資料を丹念に分析し、1950年代から60年代、70年代に至るジェンダー表象の変容についての趨勢を明らかにしている。その努力と成果は、付表として本論に添えられた本論と同じ厚みをもった資料集からも察することができる。このように一次資料に丹念に当たり、そのなかの図像の特徴や変化の諸傾向を実証的かつ綿密に拾い上げていった著者の努力や熱意は、高く評価できる。

 ただし、それぞれの広告表象や商品、そして雑誌というメディアが同時代のなかで置かれていた社会的文脈、とくに日本社会が有していたジェンダー間の伝統的な役割配置や当該期における急激な富裕化の影響への関心が乏しいこと、かつ商品広告の送り手である広告主やクリエーターの意図や受け手の解釈や受容の面の分析が十分になされていないという問題がないわけではない。しかし、これは、本論の眼目が長期間にわたる膨大な図像資料を扱い、その全体的な傾向を明らかにすることに置かれている以上、やむをえないことと理解できる。むしろ本論文は、明瞭で大きな構図を基礎にしつつ、1950年代の広告のなかに見られたアメリカ的なイメージの影響が、60年代以降、どのように変容してゆくのかを、オリジナルな資料の詳細な分析から示すことに成功している。この論文で明らかにされた事実と論点は、関連する諸分野の専門家にとっても、今後の研究に資するところ、大なるものがあるであろう。したがって、本審査委員会は本論文の学術的意義を高く評価し、全員一致で博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定した。

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